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疑わしきフォスダイク文書

「なるほどね。めずらしいってのは、偶然が何重にも重なったからこそってわけね……。ただ、その女の子の店員さんがめずらしい天然で、単純に可愛かったって話のような気もするけど」

「ん? ──と違うよ、違う」

 軽い動揺。妻の厳しい視線が突き刺さるようで、たまらず手元に目をそらした。

「ふうーん。なに焦ってんの。どうせレシートの裏に連絡先でも書いてあったから、持って帰ってきたんでしょう?」

「だから違うって。まあそれで、その店員さんの名前は覚えたけどさ。たしか、ただの──」

「ただの店員さんでしょう、はいはい。そんなこと、いまはどうでもいいから。無人船の真相について、ほかになんか有力な説はないの?」

 妻が身を乗り出す代わりに、スマホを自分に寄せて顔を近づける。

 話の鉾先を変えるため、私はもう一度咳払いすると、

「そうだな。こんなのもある」

「どんなのよ?」

「のちのち発見され公開された、フォスダイクという人物の残した文書」

 その日記形式で記されていたらしい書簡の内容によると、フォスダイクは個人的事情のため、友人のブリグス船長に頼みこみ、内緒で船に同乗させてもらったという。

「船長は七歳の娘と妻を喜ばそうと、海を見渡せるデッキを船につけさせたらしいんだ。そんなある日──」

 船長は部下に「服を着たまま泳げるか」と問い、自ら試すようにいきなり甲板の上から海へ飛びこんだ。それを見た乗組員たちが悪ノリして囃したて、ついには数人が船長を真似て次々に船からダイヴしはじめた。

 フォスダイクは、船長の娘と妻や残りの乗組員と一緒に、特設したデッキに上がってその様子を眺めていた。

「そのとき、泳いでいた一人がサメに襲われたんだ。びっくりして、事態を把握しようとみんなが特設デッキに集まる。それで過重量になってしまい、特設デッキは耐えきれず、壊れて船から剥離してしまった」

「ぎゃあ。みんな、海に落ちちゃう」

「そうだよ。それで船が無人になってしまった」

 そのあとはパニックだった。フォスダイクだけは偶然デッキの破片の上に落下したおかげで、それに載ってなんとか身を守ることができたが、ほかの人間は溺れたり、続々と集まってきたサメに襲われてしまう。

 その間にも、本船は風に吹かれ潮に流され、その場を離れていく。誰もマリー・セレスト号に戻ることができず、結局助かったのはフォスダイクただひとりだけだった。

「でも、やっぱりなんだか、むりやりな感じがするわね。まるで、できの悪いハリウッド映画みたい」

「そうだよな。たしかに一見、事態の説明が上手くついてるようにも見えるけど、フォスダイクの記述には、事実とあきらかに違う情報が書かれてある。だからやっぱり、これはおかしい、変だと昔から疑問視されてる」

「やっぱり」

「それにたしか、牧逸馬も当時、本の中でフォスダイク文書についてはきっぱり否定してたしな」

「ふうーん……あ、待って。ちょっと髪、乾かすから」

 唐突に、妻がスマホを置きっぱなしにして姿を消した。が、再びドライヤー片手に姿を見せると、

「ごめんごめん」

 そのままフローリングに直接あぐらをかいて下を向き、頭に巻いていたバスタオルを外すと、両手を使ってセミロングの髪を乾かしはじめた。

 隣室で寝ている大和を起こさないように気遣ってか、ターボ機能を使わないようにしているようだ。ドライヤーから吹き出す温風は、控えめに静かな音に聴こえる。

「ワタシ、思ったんだけど」

 かまわず妻が喋りだした。声が聴こえづらいので、音量を上げた。

「アルコール発火説にしても、その、特設デッキ大破説? にしても、あまりにも船長たちのキャラ? っていうか、人間性っていうの、そういう大事なとこ無視してない?」

「ま、たしかにそうかもな」

「でしょう? だったら教えてよ、それを」

「教えてよって言われても、ブリグス船長ぐらいしか人柄の情報はないよ」

「かまわないから、話して」

「船長は……愛妻家で、だからよく仕事関係の船旅に、妻子を連れて行ってたらしい」

「船長“は”、ねえ……たしかに誰かさんとは違うわね」

 前髪を振り上げたタイミングで静止したまま、鋭い声が飛んできた。

「誰かさんとは、ね」

「いやいや。とにかく、ブリグスは経験豊かで、部下から信頼され尊敬もされ、人望も厚いし、信心深くて倫理観の強い、とても立派な人格者だったらしいよ」

「ふうーん。じゃあやっぱり確実に、船長がアルコール発火に過剰にビビったとか、特設デッキを作らせ、ふざけて海に飛びこんだとか、絶対ありえないと思うなあ」

「そうだな」

「でしょう。ってことは、気まぐれにむちゃな命令して、みんなを海へ飛びこませたとか、たとえばとつぜん頭がおかしくなって、寝てる間に全員刺し殺しちゃったとか、そんなのもありえないわよね」

「皆殺し? ってずいぶん物騒なこと言うなあ。だけどでもたしかに、そんな極端なことはまずありえないだろうな。船長のまじめでまっとうな性格から、そういったサイコパス系の可能性は当時も否定されてる」

 とはいえ、船長室に血痕のようなものがついた刃物が見つかった、という報道もあったらしい。が、デマだったようだ。それが仮に事実だったとしても、ふだん頻繁に使用するナイフに魚か何かの血が付着しこびりついていたか、たんなる赤錆がそう見えただけだろう。

「だいたいさ、発見されたとき船内は整然としてたんだから。混乱した様子も、格闘した痕跡も見られなかったと話したろ? だから、乗組員たちの暴動って可能性なんかもありえないはずだよ」

「じゃあワンピースならぬ、パイレーツ・オブ・カリビアン、なんてのもありえない?」

 ドライヤーを掛け終えた妻が、頭を上げて笑顔を見せた。

「シージャックよ」

「海賊? いやいやありえないって。場所はカリブ海じゃあないし、もし海賊に襲われたんだとしたら、だいたい、船のあちこちに目立った外傷がないとおかしいだろ」

「そっかあ、そうよね。だったら、運悪くすごい暴風雨に巻きこまれた、とかも、やっぱりありえないでしょう?」

「あっ、そういやそうか。よくよく考えたら、船内が水浸しになってなかったってことからも、その可能性はまずないよな」

 妻が再々「そうそう」と思案深げな表情を見せながらつぶやき、ドライヤーをどこか元の場所に直しに行った。と、様子を窺っているとすぐものの数分もしないうちに、今度は缶チューハイ片手に私の眼前に帰ってきて、

「たしか……やたら船の中が静かだったって、何度も強調してたわよね?」

「ん……ああ。発見者たちによると、マリー・セレスト号は静寂に包まれてたって話だよ。船内は静まりかえってたし、海は凪いでた」

「サイレントだったってことよね、つまり」

「ん? まあサイレントっちゃあサイレントだよな、静かなんだから」

「じゃあ、あれじゃあない──サイレン。きっとサイレンが鳴ったのよ、“キョウキ”の」

 続けてプシュッと音がしたかと思いきや、チューハイの缶を傾ける妻の姿があった。

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