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act.11 怪盗現る?

 


「ぐああっ!」

 ヴィゲンに蹴り飛ばされ、セレブーターの一人が仰向けに倒れる。

 それに巻き込まれるように、重なった集団が雪だるま状態で階段を転がり落ちていった。

「くそ、きりがねえ……」

 顎の下の汗を拭うヴィゲン。

 やにわに階下がざわめき始め、四人が不思議そうに階下の様子をうかがった。

 どうやら視線の集中する先が変わり始めたようだった。

「何かあったのか」

「わからん……」

 ドラケンの問いかけに、同じ顔になってヴィゲンが答える。

「おい、外を見ろ!」

 ランセンの声にヴィゲンらが振り向くのと、階下からの叫び声が聞こえたのはほぼ同時だった。

「ダブルエックスだ! ダブルエックスが出たぞ!」

 ランセンの指し示す先には、外壁の上を颯爽と、もとい、たどたどしく走り抜ける怪盗の姿があった。

 純白のタキシードに紺碧のマントと赤い仮面。それらはすべていつもより彩度もクオリティーもやや低いものであったが、遠目には本物と認識するのに必要充分なビジュアルだった。

 何より違っていたのは、手に持たれた拡声器だったのだが……。

『はっはっは! 私の名はダブルエックス。怪盗ダブルエックスだ!』

 その棒読みの声を聞き、ランセンらが一斉に眉間に皺を寄せた。

「クフィルの野郎だ……」

 ドラケンが一発で見抜き、ヴィゲンがこめかみを引くつかせる。

『花嫁は私がいただく!』

 目が点になるドラケン。

「迫真の演技だな……」

「自分で怪盗とか言っちゃ駄目だよね……」

 グリペンの気の抜けた一言に、あんぐりと口を開けたままのヴィゲンが振り返った。

「何やってやがんだ、あのバカは!」

 その声が聞こえたかのタイミングで、クフィル扮する偽ダブルエックスが足を踏み外しそうになる。

「おい、やめ!……」

「よせ、ヴィゲン!」

 窓の外目がけて叫ぼうとしたヴィゲンを、ランセンが制した。振り返るヴィゲンに首を横に振る。

「奴は俺達を逃がそうとしているんだ」

「ん、だと……」

 偽ダブルエックスの出現に、そこにいたステイトメンバーの実に半数以上が群がりつつあった。

 己の任務を勝手に放棄してである。

 その訳をドラケンが考察する。

「所詮こんなところにいるのは、ステイトでも二線級以下のメンツだからな。それにダブルエックスに結構な額の懸賞金が懸けられたって噂だ。我先に群がるのも頷ける」

「何をさておいても、ダブルエックス捕獲が第一優先って命令が出てるって話もあるね。でも、それで職場放棄してちゃ、駄目駄目だけど」

 グリペンの補足に、大口を開けたまま窓の外を凝視するヴィゲン。

「あいつ、捕まったら半殺しくらいじゃすまんぞ……」

 その時だった。

 ガシャン!

