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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第9章「王都、燃ゆ」
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老将軍、憂愁す

「……あさん、おかあさん」

「どうしたのアイーシャ。おトイレ?」


 身体を揺さぶられ、ぼんやりとセリナが目を覚ますと、不安そうに覗き込んでくるアイーシャの顔がそこにあった。

 外はまだ暗く、枕元の置時計を見ると五時を過ぎたばかりとわかると、重い息を吐いた。

 ミルト村や聖霊の神殿での生活で、朝には強いはずなのだが、今朝に限っては猛烈な眠気がセリナを襲っている。昨日はアイーシャがなかなか寝つけず、遅くまで起きていたからその影響かもしれない。


「アルラさんを呼ぶから、一緒に行こうね」

 

 アクビがふわふわと混じり、我ながら情けない声だと思いながら、重いまぶたを必死で開けて、呼び鈴の位置を探した。

 アルラとはセリナたちの世話をするメイドの一人である。セリナの身の回りをするために、三名のメイドが交替で一名ずつ部屋の外に控えている。

 身の回りの世話は彼女らが行っており、業務はそつなくこなすが態度はどこか冷淡で、自分たちと深い隔りがあるのを感じていた。


 ――心を開いていないのは、私も同じだけど。


 冷淡れいたんなのは彼女たちだけでなく、他の魔族の将官らも同じであった。夫のリュウヤに煮え湯を飲まされていただけに、セリナたちに向けてくる言葉や目にはより一層強く憎悪や敵意、懐疑かいぎの光が宿っていた。

 見下した傲岸な視線や警戒する態度には、セリナの心を硬くなにさせるには十分だった。

 唯一、穏やかに会話が出来るのはルシフィやヤムナークくらいのものだったが、セリナはそれすら心を許してはいなかった。

 ルシフィは真心からセリナやアイーシャの身を案じ、何かと世話をくれている。もし、こんな関係でなければ良い友達になれたのにと心苦しく感じていたが、魔王ゼノキアの魂胆こんたんがわかっている以上、心を容易に許すわけにはいかない。

 ともあれ、メイドたち面倒は命令に従ってよく見てくれるので、彼女らを使わない選択肢はない。セリナはベッドを這うようにして、呼び鈴に手を伸ばそうとすると、アイーシャは「違うよ。おトイレじゃないの」と言って、その手を遮った。

 そして、次にアイーシャが何か言った気がして、セリナが問い返すとアイーシャは口をつぐんでいる。

 やがて、じっとセリナを見つめたまま、「ううん」と悲しげに首を振った。

 しかし、セリナを掴む小さな手には力が強いこめられている。


「どうしたの」

「……あの、あのね」


 アイーシャは口を開いて何か言い掛けたが、言葉にならず再び口をつぐんでしまった。何と表現したらいいかわからない、といった表情に思えた。

 普段見せないアイーシャの挙動を不審に思いながらも、どこか怯えているアイーシャをいたわるように、抱き寄せて背中を優しく撫でた。


 ――何か怖い夢でも見たのかもしれない。


 起きたらすぐに忘れてしまったけれど、恐ろしいものを見たという感覚だけが記憶に残っている。自分がこれまで何度も体験したものを、アイーシャも体験したのかもしれない。


「私がいるからね。アイーシャ」


 セリナはアイーシャを抱き締めたまま横になった。

 幼い頃のセリナも怖い夢を見た後は、こうやって母に抱き締めてもらったものだ。母の温かな身体に包まれているだけで、気持ちがほっとして、怖い夢の記憶も忘れることができた。

 アイーシャも同じようにおこりが次第に静まっていき、セリナも安堵して再び眠りの世界に沈みこもうとしていた。

 しかし、突如凄まじい爆発音と激震が部屋を襲い、二人の意識は一気に覚醒して、ベッドから飛び起きた。


「な、なに!?」


 外から赤々とした光が室内に射し込んでくる。窓の外を見ると、東門の方向から天を焦がすばかりの火の手があがっていた。付近の建物にも燃え広がっているらしく、あちこちの建物から炎と黒煙がのぼっていくのが見えた。

 異様な揺れや建物の軋み、不気味に燃え広がり夜空を焦がす炎。セリナの脳裏に聖霊の神殿での戦闘で体験した、不吉で恐ろしいあの衝撃波と同質のものを感じていた。


「……戦闘?」


 セリナが苦悶くもんするようにきしむ音を立てる天井を見上げながら、アイーシャを抱き寄せるとアイーシャも不安を隠せない様子でしがみついてきた。すると、勢いよく扉が開き、室内に飛び込んできたのはヤムナークだった。

 ルシフィ不在のため、近くの部屋で詰めていたのだが、いつもは冷静なヤムナークも起き抜けでかなり動揺しているらしい。上着も羽織らず、普段は執事らしく綺麗に整えられているはずの髪も、今はボサボサだった。


『セリナ様、アイーシャ様。ご無事ですか!』

「はい……。でも、一体なにが起きたのですか」

『まだ判明しません。しかしあの爆発、ただの事故ではないでしょう』

「……」

『レジスタンスの仕業とも考えられます。かねてからルシフィ様のご指示にあったように、お二人には避難していただけます』


 レジスタンスなら、自分を救出にきたのではないかという考えがセリナの頭を過ったが、ヤムナークはそんなセリナを見透かして、甘いと言わんばかりに力なく首を振った。


『セリナ様、あのような威力を持った爆弾が、次はどこに仕掛けられるかわかったものではありません。レジスタンスもあなた方がどこにいるかは把握していないはず。それなのにあのような攻撃を仕掛けてきた。巻き添えになることは十分に考えられます。それに……』

