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act.4  トラブル

 


「はい、いらっしゃい」

 ホールにはネシェルの張りのある声が響き渡っていた。

 煩雑な店の中でも、活きのいいネシェルの発声は隅々まで通る。

 やや残念なのは、その溌剌とした振る舞いからは、可憐なミニスカートの制服がかなりミスマッチに映ることだった。

「二人ね。カウンターでいい」

 客をエスコートする姿は、どちらかと言えば場末のパブの方がしっくりくる。

「ネシェルちゃん、これ四番の人達のところにお願い」

「あいよ!」

「ああ……」

「何か用。マスター」

 ビールジョッキの束を抱え不思議そうな顔で振り返るネシェルに、マスターが困惑した表情を差し向けた。

「……あのね。せっかくかわいらしい制服着ているんだからね……」

「ん?」

 と、その時。

「おい、タロン、もっと足見せろよ」

「うひゃ~、たまんねえ~」

「うい~、酔っ払ったな!」

 ちらっとそれを聞きつけた途端、ネシェルの顔が鬼のように豹変し、ズカズカと歩み寄っていく。

「こらー! あんた達、いい加減にしないと承知しないって言ったでしょ!」

「うわ! またネシェルに怒られた!」

「それが客に対する態度か!」

「それが酔っ払いに対する、……なんだっけかな、うい~……」

「うるさい! 文句があるならいつでも相手になるよ!」

「うあ~、おっかねえ!」

「頼むから蹴らないでくれ!」

「許してくれ、母さん……」

「誰が母さんだ! あー、もう、めんどくさいな!」

「あああ……」

 困惑のマスターを置き去りにし、なみなみとつがれたビールジョッキを束で運ぶネシェル。

 途中でそろ~っと腰に伸びてきた不らちな手に気づき、激しく睨みつける。

 するとその手の主、先日ネシェルにぶっとばされた常連客が、卑屈な愛想笑いをしながらすっと手を引っ込めた。

 仲間のウェイトレスとすれ違いざまに笑顔を交わす様子は、しごく楽しげに映った。

 その様子をクフィルは端の席から楽しそうに眺めていた。

 くぴっと安酒を飲み干したクフィルのテーブルに、なみなみとビールがそそがれた大ジョッキがドンと置かれる。

 不思議そうにクフィルが顔を向けると、そこにはそっぽを向いたままでジョッキを差し出すネシェルの姿があった。

「俺は頼んでないぞ」

「私のおごり」

「なんでまた」

「……いろいろと」

「?」

 わけもわからずその顔を眺めるだけのクフィルに、ネシェルがバツが悪そうに口もとをゆがめる。

「あんたもさ、昼間っからお酒とか飲んでないで、みんなみたいに他の仕事でもしたら。いつもどこかでふらふらしてるみたいだし。お金ないんでしょ」

「いや、今、別に金に困ってないしな」

「はあ!」

 ぽかんとクフィルの顔に注目するネシェル。

「こないだの分をランセンからもらったばかりだからな。俺はおまえらと違って、契約した分は確実に貰ってるし」

「ランセンが払える額なんて、たかがしれてるでしょ。そんなこと言って、またすぐになくなっても貸してあげないからね」

「そん時ゃ、そん時だ。なんせ気楽なフリー稼業だからな。依頼があればどこにでも顔を出す。トロイカだろうがなんだろうが、大事なお客様だ」

「どこが! あんなろくでなしども!」

「おまえらより金払いはいいぜ。そんなことより、そっちこそしっかり働けよ。言ってみりゃ、おまえらは俺への報酬を払うために金の工面をしているようなものだからな」

「はあ!」

「おまえらの仕事がなくなると俺への支払いも滞るからな。しっかり働き口をキープしておいてもらわないとこっちが困るんだよ。おまえの場合、ウェイトレスなのか用心棒なのかわからないけどな。あっはっは!」

