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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第1章「ミルトの日々」
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人間狩り

「……警笛?」


 セリナは編み物を編む手を休めて耳を澄ませた。そして窓の外を眺めたが、木の隙間から澄み渡る青空が広がっているのが見えるだけだった。


「気のせいかな」


 魔物や外部から敵が現れた際、村の門に備えられた櫓で見張っている男たちが警笛を鳴らして村に知らせる。

 昼はゴンとヤンガという七十過ぎた老人が見張っていて、鍬も振れないくらいもうろくした年寄りだが、敵と判別し警笛を鳴らす力くらいは残っている。セリナは空耳かと思い直して、再び編み物に手を動かした。

 編んでいるのは毛糸の靴下である。産まれてくる子どものためのもので片方は済んだ。これが終われば次は手袋。帽子も編む予定である。それを母に伝えると、「これから本格的な夏になるのに、気が早いわね」とからかわれたものだ。

 母はそう言うものの、つわりから気を紛らわせるのにちょうど良かったし、出産予定は真冬の季節で、村は深く雪に閉ざされてしまう。

 冬の辛さを知っているセリナには、予定日近くになればそれどころではないような気がしていた。それについて母は心配しすぎだと諭したが、編み物については娘の意志を尊重したいのか、止めさせるようなことは言わなかった。

 再び何かが耳に届き、その正体が間違いなく警笛の音だとわかって、セリナは立ち上がろうとした。

 しかし、同時起きた爆発音が警笛の音を掻き消し、立っていられないほど建物が激しく揺れた。

 あまりに異常な事態に、揺れが治まったのを見計らってセリナが部屋を出ようとすると、外から荒々しい足音がし、扉が勢いよく開かれた。中に駆け込んできたのは父と母だった。


「……」


 セリナは父の姿に思わず息を呑んだ。

 父の顔は既に煤とほこりだらけとなっていた。兜を被り、手斧を所持していた。衣服には返り血らしきものがこびりついている。

 開け放たれた扉から耳を塞ぎたくなるような汚い怒号や、悲鳴や絶叫が室内に流れ込んでくる。


「お父さん、お母さん。何があったの?」


 父の物々しい雰囲気から、魔物ではなく悪意ある敵であることは、容易に想像がついた。


「魔王軍。魔王軍が攻めてきたんだ……!」

「……」

「奴等、“狩りだ”と笑ってやがった。俺たちを皆殺しにするつもりだ」


 セリナの身体から血の気が引き、倒れそうなほどの目眩を感じた。

 外界との遮断するのと引き換えに、竜魔大戦からも免れ、百年以上もの間平穏に暮らしてきたというのに。魔王軍が勝利するということは、人間の平穏な暮らしが終わるということだったのか。


「セリナ、母さん。こっちに来なさい」


 セリナの父は母とセリナをかばうように、二人を連れて奥へと向かった。一番奥の目立たない位置が倉庫となっている。一見、他の壁と区別がつかない。


「ここに隠れていろ。連中を引き付ける。何とか持ちこたえて見せるから、お前たちはタイミングを見て逃げろ」

「あなた……」


 セリナの母が何か言おうとすると、父は無言で自分の妻を強く抱き締めた。


「セリナを頼むな」

「はい……」

「セリナ、リュウヤは森だ。ここからは相当の距離がある。それにあいつがどんなに強くても相手は魔王軍だ。万が一を考えて、お前も覚悟しておけ」

「……うん」

「頼りない父さんで済まんな」


 そんなことないとセリナは言おうとしたが、胸が詰まり言葉にならなかった。ただ、激しく首を振るしかできない。

 そんなセリナを優しく見つめていたが、一階のロビーから激しく物の割れる音がすると、セリナの父は身体を離すと、あとは振り向きもせず扉を閉めた。

 周りの音が急に遠のき、深閑とした間が倉庫内に続いていた。


 ――リュウヤさん、父さん。


 無事であって欲しい。

 セリナがそう考えた刹那、胃の底にまで響くような絶叫が扉の向こうから聞こえてきた。

 その声にセリナの母が顔を歪ませて立ち上がった。。


「あなた……!」


 普段は落ち着いたセリナの母も、父と思われる者の絶叫に気が動転してしまっていた。顔面を蒼白とさせ、倉庫から飛び出していく。


「お母さん待って!駄目だよ!」


 だが、身重の身体と恐怖が足をすくませた。このまま母を放っておけない。だか、身体が鉄のように固まって動けなかった。


「お母さん、ごめんなさい。ごめんなさい……!」


 見捨ててしまった母への謝罪を何度も繰り返しながら、セリナは倉庫の隅で身を竦めていた。

 それから、どれほどの時間が経ったのか。

 爆発が宿を度々激震させていたが、焼け焦げた臭いと濃い煙が倉庫内に浸入してきた。宿の家屋にも火の手が燃え移ったらしい。

 それでもセリナは堪えていたが、息が苦しくなり限界を感じて、やむなく倉庫の外へ出た。

 廊下に出ると、辺り一面を激しい炎が包んでいた。煙を出来るだけ吸わないようにと、ポケットを探ると何か柔らかなものに触れた。

 取り出してみると、それは子どものために編んでいた毛糸の靴下だった。


「……」


 悔しさと情けなさで思わず涙が溢れ、セリナは泣きながら歩いた。

 割れた廊下の窓から、魔王軍のものらしき高笑いと喚声が聞こえてくる。方向は村の中心にある広場からでそこに集まっているようだった。広場からだと宿の出入り口は死角となっている。

 チャンスは今しかないと思い、セリナは急ぎ足でロビーに向かった。

 しかし、ロビーまでたどり着いた時、隅で何かがうずくまっているのに気がついて足をとめた。

 炎に照らされたそれは岩のような塊にも見え、ペチャペチャと耳障りな音を鳴らしていた。

 その傍に兜と斧が無造作に転がっていた。

 目を凝らすと、兜や斧の周りに、正体不明の細かい肉片が床に散らばっている。


「……お父さん」

『ウン?』


 思わず漏らした声に気がつき、岩だと思ったものが蠢いた。


『マダ、ニンゲン、イタンダア』


 岩のようなもの――ガマザはセリナの姿を認めると、邪悪な笑みのまま、のそりと立ち上がった。口の周りは血だらけで、吐き気を催すような、悪臭を口から漂わせていた。そのガマザの巨木のような手から何か垂れ下がっていた。

 人間の半身。

 見覚えのあるクリーム色のスカート。ぐったりと力無くのびた二本の足。

 ガマザが巨体を揺らす度に、母だった半身から垂れ下がった長いものがピタピタと踊る。


「お母さんも……、食べたの……?」

『エサ、マタキタ。オレ、ウ、ウレシ。コ、コマル。コマルケド、ウ、ウレシ』


 残った母の半身を洞穴のような大口に放り込み、バリバリと音を立てながらガマザが近づいてくる。


「……」


 恐怖と絶望がセリナの身体を縛り、頭の中が痺れて、もはや考えることも身動きすることもできなくなっていた。

 セリナはただ目を見開き、身体を震わせて立ちすくんでいる。


『キ、キョウハ、ゴチソウダア』


 ガマザの巨大な影が絶望となって、セリナの身体を覆った。

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