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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第8章「リュウヤ・ラング再び」
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ゼノキア潜入

 午後6時を知らせる大聖堂の大鐘の音が王都ゼノキア中に響き渡ると、それまで声高に雑談していた監督役の兵士は陽が傾きかけているのに気がつき、労働者たちに悪びれた様子もなく明け方から始めた作業にようやく終了を告げた。


「ちきしょう。いつも人をゴミみたいに扱いやがってよ」


 誰かが舌打ちするのを、他の誰かがシッと鋭く黙らせた。

 うかつに反発すれば、容赦なく斬り殺されてしまう。

 舌打ちした男は憤懣ふんまんやるかたないといった顔をしていたが、それでも口を固く結んで黙り込んだ。


「お前ら、帰るぞ」

「あいよ、ゼゼル」


 リーダーらしいゼゼルと呼ばれたひげ面の男が、聞かなかったふりをして周りの男たちに言った。ゼゼルの後ろをぞろぞろと男たちは二列をつくって、重い足取りで歩き出す。

 それまで、都の西側で行われていた橋の改修工事にあたっていた第3班は、班長のゼゼル・モーガン指示の下、食料を受け取りに集合場所である受付まで歩いていった。

 集合場所は資材置場とされているところで、薄い戸板の壁に囲まれた小さな広場に、木造小屋が二棟並んで建っている。その小屋の前に長テーブルが設置され、第3班と同じように、他の現場で作業を終えた男たちが、くたびれた様子で気だるそうに行列をつくって待っている。

 受付係の男が一人一人リストをチェックすると、補助の男が重く詰められたずた袋を渡す。袋からニョッキリと長パンが突き出ていて、中にはじゃがいもが詰められている。

 受け渡す様子を、監視役の兵士がふんぞり返って眺めていた。


「また、じゃがいもか」


 ゼゼルの後ろで、仲間のぼやく声がした。


「ウチのおっかあが闇市で他の野菜もんを手に入れてくれっから何とかなっけど、体がもたねえよ」

「休めっからいいじゃねえか。向こうは擦りきれるまで使うつもりなんだぜ。あんま張り切るとサリュウみたいに早死にするぞ」

「ま、手を抜く理由になるからちょうどいいか」


 ぼやいた男はクスクスと笑ってみせた。

 力による圧迫と閉塞感に満ちた世界では、仲間の死でもジョークのひとつとなる。そうでもしなければ気持ちがもたない。

 かつて、サリュウという同じ班の仲間がいたが、真面目な性格で、ここに来る前は魔装兵(ゴーレム)の整備士として働いていた。昔から真面目な働き者として知られ、魔装兵(ゴーレム)計画破棄とともに、収容施設に入れられると皆を励ますために人一倍働いた。

 そこを魔王軍の監督役から目をつけられると、満足に水や休息も与えられないほど酷使され、ゼゼルも作業から離れられるよう手を回そうとしたが、ついには過労で倒れてそのまま死んでしまった。

 監督役の兵士はそれを班長のゼゼルから報告を受けた後、苦々しい顔で『使えねえ奴』と吐き捨てるように地面に唾を吐いただけだったのだ。


『貴様ら、何を無駄話をしているか!』


 怒鳴り声とともにヒュンと空気を切り裂く音がし、作業員たちの目が一斉に向けられる。

 サリュウの死を冷淡れいたんに突き放した監視役が、醜い太った身体を揺らしながらむちを宙に振っている。


『無駄口をせず、大人しく並べ!』


 監視役は威張り散らすだけが取り柄の、オークのように醜く愚劣な男でしかなかったが、それでも魔王軍の兵士である。不発弾のようなもので、下手に触れれば、即、死に繋がる。男たちは粛然しゅくぜんとし、皆、緊張した面持ちで無言となった。監視役はそれは満足そうに眺めている。

