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五 回答

 日曜午後のコーヒーショップは平日とは違う客層で、しかしやはり混雑していた。

 奥のテーブルで、英一は向かいの席のボディガードを見ながら、もう一度呼びかけた。

「高原さん」

 返事はない。

「・・・高原さん。」

 英一と同じくらいの長身の、そして間違いなく業界最高レベルの実力の持ち主のはずのプロのボディガードは、テーブルの上でうなだれたまままったく返事をしない。

「・・・・・」

 右手で頬杖をつき、大きく英一はため息をついた。そして慈愛に満ちた笑顔で、改めて高原のうつむいた顔を見る。

「・・・最近お会いするたびに、高原さんが有能なボディガードだということをますます忘れそうになります。」

「・・・・」

「でもうれしいですよ。俺の前で、素になってくださることが。俺なんかでも、誰かの役に立つんだって、なんだか実感できますから。」

「・・・・・」

「それにしてもすごいダメージですね。」

「・・・もうだめです。」

「河合や葛城さんの前では、ずっと気を張って我慢しておられたんですね。」

「お恥ずかしいですが、そうです。」

 英一は高原と自分のために二杯目のコーヒーをふたつ注文した。

「葛城さんは大丈夫でしたか?」

「全然だめでした、やはり。」

「やはり。」

「夕べ河合が帰った後、事務所で椅子から立ち上がれなくなって、俺の肩を借りて一階まで降りて、タクシーで帰宅しました。」

「ははは・・・・」

 英一は笑いかけて少し表情を硬くした。

「三村さんも、心配されたと思います。すみません。」

「いえ、それが警護員という仕事ですからね。俺はこういうとき、職業が違うことが、救いです。多少なりとも客観的な立場であいつを見ることができる。」

「そういうものかもしれませんね・・・確かに・・・。」

「河合が二度目のメイン警護員を務めた案件で、いきなりあの探偵社の、恐らくは超一流のエージェントに襲われたこと・・・・。あいつをじかに育ててきた先輩警護員さんたちから見れば、心臓が潰れるような出来事だった。」

「はい。」

「たとえそれが警護員として当然のステップだったとしても、理屈と感情はまた別物です。」

「はい。」

「高原さんも葛城さんも、河合の前ではしかし平然とふるまわれた。大変だったですよね。」

「はい・・・・・。同僚が危ない目に遭うのとはまた一味違いますね。」

「後輩とか、部下とかは、やっぱり自分の子供みたいなものなんでしょう。」

「そうですね。」

「かわいい子には旅をさせよと言いますが、後輩を可愛いと思うことと、一人歩きしていくのを我慢して見守ることとは、なかなか両立が難しいことですか。」

「はい。永遠にサブ警護員だけさせたいくらいです。」

「屋上デッキでひとりで敵に対峙した河合は・・・結果的に今回の相手は河合を殺す気はなかったようですが・・・仮にそいつが本気だったら、間違いなく殺されていたでしょうからね・・・・」