 一階から聞こえてくる破砕音に、四人が一斉に目を向ける。

 突然窓ガラスを割って飛び込んできた数発の黒い塊が、シューという音を奏でながら辺り一面を煙で満たしていくのが見えた。

 パニックになるステイトメンバー。

 やがて彼らは、一人、また一人と床に倒れていった。

「ガスだ……」

 ドラケンの呟きを契機に、ランセンが先頭に飛び出す。

「よし、何が起こったのかはわからんが、このチャンスに逃げるぞ」

「ちょっと待ってよ。何のガスだかもわからないのに、マスクもなしでいくの」

「タオルでも巻いとけ、グリペン」

「ヴィゲンは、もう……」

 上着をマスクのように口もとに巻き、四人が階段をおりようとした。

 それに気づき、ステイトの何人かが向かってくる。

 統制を失った相手を蹴散らすのは、百戦錬磨のヴィゲン達にとって造作もないことだった。

「いくぞ!」

「おう!」

 四人が階段をおりかけてすぐに足を止める。

 派手な破砕音が建物中に鳴り渡るのを耳にしたからだった。

 入り口を破壊し突入する一台の車両。

 運転席から飛び降りたその小さな影は、苦しみあえぐ残りのステイト達をボールガンで瞬く間に叩き伏せ、一気に階段の下まで駆け抜けていた。

「みんな、早く!」

 ガスマスクを装着していたものの、それが一目でネシェルだとわかる。

「何やってんだ、おまえ!」

 叫ぶヴィゲンに顔を向け、ネシェルはガスマスクの束を階段のなかば辺りまで放り投げた。

「早く、奴らが戻ってくる前に」

 一瞬目が点になり、すぐさま四人が顔を見合わせ頷く。

 ヴィゲンがマスクを取ろうと手を伸ばした時だった。

 階段で組み伏せられたステイトの一人が、朦朧とする意識の中でその足をつかんだのである。

「うおっ!」

 バランスを崩して頭から倒れ込むところに、咄嗟にランセンが飛び込んでいった。

「危ない!」

「ランセン!」

 思わず名前が口をつき、二人のもとへと駆け寄っていくネシェル。

 二人は気を失った状態で階下の床に伏していた。

 ヴィゲンは睡眠ガスで眠りにつき、ランセンはヴィゲンを庇って激しく全身を打ちつけたダメージで。


 その頃クフィルは、もとい、偽ダブルエックスは、五十名を超える追跡者達を従えて外壁の上を逃走中だった。

 何度も足を踏み外しそうになりながら、ちょくちょく後ろを振り返る。

 先回りし、壁を登ろうとしている集団目がけて、必殺のネット弾を撃ち放った。

 うわあ~、という情けない声をあげ、数人のステイトメンバーが一網打尽となって地べたに転がっていくのを確認すると、クフィルは大仰に笑ってみせた。

「わっはっは! このダブルエックスを捕まえようなどとは、身のほど知らずもはなはだしい。言語道断、ちゃんちゃらおかしい。おまえ達ごときマヌケどもに捕まる怪盗ダブルエックスだと思うたか、……あ、やべ、落ちる!」

