超血戦
リュウヤが見つめる船首の先に海が広がり、その奥に聖霊の神殿の影がほのかに映る。時間にすればあと三時間程度で聖霊の神殿に到着する。
「あそこに、セリナとアイーシャがいるのか」
何故、あの絶望的な状況で生きていていたのか全くわからなかったが、まずは本当にセリナ本人なのか、確かめるのが先だった。
――それなのに……。
リュウヤは空を仰いだ。
冬の柔らかな太陽の日差しが、やけに眩しく感じられた。
「リュウヤ様」
振り向くと、リリシアが怯えたように気弱な笑みを浮かべて立っている。
また泣いていたのか、顔が涙のあとで汚れていた。
「どうした、リリシア」
「私……、リュウヤ様に色々言い過ぎたなって思って……」
「……気にするなよ」
「自分の奥さんや、娘さんのことを考えるのは当然ですもんね。私、わかります。私だってリュウヤ様が大切ですから」
「……そうか」
「あの、あの、私……」
リリシアが虚ろな瞳のまま、半笑いの表情のままリュウヤの傍ににじり寄ってきた。自分のお腹をいとおしそうに撫でまわしている。行動の意味がわからず、リュウヤはじっとリリシアのお腹に目を落としていた。
「できちゃったみたいです」
「え?」
「私、リュウヤ様の子を身籠ったみたいなんですよ。あんなに愛してくれたから、リュウヤ様の赤ちゃんが、私の身体にも……」
「……」
リュウヤは茫然とした。
茫然としたというのは、身籠ったという話より、そんな姑息な手段を使って迫ってくるリリシアに対してであった。仮にも身重の妻を間近で見ている。嘘というのはすぐにわかるというのに、わからないと思っているリリシアに、ぞっと背中に寒気がはしった。
「ね、これで私も捨てられないですよね。そうですよね?」
虚無の微笑を湛えるリリシアに、リュウヤは言葉を失っていた。嘘だとわかりきっていたが、そんな嘘でも使って自分と一緒にいたいというリリシアに、リュウヤは疑問に思わざるをえなかった。
「なあ、リリシア」
「なんですか」
「なんで俺なんかに、そこまで必死になるんだよ。俺、剣と魔法くらいしか能が無い、単なる剣術使いでしかないのに」
「単なるじゃないです。リュウヤ様は私のナイト様なんです」
「それ、絵本の話だろ」
思わず苦笑するリュウヤに、リリシアは絵本じゃないですと、押し殺した声でリュウヤを凝視した。
「私、これまでに何度か死を覚悟しました。その度にリュウヤ様に助けられたんですよ。でも、リュウヤ様は恩に着せないし、威張らないし、優しくてあったかくて、絵本のナイト様そのままだって思ってます」
「……」
「こんなクソみたいな世界で、安心できた場所なんてリュウヤ様の傍だけなんです。それなのに、捨てられたら、私はどこへ行けばいいんですか?」
リリシアは小刻みに震えだし、目からは涙が溢れ始めていた。
リュウヤはリリシアを、もっと強い女だと思っていた。物静かで凛々しい頼れる仲間だと思っていたが、心の平穏を失ってしまったことで、今は怯える小動物のように頼りない。
――俺がそうさせてしまったのか。
慚愧、後悔、憐れみといった感情が一緒くたにかき混ぜられ、それはリュウヤの心を激しく揺らしてきた。
湧き起こった感情が衝動をつくりだし、感情そのままに、リリシアの身体を抱き寄せていた。
小柄で華奢な肢体の感触が、リュウヤの腕や身体に伝わってくる。こんな小さな女の子が戦っていたんだよなと改めて思うと、一旦は薄らぎかけた愛情が別の感情によって補完されつつあった。
贖罪と庇護。
それは果たして、愛と呼べるものなのかどうか。
リュウヤにはわからなかっただろうし、その正体を考えてもいなかった。
「ごめんな。俺のせいで」
リュウヤがリリシアの耳元でささやくと、リリシアが顔をあげて、リュウヤを見つめた。瞳と瞳が重なり、リリシアはリュウヤの次の言葉を待っていた。
だが、そんな二人の間に生じた深閑とした空気を、突如、猛風と轟音が粉々に打ち砕いていった。船体が大きく揺らぎ、縁にしがみついていなければ、リュウヤとリリシアはもう少しで海に放り出されるところだった。
二つの巨大な影が、リュウヤたちを通過していく。
見上げれば、赤と青に色分けされて広い翼を持つ物体が、聖霊の神殿へと向かって行くのが見えた。
「竜……。いや、戦闘機か?」
「なんじゃ、今飛んでったのは!」
客室から飛び出してきたクリューネが、リュウヤたちのところへ慌ただしく駆け寄ってくる。魔物の襲来かと思ったらしく、既に魔法のローブなどもまとって戦闘態勢をつくっている。
