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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第6章「姫王子ルシフィ」
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黙っていれば

 クリューネは魔導書を手にしながら、リュウヤの枕元で椅子に座りこみ、自分の身体の半分近くはありそうな巨大な書物を広げていた。

 部屋の外の広い軒下では、リリシアが火を焚いて鍋を煮込んでいる。薬湯やくとうだという茶色く濁った液体は、鍋から滲みるような臭いを漂わせていた。

 外では雨が降っている。

 大地の熱気に誘われたのか、山の隙間から雨雲が入り込み、雨がアギーレだった地を濡らしていた。

 雨といっても霧のような小雨だが、凍えるような冷たい雨で、テントが吹き飛ばされてしまった今となっては、こんな廃屋はいおくでもありがたい。

 リュウヤの光弾によって、アギーレの半分が焼失し、クリューネが育った家も半壊状態だった。

 ただ、寝室の部分は形らしきものはかろうじて残っていたので、リュウヤはかつてクリューネが眠っていたベッドのなかで寝息を立てている。

 何年も使っていないベッドでほこりだらけではあったが、テントも中に置いていた魔法の鞄も吹き飛んでしまった今、無いよりはマシだった。

 リュウヤの怪我も、回復魔法で表面上は完治したものの、満身創痍でおびただしい出血やこれまでの疲労などもあって、安静が必要な状態が必要となっている。


「……」


 森閑しんかんとした空気に耐えかねたように、魔導書を眺めているクリューネのまぶたは垂れ、頭が不安定に揺れる。

 一度は椅子から転がり落ちそうになり、慌てて体勢を立て直した。


「いかんいかん。また眠るとこだった」


 クリューネはピシャリと自分の頬を叩いて魔導書に目を向けるも、またもや同じく頭が舟を漕ぎ始める。

 そして、またハッと覚醒するのだ。


 ――この本には何か睡眠魔法でも、掛けられておるのではあるまいな。


 などと、しょうもないことを考えながら、クリューネは眠気を堪えて、再び魔導書を眺め始めた。

 リュウヤが眠っている間、クリューネは目的だった魔導書をついに手に入れていた。

 これまでの失敗をバネにして、全ての竜言語魔法を会得しようと、またはするべきと意気込んででみたものの、慣れない古い詩のような文言が、クリューネの脳には受け入れがたいものであった。

 何が書いてあるのかわかりはするが、読み進めるうちに頭がくらくらする。

 わかりにくい文言は読んでいても味気なく、ちっとも頭に入ってこない。そのうち、強烈な眠気が襲いかかってきて、ウトウトと頭が揺れ動き始めるのだった。


「……」


 何度目かの居眠りに、バサリと魔導書は重い音を立てて床に落ちると、クリューネの身体は、前のめりにダイブするように椅子から転げ落ちた。

 はたと目を覚ますと、そこにはリュウヤの顔が眼前に迫っている。

 ズゴンッ。

 重く鈍い音がクリューネとリュウヤの衝突した額から響き、突如暗くなった視界に、無数の星が飛んだ。


「ふぎゃあ!」


 絶叫しながら後退したクリューネは、魔導書に足をとられて尻餅をついた。

 額をさすりながら、まぶたを開けると、ベッドの上で額を抑えて苦悶するリュウヤの姿があった。


「……いってえな、お前。ここ、怪我してたんだからよ」


 文句を言うリュウヤのしゃべり方は、まさしくいつものリュウヤだった。額の痛みを堪えてクリューネもおう、と言った。

 あまりの痛さに、声が震えているのが自分でもわかった。


「め、目が覚めたか、リュウヤよ……」

「目覚めたも何も、頭突きが目覚まし代わりかよ。どうやったら、そこから頭突きする位置になるんだよ」

「いやあ、椅子が良い位置にあったんだの。不思議なもんじゃ」

「ふっざけんな……」

「しかし、お主、頭硬いのう。頭の中だけじゃなく、外も石で出来とるんか」

「余計なお世話だっつうの」


 額をさするクリューネの横から、騒ぎに気がついたリリシアが慌ただしく駆け込んでくる。


「リュウヤ様!お目覚めですか!」


 リュウヤが返事をする間も与えず、やにわにリュウヤに抱きつくと、胸元で嗚咽を洩らし始めた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「いきなり、何を謝ってんの」