「・・・・・・」

 高原は再び頭を抱えてうなだれた。

「すみません、高原さん。」

「いえ・・・・」

「ちっとも役に立ってませんね、俺・・・・。たまに高原さんに追い打ちをかける発言をする癖、直します。」

 高原は顔を上げ、そしてこの日初めて笑った。

「・・・いえ、そのままでいいですよ、三村さん。あなたは、そういうところも含めて、魅力的なかただ。」

「ど、どうも・・・。」

 はっと気づいて高原は腕時計を見た。

「いけない、もうこんな時間に・・・。長々と御引止めしてしまい、すみませんでした・・・」

「大丈夫ですよ」

「事務所へ戻ります。いつも本当にありがとうございます・・・三村さん。」

「いえいえ。私はもう少しここにいますので、どうぞお先に。」

「はい。・・・いつか私も、あなたの相談相手になれるようにがんばります」

「大丈夫です、ボケの河合がこれからもお世話になりますがよろしくお願いします。」

「はい。」

 高原が立ち上がって一礼し、会釈して英一が見送る。

「お気をつけて、高原さん。」

 ひとりになると、英一は座ったまましばらくそのままでいたが、やがて自分のために三杯目のコーヒーを注文した。

 コーヒーが運ばれてきたとき、まだ英一はほぼ同じ姿勢でじっとしていた。

 やがて、携帯電話のコール音が鳴り、はっと我に返ったように応答した。

「はい、蒼英です。阿部君?」

 英一の舞の弟子兼助手からだった。

「先生、今日の夕方からの稽古は、予定通りでよろしいですか?」

「どうして?」

「今朝の早朝稽古で、先生のご様子がおかしかったので、念のためと思いまして。」

「・・・?」

「弟子たちは気づいた者は多くなかったでしょうけれど、私や他の師範の先生方は、なにかあったんだろうと心配になってしまいました。」

「・・・・」

「宗家のご家族が急なご病気とか、もしかしてそういうことでしたら、稽古は代講いたしますので・・・。」

「ああ・・えっと・・・」

 英一は口ごもり、そしてやっと言葉を出した。

「大丈夫、そういうことじゃない。・・・・うん、確かにちょっと気になることが今朝はあったんだけど・・・もう解決したから。大丈夫だよ。」

「そうですか?」

「心配かけてすまなかったね。わざわざ電話をくれてありがとう。それじゃ。」

 電話を終え、英一は一人苦笑した。



 街の中心にある古い高層ビルの事務所は、日曜午後の陽ざしを受け室内はとても明るかったが、出勤して作業していた「本体部門」の社員二名が仕事を終えて帰ってしまうと、応接コーナーにぼんやりと座っているエージェントひとりだけが残された。

 長身のエージェントは自席へ戻り、再度仕事を始めようとしたが、まったく集中できないことが分かり再び席から立ち上がった。

 ロッカールームへ向かおうとしたとき、携帯電話の呼び出し音が鳴った。発信者を見て少し安堵した表情で応答する。

「はい、浅香です。」

「祐耶だよ。電話くれた?」

「した。今日、時間ある?」

「今事務所?車だからあと十分くらいで着くけど。」

 浅香仁志は時計に目をやり、ロッカールームで手早く帰り支度をした。

 高層ビルの車寄せで深山祐耶の運転する私用の軽自動車に拾われ、助手席に乗り込んだ浅香は運転席の同僚へ感謝の言葉を伝えた。

「ありがとう、祐耶。休みの日なのにごめん。」

「別にいいけど。連絡がなかったら僕から連絡しようと思ってたとこだし。」

「・・・・」

「相談なんでしょ?仁志のところの、チームリーダーのことで。」

「ああ。」

 車は海辺の街へと向かって走る。

 運転手が窓を細く開け、入ってきた風がそのゆるく波打つ金茶色の、浅香よりさらに少し長い髪をなびかせる。

 少しの沈黙の後、浅香は前を向いたまま口を開いた。

「昨夜の一件、酒井さんや板見くんから話は聞いてる?」

「・・・うん。」

「その後もその前も、そのことについて何の情報もない・・・。知っていることを教えてほしいんだ。」

「いいけど僕から聞いたってことは内緒にしといてね。」

「うん。」

「お前に見せてもらった、昨夜の襲撃の計画を見て、僕がひっかかってたの覚えてる?」

「覚えてるよ。」

「凌介に意見を聞いたら、僕と同じだった。それで、二人で吉田さんに相談したんだ。」

「・・・・・」

「庄田さんは元アサーシンだからね。考えていることが、なんとなく、わかったんだと思う。僕も凌介も。」

「・・・・・」

「その時すぐに言わなくてごめんね。僕がわかったのは、現場の計画に不自然な空間と空白がありすぎたこと。アサーシンは相手を殺害するのに最短最善のことをする。獲物を虐待する猫じゃあるまいし、不必要な間など絶対に置かないよ。」

「うん。」

「もちろん依頼主からそういうオーダーがあったわけでもないでしょ。であれば、その空白は、河合警護員に何かをさせる時間。」

「・・・・そうだね」

「警護員がすることって、クライアントを守るための行動しかない。それはつまり、襲撃者の排除。そういうことだよね。」

「・・・・・」

「凌介と吉田さんは、顔色を変えてた。心当たりがあったんだと思う。でも僕には教えてくれないばかりか、現場にも行かせてくれなかった。吉田さんは最初は全部社長に任せて、凌介も行かせるつもりはなかったみたいだけど・・・その後、凌介は吉田さんに頼みこんで行かせてもらえることになったんだ。」

「そうなんだね。」

「昨夜あの後、板見くんから連絡が来た。現場の状況は、残念だけど、だいたい僕と凌介が予想したとおりだった。」

「庄田さんが俺を制止して先に船から降ろしたとき、俺もやっと気がついた・・・。そして、酒井さんが無理やり庄田さんを連れて水上バイクに降りてきたとき、それがどれだけ深刻なことだったか理解できた。」

