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act.1  大きな代償

 


 式場は蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。

 突然花嫁の姿が消えてしまったからである。

 式の開始寸前のタイミングだった。

「どこにいった」

「トイレにはいない」

「どこに消えた」

「本当にトイレにはいなかったのか」

「もう一度トイレを探せ」

「誰も姿を見ていないぞ」

「やっぱりトイレにはいないぞ」

「もう一度トイレを……」

 ばたばたと駆け回る関係者達の姿は、厳かな式の会場にあってとりわけ相応しくないものだった。

 やがて一人が指をさして大声をあげる。

「バルコニーに花嫁がいるぞ!」

 と。

 続けて轟く悲鳴と怒号。

「ダブルエックスだ!」

「奴が現れたのか!」

「下だ。降りてきたら捕まえろ!」

 一斉に群がり包囲する警備員達。

 だが四階のバルコニーから花嫁を抱いて現れた怪盗は、下で待ち受ける衆人達ににやりと笑いかけるや、疾風のごとく空を駆け抜けていった。

 照り返しにキラリ光るは、らくだを吊り下げても切れることのない丈夫かつ極細のワイヤー。それにハンドスライダーをかけ、一直線に滑り降りたのである。

「追え! 追え!」

 慌てふためく追跡者達。

 しかし彼らが怪盗の行く手に先回りすることはかなわなかった。

 川を隔てた対岸につながれたワイヤーをつたい、悠々と降り立つ怪盗。

 会場から橋を渡ってそこへと辿り着く頃には、塵一つの痕跡も残らないであろうから。

 怪盗は花嫁を岸の先まで誘導すると、口惜しがる警備陣をあざ笑うように丁寧な一礼をし、紺碧色のマントをひるがえして消えていった。


 場外では、くんずほぐれずの攻防戦が繰り広げられていた。

 仮面を被った妨害集団、グランチャーズと、式の警備を任された協会公認民間機関、セレブレーター達との争いである。

 やがて数にものを言わせ、セレブレーターがグランチャーズを包囲する。

「くそ、旗色が悪いぞ」

 グランチャーの一人が泣きを入れると、それを別の仲間がたしなめた。

「バカ野郎、諦めるな。何としてでも花嫁を救い出すんだ」

「数が違いすぎるだろ。ホーカー達もライトニングの野郎もとっとと逃げちまった。こんな少人数でステイトを敵にまわすのは無謀だったんだ」

「数がなんだ。俺達が諦めたら花嫁はどうなる。あの強欲な資産家の犠牲になって、一生不幸なまますごすことになるんだぞ。そんなのかわいそうすぎるだろ」

「そんなことはわかって!……」

 そう言いかけて男の言葉が途切れる。

 突然セレブレーター達が、慌しく会場の中へと引き上げ出したからだ。

「何かあったのか……」

「わからん……」

 その直後だった。

 撤収していく彼らの口々から、その名を確認したのは。

「ダブルエックスだ!」

「何だと!」

「急げ!」

「もう無理だ、影も形もない」

 ただ茫然と立ちつくすのみのグランチャーズ。

 残ったセレブレーター達が彼らの確保に近づいたその時、大玉のゴム弾がそれらを弾き飛ばしていった。

「早く、こっち!」

 大型の輸送車両の運転席から身を乗り出して、仲間の一人が棍棒のような銃を突き出す。

 グランチャー達を逃がす役割のメンバーだった。

「もう花嫁はここにはいないみたい。こっちも早くずらかろうよ」

 他のグランチャー同様仮面を付けてはいたものの、その声はかん高く、まるで少女のようだった。

「ダブルエックスが出たというのは本当なのか」

 車両に乗り込み、先に泣き言を漏らした大柄なメンバーが仮面を脱いで運転手にたずねる。

「そうみたい。もうずいぶん経っているようだけれど」

「クフィルは逃げたのか」

 もう一人の仲間に聞かれると、運転手は仮面を頭の上に乗せて、その仏頂面を差し向けた。

「俺の仕事はクルマを届けるまでだ、だって」

 まだ十代の少女と思しき幼さの残るその顔を、リーダー格の偉丈夫が横からしげしげと眺める。

 それからやるせないようなため息を漏らした。

「そうか。仕方がない。あいつはエスケープだけの契約だからな」

「撤収だってエスケープの一環だろうがよ!」