「そんなに泣くなって」

「私、役に立てなくて……、ごめんなさい」

「そんなことないよ。心配かけたな。ごめんな」

「リリシア、お主はくっつきすぎじゃぞ。リュウヤが困っとろうが」


 だが、リリシアはクリューネの言葉など無視して、しがみつくだけだったし、リュウヤも慰めるようにリリシアの頭を優しく撫でている。


 ――なんだ、こいつら。

 急に声色が変わるリュウヤといい、恋人みたいにイチャイチャしすぎだと、クリューネが憮然とする中、リュウヤはリリシアの優しく頭を撫でていた。少しするとリュウヤは鼻を鳴らし、臭いを追って軒下を見た。


「リリシア。今、薬湯つくっているのか」

「は、はい……」

「放っとくと、鍋が焦げちゃうぞ」


 リュウヤが言うと、リリシアはあっと声を挙げて、涙を拭きながら外へと駆け出していった。


「なんじゃあいつ。リュウヤもリリシアには、随分と甘いんだの。ベタベタして恋人みたいに」

「あ、いや、恋人じゃなくて……」

「なんじゃ?」


 これから結婚するんだといのも妙に気恥ずかしく、リュウヤは頭を掻いて小さく笑ってみせた。


 クリューネはそんなリュウヤを怪訝そうに見つめてくる。そろそろ話そうかなと思った時、流れ込んできた冷気に思わず震え、リュウヤは大きなくしゃみを二つ三つと続けてした。

 そして、自分が裸だと気がつくと、慌ててシーツ身体にまとった。


「……寒いと思ったら、何で俺、裸なんだよ」

「自分で放った攻撃でなったんだろうが。自業自得じゃ。廃墟とはいえ、町を滅茶苦茶にしおって」

「ああ、そうだっけ……」


 リュウヤは寒さとは別の理由で苦い顔をして、不意に口をつぐんだ。そして、クリューネが手にしているぶ厚い本に目を落とした。


「魔導書、見つかったんだな」

「うむ。ここの床下に隠しといたんじゃが、魔王軍にも見つからなかったし、あの爆発でも吹き飛ばされずに無事じゃった」

「爆発か……」


 リュウヤは改めて周囲を見渡し、暗闇に包まれた外に目を凝らした。

 クリューネの寝室だったこの部屋も、ここに到着した時はボロボロだったが、まだ邸宅としての外観は保たれていた。しかし、今は見る影もない。外の町も同様だった。


「ひでえ有り様だな」

「リュウヤ、自分がしたことを覚えておらんのか?」

「……」


 リュウヤの言いぐさが他人事に聞こえ、反感を覚えて咎めるようにクリューネが言うと、リュウヤは渋い顔をして外を眺めている。


「覚えてはいる。でも、全部が夢みたいで、自分のことじゃないみたいだった」

「ルシフィとの戦いもか」

 うん、とリュウヤは子どものように頷いた。


「よく勝ったな。一度は倒されたから、どうなるかと思ったぞ」

「あいつが本気じゃなかったからな」


 言葉の意味がわからず、クリューネは無言で首を捻った。


「ルシフィは俺たちを捕まえるつもりで戦っていた。もし、あいつが殺すつもりで真剣を使っていたら、俺は三回ほど死んでいる」

「ルシフィは強かったか」

「ああ」

「お前よりも?」

「かもなあ」


 リュウヤは宙を睨みながら言った。

 慣れない徒手による戦闘とはいえ、技の多彩さではルシフィが上だと実感していた。剣で戦ってもはっきりと勝てると言える自信がない。


「暴れ狂ってアイツを倒したみたいだけど、勝ったという実感がないんだ。どうしようもない怒りや悲しみみたいな感情が溢れてきて、別の誰かになった気がする。似たようなことは前にも一度あったが、今回はもっと極端な感じだ」

