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act.15 愛の戦士ファントム

 


 広大な控え室の端と端へと、ネシェルとダブルエックスが引き離される。

 その間をわかつように、のっそりと偉丈夫は入り込んできた。

 肩から抱える大筒の砲塔は、よく見れば超巨大な傘であることがわかった。

「ご無事でなにより、マリッジレディ」

 ゆるりとネシェルに顔を向け、淡々とファントムが発する。

 それに答えたのは、いやおうなく視界の隅へと追いやられたダブルエックスだった。

「貴様のせいで、危うく二人とも爆死するところだったがな」

「それは失礼した。ドアが開かなかったもので」表情も変えずにファントムがそう言う。「押しても押しても開かなんだ。ならばぶち壊してでもこじ開ける他に手立てはない。仕方なくこの愛アンドキングを使用させていただいた次第である」

「引くという選択はなかったのか」

 ダブルエックスの皮肉にファントムがピクリと反応する。

「なるほど。それはまたこれぽちすらも考えが及ばなんだ。愛、すみません」

 顔を向けたものの、サングラスの奥が見通せず、彼が何を考えているのかまるでわからなかった。

 ネシェルも同様だった。思わぬ事態に何をすべきか選択肢が定まらずにいたのだ。

 そんなネシェルの心情を察してか、もう一度ファントムがゆるりと顔を向ける。

「ご心配めさるな、マリッジレディ。貴殿のその悲壮に満ちたマリッジブルーの現況を今ここにすっぱり断ち切ってしんぜよう」

「貴様は……」

「まだ自己紹介がすんでおりませなんだな。これは失礼した」

 ダブルエックスの呟きに、初めてファントムがその口もとをわずかにつり上げる。

 それからゆるやかに振り返り、あらためてダブルエックスに決闘状を叩きつけた。

「我こそは愛の殉教者ファントム。またの名をさすらいのラブ・ファントムなり。いらない何もかもならいっそ愛のまま我がままに捨ててしまおう。負けないこと逃げ出さないことそんなことなどどうでもいい。愛がすべてだ今こそ誓ウォウォ! 幸福の花嫁にめぐり会うその日まで、また会う日まで、暇で暇で愛にさまよう我が旅は果てしなくも長く続く続く続くのであ~る」