「それに?」


 言葉を詰まらせて目を伏せるヤムナークだったが、やがて視線がセリナをまっすぐに捉えると、静かにそして悲しげに、だが決然とした口調で言った。


『あなた方はあくまで私どもの人質でございます。かねてからルシフィ様のご指示でもあったように、魔空艦でゼノキアから避難していただきます』


  ※  ※  ※


『くそっ、なんという有り様だ!』


 王宮強襲の報せをうけた時には、ネプラス将軍は既に起きていて、家の者に甲冑をつけさせていた。幾分奥まった位置にある室内からでも、東門付近から燃え上がる火の手が見える。

 ネプラスは空を赤々と照らす火の手を、歯ぎしりしながら睨みつけていた。


『おのれ人間め、姑息な真似を!まだ支度は終わらんのか!』

『落ち着いて下さい。お父様』


 突然の騒ぎに動揺し、支度に手間取っている家の者を、苛立たしく叱りつけるネプラスに、一人の若い女が近づき、毅然とした態度ででたしなめた。肌が雪のようにに白く、切れ目に長いまつ毛をした艶やかな女が銀色の甲冑姿でいる。体つきは細身だが長身で、ネプラスと背丈はさほど変わらない。

 ネプラスは目を丸くして、二の句が継げなかった。


『リディア、その姿はなんだ?』

『何を言ってるのです。お父様のお供をしに行くに決まっているではありませんか』

『馬鹿な……。将軍たる私が末娘のお前を連れていくなど、俺が家中から親バカと笑われるわ。女は家を守っていろ』

『“女は”とおっしゃいますか。お父様。ルシフィ様は乙女のような容姿でありながら一人旅をし、危険を冒して竜族の王女や、リュウヤという剣士に近づいたではありませんか』

『バカ。ルシフィ様はあれでも男だ』

『ルシフィ様に対し、“あれでも”とは不敬でしょう。それに、娘にもバカとは何ですか。謝ってください』

『むむ……。スマン』


 ――前にはルシフィ様を、“柔弱な容姿が気に入らない”といったくせに。


 ネプラスは内心では反論していたが、リディアと呼ばれた娘にキッと睨まれると、ネプラスはたじろいでしまい謝るしかなかった。

 リディアの睨みつけてくる目は、亡くした妻の怒った時の目によく似ていて、物言いもそっくりである。妻が死んでから、家事の指示はリディアが取り仕切っていた。

 そうした背景もあって、他にはタギル宰相以外に知られていないが、恐妻家だったネプラスは妻に叱られているような気分になり、この末娘にどうにも頭が上がらない。


『私は将軍ネプラスの娘。誇り高き武人として、剣と魔法の研鑽に努めてまいりました。魔王軍の“男”どもに、ひけをとるものではありません。お父様もベリア教官も私の腕を“兄弟で一番筋がいい”と褒めてくれたではありませんか』

『う、ううむ……』

『それに人間どもも、女が魔装兵(ゴーレム)を駆って、魔獣と真っ向から立ち向かって戦果を挙げております。さらにムルドゥバ一の剣士テトラ・カイムは盲目の女剣士と聞きます。どうして、私が戦に向かわぬ理由がありましょうか』

『む、む……』


 老将軍は言葉もない。

 ネプラスの子どもはリディアの他に、男三人女は姉が一人いる。

 三人は既に出仕し、エリンギアまでゼノキアに従い、姉はとある名家に嫁いでいる。姉は剣と魔法に縁が無かったが、三人の兄と比べても、リディアの剣には才能を感じていた。

 しかし、末娘にこの美貌、親の欲目も考慮して安易に戦いの場へ連れていく決断は出来ないでいた。


『だが、お前はまだ戦場の経験がないではないか』

『ですから、これが私の初陣です』


 ちょうどそこへ、馬飼役が庭に一体の魔物を引き連れてきた。身体は真っ白で、堂々した広い翼にたかのように鋭い眼光や爪を持っている。ネプラスの愛馬と言うべきグリフォンである。


『では、お父様。先に参ります!』

『あ、ま、待て、リディア!その“ガルセラ”は私のだぞ!』


 リディアは部屋を駆けると、通路の欄干からひらりと飛び下りて“ガルセラ”と呼ばれたグリフォンへとそのまま飛び乗った。主人以外の者に乱暴な乗り方をされても、ガルセラは一向に平気な顔でいる。


『よろしくね。ガル』


 リディアがガルセラの喉をさすると、ガルセラはゴロゴロと甘えたように喉を鳴らした。そして手綱を軽く引くと、ガルセラは目を大きく見開き、空気を切り裂くような咆哮をあげて、空へと羽ばたいていった。


『ガルセラめ。私よりもリディアになつきおって……』


 リディアがネプラスのグリフォンを頻繁ひんぱんに使っているのは知っていたが、気性が穏やかな割に容易に心を開かないグリフォンなので、あれほど巧みに操れるほどになっていると思ってもいなかったのだ。


『早く代わりのグリフォンを連れてこい!』


 呆然と空を見上げている馬飼役に向かって怒鳴ると、ネプラスはリディアが消えた空を見上げた。火の手が夜明けの空を、赤々と照らしている。


 ――まだ、敵の正体もわかっておらんのに、功を焦りおって。


 颯爽さっそうと乗りこなす姿は頼もしくもある反面、その勝ち気さが父としては不安でもあった。王宮の様子も気になり、激しい焦燥感に駆られながら、ネプラスは剣の柄を何度も叩いていた

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