act.5 譲れぬ信念
ホールではトロイカ・グランチャーズの四人のメンバーが、中央政府の収監所へと護送されていくところだった。
同時刻、酒場の休息所には、心配そうな面持ちでラファルの左腕に包帯を巻くネシェルの姿があった。
その手際のよさに感心し、心なしか嬉しそうな表情でネシェルを見守るラファル。
隣には仏頂面で二人の様子をうかがうクフィルがいた。
「たいしたことなくてよかったな」含んだ口調をラファルへと向ける。「あんな大げさな痛がり方するから、てっきり撃ち抜かれたのかと思ったぜ」
それにラファルが苦笑いを返した。
「申し訳ありません。弾がかすっただけなのに気分が悪くなってしまって。我ながら情けない限りです」
「まったくだ……、むぐ!」
クフィルの顔をつっぱりで押しのけ、ネシェルが真剣な表情でラファルを見つめる。
「かすめたっていっても実弾だから。ショックで死ぬことだってある。鉄パイプやこん棒で殴られたのとはわけが違う」
「おまえの蹴りはもっと強烈だがな」
「はああ!」
二人のやり取りにくすっとやったラファルに、今度は本当の嫌味をクフィルがぶつけた。
「あんたが余計なことしなけりゃ、こいつが最後の奴もあっさりしとめてたのにな。あやうく撃ち殺されるところだったぞ、あんた」
「クフィル!」
その苦言にラファルの顔色がさっと変わった。
「そうだったのですか。すみません。僕はなんということを……」
「いいえ、違います」深々と頭を垂れるラファルに、ネシェルが焦ったように両手を振って否定した。「あの時一瞬躊躇してしまったのは確かですが、頭に血が上ったまま突っ込んでいたら、私の方が撃ち殺されていたかもしれません。助けていただいてありがとうございます」
深々深々と頭を垂れるネシェル。
それを見て恐縮したラファルが、さらに深々深々深々と頭を垂れ始めた。
「いえいえそんな、こちらこそありがとうございます」
「いえ、そんな、こちらこそ……」
「こちらこそ……」
二人の深々合戦を辟易顔で眺め、不機嫌そうにそっぽを向くクフィル。
「どうでもいいが、俺にも礼の一言くらいあってもいいんじゃないのか。俺がいなけりゃ、今ごろおまえらは全員あの世いきだったんだぜ」
ふいにムッとなり、ネシェルがクフィルを睨みつけた。
「偉そうに言わないでよ。卑怯者のくせに」
「なんだと!」
「だってそうじゃない。また自分だけ安全な場所でこそこそやって。結局、私達を囮にして奴らを不意打ちしただけじゃないの」
「あのなあ! あの状況でいったい俺に何ができたってんだ! 相手は拳銃持ってんだぞ。闇雲に向かっていきゃ、確実に二人ともおだぶつだ。おまえはいつもそうだ。ふたこと目には卑怯だの、仲間じゃないだの。人のこととやかく言う前に、自分の方こそもっと考えて行動しろ!」
「わかってるよ。あんたは正しい」
「ふ?……」
「でも、それだけじゃ割り切れないことがある。たとえ無謀だってわかっていても、私は人のために命がけで飛び出してくれる人間を信用する。仲間のために、どんな危険な場所へでも飛び込んでくれる人を信じる。この人みたいに。間違っているのかもしれない。でも仲間って、そういうものでしょ」
「……」
ネシェルが淋しそうに目を細めるのを見て、それ以上クフィルは何も言えなくなった。
そっぽを向き、ふて腐れたようにクフィルがすねる。
「俺だって身体張ったんだぞ。ちょろっとだが、ケガだってしたし……」
すりむいた小指を天に向かって差し上げた。
すると、ふいに横から現れたタロンがそこに絆創膏を巻き、去り際にクフィルの頬に熱烈なキスと最高の笑顔をお見舞いしていった。
でれんとした様子で頬を手で撫で、タロンを見送るクフィル。
ネシェルとラファルは、ぽかんとその様を眺めていた。
やがてラファルが、おかしくてたまらないといった様子で笑い始める。
「なんだ、何がおかしい」
不機嫌な表情を向けたクフィルに、込みあげる笑いを自制してラファルが完全降伏のポーズをしてみせた。
「いえ、すみません。そういうつもりで笑ったのではないのです」
「じゃあ、なんだってんだ」
「どうもお二人が勘違いをされているようで、それがおかしくて」
「ほらみろ、おかしいんじゃねえか!」
「クフィル!」
「というよりも、自分の行動があまりにも滑稽だったからでしょうね。どちらかといえば、僕の方こそ卑怯者みたいですから」
「は……」
「何言ってんだ……」
ハテナマークを向けてくる二人に、一息ついたラファルが説明を始めた。
「同僚達からの僕に対する客観的なイメージです。計算高くて、冷静というよりは冷酷で、決して無謀な真似はしない。他人の危機に身体一つで飛び込んでいくなんて、もってのほかです。僕自身もそう思います。だから先ほどの評価は普段の僕とは正反対の、勘違いもはなはだしいという感じでしょうね」
「違うと思う」
ラファルの顔を見つめ、ネシェルが小さく呟く。
