六 悔恨
酒井が自分から目を逸らしてくれるのを待つように沈黙していた庄田は、しかしやがて観念したように一度うつむいてから顔を上げた。
「認められないです、酒井さん。私は、誰より多くの人間を殺してきました。」
「だから?」
「逃げているのではありません。仕事を続ける限り、個人的な感情は無用で有害なものです。」
「上司や部下が死ぬことも、全然平気のはずということですか」
「そうです」
酒井はそれまでの礼儀正しい姿勢を、崩し、その長い脚をおもむろに組んだ。
視線はさらに厳しくなっていた。
「では庄田さん、なぜ逸希が、山添を殺さなくて済むように計らいはったんですか?」
「・・・・・」
「なぜ、河合警護員を殺さなかった?」
「それは・・・」
「はっきり申し上げますが、庄田さんが何から逃げてはるか、まだ分かりませんか?」
「・・・・」
「矛盾、からですよ。」
「・・・・」
「我々は、人のことをなにより考えて、仕事を決めます。それなのにやっていることは、犯罪であり、殺人です。」
「・・・・・」
「そして、我々はあの警備会社と考え方が違うことが、存在理由と言ってもいい。それなのに、あそこの頭のおかしいボディガードたちは、我々に強烈なメッセージを送ってくる。お前たちは傲慢だ、ってね。」
「・・・はい。」
「しかも我々はそんなあいつらが鬱陶しいのに、時には仕事上殺す必要さえあるのに、なのにどうしても、憎めない。」
「はい。」
「それどころか、不覚にも、しばしば魅了さえされてます。」
「・・・そうです。」
「こういう矛盾が、存在するんです。そうですよね。」
「・・・はい。」
「しかしね。矛盾というのは、逃げてもだめなんです。」
「・・・・・」
「たとえ解決策が絶望的でも、嫌になるくらい話がややこしくても、正面から立ち向かうしかないんですよ。」
「・・・・・・」
「立ち向かい続けるしかない、というべきですかね、正確には。」
「酒井さん・・・・・」
酒井は組んだ足を再び元に戻し、背筋を伸ばして庄田の両目を容赦なく見つめた。
「それができないあなたは、仕事に対して、実は確固たるものをなにも持っておられないということじゃないですか?」
「・・・・・」
庄田は切れ長の両目をやや見開くようにしながら、そして酒井の顔から視線を外さずに、じっとその眼を見返している。
「矛盾が怖くて、ややこしいことになりそうな要素を・・・都合の悪い事実を門前払いして拒絶するのは、それらを受け止めるだけの度量がないからです。ゆるぎないものが、ないからです。」
「・・・・・・」
「あなたはアサーシンとして天才的に有能だったかもしれませんが、その仕事に対して信念とか信条とか、そういうものはなかった。そういうことじゃありませんか?」
長い沈黙があった。
酒井は肩で息をつくようにして、目の前のエージェントを見つめた。
庄田が、静かにため息をついた。
「私は、吉田明日香と阪元社長の、考え方に賛同したからこそ、この仕事を始めました。それは確かです。しかしあなたの言うとおり、なぜ人を殺すのか、自分の中で一度も整理して納得したことはなかったと思います。」
「そうですか」
「しかしとにかく、能力的にはとても向いていたんですね。会社は私の仕事への依存と期待をたちまち高めた。他のエージェントたちも、私を頼りにするようになった。」
「あなたは、否応なしに周囲を引っ張っていかなければならない立場になった。」
「はい。だから私は、どんなときも揺らいではならない。それだけは、わかりました。」
「その責任感はすばらしいですが、虚勢を張ったあげくにぽっきり折れられたんでは、かえって周りは迷惑です。」
「そうですね。」
庄田が微かに笑った。
酒井は苦しそうに息を吐き出した。
「仕事を始めるとき、最初から自分の中で整理整頓できてる人の方が珍しいでしょう。それは荷物を運ぶホテルのベルボーイであろうと、前線で機関銃を撃ってる兵士であろうと、です。たまたま出会った仕事、そんなに深く考えずに始める。たまたま向いてたら続ける。それは普通のことです。そしてだんだん、見えてくる。いろんな、おかしいことが。そのとき、普通はもっと揺れるもんですよ。悩んだり、もがいたり、アホなことしてみたり、やめようとしてみたり。」