 いかにも俺は有能だという不快な顔つきだった。


 ――以前にも、魔族で無能で嫌な奴はいたが……


 この種の輩が増えたのは、現体制になってからだとゼゼルは思う。以前は列車の整備士として魔族の連中とも関わったが、監視役のようなタイプは、同僚からも嫌われていたのだ。

 有能な魔族の多くが前線に駆り出されたため、無能な魔族に仕事がまわるようになったわけだが、宰相のタギルもそのことに頭を悩ましているという。だが、ゼゼルにとっては、タギルの悩みなどどうでも良い。

 やがて行列は進み、ゼゼルの番がとなって、班と自分の名を告げた。


「……ごくろうさん。異物がないかチェックしてな」


 受付係の言葉にゼゼルの目が一瞬光った。


「めんどくせーな。食料係にちゃんとしろと言っておけよな」

「伝えておく」


 ゼゼルは監視役の動きを目の端に捉えながら、机の上に袋を置き、中身を確認するふりをした。そして袋を壁代わりにし、監視役の死角から素早い手つきで懐から出した小さな紙製の箱を受付係に渡した。

 中には煙草と銀貨一枚が入っている。


「大丈夫。問題ない」


 ゼゼルが言うと、受付は無表情のままうなずき、次と後ろの男に声を掛けた。

 食料を受け取った男たちは班ごとに集まり、別の監視役先導で、それぞれの収容施設まで戻る。班長であるゼゼルは普段、作業員の先頭で監視役の背後を歩いているが、周りの仲間に合図を送って何気なく後方に下がった。周りに人の壁をつくってもらい、ゼゼルは袋を漁った。中に小さな紙切れが入っていて、素早く目を通す。

 買い物レシピのような箇条書きがあるが、内容は意味不明な文字が羅列してある。

 だが、ゼゼルにはその意味がわかる。


「今夜9時か……」


 ゼゼルは紙切れを細かく千切り、それを口に放り込むと、パンをかじって一緒に呑み込んだ。

 おい、と口を動かしながら隣の男に声を掛けた。


「客が3名だ。いつもの小屋で待つ」

「……わかった」


 そのやりとりだけで全てが済んだらしく、男たちは元の並びに戻り、そのあとは無言で帰路に着いた。


 ――リュウヤ・ラングか。


 噂には聞いているレジスタンスの剣士。

 竜族の姫と行動する男。

 今はレジスタンスとは別行動、最近まで行方不明だったとまでは把握している。


 ――そんな男が何の用だ。


 一見、無表情を装いながらも、ゼゼルは異様な緊張感に包まれ、心臓は忙しく鼓動していた。


  ※  ※  ※


 元は喫茶店だったという小さな建物の中は、がらんとして寒々しく、雨戸の隙間から差し込む月光以外は灯りもなく真っ暗だった。そんな中、ひとつ残った丸テーブルを前にゼゼルは腕を組んで座って待っていた。

 真っ暗な室内にトン、と木製の戸の音が鳴った後、トントントンと3回戸が鳴らされた。


「……入れ」


 ゼゼルが戸に声をかけると、ゆっくりと戸が開いて、仲間の男に案内されて、室内に3人の人影が入ってきた。汚れた古いローブをまとい、フードを目深に被っている。


「あんたが、リュウヤ・ラングさんか。それと、クリューネ姫にリリシア・カーランド……。リリシア、兄さん元気か」


 いえ、とリリシアは小さく首を振った。


「……1年も会っていないからわかりません」

「そういや、俺も3年前に一度顔を会わせただけだったな」


 ゼゼルの真顔の冗談にリリシアは付き合わず、静かにローブを脱いだ。

 リリシアの傍らで、リュウヤたちもフードをとり、ローブを脱いでいる。無精髭にほう髪姿のリュウヤ・ラングを注視しながら、爽やかな若者と聞いたが、イメージと違うなとゼゼルは思った。