 バランスを崩して落ちかけたクフィルが、背後から迫り来る追っ手に必殺の足縄弾を見舞う。

 アメリカンクラッカーがくるくると巻きつくように足の自由を奪われた追っ手は、後続のメンバーと抱き合うように壁の下へと落下していった。

 もともとがプロの逃がし屋であるクフィルは、常に様々なツールを逃走用の車両に用意していた。

 どれもこれも協定ギリギリの反則品である。

 そこにダブルエックスの変装道具があろうなどとは、ネシェルでなくとも考えもしなかっただろうが。

「ここまでつられてくれるとは計算外だった……」

 ふう、と一息つき、無線機を取り出すクフィル。

 すぐに返らなかったことに、一抹の不安を感じ取った。

「おい、ネシェル、そっちの按配はどうだ」

 その不安は的中してしまった。

『……ランセンが……』

「!」

 同時に追っ手達が引き返していくのを、クフィルは戦慄するように見下ろしていた。


「しっかりして、しっかりして!」

 ぐったりとなるランセンを揺らし、ネシェルが懸命に呼びかける。

 それをドラケンが制した。

「よせ、ネシェル。頭を激しく打っている。動かすと危険だ」

 口を真一文字に結び、ネシェルが不安げにドラケンを見上げた。

 すでに催眠ガスの効果はなくなり、全員マスクを取り外していた。

「とりあえず今は逃げるのが先決だ。こら、起きろ、ヴィゲン」

 ドラケンがヴィゲンの頬に往復ビンタの連続を見舞う。

 しかし高濃度の催眠ガスを思い切り吸い込んでしまったヴィゲンは、顔が腫れ上がるまで殴りつけてもまるで起きる気配がなかった。

「こいつ……」

 エンジン音に気づき、ドラケンとネシェルが顔を向ける。

 眠りにつくステイトメンバーらを脇によけ、グリペンが逃走用の車両を持ち込んだのだった。

「ドラケン、早く二人を!」運転席からグリペンが叫ぶ。「入り口を開けちゃったから、奴らが戻ってきたら防げない」

「わかった」

 降車したグリペンが、ドラケンとともにランセンを車両の奥へと運んでいく。ドラケンやヴィゲンほどではなかったが、ランセンも大柄で容易には運び出せなかった。

 その間、ネシェルがボールガンをかまえて、入り口付近を警戒していた。つわものとはいえ、男達の中にあっては一際小柄なネシェルに、大男達を運ぶ役割は荷が重い。

「ネシェル、運転しろ」

 ランセンを運び終えたドラケンがそう言うと、ネシェルが頷いて車へと向かう。

 続けて、ドラケンとグリペンが二人ががりでヴィゲンを持ち上げようとした。

「うあっ、重い!」

 ヴィゲンの足を持ち上げたグリペンの顔がゆがむ。

 頭の方を担当したドラケンも同じ顔になった。

「こいつ、何食ってやがる……」

「ぐが……」

「ぐがじゃない。とっとと起きろ!」

 その時、中庭がざわめき出すのを三人は確認した。

 裏庭も、二階も同様に。

「包囲されたみたいだ……」

 グリペンの呟きに眉を寄せるドラケン。

 どうやら新手が集結しつつあるようだった。

 もはや逃げ道は正面の出入り口しかない。

「くそ……」

 ドラケンの舌打ちに呼応するように、唇を噛みしめるネシェル。

 次手に窮し、三人は動きを止めざるをえなくなった。

 その騒ぎに気づくまでは。

「!」

 悲鳴と砲撃音が入り混じる中庭に三人が目を向けると、クフィルが孤軍奮闘している様が飛び込んできた。

 先よりもさらに激しく、あからさまに拡声器で誘導しながら、外壁の上からネット弾をバラまく。

「この怪盗ダブルエックスを捕まえられるものなら捕まえてみろ。間抜けな君達には無理だろうがな。はっはっは! ……あぶね!」

 三倍にも膨れ上がったステイト達からの反撃を受け、何度も足を踏み外しそうになりながら、ネシェル達へ懸命に合図を送った。

「行くぞ、グリペン、ネシェル」

 ドラケンの決断に頷く二人。

 二階から侵入した別働隊が階段を降りてくるのを見て、三人が慌てて車に乗り込んだ。

 入り口目指して車両を発進させるネシェル。

 が、直後の急ブレーキに、ドラケンとグリペンは座席から転げ落ちそうになった。

「どうした、ネシェル」

 そう言い、ネシェルの見る方角に目をやるドラケン。

 入り口付近に数人のステイトメンバーが張り付いているのが見えた。

「……」

 言葉もなくドラケンを見上げるグリペン。

 溜飲したドラケンが次の言葉を繰り出すより先に、ネシェルは動いた。

「私が何とかする」

「よせ、ネシェル」

 ドラケンに止められ、ネシェルが振り返る。

「だって突っ込むわけにはいかないじゃない。私達はグランチャーであって、人殺しじゃ……」

「俺がいく」

「!」

「俺が奴らを引きつける。その間におまえ達は逃げろ」

「駄目だよ、ドラケン」そこにグリペンが割って入った。「こういう役には俊敏さが要求されるんだ。ドラケンみたいなうすのろじゃ、すぐに捕まっちゃうよ」

「なんだと、グリペン!」

「それに俺はこの会社の副社長だからね。社長が動けない今、かわりに社員を守る義務がある。俺がやるよ。ほんと、損な役回りだけどね」

「おまえ……」

 ネシェルが二人の全身を見まわす。

 ドラケンもグリペンも、傷つきぼろぼろの状態だった。平静を装ってはいたものの、疲労もかなり色濃い。

 ふいに運転席の窓から身を乗り出すネシェル。

 二階から顔を出した一人にゴム弾で転倒させた後、身の軽さをいかして車外へと飛び降りた。

「あとはお願い」

 そう告げて、ネシェルは入り口へと向かって走り出した。

「みんな、必ず逃げて」

「おい、待て、ネシェル」

「ネシェルーっ!」

 二人の叫び声を背中に受けながら、一心不乱に。


 ランセン達を乗せた車両が走り去るのを、ネシェルは表情もなく眺めていた。

 やがてその音も消え去ると、正面へと向き直る。

 両手を上げ、武装解除された状態で、ネシェルはステイトに拘束されていた。

 多くのケガ人を出した彼らの恨めしそうな視線に晒され、護送用の車両へと誘導されていく。

 後部ハッチから乗り込もうとしたところで何者かに呼び止められ、驚いたようにネシェルが振り返った。

 その視線の先には、ステイト・カンパニー社長、ホーネットの姿があった。

 畏怖するようなネシェルのまなざしを受け止め、ホーネットがおもしろそうに笑う。

 そしてこらえることのできない笑みを漏らしながら、その口を開いた。

「ひさしぶりだな、ラビ」




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