「・・・・・」
「あなたは、そういうことが、足りないんとちがいます?」
「・・・・・」
「迷うには、あまりにも、あなたの能力が高すぎたんでしょうかね。」
「・・・どうでしょうね・・・」
「しかしいずれにせよ、これもはっきり申し上げますが・・・・身の程知らずです。」
「・・・・・」
「無理が来てますやないですか。引退直前のあなたは、自殺同然のことばっかりしてましたやないですか。そして今回はほんまに自殺行為しはったやないですか。無理をし続けた結果がこれなんじゃないんですか。無理な、無理やったということでしょう?あなたには無理な、無理やったんですよ。そういうことなんですよ。」
「・・・・・そうかも、しれませんね」
酒井はゆっくり状態を倒し、うなだれるように両肘を両膝についた。
「酒井さん?」
「・・・・ここまで言うの、結構・・・俺にとっては最上級の覚悟ですよ・・・・・。俺の立場も多少は考えてください、庄田さん。」
「すみません。」
庄田はさっきよりもう少しはっきりと、笑った。
「謝って済むようなことと違いますよ。」
「酒井さんのおっしゃるとおりです。私は、都合の悪いものは拒絶していないと、立っていられなかった。そうだと思います。」
「はい。」
「しかし、どんなに逃げても、自分からは、逃げられるはずもなかったですね。」
「そうですよ」
「仕事にしっかりとした信条とか信念とかを見いだせないのも、ご指摘の通りです。だからこそ、揺らぐのが怖い。」
「はい。」
「でも、今も私は少なくとも、この会社で仕事をすることを選んでいるし、これからもすることを、自分の意思で、選んでいます。それだけですが・・・・。」
「はい。」
「少なくともそういうことが、改めて、わかった気がします。だからどうということでは、ありませんが。」
「はい。」
酒井はまだうつむいている。
庄田はソファーの背にもたれて、目を閉じた。
「社長は・・・・いつも私を、大切にしてくださった。」
「そうですよ」
「教育し、育て、常に見守ってくださいました」
「はい。」
「なのに私は、社長の目の前で、いつも自分を・・・粗末にしていたわけですね。」
「そのとおりです。」
庄田が目を閉じたまま、黙った。
「庄田さん」
「・・・・・」
「庄田さん、ひとつ補足すべきではありますよ。あなたは、社長からの愛情に、自分なりに応えようとして一所懸命やっておられた。でもそのやり方が、ちょっとあさっての方向へ行ってしまっただけと違いますか?」
「・・・・・」
「ご自分を全否定されてはだめですよ。それでは、今までのあなたと、基本的におんなじということですよ。」
「酒井さん」
「・・・・」
「ありがとうございます。ひとつ、ご親切ついでに、お願いをしてもいいですか?」
「どんなことですか?」
庄田は眼を開けて、顔を上げた酒井の精悍な表情を、穏やかに見つめた。
阪元航平は、南向きの斜面に面した庭から入る午後の光で、明るすぎるほどの室内で、グランドピアノの前に座っていた。
芝生と数本のバラの樹しかない庭は広大というほどの面積はないが、その向こうに広がる眼下の街並みと、港を臨む風景が、庭の続きのように見える。
ピアノの蓋は開いており、そして譜面台に楽譜が立てかけてあったが、阪元の両手はピアノの鍵盤ではなく膝の上のヴァイオリンに触れていた。
会社では整髪料で整えているその金茶色の髪は、今は洗ったまま前髪が額にかかるに任せてあり、カジュアルな服装と相まって彼を会社社長というよりは音大生といった風情に見せていた。
ピアノの天板に置いた弓を取り、ひとしきり演奏し、弓を再び置くと弦の音の高さを神経質にピアノの音と合わせ調節する。弦を緩め、また、締め、しかしなかなか良いところで調節できなかった。
「珍しいね、兄さんがピアノじゃなくてヴァイオリンをいじってるなんて。」