「あんたら噂じゃ、エリンギア向かって、ゼノキアを暗殺するなんて言われていたが。やっぱり噂だったのか」

「耳が早いな」

「俺はそういう役割だからな」


 ゼゼルは口だけで笑ってみせると、佇んだままの3人に椅子に座るよう促した。


「伝言には待ち合わせの時間と、おたくらの名前と人数くらいしか記載されていなかった。要件はなんだ?」

「その前に一番の顔役のアンタに渡したいものがある。魔法の鞄に、詰めるだけ詰め込んできた」

「渡したいもの?」


 リュウヤはクリューネと視線を合わせると、薄い鞄を下ろし、中か赤色や琥珀色の液体が入った蒸留酒やワイン瓶、数ケース分の煙草の山。明らかに何らかの食材とわかる新聞紙にくるんだものが、次々とテーブルに並べられた。久しく遠ざかっていた香ばしい匂いが室内に満ち、ゼゼルや案内の男の腹が、耐えかねたようにクウッと小さく鳴った。


「これからアンタらに迷惑掛けるからな。少ないが手土産と軍資金だ。金貨10枚、活動の足しにしてくれ」


 リュウヤはそう言って硬いものが詰まった小さな布袋をテーブルの上に置いた。


「わ、わかった……。最近、物が手に入りにくくて困っていたんだ。かなり助かる。ところで、具体的には何をするつもりなんだ?」

「まずは、王宮の見取図と、そこから王宮付近に係留されている魔空艦の配置状況と緊急時のマニュアルが知りたい。できるか?」

「……まあ、なんとかな。他には?」

「王宮周辺にいるシンパを通じて、居住している人間をできる限り退避させる。これを何時間でできる?」

「何時間?」


 予想外の質問に、ゼゼルは声がうわずっていた。


「何時間て、どういうことだ」

「今すぐというのは無理とわかっている。だが、時間がない。奴がここに戻ってくる前に計画を成功させて、ゼノキアから撤収したいんだ」

「奴ていうと……」


 ゼゼルの視線が宙をさ迷っている理由を察し、リュウヤは首を振った。


「魔王ゼノキアじゃない。ルシフィの方だ。あいつがアルゼナから戻ってくる前に済ませたい」

「……」

「ルシフィが今朝、アルゼナに向かったのは知っている。ルシフィが戻ってくるまで、およそ12時間。その間に助けたいんだ」

「助けたい、か。噂で人間の親子がゼノキアに囚われていると聞いたが、その関係か?」

「それは想像にまかせる」


 ゼゼルの心の裏まで見抜く鋭い眼光を正面から受けても、リュウヤはまったく動揺した様子はない。大したものだと、ゼゼルは内心、舌を巻いていた。


「だがな。たった12時間でおたくの要望を叶えるなんて無茶だ。そりゃ、これだけの手土産をくれたんだから、やれるだけはやるつもりだが、もし、断ったらどうするつもりだ?」

「この町が、火の海になることを覚悟しろ」


 リュウヤの隣に座るクリューネが口を挟んだ。


「私らとしては被害を最小限にしたいから、レジスタンスのシンパとして顔が利くお主に頼みにきたのだ。駄目なら、こちらで勝手に見当をつけてやるしかない。かつて、魔王軍がエリンギアやらかしたことを、私らも出来るだけ避けたいから、お主を見込んだんだ」

