act.17 友と仲間
「ラファル」
セレモニーの休息時間に正装に身を包んだホーネットに呼び止められ、ラファルが振り返った。
「どうだ」
「はい、上々です」
「花嫁の様子にかわったところは」
「特には。警備にも微塵のぬかりもありません。もし私がグランチャーならば、諦めて祝福の電文をよこすことでしょう」
「そうか、それは何よりだ。私もこの退屈で堅苦しいセレモニーに集中できる。後のことは任せたぞ」
「はい。お任せを。……社長」
注目するホーネットに、やや口ごもるようにラファルは質問した。
「社長はネ、……ラビ様のことを愛していらっしゃるのですよね」
「当然ではないか」
「……そうですか。すぎた質問をしてしまい、すみませ……」
その声を遮ってホーネットが続ける。
「アイエア家の名前さえあれば協会トップの座も勝手に転がり込んでくる。私にとっては幸運の女神のような娘だ。手放すわけにはいかんな。せめてこの式が無事終わるまでは」
それからいやらしく笑った。
「……」
目を細め、ラファルがホーネットに注目する。
それは一つの決断でもあった。
「かつて私の両親は心無いグランチャー達に式を妨害され、すべてを失うこととなりました。トロイカの前身のしわざだと、……調べがついております」
「そうか」目線だけを差し向け、何ごともなかったかのようにホーネットが続けて言う。「ステイトには依頼しなかったのか。いや、その頃なら、まだ我が社は存在していなかったのかもしれないが」
「いえ、ステイトはすでに存在しておりました。ステイトの先代社長からの申し出を父達が断り、悲劇が起きたのです」
「それは災難だったな。うちに依頼していれば悲劇を未然に防げたものを」
「……だからそんな悲劇を繰り返さないために、私はセレブレーターになったのです」
「そうか」
含み笑いを浮かべ、ラファルを眺めるホーネット。やがておかしくてたまらないとでも言わんばかりに大声で笑い始めた。
「何がそんなにおかしいのですか」
感情を押し殺し、つとめて冷静にホーネットにそうたずねるラファル。
それを受けてなおも、ホーネットは嬉しそうにその顔を見続けるのだった。
「愉快なのだよ。君にとってはこの上なく不幸な過去に違いないことだろう。だが、その悲劇のおかげで、我が社は君という優秀な人材を得ることができた。君のご両親には申し訳ないが、我々にとってはこの上ない幸運となったということだ。極めて不謹慎で不快であることは重々承知の上でだが、私はこの幸運を喜びたい気持ちでいっぱいだ。約束する。君が受け止め切れなかった悲しみと苦しみの、その何倍もの成功を我が社が君にもたらすことをな」
「……」
「さて、私は些事をすませておくとしよう。これだけの顔ぶれが揃えば、さすがに緊張もするものだな、ははは。次のプログラムではついに麗しの姫君の登場だ。頼んだぞ。私に恥をかかせるなよ」
「……はい、心得ております」
「はっはっは。そうだ、ラファル」行きかけたホーネットがふいに足を止める。「貴様、私が持っていた解毒薬のビンを知らないか」
「……いえ」
「そうか。ならいい。てっきり貴様が持ち出したものだと思っていたのだが。どうやら、どこかに置き忘れてきたらしい。自分では気づかなかったが浮き足立っていたのだな、私も」
やや口を濁したラファルを問いつめることもなく、ホーネットは笑いながら続けた。
「もし万が一、あれがダブルエックスの手に渡るようなことがあれば、取り返しのつかない結果になりかねんからな。それも自業自得というところだろうが」
「……どういうことでしょう」
「私としたことがとんだ勘違いをしていたらしい。どうやらさっき持っていたのは解毒薬ではなくて、促進剤の方だったようだ。一種のドーピング剤だな。服用すると一時的に血の巡りがよくなるので身体は動くようになるが、その分毒のまわりは早くなる。健康な人間ならば気分が悪くなり何日か昏倒する程度ですむが、もし毒を受けている人間が飲めば、一週間どころか一日ともたずに死を迎えることになるだろう。本物は私がここに持っている」
