そんなもんか、木偶の坊
爆発音に続いて衝撃の波が押し寄せると、バハムートの巨躯も、その圧力によってバランスを崩してしまい、進行をやめてその場に止まらなければならなくなった。
「聖霊の神殿が……!」
『ナギの聖鎧神塞の結界が破られたのか?』
噴煙をあげる聖霊の神殿と、真っ黒にくすんで崩れ落ちていく鋼鉄の巨人の姿に、リュウヤもバハムートも、ただ茫然と見守るだけだった。
絶対的な強固さを誇る結界を、目の当たりにしていたバハムートは、ファフニールの力に息を呑んでいた。
「セリナ、アイーシャ……」
無意識に発した自身の言葉がリュウヤを我に返らせ、次にわき起こる焦燥感が胸の鼓動をはやめていった。感情を抑えるために前方を凝視しながら、大きく何度も何度も深呼吸を繰り返さなければならなかった。
カチリと小さな音が、バハムートの耳にまで届き、振り向くとリュウヤが思い詰めた様子で腰にさげられたルナシウスの鯉口をゆるめている。音は剣の金属音のようだった。
「クリューネ、じゃなくてバハムート。2つ頼みがある」
『なんだ?』
「……ひとつはヒュドラをお前に任せていいか」
『構わないが、ルシフィの時みたく飛べるのか。よく思い出せないんじゃなかったか』
「ああ。だから、それがもうひとつの頼みだ」
『何をするつもりだ。リュウヤ』
バハムートの質問にリュウヤは無言のまま身体を起こすと、痛々しくうずくまり大地の中へ沈没していくグラディウスを見据えた。
※ ※ ※
突然の衝撃に目の前が真っ暗となり、どれほどの間か、暗闇の中をさ迷っているような感覚があった。しかし、焼けるような痛みがグランの身体を襲って、それがグランの意識を現実に引き戻していった。
目覚めると隣にはアイーシャや他の子どもが抱き抱えられいることに気がつき、見上げてグランは目を見張った。セリナがグランら四人の子どもたちを覆い被さる格好で、額から血を流したまま呻いていたからだ。
「……みんな、大丈夫?アイーシャは?」
弱々しい言葉だったが、それでもセリナは微笑んだ。セリナの微笑に、グランは自分が恐ろしい間違いをしたことを悟り、後悔の念に苛まれた。
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
「グラン、謝るのは後でいいから、アイーシャたちを連れて皆のところへ……」
「セリナは、セリナはどうするんだよ!」
「私は大丈夫だから……。後で、戻る……、から」
「お母さん……。お母さん……!」
「いい娘ね、アイーシャ。お母さん、ちょっと遅れるから、グランと先に行っていて……」
「やだよ。やだよ、お母さん!」
「いい娘だから……。ね?」
息も絶え絶えに、それでもセリナは微笑を浮かべて、すがりつくアイーシャの頬を撫でていた。
「そうだ。ナギ様、ナギ様は」
ナギ様。
あの人はきっと守ってくれる。
グランは身体を起こすと、見慣れた聖霊の神殿の門や外壁が崩れ、白い噴煙が周囲に立ち込めている。
門の付近ではナギが立っている。
だが、グランはそのナギの姿に目を疑った。
ナギの法衣はボロボロとなり、申しわけ程度に身にまとっているにすぎない。 髪は熱風で縮れて乱れ、火傷と擦り傷だらけとなった白い腕や足を露出させ、半裸状態となっていた。
門に手をついてもたれ、ナギは肩で大きく息しながら、ファフニールと正対していた。
「ナギ様……」
「早く……早く部屋に戻りなさい!いざとなったら、あの部屋の結界が働いてあなたたちを守るから!」
「いざとなったらって……」
「いいから!」
私が死んだ時。
ナギの死と連動して、魔族の支配が及ばない、遥か辺境の地へ転移する。その土地は豊かで、気候も穏やかな、地図にも載らない小さな島である。
しかしナギはさすがに告げることが出来なかった。そんなことを伝えたら、責任を感じているグランの心を更に傷つけ、立ち直れなくなってしまうかもしれない。
「早く行きなさい。ここは私が何とかするから、セリナさんを連れていきなさい……!」
「う、うん……」
ナギの声は、悲痛な叫びにも聞こえた。
気迫に圧倒され、グランが後退りをする気配を感じながら、ナギはファフニールをにらみつけた。
見下ろしていたはずのファフニールを、今はナギが見上げている。
力を失ったグラディウスの身体が崩れ落ち、元の大地へと戻っていったからだった。
『無様だな。ナギよ。だが、貴様のおかげで俺は今、最高の気分だ』
イズルードの高揚感は、最高潮に達していた。
古から魔王軍でも噂でしか存在を知らず、竜族や魔王ゼノキアでさえも手を出さず恐れられていた聖霊たちの集結体である聖鎧神塞を自分一人だけで倒したのだ。
俺は無敵だ。
魔王ゼノキアを越えた。 俺は新時代の王になれる。
喜悦に満ちた哄笑を、イズルードはよろめき立つナギに浴びせかけた。
ナギは言葉も無く、悔し涙を流して歯ぎしりしながらファフニールを見上げるだけだった。
『さあて、タナトスの手伝い戻って、後方の奴らを悔しがらせてやらんとな。その前に……』
ナギの後ろにいるセリナ担ぎあげようとする、子どもたちに砲口を向けた。
「何を……?」
『わかっているだろう。魔王軍に反逆する者に、絶望を与える』