「……」

 ふいにネシェルの口もとが山形にひん曲がる。それは目の前の人間に対しての怒りを露骨に表現していた。

「おい、ちょっと!」

 迎えにいったクフィルの口もとから、ビールジョッキを奪い取るネシェル。

「何すんだ!」

「おごるのやめた」

「はあ!」

「やっぱりあんたは……。もういい!」

「?」

 突然癇癪を起こしたネシェルに、クフィルが茫然となる。

 その時だった。

「きゃあっ!」

 もう一人のウェイトレスの悲鳴に振り返る二人。

 その視線の先には、トレーを抱えて震えるウェイトレスと、ぐったりと壁にもたれかかる血だらけの客の姿があった。

 ネシェルが殴りつけた、例の酔っ払い客だった。

「どうしたの、マスター」

 カウンターから飛び出してきたマスターにネシェルがたずねる。

 するとマスターは蒼白になった顔を向け、ことの顛末を説明し始めた。

「あのお客さんがまたタロンちゃんのおしりを触ろうとしたんだよ。それで君みたいに突き飛ばしたら、あっちのお客さんのテーブルに倒れ込んでいっちゃって」

 そこまで言ってマスターは鎮火のために飛び込んでいった。

 不安げにその後ろ姿を見守るネシェル。

 それを横から眺め、クフィルはなんともいえない顔になった。

「やめてください。お店の中で面倒は起こさないでください」

 マスターの仲裁はわずか数秒足らずで終結した。

 暴虐者の一人が振り返るや、一連の流れの中でマスターを殴り飛ばしたのである。

「関係ねえ奴はすっこんでろ。ぶん殴るぞ」

 とっくにぶん殴ってるだろ、などと言う勇者はそこには存在しない。

 先ほどネシェルと口論を交わした客達も、すっかり酔いの失せた視線をテーブルの中央に集めるだけだった。

 彼らは悪名高きグランチャー集団、トロイカのはぐれ者達だったからである。

「こっちは出稼ぎがパーになって気が立ってるんだ。こんなものじゃ埋め合わせにもならねえが、ちっとばかしストレス発散につき合ってもらうぞ」

 別の一人が、怯え震えるタロンの肩に手をかけた。

「お嬢ちゃんは、俺達の慰め役としてご奉仕してもらおうか」

「いや……」

「いやじゃねえ。おまえに選択権はない。受け入れろ」

 いやらしげに笑い、絵に描いたような邪悪を見せつける。

 そのかたわらでは、今まさに一人の男の死刑が執行されようとしていた。

「運が悪かったな」

 うなだれる酔っ払い客を取り囲む三人の中心にいた男が、表情もかえずに銃を突きつける。

「……か、勘弁、してください……」

「駄目だ」

「お金は持ってません」

「もっと駄目だ!」

 そう吐き捨て不敵に笑った。

 その直後だった。

「ぎゃあああっ!」

 ぎょっとなって、振り返る三人。

 悲鳴の主が仲間のものだと知っていたからだ。

 銃を突きつけたままで、ことの起こった場所を確認する。

 その顔が信じがたいといった表情に変わるのは、後ろ手に腕を捻られ子供のように泣き喚く仲間の姿と、それをもたらしたのが小さくか細い少女であることを見届けたすぐ後だった。

「今すぐここから出ていけ」

 片手で大男の腕を捻り上げながら、ネシェルが押し殺した声でそう言う。

 それからネシェルは背中に隠れたタロンに離れるよう告げた。

「嫌だと言ったら」

 リーダー格の男の恫喝にまるで動じる様子もなく、ネシェルが細い腕に力を込める。

「折れる、折れる、折れる!」

「もう折れてるけど、今ならまだ間に合う。でもこれ以上無理をすると、二度とくっつかなくなるよ」

 そう言って右手に力を込めると、男はそれまでよりもさらに高い声をあげて泣き始めた。

「あぁあああ~! もっと折れる~!」

「ほう」それでもリーダーはにやりと笑ってみせ、酔っ払いのこめかみに銃口をぐぐっと押し付けたのだった。「仕方ないな。そいつの腕一本と引きかえに、この男が命を落とすことになるが、それでおあいこということにしとくか」