「!」
ホーネットが振りかざす、先とは別色の錠剤入りの小ビンを眺め、すっと顔が青ざめるラファル。
それを知るかのように、ホーネットは振り返っていやらしげに笑った。
「ダブルエックスには、私がじきじきにこれを飲ませてやるとしよう」
エスコートのないまま、ネシェルは会場へと足を踏み入れようとしていた。
身も沈むほどの赤いカーペットの上を滑り、大きく重い扉を開ければ、数千もの見知らぬ人間の好奇の目に晒され、偽りの祝福を受けることとなる。
誰一人身寄りのないネシェルにとって、それが誰のためのものなのかすらわからなくなりかけていた。
すっと差し出された手の先に目をやり、ネシェルがわずかに心を揺らす。
そこには穏やかな笑みをたたえるラファルの顔があった。
「間に合ってよかった。突然の不躾なお願いで申し訳ありませんが、私のエスコートを受けていただけませんでしょうか、ラビ様」
力なく笑い、ネシェルが頷く。
「……お願いします」
ラファルも心からの笑顔でネシェルを包み込んだ。
「すみません。お一人でのご入場を希望されていたことは知っておりましたが、無理を承知でお願いしてしまいました。ちゃんと許可は取ってありますので、ご心配は無用です。社長ならば快諾してくれましたよ。総隊長のエスコートなら、これ以上の警備はないと。各界の名士の方々へのアピールにもなりますしね。さあ、ご一緒にまいりましょうか」
「時の彼方までですか」
「は?」
「いえ、なんでもありません……」
「……」
表情を曇らせ下を向くネシェル。そこからうかがえるのは、迷いだけだった。
「何故ネシェルという名を名乗られたのですか」
前ぶれもなくラファルにそれを問われ、ネシェルが口をつぐむ。
するとラファルは取り繕うように笑ってみせた。
「いえ、少し気になったものですから。すみません、勝手に調べさせていただきました。間違いでなければ、その名はあなたのお母様のお名前では」
「はい、そうです」ゆっくりと顔を上げ、今にも崩れ落ちそうなはかなげな表情を差し向ける。「父と母は私が幼い頃に亡くなったので、顔もよく覚えていません。でもはっきりと覚えていることがある。母の名を呼ぶ時の父の声です。優しげにネシェルと呼ぶその声が忘れられなくて、そう名乗っていたのかもしれない。もう一度あの声が聞きたくて。きっとそんなことでも父と母の存在を感じ取れるような気がしたからでしょう」
「そうですか」ラファルがにっこりと笑いかける。「その願いはかないましたか」
「いえ。声の似た人ならいたけれど、やっぱり違っていました。どんなに似ていても、父とは違う。だから私は、もうこの名前を使うことをやめようと思っています」
「ラビ様に戻られるおつもりですか」
「……はい」
「それは残念です」
「……」
「私も頑張ってみようかと思ったのですが、もう手遅れのようですね」
力なく笑い、ラファルの顔を眺めるネシェル。
「やっぱり、思っていたとおりだった。知り合ったばかりの私に、そうやって思ってもいないことを笑いながら言う」それから静かに、それでも嬉しそうに笑った。「あなたは、いい人ね」
ラファルも同様に笑ってみせた。
「ご迷惑でなければ、残されたそのわずかな時間だけでも、私もそう呼んでよろしいでしょうか。あなたのお仲間のように」
「……ええ」
「ありがとうございます。僕のこともラファルと呼んでいただければ結構です」
「……。ありがとう、ラファル」
「いえ。礼を言うのはこちらの方です」
ラファルの顔を見つめたまま、また表情を曇らせるネシェル。
「わからなくなっていたんです。どうしてこの婚礼を受けなければならないのか」
「……」