「エリンギア、か……。お前らここを焦土にするつもりなのか」

「ま、そんなことしたら、レジスタンスやムルドゥバ、レジスタンスのシンパとしてのお主の立場は悪くなるじゃろうな」

「レジスタンスは……、人間の未来はどうでもいいと?」

「今、俺がやるべきことはこれだ。心を縛るものが向こうの手の内にある。この計画の成否に、未来が懸かっているんだ。……俺のな」


 リュウヤが決然とした口調で言うと、今度はリュウヤが刺すような視線で睨みつけてくる。

 怒りや憤りとも違う、狂気にも似たえぐるような視線に、ゼゼルは慄然とし、思わず目を逸らした。ちょうど蒸留酒が目に入り、蓋を開けてそのままらっぱ飲みした。

 魔王軍のベリアという武術師範が、アルゼナで斬られたことは聞いている。

 並大抵の人間では、逆立ちしても敵う相手ではない。

 それを一刀で斬り捨てた。

 ルシフィが今朝アルゼナに向かったのも、その衝撃の大きさからだ。そのベリアを斬り伏せた男が目の前にいる。

 リュウヤらの表現し難い圧力に、ゼゼルは妥協する他無かった。

 待ち望んだ半年ぶりの味のはずだった。熱いアルコールの液体が体内に流し込まれいくというのに、ゼゼルはまったく酔うことができなかった。

 仲間の命運がこの俺に懸かっている。

 酒というものは、こんなに不味いものだったのだろうか。


「……わかったよ。できるだけじゃなく、必死で何とかする。命と未来が懸かってるからな。だけど、少なくとも6時間は待ってくれないか。消灯時間以後では活動がどうしても制限される」

「わかった」


 リュウヤが頷くと、ゼゼルは傍の仲間に耳打ちし、メモを取り出して素早く書くと、そのメモを渡した。仲間は大急ぎで喫茶店を飛び出していく。


「迷惑かけるな。本当にありがとう」

「まったくだ。明日も朝早くから橋の工事だってのに。ゼノキアが政務に戻ってから良いことが何もない」

「そりゃ、人間には良いことないだろうよ」


 リュウヤだけでなく、クリューネやリリシアも思わず失笑すると、文句言っているのは人間だけじゃねえよと蒸留酒の瓶を手にとった。


「大昔、俺が産まれるずっと前、奴がこのゼノキアという町を支配した時には、既に老境に差し掛かっていて、魔力も衰えて身体もかなりガタがきていたという。自然、人の手を借りなきゃいけなくなるから、周りも動く。あいつにはもう少し可愛い気があったんだよ」

「……」

「で、何があったか知らんが、最近、急に若返ったと思ったら、時代錯誤で力任せの強権政治だ。剣と魔法で人間を支配。やってることは、古い魔王と勇者の物語に魔王そのままだな」

「……」

「おかげで、エリンギアの戦は均衡状態。政治経済は閉塞気味。人間だけじゃなく、魔族でも今のやり方に不信や不満を抱いている奴も増えてきている。しょせんゼノキアて奴の器は、蛮族の首領程度の器しかねえんだよ」


 それに考えてもみろよと、ゼゼルはせせら笑った。


「魔王みたいな物語の大抵の黒幕て、いつも薄暗い辺境の国からちょっかい出して来てるよな。そこから出てこないから厄介だが、搾取しか能が無い、根っこが無いのに、欲が出て人間を支配しようするから失敗するんだ。ゼノキアも回帰したいなら、大昔に住んでいたつう、辺境の森に帰れば良いのさ」

 ゼゼルは多弁になってきている。覚悟が決まって、ようやく酔いがまわってきたのだろうかとリュウヤは思った。顔にも少し赤みが差している。

 ゼゼル本人にも自覚があるのか、瓶を手にとったものの、それ以上口にはしなかった。ただ、宝物のように瓶をしっかりと抱き締めている。

 元来が相当な酒好きなのだろうが、それ以上にきちんとした自制心の持ち主なのだろうとリュウヤはゼゼルを評価していた。

 その自制心の持ち主が、少し酔いの混ざった目でリュウヤを見据える。


「魔王ゼノキア様は恐ろしく強い。絶対的な力がある。だけどな……」


 ゼゼルは瓶に目を落とし、言葉を切った。そして、大事に抱えていた瓶をテーブルに戻すと座り直し、腕組みしてから再びリュウヤを凝視した。


「……だけど、何だよ」

「自分を過信して何もわかってない。馬鹿だよ、アイツは」

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