 仲間のグチを流して、リーダーが車両の窓越しに会場の中をうかがう。

 中庭には這いつくばるように泣き崩れる、哀れな新郎の姿が見て取れた。

 式の直前に花嫁をさらわれたことに対する悲しみではない。彼らの世界において、権力を示す指標ともなる婚礼の式をぶち壊されたことを、身勝手に嘆いているのだ。

 今回の不祥事によって、彼らの一族は著しく失脚することとなるだろう。

 神聖なる誓いの儀式を滞りなく執り行うことができなかった、己の家すら守れなかった脆弱な一族と言う不名誉なレッテルを貼られて。

「何度誘っても、こっちに加わる気もないようだしな」

「人手が足りないっていうのに、サービス残業もなしかよ。何様だ!」

「だが腕は確かだ。どんな場所からでも俺達の脱出経路を確保してくれる。ある意味、あいつが後方にいてくれるから、俺達は安心して目の前の目的に集中していられるとも言える。違うか、ヴィゲン」

「そりゃそうだけどよ……」リーダーから同意を求められた正義感あふれる青年が、不本意そうに運転手の方に顔を向けた。「ネシェルだって、そう思うだろ」

 仲間からネシェルと呼ばれた運転役の少女は不機嫌そうにへの字に口を結び、前を向いたままでそれに答えた。

「あいつは仲間じゃないから……」


 怪盗ダブルエックスは人里離れたその場所で偽装車両を止め、細心の注意を払いつつ、助手席から花嫁をエスコートした。

 不安を拭えぬまま差し出された手を取り車外に出る、とらわれの花嫁。

 その表情は、目の前で待ち受ける一人の紳士の顔を確認するや、みるみるうちに崩壊していった。

 華やかな衣装も、煌びやかな装飾も、世界一のメイクも雲の彼方、破顔しながらその青年の胸に飛び込んでいく。

 彼もまた、彼女をこの上もない愛情をもって抱きしめたのだった。

 誰にも侵食できない二人だけの領域がそこには存在した。

 儚くも気高いその抱擁を前に、怪盗が小さな祝福を差し向ける。

 音のない拍手に気づき、花嫁を解放して青年が怪盗へと頭を下げた。

「ありがとうございます」

 青年の心からの感謝に、意味ありげに笑ってみせる怪盗ダブルエックス。

「おかど違いです。これであなた方は何もかもを失うことになる。大きな代償を支払わされるあなた達にとっては、恨みこそすれ、忌まわしき盗人ごときに礼を告げるのは間違っている」

 それを受け、青年は濁りのないまなざしを真っ直ぐに怪盗へと差し向けて笑ったのだった。

「傲慢な権力者達に羽をもがれ、自由を束縛され、私達弱者は彼らの前で涙を見せることすら許されない。目の前の理不尽から顔をそむけ、卑屈な作り笑いを浮かべながら、偽りの幸福をあまんじて受け入れることしかできないのです。幸せを求める権利すら奪われた人達の悲しみで、この世界はあふれています。にもかかわらず、わずかばかりの無意味な代償と引き換えに、私は自分の人生においてこの上もなく大切なものを取り戻すことができた。すべてあなたのおかげです」

 怪盗が花嫁の涙に目を向ける。

 それが喜びからなる涙であることは、誰の目にも明らかだった。

「忌まわしき悪習もいつかは廃れてなくなることでしょう。ですが、今、この時代に、あなたのような方にめぐり会えたことを、心から感謝いたします」

 青年が深々と腰を折る。

 その隣で、幸福の花嫁が嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます」

 にやりと笑う怪盗。

 それから紺碧のマントをひるがえし、二度と会うことのない彼らに背中を向けた。

「しからば!」


 アジトへ戻ったグランチャー達を、一人の細身の男が腕組みしながら出迎えた。

 年の頃は二十代半ば、薄汚れた作業服をだらしなく着こなし、ぼさぼさの髪にやる気のないまなざしの端から涙をちょちょぎらせて、大あくびをかました。

「どこもぶつけなかっただろうな。……ふぁ~……」

 疲れきった身体で偽装車両から降りてくる面々を眺め、いきなり彼が憎まれ口をたたく。

 それに反応したのはグループ一の熱血漢、ヴィゲンだった。

「てめえ、人ごとみてえに言いやがって」仏頂面のまま彼へと近づき、目線一つ高いその顔を手のひら一枚分手前まで押し出した。「命からがら帰って来た俺らに、お疲れ様の一言もねえのか」

