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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第7章「超血戦」
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仇敵

 アイーシャはセリナの腕から静かに離れると、ふわりと宙に浮いていった。その小さな身体から発せられた青白い光の風。

 風は光塵を残し、リュウヤたちを、セリナや子どもたちを、荒れ果てた大地を優しく覆っていく。


 風が過ぎた後に残る光の残滓は、傷痕を覆い癒していく一種の傷薬のようにも見えた。現に抉られ、焼け焦げた地面からは、みずみずしい小さな草花が生え始め、以前のような寂しくも、どこか神秘性を感じさせる草原の姿を取り戻していく。

 クリューネは急激な変化を見せる異様な光景に目を疑っていたが、ふと自身の変化にも気がつき、探るように自分の身体を確かめた。


「……怪我が治ってる?」

 衣服の汚れは変わらないものの、サナダとの戦いで受けた傷や疲労といったものが消えている。身体が軽く、柔らかな羽毛ベッドで目覚めた時のような爽快さに似ていると思った。

 セリナや子どもたちも同様で、リリシアの腕が斬り落とされた光景のショックや度重なる戦闘の恐怖が和らいでいる。だが、子どもたちはそんなことに気がつかないほど、目の前で起きている現象に驚愕し、呆然とアイーシャを見つめていた。


「アイーシャ。リュウヤさんを、あの剣士さんがおとうさんて、わかるの?」

「わかんない。わかんないよ……」


 宙に浮く我が子を見上げながら、セリナが尋ねると、アイーシャは頭を振りながら喚いた。アイーシャ自身も何故、おとうさんと呼んだのかわからないでいた。


「でも、おとうさんもお姉ちゃんも、こんなの絶対に駄目だよ!」


 青白い光は強さを増していく。リュウヤの受けた外傷はみるみる癒えて、不思議な安らぎさえ感じていた。しかし、リリシアは光の繭のなかで苦しそうに表情が歪ませ、身をよじらせている。


「どうした、リリシア!」

 リュウヤは苦悶するリリシアに手を伸ばしたが、光の壁のようなものに阻まれて、触れることもできない。


「アイーシャ。リリシアをどうするつもりだ!」

 

 しかし、リュウヤの声はアイーシャまで届かず、はただ泣きじゃくりながら、うさぎさんと呟いた。


「……うさぎさんも、お姉ちゃんを苦しませるのは、もうやめてよ……」


 アイーシャの光が更に輝きを増した。それに反応するかのように、リリシアの肩にのるミラの瞳から、紅い光が放たれるのをリュウヤは見た。


“こ、こノ強い光……!わ、ワわ、わたシ、ケ、消されチャう……?”


 アイーシャがもたらした安らぎの青白い光は、ミラにとって恐怖の対象でしかなかった。光がミラの意識を奪い、消されていく感覚がミラを襲っている。


 浄化の光。

 表現するとすれば、ほとんどの人間がそう口にするだろうが、ミラにしてみればそんな穏やかなものではなく、抹殺、消滅と表現した方が適切であった。

 リリシアが苦しんでいるのは、恐怖に襲われるミラの意識が逆流して、リリシアの脳に伝わっているからだった。


“イヤ、いや、イヤよ。ウマれたバかりで、消サれるなんテ!”


 ミラは魔法によってつくられた魔法生物ではあったが、サナダが人形の頭部仕込んだ脳波制御装置ブレイン・コントロール・システムによって、吸い上げられたリリシアの負の感情を、意図的に歪める作業繰り返すうちに、人を操る快感や楽しみを知り、もっと刺激を味わいたいという欲が生まれていた。そして、欲は魔法生物が持たないはずの生への執着や、歪んで醜いながらも、一個の人格を形成しつつあった。


“リリシア、あンたがナんトカしなさいヨ!”


 焦るミラは、闇の底に沈むリリシアの意識に、金切り声で怒鳴り散らした。リリシアは闇と化した意識のなかで、身をすくめたまま、じっとしている。


「……小さな女の子が、泣きながら私を呼んでいるの。そんなことをしちゃ駄目て」


 現実世界では、独り言を呟くリリシアの瞳が、元の黒色に戻っていく。

 戦闘衣裳や髪の色はまだ“魔法少女”の状態だが、リリシアはミラの催眠状態から抜け出しつつある。


“あンなクソガキの戯言、ドウだっテいイでしョ!”