「長い!」

「失礼いたした!」

 ファントムが自己紹介を終えても、身動きがとれずにいるダブルエックス。

 身勝手で冗長な口上にただ飲まれていたわけではなかった。

 ファントムの持つ巨大なオーラを前に、迂闊に動くこともままならなかったのである。

 それを静かに眺め、ファントムが巨大な傘を放り投げる。

 ガシャン、と音を立てて転がったそれが、戦いの合図だった。

 踏み込むダブルエックスを迎え撃つべく、真っ黒いコートをガバッと開くファントム。その裏側にはびっしりと隙間なく、異なった傘が仕込まれていた。

 背中に隠し持ったステッキを振りかざし、ダブルエックスが渾身の一撃を浴びせる。

 それをファントムは開いた傘の表層で受け止めた。

「愛、シールド!」

 ガキッと金属音が鳴り響き、弾かれるダブルエックスのステッキ。

 コンクリート塊をも砕き割る硬質のステッキはファントムによって苦もなく受け止められ、ダブルエックスの豪腕をジンジンと痺れさせる結果となった。

 間髪入れず、ファントムが右の手で別の傘を抜き取る。

 それは開かれることなく、ダブルエックスのステッキ目がけて振り下ろされていった。

「ダイヤモンド、愛!」

 ガギッ、と先よりも鈍い音がして、さらなる痺れをともないながら数歩退くダブルエックス。

 すさまじい圧撃に、ステッキは緩いカーブを描いて折れ曲がっていた。

 数トンの衝撃にも耐えうる特殊合金製のステッキがである。

 それを当然のように見据え、ファントムが次なる攻撃へとシフトした。

 闇雲とも思しき猛ラッシュだった。

「愛のままに、わがままに!」

 一見、ただ打ちつけるだけのその攻撃を、ダブルエックスは黙って耐えしのぐしかなかった。

 それほどまでに力の差が歴然としていた。

「く……」

 一言うめいたダブルエックスににやりとし、ここぞとばかりにファントムが攻め立てる。

 最後の一撃はステッキを弾き、部屋の外まで吹き飛ばしていった。

「どうした。音に聞く無敵の怪盗とはその程度のものであるか。ならば、私が来るまでもなかったということか」

 激痛を訴える右手首を押さえ、ダブルエックスがギリギリと奥歯を噛みしめる。

 迂闊だった。

 ファントムは先代の社長とトラブルを起こしてから、ステイトの依頼は一切受けないものと聞いていたからである。

 それは事実だった。

 ただ一つの誤算は、ダブルエックス自らの存在が、彼をこの舞台へと引き上げてしまったことだった。

 最強のグランチャーを撃破すべく、最強のセレブレーターが表舞台へ飛び込んでくることはしごく当然のことなのだから。

「たいしたものだ」

 ふいににやりと笑いかけるダブルエックス。

「失礼した。さすがは伝説のセレブレーター、ファントム殿だ。余裕を見せている場合ではなかったようだな。しからば、こちらも本気でお相手しんぜよう」

 それを受け、ファントムの表情にぴくりと小さな綻びが浮かび上がった。

「笑わせる。稚拙な強がりは滑稽ですらある……」

 そう言いかけてファントムの声が途切れる。

 足もとにファントムの文字が刺繍されたハンカチーフが落ちているのを見かけたからだ。

 汗を拭くために用意し、いまだかつて使用したことすらないそれが床に落ちているのをファントムがしげしげと見下ろす。

 その意味がしばらく理解できずにいたが、はっと気づいて己の胸元に目をやり、愕然となった。

 コートの中に着込んだ漆黒のタキシードの胸ポケットが裂け、糸一本でだらしなくぶら下がっていたからである。

「これはまたなんと、まあ!」

 みるみるうちにファントムの顔から汗が噴き出し、上気していく。

 もしこれが本当の決闘であり、互いが真剣を持ち寄っていたならば、からくもしのぎきったダブルエックスではなく、己の方が胸元を貫かれていたことを理解したからだった。

「!」

 眼前に飛び込んだ疾風に、まばたきする間もなくファントムのサングラスが宙に舞う。

 それを手に取り、白いムチを左手にかまえたダブルエックスが不敵に笑った。

「これはこれは、見かけによらずかわいい目をしているのだな、ファントム殿」

 ファントムのつぶらな瞳が憎悪に染まるのに時間はかからなかった。

 これで都合二度、死を免れたこととなった。

 屈辱にまみれ、明らかな敵意をダブルエックスへと向けるファントム。

 先までの余裕はすっかり消え失せ、憎しみよりもむしろ喜びとでも言わんばかりの形相だった。

「我輩のチャームポイントを褒めていただいたことには素直に礼を言おう」

「褒めたつもりなど毛頭ない」

「ご謙遜めさるな。だがそれとこれとは話がアナザーである」

「あのな……」

「我、好敵手を得たり。第二ラウンド開始であ~る」

 それをにやり笑みで受け止め、押し返すダブルエックス。

「望むところ」

 その時だった。

 かすかな物音とともに、ダブルエックスがその顔に苦痛の色を浮かべたのは。

 みるみる青ざめ、ふらりと壁にもたれかかる怪盗。

 異変に気づきファントムが顔を外に向けると、廊下でボールガンを構えるホーネットの姿があった。

「なんということを、まあ!」

「お見事です。ファントムさん」

 ファントムの言葉を遮り、ホーネットがにやりとした。

「後は我々にお任せください。おい」

 社長からの合図を受け、部下達が一斉にダブルエックスへと群がっていく。

 そこに立ち塞がったのは、予想に反して味方であるはずのファントムだった。

 ダイヤモンド愛で数人を瞬く間に蹴散らし、憎悪のまなざしをホーネットへと差し向ける愛の殉教者。

「なんのつもりですか、ファントムさん」

「気に入らないのである。あんたのやり方は」

 その燃えるような直視を受け、周囲の人間達全員が震え上がる。

 ラファルとて例外ではなかった。

 が、一人ホーネットだけは、あいかわらずの様子でファントムと向き合っていた。

 すべてを丸呑みせんばかりの冷淡かつ邪悪な笑みとともに。

「ぬるいぞ、ファントム」

「これはまた、何であるか!」

「貴様の役目は終わった。さがれ」

「なんとまああ!」

 睨み合う二つの邪心。

 そのわずかな隙を待ち受ける人物がいた。

 ネシェルだった。

 さっと廊下へと飛び出し、拾い上げたダブルエックスのステッキでホーネットの背中を力任せに殴りつける。

「ぐああっ!」

 完全にふいをつかれて倒れ込むその姿を横目に、ネシェルはラファルとすれ違った。

 あえて動かないラファルに礼を告げるように、ネシェルが顔をそむける。

 そのままダブルエックスの方へと走り寄ろうとしたところに、またもやファントムが立ち塞がってきた。

 くの字に折れ曲がったステッキを両手で握り込み、ファントムの頭目がけてネシェルが思い切り振り下ろす。

 それを片手で苦もなく受け止め、ファントムはつぶらな瞳でネシェルを睨めつけた。

「いったいなんの真似か、マリッジレディ」

「……」ネシェルがダブルエックスの方へちらと目を向ける。それから激しい憎悪を込めてファントムへと食らいついた。「なんだかすごくむかつくのよ! あんたのそのかわいい目が!」