ふいをつかれたように笑みを忘れたラファルをしっかりと見据え、ネシェルはその後につないでいった。
「あなたはそんな人じゃない。いつもまわりに気を遣って、常に仲間達のためにどう動くべきかを考えて行動しているはず。でもそれがうまく伝わっていないから、いえ、彼らにはそういった行動が理解できないから、あなただけが損な役回りや責任を押し付けられているのだと思う」
「見事な分析ですね」ラファルがふっと笑う。「こういった状況に遭遇することは滅多にないですからね。きっとあなたの中で、ちょっとした犠牲を払っただけの僕の存在が何倍にも美化されてしまっているのでしょうね。残念ですが、僕はそんなに立派な人間ではありませんよ」
「そうかもしれない。勘違いかもしれない。でも、あなたは何か大切なものを背負っているような気がする。それがある限り、あなたは仲間達の期待を裏切るようなことは決してしない。なんとなくだけど、私にはそんなふうに見える」
「あなたもそうだからですか」
「!」
「冗談です」ラファルがまた笑った。今度は少しだけ淋しそうに。「買いかぶりすぎです。第一、彼らは僕のことを仲間とすら思っていない。今まで誰からも仲間だと認めてもらったことがないですからね。自分のせいだとわかってはいますが。なのにあなたは僕のことを自分の仲間のように語ってくれた。それだけは素直に嬉しかったです。ありがとうございます」
「そんな……」
「本当ですよ。いいですね、信頼のおける仲間同士というのは。見事な連携でしたよ。あの短時間によくあそこまで申し合わせられたものですね。羨ましい限りです」
それからクフィルの顔を見た。
クフィルはわずかに眉を揺らしたが何も言おうとはしなかった。
ただ二人がばつが悪そうに顔をそむけ合ったのを、ラファルは不思議そうに眺めていた。
上着を着込み、懐から懐中時計を取り出そうとして、ラファルが何ものかを床に落とす。
煌びやかな装飾が施された羽飾りだった。
「おっと、いけない」
拾い上げ、何気なく顔を上げると、二人が注目していることに気がつく。
ネシェルもクフィルも、まばたきすら忘れて、ラファルが手にする羽飾りを眺めていた。
「これを知っているのですか」
ラファルからの問いかけに、複雑そうな表情で眉を寄せるクフィル。
ネシェルはやや困ったような顔になり、取り繕うように口を開いた。
「あ、いえ……。綺麗だなって思って」
するとラファルが嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。これは幸福の羽飾りというものですが、ご存知ありませんよね」
「あ、ええ……」
「母の形見なのです。お守りがわりにこうして持っているのですが、我ながら女々しいと思います」
金色がかった白く真っ直ぐな羽を手に取り、ラファルがライトにかざす。それは角度を変えるたび、様々な色に変化した。
魅せられるように注目する二人の視線を眺め、ラファルが満足げに笑った。
「そうだ」ふいに何ごとかを思い出し、ネシェルを見つめながらラファルが懐に手を入れる。「これ、あなたのですよね。さっきホールで拾ったのですが、すっかり忘れていました。すみません」
ネーム・プレートをネシェルに手渡す。
「ネシェルさんというのですね。覚えておきます」
「手癖の悪い野郎だな」
リアクションを迷って口を閉ざすネシェルにかわり、クフィルがぶすりと突き刺す。
それすらもラファルは笑顔で受け止めた。
「人聞きが悪いですね。まるで僕が抜き取ったみたいじゃないですか」
「そうじゃないのか」
「クフィル!」
ネシェルにたしなめられ、クフィルが、むぐっと口をつぐむ。
それにふっと笑いかけ、ラファルはあいかわらずの笑顔で二人に告げた。
「さてと。僕はこのへんで失礼します。勤務中ですから」
「あ、一度ちゃんとお医者様に診てもらった方が……」
「後で行きます。黙って仕事を抜け出してきたので、そろそろ帰らないとまずいんですよ」
「……」
「あんた、セレブレーターだな」
またもやぶすりとぶつけたクフィルに、ラファルが表情も変えずに振り返った。
「はい、そのとおりです」
驚きを隠せないネシェルに対し、ラファルは笑みを絶やさないままクフィルと向き合うのだった。
「この店にトロイカのメンバーがやって来ると聞いて、見張っていたんです。まさかあんな場面に遭遇するとは思いもしませんでしたがね」
「ずっと見ていたんだな」
「ええ、外から一部始終」それからネシェルへと向き直った。「言ったとおりでしょう。このとおり、僕は打算的で卑怯な人間なのです。計算違いだったのは、あなた方が予想以上につわものだったことです。おかげで殺人を見過ごさずにすんだ」
「もしこいつがただのウェイトレスだったら、あんた、助けなかったのか」
「クフィル!」
「わかりません。でも、いくら腕に覚えがある人間でも、トロイカのグランチャー四人を一人で相手にしようとは思わないでしょうね。彼らは協定など守ろうともせず、禁止された銃器類すらも平気で持ち出すような外道達ですから。あ、それから」ラファルがスーツのサイドポケットをまさぐる。「あなたにも、返しておきますよ」