「好きにすれば」ぶすりと告げるネシェル。「そんな酔っ払い、いなくなった方が世の中のためだ。ろくすっぽ仕事もしないで昼間から飲んだくれてばかりで、文句も言えないおとなしい女の子のおしりを触るくらいしかすることがないんだから。たちが悪いったら」

「そうか、そりゃいかんな」

 リーダーがにやりとする。

「どっちみち、こんなクズはいない方がいいってわけか」

「ひいいいいっ!」

「……」

 一瞬ではあるが、彼はネシェルの表情に変化が浮き上がったことを見抜いていた。

「頼む、フェンサー」ネシェルに拘束された男が己の身の危険を察し、涙を流しながらリーダーに懇願し始めた。「助けてくれ、フェンサー。俺の腕が元に戻らなくなる」

 それにいやらしく笑いかけ、リーダー格の男が他の仲間達を見回した。

「心配するな、フラゴン。おまえのかたきは俺達が取ってやる。後でそこのお嬢ちゃんにもきっちりと謝罪はしてもらう。いろいろとな」

「あ、あ……」

 フラゴンの絶望と、仲間達の下卑た笑いが重なった。

 ネシェルのこめかみを汗が伝い落ちる。

 どう転んでも無事にすみそうにないだろう。

 苦渋の決断は捨て身の特攻だった。

 呼吸一つで目の前の大男を床へと叩き伏せるや、ネシェルがさらなる一歩を踏み出す。

 と、同時の出来事だった。

 一瞬のうちに人質の男が蹴り出され、あっ気に取られるリーダーの顔面に後ろまわし蹴りが炸裂したのである。

 ブーツの踵を鼻っ面にめり込ませ、リーダーが数メートルも吹き飛んでいく。

 その巨躯は背中から隣の丸テーブルに激突し、それを真っ二つに叩き割って動かなくなった。

 ぴくぴくと痙攣するリーダーの姿を、何が起こったのかさえわからずにただ茫然と立ちつくして眺める他の二人。

 ことを理解した時には何もかもが手遅れだった。

 ネシェルの掌底が一人の顎を捉え、その脳を激しく揺らす。

 ガクンと膝から崩れ落ちる仲間を目の当たりにし、ようやく残りの一人が我に返った。

「くそ!」

 最後の一人が拳銃を突き出す。

 それを避けようともせず、ネシェルは理不尽な暴力に真正面から立ち向かっていった。

「危ない、避けて!」

 突然割り込んできた声に気をとられ、一瞬硬直するネシェル。

 銃口はすぐ間近に迫っていた。

 次の刹那、真横に突き飛ばされるネシェルの残像を追うように、轟音とともに銃弾は発射された。

「ぐう!」

 腕を押さえてうずくまるスーツ姿の青年を確認し、彼が自分を助けてかわりに撃たれたのだとネシェルは理解した。

 怒り猛るネシェルが銃を持つ男を視界におさめる。

 焦った男が慌ててネシェルへと銃口を向け直すが、狙いを定める前に何者かの手刀が拳銃を床へと叩きつけていた。

 クフィルだった。

 先に酔っ払いを救い、リーダー格の男を沈めたのも、すべてクフィルのしわざだった。

「あ……」

 丸腰となった男の眼前に、素早い身のこなしで到達していく小さな影あり。

 ネシェルは男の懐深く入り込むや、みぞおちに渾身の掌底を打ち込み、自分の倍近くはあろうかという重量の相手を突き倒した。

 それですべてが終わった。

 何が起こったのかうまく整理できずに戸惑うばかりの常連客達。

 彼らからの拍手が沸き起こるより早く、ネシェルはスーツ姿の青年へと駆け寄っていた。

「大丈夫!」

 ネシェルが心配そうに顔を覗き込む。

 するとその青年、ラファルは青ざめた顔に汗を浮かべながら笑ってみせた。




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