「なんとまあ、これまたショッキングなことを! 我輩のチャームポイントを。嫉妬であるか! レディの嫉妬はみっともないのである」

「そういうところも含めて、なんだかすごく嫌!」

「なるほど、セクハラ攻撃であるな!」

 ファントムの怒りに同調するタイミングでダブルエックスが立ち上がる。

 力の限りに投げつけた煙幕弾はあっという間に部屋中に充満し、すべての人間の視界を奪っていった。

 白煙の霧が晴れた時、そこにはすでにダブルエックスの姿はなかった。

「なんのつもりだ、ラビ」

 背中を押さえながら立ち上がったホーネットが、苦痛にゆがむ表情でネシェルを睨みつける。

「ダブルエックスを助けたつもりか」

 それに臆することなく睨み返し、ネシェルは吐き捨てた。

「昨日のお返しよ!」

「何だと……」

「自分の妻になる女の腕を捻り上げるような人間は許せない。それだけ。もう気がすんだ」

 そう言い、ステッキをファントムへぐいと押しつける。

 ズカズカと大股で部屋の隅まで歩いていき、どっかりと椅子に座ったその仏頂面を見て、ファントムは突然楽しそうに笑い始めた。

「これは愉快だ。痛快だ。気に入ったぞ、失礼な娘」それからあっ気に取られたままのホーネットへと向き直る。「いい花嫁を見つけたな。貴様のようなゲスのブ男にはもったいないくらいである」

「く……」

 歯噛みするホーネットをにやりといなし、拾い上げたサングラスを着用したファントムが背中を向けた。

「ここでおさらばするつもりであったが、気が変わった。この気丈で失礼な娘の式を見届けたい」

 含むような笑みをネシェルへと差し向ける。

「麗しのマリッジレディよ。数々の非礼、誠に失礼いたした。よろしければ我らの親交の証にポケットの綻びを……」

「お断りします」

「……。ならばしかたがない。自分で繕うとしよう。誰か私の裁縫箱を持ってきてくれ」愉快そうに周囲を見渡す。「さて、最後に見届けるは、幸福の花嫁か、はたまた不幸の花嫁か」

 それから押さえきれない笑いを高らかに噴き上げ、ファントムは部屋から出て行った。

 残されたホーネットが苦痛にゆがむ顔でそれを凝視する。

「社長」

 ラファルに呼びかけられ、はっと我に返るホーネット。

 またいつもの余裕を取り戻すと、何ごともなかったようにラファルへと笑いかけた。

「茶番は終わりだ。式の準備を再開しろ、ラファル」

「はあ……」一旦口を濁し、それからその危惧を口にした。「どういたしましょうか」

「ダブルエックスのことか」

「はい」

「心配無用だ。奴はもう現れんだろう。我々は奴に勝ったのだ。無敗のダブルエックスをステイトが難なく打ち破った。それで終わりだ」

「……本当にそうでしょうか」

 いつまでも憂慮のなくならないラファルに、ホーネットが顔を向ける。

 そして完全なる邪悪な笑みを取り戻して続けた。

「さっきボールガンで撃った小さな弾には無数の針が付いている。そこに塗られているのが、サンドバイパーの毒だとしたらどうだ。それでもまだやって来る元気があると思うか」

「……。殺す気だったのですか、最初から」

「そうではない。この毒は特別に調合されたものだ。本来のものよりも弱められているから、すぐ死ぬようなことはないだろう。だが時とともに体力は徐々に弱り出し、一日もたてば杖なしでは歩けなくなるはずだ。もしこの解毒薬を用いなければ、一週間の後に苦しみながら死ぬことになるだろうがな」

 ホーネットが胸ポケットから取り出した茶色の小ビンに、ラファルが注目する。

「体に異変が起こったらまずどうする。医者に診てもらうだろう。そこでなんらかの毒だということが判明する。ヘビの毒ならばその種類がわかれば血清を打つことも可能だ。だがいくら調べてもわからない。中和剤は私の持つこれだけなのだからな。慌てて闇雲に調合していては到底間に合わないはずだ。十二種類以上の異なるサンドバイパーの毒をブレンドした、特殊なレシピだからだ。そうこうしているうちにも次第に体は蝕まれ続け、医者は手の施しようがないと患者に告げることになる。その後患者はどうする。心当たりがあるところへ出向くのではないのか。自分にその毒を盛った当人ならば、或いは、と」

「……もし、ダブルエックスがそれを拒んだとしたなら」

「それは奴の勝手だ。意地を通して死ぬもよし。私ならば、そんなくだらないことで死ぬのはごめんこうむるがな。そう中央政府に報告しておけばいい。もっとも、どこかの辺鄙な土地でわけのわからぬ輩が一人のたれ死にしようが、それをダブルエックスだと特定するすべも、その考えに辿り着くこともないだろう。はっはっは!」

 高らかに笑い上げ去って行くホーネットの背中を、ラファルは複雑そうに見続けるだけだった。


 腑に落ちない様子でラファルが警備に戻る。

 すでに各所から招待された要人達が集結し始めており、ホテル側はその対応でおおわらわだった。

 緊急で呼び寄せられたにも関わらず、各界から名だたる名士の数々が押し寄せ、ステイトの影響力のすごさを改めて思い知らされた。

 祝いの垂れ幕を下げたアドバルーンも数知れず。

 それを監視するようにステイトの社名を掲げた飛行船も飛んでいた。

 裏庭を見回っていたラファルがかすかな異変に気づく。

 そこには足を投げ出し、壁にもたれかかるようにうな垂れる、見覚えのある顔があったからだった。

「あなたは……」

「……よう」

 ラファルの顔に気づき、クフィルがそう言って笑った。




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