「命からがらだと」

 ちゃんちゃらおかしいとばかりに、ふふんと鼻で笑い飛ばす。

 それがヴィゲンの癇に障ったようだった。

「てめえ、何がおかしい」

「別におかしくて笑ったわけじゃない。おまえらがあまりにも滑稽だから、それがおかしかっただけだ」

「おかしいんじゃねえか!」

「俺はおまえらが確実に逃げられるルートを見つけて、ネシェルに伝えておいたはずだ。それで捕まったのならともかく、こうして無事帰ってこれたんだから、おまえらこそ俺に礼の一つも言うべきなんじゃないのか」

「なんだと、てめえ!」

 ヴィゲンが彼の胸倉を両手でつかみ、そのつま先が上がるほど締め上げる。

「自分だけ安全な場所でのんびりしてやがって、少しくらい手伝おうとか思わねえのか。同じ組織にいるのに、俺らの姿を見て何も感じねえのかってんだ」

 センターから分かれた銀色の長髪はその見た目に反してかなりのマッチョ体型だった。サイズで言えば、目の前の彼より二まわりほどでかい。

 だが宙ぶらりんになるほど締め上げられてもなお、苦しそうな顔もせずに、彼は嫌らしく笑ってみせたのだった。

「同じ組織ってったって、俺はおまえらと違ってフリーの逃がし屋だからな。一回ごとの契約でそっちのランセンに雇われてるだけだ。仕事がない時は、よそのグループの逃がし屋もやらなきゃならん。向こうが先に依頼をしてきた時は、こっちの仕事を断るだけだ。そうだったよな、ランセン」

 そう言って彼が、リーダーの方を向く。

 ランセンと呼ばれた髭面の偉丈夫は曇った表情で二人のやり取りを眺め、ゆっくりと、そうだ、と言った。

「な」

 彼ににやりとされ、ヴィゲンがさらに沸騰する。

「でもよお、ランセン。よそじゃあ逃がし屋だって組織の一員なはずだぜ。人が足りない時にフリーを雇うようなことはあっても、専属の逃がし屋がいないグランチャーなんて、うちくらいじゃねえか。そんなのでいいのかよ」

「問題ない」

「はあ!」

「それだけ彼が優秀だということだ。実際、クフィルがうちの逃がし屋を引き受けてから、俺達は一度だってヘタを打ったことがない」

「そりゃそうだが!」

「そういうことだ」クフィルと呼ばれた青年が、にやりと笑ってヴィゲンの両手を開いた。「第一、逃がし屋の俺が一緒に行動してたら、もし何かトラブった時、いったい誰がおまえらを逃がす」

 ぐぬぬぬ、と口をゆがめ、ヴィゲンが怒りに打ち震える。

 それを鼻で笑って、クフィルは運転手を務めてきた少女の方へと振り返った。

「ネシェル、整備を手伝ってくれ」

 クフィルに言われ、ジロリと目線だけを差し向けるネシェル。

「いや」

「はあ!」

 今度はクフィルがあっ気に取られる番だった。

 そのありえない表情を一瞥し、ネシェルは完全に仮面を外して、背中まであるブロンドを風になびかせた。

「整備は逃がし屋の仕事でしょ。私はグランチャーだから」

「冷たいこと言うなよ。俺達仲間だろ」

 するとゆるりと背中を向け、ネシェルが小さな声を押し出した。

「あんたは私達の仲間なんかじゃない」

「……」

 崩壊するクフィルの後ろで、腕組みのヴィゲンが嬉しそうに高笑いするのだった。





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