戦闘機がとリュウヤが言い掛けたが、その用語では通じにくいと思い直して、新型の魔空艦らしいと言った。
「だけど、どこかで見覚えのあるシルエットだったの。竜みたいな」
「竜……」
リュウヤは竜という言葉に反応して、ヴァルタスの記憶を探っていた。かつての竜族の仲間を探るうちに、思い当たるものが浮かび、悲痛な声でファフニールとヒュドラだと、リュウヤが言った。
「あいつら、魔王軍の残党狩りにあって死んだはずだが」
「機械の身体に改造されたということか。やっぱりあやつらは……」
「魔王軍だな」
リュウヤたちが睨む先で、新型の魔空艦――機神は旋回すると、機体がくの字に曲がり、それは人型の巨人へと変形していった。
リュウヤたちを向きながら、機神はゆっくりと地上に降りてくる。
様子を窺ううちに、機神たちから突如、光球が生じるのを見た。
「まさか、いきなりか……!」
膨大な熱量を持った二本の光の柱が、海面を蒸発させながらリュウヤたちに向かってくる。
熱波が船ごと呑み込もうとした瞬間、イバラ紋様の巨大な魔法陣が船首の前に浮かび上がり、魔法陣に衝突すると、光の粒子が四方に拡散し、蒸発した影響で、濃い蒸気が甲板上に立ち込めた。
蒸気の中から金色の光が瞬き、ぬらりと巨大な生き物の影が浮かぶ。
“行くぞ、リュウヤ!剣をまた忘れてまいな!”
「おうよ、ちゃんと腰にあらあ!」
野太い声とともに咆哮が響くと、蒸気を掻き分けるようにしてバハムートが飛翔した。バハムートの背にはリュウヤの姿がある。
「リュウヤ様!」
「リリシアは船にいろ!船長に引き返すように言え!」
リュウヤの怒鳴り声でリリシアに指示したのを最後に、バハムートとともにその姿は小さくなっていった。
――もう、リリシアには戦わせない。
リュウヤはバハムートのたてがみを掴む手に力を込め、佇立する二体の巨人を見据えた。
※ ※ ※
『前方の船からバハムートの出現を確認!こっちに向かって来るぞ!』
タナトスからの連絡に、イズルードは予想通りとほくそ笑んだ。
操縦席は“脳波制御装置”に切り替わり、円球状の空間となり、イズルードの四肢はそれぞれピンク色の光の帯で繋がれている。足元にはイズルードの魔法陣が浮かんでいた。
周りのモニターにはタナトスの操るヒュドラや、聖霊の神殿、青い空と海や広がる草原が映っている。
草の匂いや風を感じはしないが、それはまるで外にいるようだった。
『“魔法と科学の融合”と、サナダはわけのわからんことを言っていたが……』
これは面白いおもちゃだと、自分の手とファフニールが同じ動きをするのを確認すると、歯を剥いて笑った。
魔族でも選ばれし者だけが可能な、魔人化をはるかに凌駕する力。
『アズライルなど目ではない。これからの時代は、俺たちがつくる。この力があれば、バハムートどころか、魔王ゼノキア様さえも……』
呟くイズルードの足元から、索敵センサーと“脳波制御装置”によって、人の気配が伝わってきた。
見ると、白い法衣を身にまとった女が聖霊の神殿の前に血相を変えて立ち、イズルードたちを見上げている。ナギというここの神官だろうと推測した。
『おい、人間!ここは間もなく戦場となる。早く退避しなければ焼け死ぬぞ!』
「立ち去るのはあなた方です!」
『なんだと……?』
「ここは聖霊たちが休まれる場所。なのに、どうしてあなた方は!」
青白い閃光がナギを照らし、轟音がナギの声を消し去った。赤い巨人が放った閃光の先には、上空に羽ばたく白い竜の姿があった。
『イズルード、援護しろ!』
「いい加減にしなさい!早くこの地から去りなさい!」
やかましい女だ、とイズルードは舌打ちし、腕に備えられた砲口をナギに向けた。だが、ナギは怯みもせず、じっとイズルードを凝視している。
「去りなさい!さもなくば……」
『……貴様がこの世から去れ』
言い終わると、ファフニールの砲口に光のエネルギーが滞留し、人の肉体を瞬時に焼き尽くすエネルギー波がナギに襲いかかった。
だが、そのエネルギー波がナギの身体に届く前に粉砕し、地中から伸びた巨大な鉄の拳が、イズルードのファフニールを殴り倒した。
衝撃吸収装置でも防ぎきれない強大な衝撃に襲われ、ファフニールの機体は数キロは転がされていった。
『な、なんだあ……!』
「愚者は同じ罪を何度も繰り返す。聖霊の力を畏れ、屈しなさい!」
ナギの足元に描かれた魔法陣の光は強さを増し、地鳴りとともに鉄の巨人――聖鎧神塞が姿を現した。