「でも、私のために泣いてくれているんだよ」

“馬鹿バか馬鹿!ソれで、わたシがキエてもイイってノ?”

「そんなこと……」

“アなタが破壊を望んだから、アナタにそれダけの力ヲ貸しテあげタのに。リュウヤとかイう男ニ、捨てラれたとコを助けテやっタのは、誰ヨ”

「あなたは、私の話を聞いてくれた。それは感謝している。私はリュウヤ様を愛している。でも、あの人の想いをわかった上で、私はあの人を愛した。私はそれを忘れたふりをして、自分の想いを、あの人に押しつけてしまった。……私が間違っていたのよ」


 リリシアが闇の中に瞬くテトの瞳に向かって言うと、現世でのリリシアの髪の色が黒髪に戻り、銀色の衣服が消えてリリシアの裸身が現れた。


「リリシア……!」


 リュウヤは戻ってきたリリシアの姿に、思わず声が震えた。


「リリシア!」


 戻ってくる。

 リュウヤはそう確信して、あらん限りの声でリリシアの名を呼び続けた。


「……あの子の他にも、誰かが私を呼んでいる」


 まだ闇に包まれている意識の中で、小さな光がポッと射し込んできた。その光の向こう側から届く、二色の声がリリシアの心を激しく揺さぶった。


 ――リリシア!

 ――お姉ちゃん!


 光の奥から、小さくも温かで優しい感触が、リリシアに伝わってくる。それは誰かの手のひらのようにも思えた。リリシアは手をのばし、その小さな何かに触れようとしていた。


“あナた待ちナさいヨ。現実ナんて辛いコとバッかりよ。私ト一緒にイれバ、何も考エないでスムのよ”


 リリシアが手を伸ばしかけたのを見て、ミラは魔法生物としての自分の役割をようやく思い出し、リリシアの機嫌をとるように声を和らげた。

 ミラ単体では、この光から逃れるだけの力は無い。

 少なくとも、この光の繭のようなものから脱出するまでは、リリシアを必要としていた。


“ネエ、リリシアさン。私ガ、幸セにサセテあげまスよ。男モ世界もわすれちゃってサ”


 最早、なりふり構っていられないミラは、おもねった口ぶりでリリシアに“さん”づけまでした。


「……うん。そうかもしれない。いや、きっとそうね。でも……」

“デも、なにヨ?”

「辛いことばかりだったけど、リュウヤ様と二人きりで過ごした日々は、確かに幸せだった。私は現実と向き合わないと」


 そう言って、リリシアは光に向かって手をのばした。リリシアが光に触れると、光は急激に拡がりをみせ、暗闇をあっという間にかき消していった。


“馬鹿あホ!リリシアの卑怯もノ!裏切者……!”


 煌々と照らす光は、ミラの紅い瞳も罵声も、瞬く間に光のなかへ埋もれさせていった。

 そして光がおさまり、リリシアが意識を取り戻した時、目の前には心配そうに見つめるリュウヤがいた。

「リリシア、リリシア!」


 リュウヤはリリシアの名を呼び、何か言おうとしきりに口を動かしている。何を言っているのかわからないが、その顔が変におかしくて噴き出してしまうと、それを見たリュウヤもつられて笑おうとしたのだが、笑顔になりきれず泣きべそをかいたように顔がくしゃくしゃとなった。

 相変わらず、変に脆いところを見せると懐かしささえ感じていた。


“ク、くそオぉぉ!リリシアあァぁ……!”