ライセンス・カードを取り出し、クフィルに差し出す。
クフィルのものだった。
「ネシェルさんのものは本当に拾いましたが、これは勝手に拝借させていただきました。あなたにも興味があったもので、クフィルさん」
ラファルから目を離さず、ひったくるようにカードを奪い取るクフィル。
それを静かに見下ろし、ラファルが乾いた笑みをクフィルへと差し向けた。
「こっそり戻しておくつもりでしたが、ここまで警戒されてしまうと無理でしょうから」
それからラファルは表情を正して二人を見据えた。
「私はステイト・カンパニーのラファルという者です。もう二度と会うこともないはずですが、参考までに覚えておいてください」ラファルのまなざしに鈍い光が宿った。「幸せを求める人達からすべてを奪っていくグランチャーは絶対に許さない。それが私の信念です」
痛む左腕を押さえ、ラファルが苦痛に顔をゆがませた。
情報屋からの連絡を受け、トロイカの主要メンバーを検挙するためにラファルはその酒場まで出向いていた。
そこからトロイカのメンバーを芋づる式に引っこ抜くためにだった。
報告のとおり、トロイカの主要メンバーは店に入ってきた。
ラファルが流したニセの情報に踊らされ、まんまとおびき出されたとも知らずにである。
多少は腕にも覚えがあったので、ラファルは一人で彼を検挙するつもりだった。
トロイカの凶悪さは熟知していたが、信用の置けない輩と行動をともにすれば、かえってリスクにもなりかねないと考えたからである。
予想外だったのは、そのリーダーのもとへ三人の部下達が合流したことだった。
グランチャーへの憎しみは誰よりも深いが、ラファルには他にも目的があった。
国中には大小さまざまな式場が数え切れないほど存在する。そして名士や資産家達が好んで利用するような大型の式場はこの中央エリアにほぼ集中していた。
それは彼らにとってもっとも動きやすい環境であるとともに、グランチャーズの数がどのエリアよりも多いということにも直結していた。ステイト・カンパニーの本拠地がこのエリアにあるのも、当然理にかなったものなのだ。
そして、怪盗ダブルエックスの根城としても。
神出鬼没の怪盗にセオリーが当てはまるとは限らないが、そこが動きやすい場所であることは間違いないはずだった。
もとよりステイト・カンパニーは大口の依頼を優先するため、自然と中央エリアよりの活動が主となり、地方エリアからの依頼はほとんどないに等しい。
対してダブルエックスは中央エリアを避けるように周辺地域のみを活動拠点としてきたため、これまでラファル達が彼とあいまみえることはなかった。
それをステイト側では、極めて限定的で実現可能な領域内だけで伝説を構築するためのまやかしであると定義し、歯牙にもかけなかった。あえて自分達との衝突を避けるダブルエックスを、単なる売名行為が目的の小悪党だと勝手に決めつけていたのである。
その予定調和を自ら破壊し、ここ二度ほど連続して、彼は禁断のテリトリーへと侵入してきた。
巷で噂される一大イベントを間近に控えた、この時期にである。
ステイトの独占市場とも言えるエリアでのダブルエックスの所業を、ラファルはステイトへの挑戦であると捉えていた。
彼がグランチャーズ達のシンボルともなった今、好き勝手にさせておくわけにはいかない。そのためには、いちいち些事に関わってはいられないのだ。
悔しさを押し殺しつつも、今回は無理をせずにあえて見送る選択をした。
功を焦って突入していれば、今頃トロイカ達になぶり殺しにされていたことだろう。
何一つ目的を達することなく。
緊張を解き、ほっと胸を撫で下ろす。
例の騒動が起こったのはその直後だった。
「……」
酒場での出来事を思い返すラファル。
目の前で一人の人間が殺されようとしていた。
自分が流したニセの情報がきっかけで。
それを黙って見過ごすわけにはいかなかった。
相手はトロイカの猛者が四人。おそらく自分は無事ではすまないだろう。それでも意味もなく巻き添えをくらい命を落とす人間を、どうしても無視できなかったのである。
確固たる信念のためにも。
命は捨てる。だが信念までは決して捨てない。
そう心に誓った時に彼らは動いた。
まるで呼吸をするように自然と。
己の危険すら顧みずに立ち向かうネシェルとクフィルの姿を目の当たりにし、ラファルが一つの結論に到達する。
彼らの勇気に比べれば、自分の信念なんぞはどれほどのものかと。
そして行動を起こした。
見知らぬ彼らを自分の仲間であると言い聞かせ、己の命を犠牲にしてでも彼らを助ける選択を。
結果、予想を上回るネシェル達の活躍に、ラファル自身も救われることとなったのだが。
「仲間か……」
そう呟き、淋しそうに笑うラファル。
なんとなく、彼らとはまたどこかで会えそうな気がしていた。