庭に面したガラス戸のほうを阪元が振り向くと、同じ髪の色をした、しかしもう少し細身で彼より背の低い青年が、ガラス戸を開け部屋へ上がりこんできたところだった。
「祐耶。いつも玄関から入りなさいと言っているはずだよ。」
「急いでるんだ。」
勝手に部屋に入ると深山祐耶はピアノの後ろのソファーに腰を下ろした。阪元はあきれた顔で弟を見たが、すぐにヴァイオリンの調弦の続きを始めた。
「弦、古いんじゃない?そろそろ取り換えたほうがいいよ」
「アドバイスありがとう」
「いつもこの時間はピアノを弾いてるのに。」
「ヴァイオリンは、お前のほうがうまいね。」
「そうだよ。」
阪元はついに調弦をあきらめ、足元のケースに楽器をしまい、弟のほうを再び向いて足を組んだ。
「で、用件は?」
「庄田さんのことだよ。」
そのまま立ち上がり、阪元は部屋の出口へと向かった。
「飲み物なんかいらないよ、兄さん」
「私が、飲まなきゃお前の話なんか聞く気になれないからね」
「・・・・。」
しかし阪元はアルコール飲料ではなくコーヒーの入ったカップを二つ持って戻ってきた。
ガラステーブルを挟み、祐耶の向かいのソファーに座ると、阪元は背もたれに疲れたようにもたれた。
「お前になんの説明もしなかったのは、悪かったと思っているよ。」
「まったくだよ」
「そして、最初に、おかしいと気づいてくれたお前に、感謝もしている。」
「ほんと?」
「そして庄田が死なずに済んだのも、お前たちのおかげだ。本当に、感謝しているよ。でもね、その先のこと・・・・・あれと私のことは、お前が心配することじゃないんだよ。」
「どうして?」
「上司と部下のことだからね。ほかの部下は、関与しなくていいし、できないからだよ。」
「このままだと、また庄田さんは同じことをするんじゃないの?それでもいいの?兄さんは。」
「・・・そう思う?祐耶」
「大森パトロール社が存在する限り、”亡霊”は存在し続けるんでしょ?」
阪元は目にかかる前髪を払いのけ、コーヒーを一口飲んだ。
「そう思う?と聞いたのは、私がそれでも良いと思っているかどうか、についてだよ、祐耶。」
「・・・・・」
「そんなはずは、ないよね。」
「だったら、どうするの?兄さんは。」
「どうする資格もないよ。」
「え?」
祐耶は阪元の顔を改めて見た。育ちの良さが滲むような顔立ちは、その濃い緑色の両目も含め、自虐の色に沈んでいた。
兄とよく似た金茶色の髪と同じ、兄とは違う色の両目を、丸く見開いて、祐耶は兄の思うところを読み取ろうと努めた。
阪元はソーサーとカップをテーブルに戻し、短く苦笑した。
「誇張でもなんでもなく、私のせいだから。」
「・・・・・」
「私が、庄田を、追い詰めた。」
なにも言えず、祐耶は阪元の、自分と目線が合わなくなった両目を見つめた。
「・・・・・」
「あれが、アサーシンというものの持つ本来的なパラドックスに、その立場ゆえにさらに何倍も苦しんでいたことを、私はわかっていたはずなんだ。しかも私はさらに、庄田に、あの警備会社との問題までもろに背負わせてしまった。」
「逸希のこと?」
「そうだよ。私はなんとかして、あのボディガードのことを、乗り越えてほしかった。しかし、無理やりに何かを進めようとしても、うまくいくはずもなかったんだ。」
「・・・・・・」
「だから私は、あれを怒る資格も、これからなにかを指示する資格も、もうないんだよ。」
「兄さん・・・。」
「庄田は、命を削って仕事をしてきてくれた。もう、これ以上自分を痛めつけないでほしいよ。でも、どうすればいいのか、わからない。」
祐耶はうつむいてしばらく黙り、そして小さく声を出した。
「だけど、兄さんしかいないんだ。庄田さんを助けてあげられるのは。」
「・・・・・」
「だから、あきらめないでよ。考えるのをやめちゃだめだよ。なにかまだ出来ることがあるはずじゃないの?」
「・・・・・」
再び、阪元が弟の目を見た。
「アサーシンのパラドックスは、僕もよくわかるよ。でも少なくとももう庄田さんはアサーシンじゃないでしょ。」
「・・・そうだね」