「前ってのは、エリンギアのことか」

「ああ、知ってるのか」

「リリシアから聞いた」


 そうかとリュウヤは腕を組んだ。

 リュウヤはヴァルタスの力ばかりでなく、記憶も受け継いでいる。

 ヴァルタスの記憶と自分の記憶が混ざり、感情が昂って力が暴走していることも考えられたが、だからといって、人格が変わるほどに異常な力を発揮するものだろうか。


「今回は何とか勝ったけど、次はどうだろうな」

「……次は、ということは、ルシフィは生きてるということか?」

「光弾を放つ瞬間、奴の身体が光に覆われて、突然消えた」


 発光源は胸元のペンダントだったかな、とリュウヤはぼんやり思い出している。


「私も見た。やっぱり、そうか!生きとるか!」


 思わず声が弾むクリューネをリュウヤはじっと見つめていた。


「嬉しそうだな」

「いや……、スマン。ルシフィは敵なのに」

「いいよ。クリューネの気持ちはわかる。敵だけど、あいつは良い奴だもの」


 リュウヤはふっと小さく笑ったが、その笑顔は寂しげに映った。

 倒すべき魔族。仇である魔族。しかも国の王子。

 だが、リュウヤもクリューネもルシフィに抱いた、好意に似た感情を否定できないでいた。


「……リュウヤ様、薬湯ができました」


 リリシアが薬湯を満たしたコップを、お盆に載せてを運んできた。薬湯の臭気にリュウヤとクリューネの思考は遮断され、クリューネは臭いのうと顔をしかめてみせる。


「レモン味とか、ミントの香りだとかないのか。こういう薬湯には」

「……嫌ならさっさと外に行けばいい」

「誰が行くか。それに寒いから、私はリュウヤの隣で寝るぞ」


 リリシアを慌てさせるつもりで、わざと言ってみたのだが、リリシアは目を細めただけで無反応だし、リュウヤは気まずそうに頭を掻いている。


「なんじゃお主ら。さっきから」

「あの……、クリューネ」

 リュウヤは真顔になりクリューネを見つめた。リュウヤの頬が紅潮している。

「俺とリリシア、この旅が終わったら結婚するつもりなんだ」

「……え?」


 クリューネは何の冗談かと思い、失笑を漏らしてしまったが、リュウヤは真顔のままだし、リリシアも幸せに満ちた表情でうつ向いている。


「この旅をしている間に、リリシアとの距離が近くなって、いつの間にか存在が大きくなっていた」

「……」

「お前に会えたら最初に報告したかったけど、色々あっただろ?タイミングがさ……」

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」


 呆然としたまま、クリューネはリリシアを見た。表情はさほど変わらないが、目付きは明らかに勝ち誇った顔つきでいる。

 リュウヤを手にいれた。

 今のリリシアの心境は、競争相手に勝った喜びに満ちているに違いない。

 だが、クリューネが焦っていることは別のことだった。


「セリナは……、アイーシャはどうするんだ」

「なんでお前は、その名前を……」

「生きとるぞ」

「え?」


 今度はリュウヤとリリシアが、呆気にとられる番だった。


「二人は聖霊の神殿で世話になっている。セリナは記憶を失っているが、元気にやっとる。栗色の髪にナギに似て、穏やかそうな女だ。娘は三歳。笑った目がお主とそっくりだった。どうだ。心当たりはないか?人違いか?」

「……」


 それから三人は言葉を失っていた。降りしきる雨も、凍えるような寒さも忘れていた。

 疲れも眠けも、どこかに消えていた。

 重い沈黙が三人にのし掛かり、金縛りにあったように誰も身動きできないでいた。

 特にリリシアは、先ほどの勝ち誇った笑みはどこかに消え去ってしまい、この世の望みを全て失った表情をして、ガタガタと震えながら床にへたりこんでいた。


 それから、果てしなく長い沈黙が、三人の間に続いた。

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