右腕の砲口にピンク色のエネルギーの塊が徐々に膨張していくのを見て、悪寒とともに、ナギの全身から血の気が引いた。
全身が震え、呼吸が酷く乱れ始める。
「やめなさい!やめて……。やめて……!やめて下さい」
『良い表情だ。哀願。懇願。嘆願。俺は敗者のそんな顔を見て、さらに絶望する顔が楽しみでな』
「そんなこと……、させない。絶対に、絶対に許さないから……!」
『聖霊の力を失った、今の貴様に何ができる。蒸し焼きにされる様を黙って見ていろ』
「くそっ……!」
ナギは呻くと、両手をファフニールに向けてかざした。
残る聖霊の力を使って、風の魔法による反撃を試みたのだが、煙が漂うばかりで何も変化は起こらない。
「……何故?まだ聖霊は幾つかは、この地に残っているはずなのに」
『不利と覚った聖霊に見捨てられたのだ、貴様たちは。貴様らは所詮は人間。貴様らと聖霊との関係なぞ、桟橋の金具程度の役割しかないはずなのに、大神官とおだてられ思い上がったかな』
「そんな……」
もはや他の手段も思い浮かばず、希望もなく呆然とするナギに、ファフニールの砲口に集められた光の塊が、激しい光を放ってふくれあがるのが映った。
高熱のエネルギー波が放たれようとした時、ファフニールの操縦席に、索敵センサーによる警報のアラームが鳴り響く。
センサーははるか上空を指して、敵が迫る箇所をモニターに赤い四角を表示していた。
敵影は小さい。
モニターから判断するに、人間程度の大きさ。
『もしや……、いや、まさか』
しかし、急速に迫る何かはイズルードに確認する間も与えなかった。
それは瞬く間に聖霊の神殿とファフニールとの間に落下し、轟音とともに土煙を吹き上げていた。
『……そっちは頼むぞ。リュウヤ』
ファフニールのセンサーが感知した遥か上空の果てに、バハムートが片手だけを下げた姿で空に佇立している。
バハムートへのもうひとつの頼みごと。
それはバハムートの強大な力で、身体ごと地上に向けて投げつけることだった。
地上では、立ち込めた濃い煙が流れていき、煙の下から煌めく刀剣を手にした男の姿が現れていた。
その姿を見て、ナギの抑えていた感情が崩壊したかように、両目から思わず大粒の涙を流していた。
「……リュウヤさん」
「久しぶり、ナギ様。それに……」
リュウヤはナギの奥にいる、若い女と子どもたちに目を向けた。
――セリナとアイーシャ。
若い女は間違いなくセリナで、傍らにいる小さな女の子はアイーシャだとリュウヤは確信していた。抱き締めたい衝動に駆られたが、それよりも前にすべきことがある。
『貴様が紅竜ヴァルタス……、いや、リュウヤ・ラングか!』
ナギの言葉に反応したかのように、イズルードが叫んだ。
『ちょうどいい。グラディウスを始末した、この双竜尾砲のエネルギー波で消え失せろ!』
ファフニールの四つの砲口に滞留したピンク色の光は、渦を帯びてリュウヤの身体に射出された。
光の奔流がリュウヤと背後の聖霊の神殿ごと呑み込もうとした時、リュウヤがおもむろにかざした手の前に、身体の何十倍もの大きさとなったイバラ紋様の魔法陣が浮かび上がった。
エネルギー波は魔法陣にに激突すると、四方に光の塵を拡散させて、宙を霧のように漂っていたが、やがて消えていった。
『消えた……、だと?』
膨大なエネルギー波を正面から受け止めたはずなのに、顔色も変えないリュウヤにイズルードは愕然としていた。
「今度はこちらの番だ」
『竜の身体ならともかく、人間のままで通用するか!』
嘲笑するイズルードを無視するように、リュウヤは剣を構えながら駆けた。
無謀にも、イズルードの正面から駆けた。
――エネルギー波を跳ね返したからと、いい気になるなよ。ガキが!
竜の外殻、膨大な魔力を生み出し稼働する、巨大な機械の身体。そしてそれを動かすのは、魔王軍にえらばれし軍団長。
目の前に向かってくるものがヴァルタスであれ、人間の身体のままでまともに戦えるわけがない。
『行け!双竜尾砲!』
主に命じられた二つの尻尾が、閃光を放ちながらリュウヤに迫る。だが、リュウヤは巧みにかわし、かわしながらファフニールに接近していた。
『ちょこまかと!』
イズルードは苛立ちを隠しきれず、ファフニールの右腕の拳を振り上げてリュウヤを殴りつけようとした。
しかし、そこにはリュウヤの姿は無く、ファフニールの脇にいつの間にか転身し、剣を八双に振りかざしている。
――その距離で何ができる!
笑みを浮かべるイズルードに、リュウヤはルナシウスの刃を振るった。
すると、ルナシウスの剣先から凄まじい衝撃波が起こり、ファフニールに襲いかかった。衝撃波をまともに喰らったファフニールは薙ぎ倒されて、地面に思いっきり叩きつけられた。
その衝撃の威力はグラディウスの鉄の拳よりも凄まじく、イズルードは一瞬、意識を失いかけていた。
『馬鹿な。なんだ、何が起きたんだ……!』
事態が呑み込めずに、イズルードはモニターに佇む剣士を凝視していた。
「……そんなもんかよ、木偶の坊」
ルナシウスの剣先をファフニールに示し、リュウヤが言った。
「仲間の死骸を操り、弱い奴らをいたぶって、いい気になってるクソヤロー。木偶の坊かどうか、本物てのはどんなものか思い知らせてやるよ」