「そうだね。」

「いったい・・・どうしてなんだ・・・・」

 浅香は両手の平で両目を覆い、苛立ちに堪え切れないようにうつむいた。

「僕も理由はわからないよ。吉田さんと凌介は想像ついてたみたいだけど。・・・・・ゆうべ、社長のところへ庄田さんは呼ばれたけど、特に怒られた様子はなかったんだって。」

「・・・・」

「全部知ったというのに。兄さんは・・・社長は、腹が立たないのかな。」

「・・・・」

「仁志。逆に僕から聞いてもいい?」

「いいよ」

 浅香は運転する祐耶のほうを見て頷いた。

「庄田さんとずっと一緒に仕事してたんでしょ?最近なにか変ったことはなかったの?」

「・・・・・」

 当然の質問をされ浅香はうろたえた。

「最近の案件とか」

「大森パトロール社の山添警護員との案件で、うちのチームの三田逸希・・・いや朝比奈逸希が、山添を排除できなかったことがあった。山添が、逸希の亡き兄である朝比奈和人の、親友だったから。」

「朝比奈和人警護員って、現役時代に庄田さんが唯一成功できなかった案件で、ターゲットを警護してたんだってね。」

「そうだよ。その弟を庄田さんのチームにどうして社長が入れたのかよく分からないけれど・・・。とにかく社長は、逸希が山添を殺すことでその生い立ちを乗り越えてくれればと思っておられたんだと思う。でも、庄田さんからの指示は、山添と逸希とが直接害し合うことを極力阻止すること、だった。結局山添は自ら命を断とうとしてしまったけれど、なんとか一命は取り留めた。そして庄田さんは、逸希が山添さんに手出しできなかったことについて、最後まで社長に言わなかった。」

「そうなんだね。」

「社長はたぶん、庄田さんが嘘をつきとおしたことに、気づいておられたとは思う。庄田さんもそうおっしゃっていた。」

「ふうん」

「そのとき、庄田さんが俺におっしゃったことが、ある。・・・・自分は、大森パトロール社の朝比奈警護員の亡霊から、少しも自由になれてはいない、って。社長や酒井が思っている以上に、あの会社はやっかいだ、って。そしてそれは、自分だけの問題ではなく・・・・結局うちの会社全体の問題でもある、と。」

「・・・・」

「そう言われた。」

「それで・・・?」

「その後、河合警護員にまつわる人物について、少し詳しい調査をするよう指示が出た。具体的には彼が務める会社、それから三村家。特に三村英一。」

「うちが具体的案件ではなく一般的に、誰かの交友関係を細かく調べるというのは、その人物がよほど重要ということだね。」

「そうだね。そして、三村英一が警護に首をつっこんだ事件のとき、彼を拉致して、彼と河合警護員との関係はよくわかった。祐耶、お前と酒井さんくらい、切っても切れない関係だね。」

「その例えはともかく、どうしてそんなに・・・そこまで調べなきゃいけないくらいに、河合警護員が重要人物なのかな。」

 浅香は自分も窓を少し開け、新しい空気を静かに吸い込んだ。

 海が近づいていた。

「亡霊、ってことかな。もしかしたらね。」

「・・・・・」

「死んだ人間は、倒せないし殺せないけど。」

「朝比奈和人の代わりだとでもいうの?」

「あの会社はやっかいだ、って言っておられた意味が・・・あの会社のボディガードたちが、朝比奈和人の後継者だっていうことなら。」

「では、計画段階で、河合警護員を殺す、って庄田さんが言ってたのは、ほんとにそのつもりだったのかな。」

「たぶんちがう。というより、それは途中までしか言ってない。」

 浅香は正面を見て、大きく息を吸い、そして吐き出した。

「・・・・仁志・・・」

「朝比奈和人の後継者を殺す。それが亡霊を断ち切る方法。しかしそれがもしもできないときは、もうひとつ、あの会社の呪縛から我々阪元探偵社が逃れる方法がある。それは、こちら側にも亡霊をつくりだすこと。」