「この国には力を失って自分達の存在すら保てなくなり、寄り集まってきた多くの王族達がいる。かつては王家の人間であったということだけに固執し、過去の栄華にすがるだけで、もう何の力だってないのに。確かに私がいなくなれば王家の血筋は途絶えることになる。ただそれだけのことなのに、私も彼らと同じで、それを失うのが恐かったのかもしれない」
「守りたかったのではないのですか。お父様やお母様がつないできた絆を。それを失ってしまえば、大切な家族とのつながりさえも消えてしまうような気がしていたのでしょう」
「……そうかもしれない」
「心配はいりませんよ。たとえどうなったとしても、あなたはあなたですから」
「!」
思いがけないラファルの言葉に、ネシェルの視線が釘付けとなる。
それを静かに見つめ返し、ラファルは続けた。
「どこにいようと、たとえ名前を偽ったとしても、あなたはあなたです。あなたの心の中にその人達が住み続ける限り、何も変わらない。彼らも同じはずです。この先あなたがずっとラビ王女であったとしても、僕にとってはあの日出会ったネシェルさんのままですよ。アイエア家王女のラビ様ではなく、僕の数少ない友人のネシェルさんとして、今日はあなたをエスコートさせてください」
「はい、よろしくお願いします……」口を固く結ぶネシェル。顔を伏せ、己に言い聞かせるように続けた。「どうにもならないことは最初からわかっていた。いい加減に心を決めろと、誰かに言ってほしかったのかもしれない。あなたがエスコートでよかった。……本当にありがとう、ラファル」
うつむくネシェル。
拳を握り締めていなければ、勝手に涙があふれ出しそうだった。
それに気づき、ラファルが少しだけ表情を曇らせる。
「五億マネーのティアラ、断られたようですね」
「……。私にはそんなものを着ける資格がない。本当ならばこんなドレスだって……」
「そんなことはありませんよ。これだけのドレスをごく自然にエレガントに着こなせる方は、そうそういない。それがアイエア家の血統のおかげかどうかは僕にはわかりませんが、あなたにはこの一億のドレスを従えるだけの風格と気品がある。いえ、嫌な言い方をしてしまいましたね。訂正いたします。あなたにはそれだけの魅力がある。友人の僕が見てもクラクラします。もし僕がどこぞの王子であったのなら、あなたを奪いに参上していたかも知れません。残念です。いえ、こんなことをセレブレーターが口にしては不謹慎でしたね。忘れてください」
「……」あっ気に取られていたネシェルが、ラファルの笑顔にくすっとする。「変な人、やっぱり……」
それを眺め、安心したように微笑むラファル。
「お願いがあります。これを着けていただけませんか」
ラファルが差し出した手の中には、幸福の羽飾りがあった。
「前にも話したと思いますが、母の形見です。幸福の羽飾りだそうです。あなたならばご存知ですよね。母は婚礼の際にこれを付けませんでした。もし使うようなことがあれば、と僕に託して亡くなったのです」
「何故私に……」
「何故でしょうね。あなたには幸せになってほしい。理由はわかりませんが、あなたを見ているとそう思えて仕方がない。何となく母に似ているからかもしれません」
「せっかくのご好意ですが……」
「受け取ってはいただけませんか」
「私にはそのような申し出を受ける資格がない。私は、それにふさわしい人間ではありません」
「決してそんなことは……」
「ご心配なさらないでください。必ず幸せになってみせます」
「……。そうですか」ふっと笑った後で、表情を正すラファル。「ではせめて、この羽飾りのもう一つの意味を知ってください。これは己の不実を嘆き、胸を貫くためのものでもあるのです。不測の事態に陥った場合には護身用の武器にもなります。もしもの時にお使いいただければ幸いだと思ったのですが残念です」
「……」
「ご心配には及びません。あなたは我々が守ります」それから窓から射し込む光に目を細めた。「ダブルエックスは必ず現れます。あなたを奪い去るために」