「一生真面目にそんなものに縛られてる必要がどこにあるの?」
「ああ。」
「僕は、吉田さんと、凌介に助けてもらったよ。兄さんは、どうして庄田さんを助けてあげないの?」
「・・・・」
「庄田さんが死ぬような思いで仕事をしてきたのは、兄さんのためでしょ。違う?それって、どういうことなのか、わかるでしょ?」
「わかるよ」
「じゃあ、逃げないでよ。がんばってよ。」
「・・・そうだね・・・。」
「そうだよ。」
「祐耶、お前は」
「ん?」
「バカだバカだと思っていたけど、なんだかしっかりしてきたんだね。」
「うるさいよ、兄さん」
そのとき、祐耶の携帯電話の呼び出し音が鳴った。
発信者名を見て、慌てて祐耶が応答する。
「もしもし、深山・・・・。凌介、どうしてわかったの?・・・うん。そうだよ。・・・え?・・・・・僕だけだけど?・・・わかった。」
電話を終え、祐耶が阪元のほうを見た。
「今から、凌介がこっちに来るって。」
「酒井が?どうして?」
「というか、もう着いてるって。」
「・・・・」
玄関の呼び鈴が鳴り、迎えに出た阪元と祐耶は驚愕した。
酒井に体を支えられながら、庄田が立っていた。
「すみません、社長」
酒井が口火を切った。
「こんな顔色の人を、外に連れ出すなんてありえへんと、俺も思いますが」
「私が酒井さんにお願いしました。突然で、申し訳ありません。」
「とにかく入りなさい」
酒井と庄田を部屋へ導き入れ、阪元は祐耶にコーヒーを淹れてくるよう言った。
ソファーに二人が座ると、向かいの椅子に阪元も座り、ふたりの部下の顔をまじまじと見た。
酒井は脱がせた庄田のオーバーコートを、庄田の膝にかける。
祐耶が部屋に入ってきてテーブルにコーヒーを置くと、酒井が立ち上がって祐耶の腕をつかみ、部屋の外へと引っ張って行った。
廊下に出て扉を閉め、不満そうな顔の祐耶に酒井が囁く。
「空気を読め、空気を。」
「わかってるよ。でも心配だよ。」
「俺たちがいてもなんもできんやろ。」
「まあね。それにしても凌介、よく僕がここに来てるってわかったね」
「お前の行動パターンは恐ろしく分かりやすいからな。」
阪元は、勧められたコーヒーを庄田がゆっくりと飲むのを、複雑な表情で見つめる。
温かい飲み物で、少し庄田の頬に血の気が戻ったように見えた。
「薬は飲んでいるの?」
「はい。」
「しかし安静にしていなければ意味がないよ。二~三日はね。いつもそう医者に言われているはずだ。」
「すみません。」
少しの沈黙が流れた。
阪元は静かにソファーの背に体を預けた。
「・・・で、用件は?」
「はい。お願いがあって、来ました。」
「?」
「今回のこと、私は社長にきちんとお詫びもしていません・・・・そして、お叱りも受けていません。」
「・・・・」
「その機会を・・・与えて頂きたいのです。」
「なるほど?」
「私は、社長から頂いたご恩を、仇で返すようなことをしたと、思います。いえ、ずっと、してきたと思います。」
「・・・・・」
「申し訳ありません。」
庄田が頭を深く垂れた。
阪元はしばらく黙っていたが、何かに気づいたように、ふっと笑みをよぎらせた。
「・・・庄田。」
「はい。」
「頭の整理は、ついたの?」
「・・・いいえ・・・・」
「もう二度と、今回のようなことはしないって、約束できるの?」
「・・・・・いいえ。」
声を出して、阪元はおかしそうに笑った。庄田は困惑した表情のままうつむいた。
「正直だね、庄田。」
「・・・・・・」
「そして、私に悪いことをした、と思ったことも、本当のようだね。」
「はい。」
「それは確かに、事実だからね。」
「・・・はい。」
「二~三発ぶん殴って、四~五回張り倒したいよ。」
「・・・・・はい。」
「私は、死ぬほど怒っているよ。」
「・・・・はい。」
「どうすれば君が激しく後悔し反省してくれるような、懲罰ができるのか、考えに考えたよ。」
「・・・・・」
「殺したいくらいだ」
「・・・・・・」
「しかし、死にたい人間を殺してもなんの懲罰にもならないからね。」
「・・・・・・」