「・・・・・」

「犠牲者を出すこと。あの会社の、一番あの会社らしい、そして一番若い後継者に、阪元探偵社のエージェントが殺されること。」

 丘の上まで登った車を、祐耶は路肩へ寄せ停止させた。

 改めて、隣の同僚の横顔を見つめる。

 浅香の頬は蒼白になっていた。

「仁志・・・・。なんだか、吉田さんと話してるみたいだよ。たぶん、吉田さんも、そして凌介も、今お前が言ったとおりのことを、考えたんだろうね。たぶん。」

「・・・・ごめん、祐耶。どうしてもっと早く気がつかなかったんだろうと思うよ。ずっと庄田さんの傍にいたのに。」

「・・・・・」

「あのね、仁志。」

「・・・・・」

「庄田さんは、たぶん、お前のこと、すごく可愛がっているでしょ。」

「・・・・そう思う。」

「この間の殺人案件で、お前、自分の恋人がターゲットだって言わなかったでしょ。」

「うん」

「あの後、内緒だけど兄さんが・・・社長が言ってた・・・・。庄田さん、見るのもつらいくらい落ち込んでたって。」

「・・・・・・」

「あまりにも近くにいて、親しい関係だと、かえって見えなくなるものもあるのかもしれないね。」

「・・・・・」

 浅香がうつむき、祐耶は同僚の肩に手を置こうかどうかまよい、出しかけた手を引っ込める。

「今お前が想像したことって、たぶんだいたい合っていると思う。でも、ちょっと補足が必要だとも思う。」

「・・・?」

「アサーシンは、そもそも、とても死に近い存在なんだよ。自分自身が。・・・・そして今回のこと・・・・、もちろん庄田さんは第一にうちの会社のことを考えたと思うけど、同時に、自分という存在の限界・・・破たんを感じていたんだと思うよ。」

「・・・・・お前も、そういうことがあった?」

「うん。だからね、いずれにせよ・・・・このままじゃだめだよね・・・・。なんとかしないと。」

「そうだよね。」

 祐耶は座席の背に頭を預けた。

「でも、どうすればいいのか、全然わかんない。でも、これで質問事項はまとまったから、それじゃ、行こうか。」

 そしてそのまま顔だけ動かし、助手席の同僚の顔を見た。

「・・・・?」

「あと少しで着くから。」

「え?」

「兄さんの家だよ。」

「ええっ?」

「直接話をしてみようと思うんだ。」

「社長と?」

「そうだよ。」

 驚く浅香にそれ以上の発言の機会を与えず、深山祐耶は兄の自宅へ向けて車を発進させた。



 庄田は自宅マンションを訪ねてくる人間は全員知っている、と言わんばかりに、名前も聞かずにオートロックを開錠した。

 酒井が部屋に入ると、ほぼ何もない殺風景なリビングルームの、大きな窓から港が見えた。

「庄田さんの家に入れてもらえただけでも、今回の骨折りをした甲斐がありました。」

「そんなに気難しい人間と思われてますか、私は。」

「はい。」

 キッチンのカウンターからコーヒーセットを持ち出し、庄田はソファーに座った酒井の前で、テーブルの上でふたつのカップにコーヒーを注いだ。

 酒井は、庄田が少し風変りな服装をしているのを、ちらりと見て、そしてコーヒーを飲んだ。

「おいしいです。」

「ありがとうございます。」

「体調、崩されましたか?庄田さん」

「どうしてですか?」

 酒井はソファーの上で背筋を伸ばして行儀よく座ったまま、少し居心地悪そうに目を伏せた。

「・・・その長い上着の下、寝巻でしょう。もう昼過ぎやっていうのに。それから・・・・」

 酒井が、台所の隅で水が半分入ったまま放置されているコップに目をやる。

「薬入れは慌てて隠しはったみたいやけど、ガラスのコップの周りに粉末が散ってますよ。」

「・・・・・」

「具合が良くないようでしたら、あまり長居はしませんし・・・・もしもそのほうがよければ、病院へお送りしますよ。」

「ありがとうございます。酒井さん。」

「いえ」

「心配なさらないでください。あなたに邪魔されたショックで熱を出したわけじゃない」

「・・・・・」

「現役時代のいくつかの負傷で、内臓に慢性の不調があります。ときどき、体が休養を要求する。・・・私がアサーシンを引退したのは、足のせいというより、こっちが原因と言ってもいいでしょう。つまり、いつものことです。」

「・・・・そうなんですね。というか、あんだけむちゃくちゃしはったんやから、むしろ当然すぎるほど当然ですな。」

「そうですね」

「よく死ななかったもんです。」

「はい。」

 庄田はため息をついて、自分もコーヒーを一口飲んだ。

 少し開いた窓から風が入り、薄いカーテンが揺れた。

「河合警護員は、河合警護員です。他の誰でもないですよ。」

「そうですね。」

「それから、阪元探偵社の問題は、あなた一人の問題ではありません。」

「はい。」

「あなたの考え、なさること、ひとつひとつは、・・・なんとなく理解はできる。極端やなとは思いますしいちいちつっこみたくなりますけど、でもあなたの理屈は理屈でわかる。けれど、全体として考えると・・・やはりどうしてもわかりません。」

