UMA
「なるほどな。つまりこういうことか。だだっ広い海上、防音することもできない静かな場所にあって、あるとき、あるところで、マリー・セレスト号の乗組員たちの耳に人の理性を狂わす調べが聴こえてきた──と」
「そう。むしろ、人を操る鳴き声、ね」
補足に合いの手のコメントを入れる、その声のトーンが心なし低いように感じるものの妻は続けて、
「おそらく超音波みたいな、人間の聴覚にはまともに聴こえない、凄く特殊な、鳴き声だったはず」
「そうだな。街なかのように、建物や壁で遮断される障害物はないし、騒音で弱められたり掻き消されることもない。そんな海の上、船の中にいては、その可聴域を超えた音のキョウキ? は知らず知らず、かってにみんなの耳に入ってくる」
「自分たちの身に起こった異変には気づいても、人間には認識できない音だから、その原因には気づくことはできないしね」
「その超音波を聴いた乗組員たちは無意識に、あるいは反射的に躰が動かされてしまう──だろうな」
「そうね。まるで夢遊病者になったかのように誘われるままに、操られるように次々と海の中へ飛びこんだでしょうね」
「最後のひとりまで、死へのダイヴが行われたあとは再び、ほんとうの静寂が海に訪れ──」
「そして誰もいなくなった」
「そうして、無人のマリー・セレスト号が残された、か。うーん……」
イメージが湧きテンポよく話が進んだものの、どうも肝腎なところがすっきりしない。ちょうど弁当を食べ終わった私は、箸を措くと、腕を組んで唸った。
うんうんと神妙な表情で頷く、もうすっかり湯冷めしたらしい妻の姿が視界に入る。
「どう? これなら無人船の謎にうまく説明がつくんじゃあない?」
「うーん……」
「船内に争った形跡がなかったことも、船体に目立った損傷がなかったことも、これなら完璧に辻褄が合う」
「うーん……」
「ほら。船内はちょうど、朝食の途中だったわけでしょう。だからきっと、朝だったのよ、キョウキの音に襲われたのは」
「うーん……だけどさ、それじゃあ、音の原因は分からないってことか」
怒られるのを恐れず、湧き上がった素朴な疑問を恐る恐る、勇敢にも私が口にすると、また妻の動きがぴたりと止まって、
「だからUMA──未確認生物が音の発生源だってことに、さっきワタシは気づいたのよ。それで充分、答えにならない?」
「うーん……ユーマ、ねえ……。うん、答えはそれでも構わないよ。構わないとは思うけど、それじゃあ結局、分からないものをまたべつの分からないもので説明してるっていうだけのことにならないか」
さらに率直に感じるまま疑問や不満を私が、したり顔の妻に向かってぶつけると、
「えっ、なんでよ?」
「だってさ、マリー・セレスト号から人間がみんな消えた、というのが謎なわけだろ。その謎をさ、超音波によってだと解明したところで、その超音波を出したものの正体が不明のままじゃあ、結局それも謎でしかないってことになる」
「まあそう思っちゃうでしょうね」
「肝腎なところが謎のままじゃあな……謎に謎を重ねただけのようなものだろ」
「でもさあ、少なくとも超音波って原因は分かったでしょう。いわゆる5WHってやつの、“Who”は不明のままでも、“How”は解明できたってことにならない?」
たしかにそうだ。それはそれで、解釈としては面白い。
極論すれば、“Who”──「誰が(もしくは、何が)」は謎のままでも、“How”──「どうやって」つまりは原因のメカニズムや方法が、ある程度分かれば一応、真相解明にはなる。この場合“When”や“Where”といった「いつ」「どこで」は問題にならないし、“Why”に相当する理由や動機はあとからいくらでもついてくると、さしあたり考えておいてもいい。
が、やはりどこか釈然としないでもない。ブレる妻の顔を見ながら私は、頭の中で漠然と感じる疑問点をできるだけ明確な論点に整理しつつ、おもむろに自分の考えを言葉にしてみる。
「だからさ、それだったら別段UMAじゃあなくてもいい、幽霊やUFOでも問題ないわけだろ」
「だから言ってるのよ。超音波を出したのは、正体がはっきりしないにしても、とにかくUMAだって」
「だから、それはUMAにことさら限る必要はないんじゃあないかって言ってるんだよ。べつに、それこそUFOから超音波が出たってことでもいいわけだし。なんだったら思いきって独創的に、幽霊が声を出すと超音波になるって解釈してみても面白いだろうしさ」
あっ、と妻がOの字に口を開けた。
「そっか、なるほどね。“How”が正解だったとしても、“Who”が間違ってる可能性がある、っていうか正確をきしてロジカルにいえば、ほかの“Who”である可能性も考えられるってことね」
「そうそう、そういうことが言いたかったんだよ。ようするに、ほかの選択肢も当てはまるんじゃあないかってこと。というか、もっと言えば“How”が大事なんであって、“Who”は問題にならないんじゃあないかって思ったんだ」
無人で発見されたマリー・セレスト号が話題になっていた頃というのは、インターネットなどのメディア環境が飛躍的に進歩し普及した現在のように、大量で広範囲わたる情報やさまざまな知識を誰でも手軽に、手早く、手に入れることができた時代ではない。
当時はもっぱら新聞や書物などの活字という従来のマスコミ媒体でか、人づてなどの単純なクチコミの伝聞でしか情報を得ることはできなかったろうし、知る権利や報道の自由といった概念も満足には、一般に確立も膾炙もしていなかったろう。ほかの事例同様マリー・セレスト号についても、情報収集の正確さや範囲におのずと限界があったのはしょうがない。
「そうね。昔の話だからどうしても情報は不足してるし、どれだけ考えても結局“Who”に答えは出ないかもね」
「きっとそうだよ。結局、“Who”は分からなくてもいいんだ。考えるべき問題は“How”という謎だけ、そう捉えてみてもいいと思う」
マリー・セレスト号が無人の状態で発見されることになった経緯に関して、おそらく、誰が犯人だとか誰がなぜやったとか、そういう点にこだわってみてもさしたる意味はないのではないか。
だから問題の焦点は、何が原因か、なぜそうなったか、つまりはどうやって無人状態になったか、に限定すべきだろう。そのプロセスをある程度で構わないので解き明かすこと──それしか、限られた過去の情報しかない現代では、そういう条件下では──できないのではないか。
「ふうーん。ようするに、真相をぜんぶ解くことは不可能ってことね」
「そうだな。というより、しかたないし、しなくていいんだ。もしこれが推理小説だったのなら、この問題に名探偵の出番はないよ」
「だったら、あなたはどんな“How”、どんな真相だと思うの?」
私が力説している間フリーズ状態になっていた妻が、急に調子が良くなったのか、身を乗り出すようにいっぱいに迫って訊いてきたので、気圧されつつも、さっき脳裡によぎったアイディアをふと話してみようかと思った。
「──伝染病。感染率も致死率も高い、急性で発症するような、何か強力な病気が原因だったんじゃあないか」