「君は、どうされるのが、一番つらいの?」
「・・・それは・・・・」
「教えてくれないかな」
阪元は立ち上がり、後ろのガラス戸棚を開け、そして再び歩いて庄田の前まで戻ってきた。
その手に、銀色の華奢な、しかしよく研ぎ澄まされたダガーが構えられていた。
「・・・・!」
庄田が声を上げる間もなく、阪元はその刃物の切っ先を自分の喉へと向けた。
「こうすることなのかな、もしかしたら」
「・・・・阪元さん!」
高い金属音を立てて、銀色の刃物がフローリングの床へ落ち向こう側の壁まで滑っていった。
阪元の、首筋の赤く細い傷跡から、静かに血が滲み、滴り落ちた。
刃物を払った庄田は、片手をガラステーブルについて呼吸を整えた。
部屋の扉が開き、驚愕の表情で走り込もうとした祐耶を、酒井がその腕をつかんで引き止めていた。
「すみません・・・阪元さん・・・・社長・・・・」
「・・・・・・」
「私があなたに、どれだけ大切にされてきたか、そのことだけではありません。」
「・・・・・・」
「あなたが、私にとってどれだけ大きな存在であるか・・・・どれだけ大切な存在であるか・・・・そのことから、私は、目を逸らし続けてきました。」
「・・・・・・」
「どうか、お許しください。そして・・・・」
「もう、いいよ、言わなくて。」
阪元は首の血を手で払い、庄田の両肩を持ってソファーに座らせた。
「・・・・」
「ごめんね。私も少しは、怒ってみたかったんだよ。でも、ずるいやり方だったね。悪かった。」
「社長・・・」
「ともかく、すごく反省してくれてるみたいだから、そろそろ罰も終わりにするけど。」
「・・・・・・」
「あとひとつ、我慢してもらうよ」
「・・・・・・」
阪元は、ドアのところで酒井に腕を掴まれたままこちらを見ている祐耶に、声をかけた。
「祐耶。二階の客用寝室の、ベッドを整えて。それから、寝巻も一式用意して。」
「・・・わかった。」
祐耶は踵を返し、出ていく。
阪元が庄田のほうを見る。
「自宅の鍵を、貸してもらっていい?」
「・・・・はい。」
庄田が差し出したキーケースを、阪元は酒井へ投げ渡した。
「酒井、悪いけど、庄田の自宅から薬を取ってきてもらえる?どこに置いてあるの?庄田」
庄田は場所を説明した。
酒井はそのまま部屋を出て行った。
「それじゃあ、行こうか。」
テーブルの脇を抜け、庄田のところまで来た阪元は、庄田の背中に右腕を、そして膝の後ろに左腕を回して、その体を抱き上げた。
「・・・・!」
そのまま部屋を出て、廊下に出る。
庄田は驚愕の表情で至近距離の上司の顔を見上げている。阪元は意地悪そうに微笑んだ。
「屈辱的?」
「はい。私は子供ではありません・・・・社長。」
階段を上がりながら、阪元がさらにおかしそうに笑う。
「最近の一連の事件での君は、子供以下だよ。」
「・・・・・」
二階の広々とした客用寝室に入ると、祐耶がベッドに新しい寝具を敷いたところだった。
厚いマットレスが二段重ねになったクイーンサイズのベッドに庄田を座らせ、阪元が弟に言った。
「着替えるのを手伝ってあげなさい。済んだら、外で待ってる浅香を呼んであげなさい。」
「・・・・わかったよ。」
阪元が部屋を出ていき、祐耶は庄田に寝巻を示しながら、服を脱ぐよう促した。
祐耶に先導されて二階の客用寝室に入った浅香は、ベッドに庄田が横たわっているのを見て驚いて駆け寄った。
「庄田さん・・・!」
庄田は目を開けて部下のほうを見て、微笑した。
「大丈夫です、心配しないで、浅香さん。」
ベッドの足元の椅子に足を組んで座っていた阪元が、浅香のほうを見て補足した。
「少し無理をすると、しばらく安静にしなければならないんだよ。医師の指示はちゃんと守らないとね。そしてきちんと休めば、大丈夫。悪いけど浅香、差支えなければ今晩、庄田の傍についてやってくれないかな?」
「はい。承知しました。」
「その代り、食事は提供するよ。」
祐耶が兄のほうを見た。
「それって、僕がつくるってことだよね?」
「そうだよ。今日は家政婦さんが休みだからね。」
阪元は静かに微笑んだ。