 リリシアの耳に、喘鳴のようなミラのか細い声が聞こえた。見上げた先に、ミラのぬいぐるみの身体が光の風に呑まれ、空へ巻き上げられていく姿がある。


「あのうさぎの人形はなんだったんじゃ」


 悶え苦しむように紅の瞳を輝かせるミラの異様さは、離れているクリューネたちのところからもわかり、クリューネが誰ともなしに呟くと、「悪い子」とアイーシャが強い口調で言った。


「あの子、お姉ちゃんの悲しい気持ち使って、悪口言って、おとうさんとケンカをさせた」

「ケンカをさせた?あの人形がか」

「うん。あの子の悪口は色んな人を泣かせちゃう。早く元のお人形さんに戻してあげないと……!」


 アイーシャを覆う光が更に強さを増して、激しい輝きを見せる。その輝き方は癒しの力を持った光とも思えず、まるで燃え盛る炎のように激しかった。


『……そこまでにしろ』


 突如、天空から重厚な声が響いたかと思うと、空を黒雲が覆い、一本の巨大な雷撃が大地に轟き落ちた。 強烈なエネルギー波の衝撃により、アイーシャの光の風が消し去られると、リュウヤとリリシアを囲んでいた光の繭も、霧のように散って消えていった。


「大丈夫か、リリシア」


 地面に崩れ落ちそうになった裸身のリリシアを支えると、リリシアははい、と掠れた声で答えた。


「私はちょっと目眩がしただけ。それよりも、あの子を……」

「……ああ」


 あの子とはアイーシャのことだと直感しながら、リュウヤは頷いてアイーシャを見た。アイーシャは呆然とした表情で、淡い光をまといながら、ゆっくりと地面に降りてきたが、ふっと光が消えると同時に地面に倒れ込んだ。


「アイーシャ!」


 駆け寄ろうとするリュウヤの前を、雷撃がゴウッと轟き、リュウヤの行く手を阻んだ。


“やア、助カッた。あの方ノお陰デ助かっタわ”


 リリシアはミラの声を耳にし、その声を追った。

 慌ただしく周囲を見渡すと、小さな光球が宙をさ迷い、その中にうさぎのぬいぐるみの姿があった。それがフラフラと空に昇って行く。リリシアはその先にある気配に、息を呑んだ。


「……誰かいる」


“案ずるな”と天空から再び声が響いた。


『その子は力を使い過ぎて、疲れて眠っただけだ。雷撃は集中を乱してやったまで』


 アイーシャを抱き上げたセリナが呼吸を確認すると、確かにアイーシャは穏やかな寝息を立てている。一瞬、ほっとはしたものの、明らかな挑発行為をしてきた男を思い出すと、身を固くして、声がした空を見上げた。


 遥か上空の黒い雲を背に、人影が映っている。

“魔法少女”であったリリシアのように、かつて戦ったルシフィのように、銀色の翼を広げ、空に佇んでいる。クリューネが竜眼を使って、正体を見定めようとした時、不意に姿が消えた。


『久しぶり、とでも言っておこうか。リュウヤ・ラング』

 

 男の肉声が背後からし、その後ドサリという重い音がした。クリューネたちがぎょっとして振り返ると、うさぎのぬいぐるみを肩にのせ、銀色の長髪に上半身裸の男が立っている。足元にはナギが力なく倒れていた。


 男の姿をはっきりと目にすると、リュウヤの鼓動が急に騒がしくなった。身体中の血がたぎり、自分でもどこにあるのかわからない、心の底から煮えたぎる熱い感情が噴き上がってくる。

 貴様、と呻いた声はくぐもって、リュウヤ自身にも自分の声とも思えなかった。


『もっとも、久しぶりと言えるのは、ヴァルタスの方か』


 瞬間、炎のような闘気がリュウヤの身体を包んだ。身体中から、抑えきれないほどの力が溢れてくる。


「あれ、リュウヤさん……?」


 セリナは変わり果てたリュウヤに目を疑っていた。歯を剥き出しにして唸る姿は、獲物を前にした獰猛な獣としか思えない。


「……ルシフィの時と同じだ」


 クリューネはぼそりと呟いた。リリシアも同じ思いでリュウヤを見ていた。

 そのリュウヤがニヤリと口を歪め、笑みを大きくした。その狂暴で邪悪な笑みに、誰もが戦慄を覚えた。

 銀色の長髪の男だけが、悠然と佇んでいる。


 ついに出会えた。

 この男に漸く出会えた。

 我が仇。積年の恨みを晴らす時。

 ついに出会えた。


“……覚悟しろ。魔王ゼノキア”


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