「・・・・・」

「なにかを、すごく、避けておられる・・・・恐れておられるように、見えます。それで、ほかの全てが、追い詰められたみたいに極端に走ってしまうんと違います?」

「・・・・・」

「理由を教えてください、と夕べは申し上げましたけど、少し質問が間違ってたかも知れませんね・・・・。なにを、恐れてはるんですか?と、お尋ねすべきなんですかね。」

「・・・・・少し、冷えますね」

 庄田は立ち上がり、ゆっくりと窓まで歩くと、ガラス戸を閉めた。

 その足がふらつき、庄田は窓ガラスに手をつきしばらくじっとしていた。

「庄田さん・・・・大丈夫ですか?」

 酒井が駆け寄り、両肩を持って支えた。

「大丈夫です・・・。そこまで、手を貸していただけますか」

「休みはったほうがええです。俺、もう帰りますから。・・・ベッドですか?お連れします。」

「ありがとうございます、ご親切ですね、酒井さん」

「・・・・・」

「すぐにおさまります。すみませんが、ソファーに座らせてください・・・・。体を温めたいので、隣の寝室の、ブランケットを持ってきていただけるとなお助かります」

「お安い御用ですよ」

 酒井は庄田の要望どおりにした。

 胸から足首までブランケットで覆い、ソファーにもたれた庄田の代わりに、酒井が台所で二杯目のコーヒーを淹れた。

 涼しげな切れ長の両目で、その様子を見ながら、庄田は少し微笑みため息をついた。

「酒井さんは、どうして阪元探偵社で、危険な仕事を続けておられるのですか?」

「・・・・俺ですか?もちろん、恭子さんのためです。」

「なるほど」

「俺だけやありませんけどね。和泉も、板見も、恭子さん・・・・吉田さんのためならどんなことでもやります。もちろん、同じくらい、仕事の内容に確信を持ってるからではありますけど。」

「深山さんは?」

「祐耶ですか、あいつは、・・・どうなんですかね。一度仕事をやめて、またふらふら戻ってきたり。よう分からん奴ですな。」

「あなたもかつて、彼と同じ、アサーシンだったのに?」

 酒井は新しいコーヒーの入ったカップを庄田に差し出しながら、笑った。

「自分の仕事の拠り所を見失っては、悩んでましたね。今は恭子さんの教育を受けてる途中、というところです。」

「吉田さんは、チームのメンバーを愛しておられる。ついて行けば間違いはないでしょう。」

「庄田さんは違うんですか?」

 伏し目がちに笑い、庄田は少しの沈黙の後で答えた。

「アサーシンは、なにものも愛さないんですよ。忘れました?酒井さん」

「・・・・・」

 酒井は手にとったコーヒーカップを再びテーブルに置いた。

 そして、改めて目の前の元アサーシンの、ぬけるように白い肌をした顔を、刺すような目線で見つめた。

「庄田さんが・・・・何から逃げてはるか、なんか少し分かりそうです。」

「そうですか」

「あなたはあの警備会社の、一流の警護員に、自分の仕事を根底から否定されたと感じたんでしょうけれど、そのことはもちろん絶大でこそあれ、決して決定的なダメージではなかったでしょう。」

「はい。」

「そんなことより、遥かにキツかったんは、あなたがそのボディガードに心底惚れ込んでしまった、そのことですね。」

「そうです。」

「そのことを、社長は知っていたし、知っている。」

「そうだと思います。」

「あなたは、その後ますます、仕事に異常なほど挺身するようになった。」

「はい。」

「なぜか。なんでですか?」

「・・・・・・」

「わかってはるでしょう。」

「・・・・社長の期待に、応えたかったからです。それは・・・・あの方が、全部わかった上で、私を認めてくださっていたから・・・です。」

「さっきあなたは、吉田恭子さんがチームのメンバーを愛してるって言いはりましたな。では社長は、もちろん、あなたを愛しておられる。そういうことですよね。」

「・・・それは・・・・」

「そしてあなたも。そうですよね。」

「酒井さん」

「まだ、逃げはるつもりですか?」

「・・・・・」

 庄田は微動だにしなかったが、目を酒井と合せようとせず、黙りこんだ。

「上司と部下が、互いを大切に思う。それだけのことでさえ、正面から認められませんか?」

「・・・・・・」

「そしてご自分が部下をなにより大事にされていることさえ。」

「・・・・・・」

「あのボディガードに囚われたことを、そいつを殺すか、自分を殺すかのどちらかでしか解決できないようなお方ですから、無理もないですかな。」

「酒井さん・・・・」

 庄田がゆっくりと両目を閉じた。

 酒井はじっと、相手の答えを待った。

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