表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第6章「姫王子ルシフィ」
61/243

ルシフィ千里行

 出陣式まで間近に迫り、ネブラス将軍は数分前に確認したばかりの懐中時計を、苛立たしげに取り出した。

 朝議の広間には、タギル宰相とネブラスの前には、魔王軍の文武百官が一堂に会し、広間の外では親衛隊が整然と隊列をつくって待機している。

 右後ろに振り返って見上げれば、帳が下げられた玉座の傍らに、あのサナダという男が例のニヤケ顔で控えていた。

 それもネブラスには気に入らなかったが、それよりも今は別のことで腹を立てていた。

 ネブラスは足を落ち着きなく踏み鳴らし、苦虫でも噛み潰したかのように、顔をしかめていた。


『いったい、姫王子は何をしとるんだ』


 ネブラスの苛立ち紛れな失言を、隣に佇むタギル宰相がしっと鋭くたしなめた。


『仮にも魔王様の後継者だぞ。守り立てるべき貴殿がそれでは困るな』

『あんな柔弱な王子では先が思いやられるだろうが。兵や剣より花や鳥と戯れてばかりで、立ち振舞いも、まるで乙女だろう』

『仕方なかろう。魔族の後継者は、あの方しか残っていないのだから』

『デビリア様やダイモン様が生きていれば……』


 ネブラスは再び懐中時計を取り出しながら、嘆息した。


『あの勇壮で果断。末頼もしい二人のお姿。不慮の事故と病気で亡くなられたことがかえすがえすも惜しまれる』

『しかし、ルシフィ様も相当なものだぞ。貴殿も耳にしたであろう』

『武術教官ベリアを一蹴したとか、何かの間違いではないのか。デビリア様やダイモン様でさえもついに敵わなかったというのに、あのひ弱な姫王子がか』


 自分の失言には気がつかず、にわかには信じ難いとネブラスは首を振った。

 魔王軍の武術教官を務めるベリアという男が、突然ルシフィから試合を申し込まれ、手も足も出ずに破れたという噂は、魔王軍の幹部から一兵卒に至るまで驚嘆させていた。


『事実だからこそ、この運びになった。破れたベリアが直接、私に言ってきたのだからな』


 タギルは、群臣に紛れているベリアを眺めた。完敗したというわりには額に痣が浮かんでいるくらいで、目立った怪我はない。表情はむしろ晴れやかとさえ映る。


『……ふうん。しかし、王子自ら竜族退治に出立か。よく貴殿は反対しなかったな』

『魔王軍の気運を高める必要がある。エリンギアでの敗戦以降、内部で何かと燻り始めているからな』

『あいつらのようにか』


 ネブラスもチラリと、視線だけを居並ぶ群臣に向けた。その先には、軍団長のイズルードとタナトスの姿があった。

 二人は親族がエリンギアに居住していたことから、作戦自体に難色を示していたのだが、作戦の失敗とその無差別攻撃の実態を生き残った親族から知り、憤怒の余り、タギルやネブラスに抗議して一時は軍務を放棄していた。

 出陣式という今日になって、漸く姿を見せるようになったのだが、タギルやネブラスだけではなく、命令を下した魔王ゼノキアに対しても不信の言動を漏らしていると、諜報部からの情報で入ってきている。


 ――いずれ、処分せんとな。


 惜しい人材だが、不穏分子となりそうな者を放っておけない。タギルはそう思いながら、『これを機会に心を改めてくれればいい』と心にも無いことを言った。


『これを機会に、か』


 ネブラスが何か言おうと口を開くと、広間に高く澄んだ声が響いた。


『お、お待ちください!ルシフィ様!』

『ああ、もう、これで大丈夫だから!』


 広間に駆け込んできたルシフィを見て、群臣たちはどよめきを起こした。

 ルシフィは長い木の杖を手に、頭にはターバンのような帽子、麻の衣服に粗末なローブと羊飼いのような出で立ちで、そのルシフィの後から、追いかけてくる古い甲冑に身を固めた執事のヤムナークの姿があった。


『……タギル。あれで、我が軍の気運が高まるのか?』

『おそらく、難しいかもしれないな』


 ルシフィはタギルとネブラスの前に来ると、大慌ての様子で、ごめんなさいと深々と頭を下げた。


『ごめんなさい!旅の支度をしていたら手間取っちゃって』

『……王子たる者が、群臣たちの前でそんな姿はおよしなさい』

『そうですぞ。そんなみすぼらしい羊飼いの格好などいけません。きちんと名誉ある魔族の軍服を着用し……』

『俺はそっちの“姿”などについて言っているのではない。王子たる者が安易に頭を下げるものではないことを含めて言っている。下がっていろ、ヤムナーク』


 ネブラスの言に群臣の間からは失笑が漏れた。

 ヤムナークは顔を真っ赤にさせて、広間から退出していった。


「ルシフィ様、魔王様が間もなくいらっしゃいますよ」


 玉座の階段下でサナダが呼ぶと、はいと柔らかな声で答え、玉座の下で跪いた。その姿を確認してから、サナダは階段を上がり、帳の隙間からわずかに顔を入れて、ルシフィが参内したことを告げた。

 帳の奥から光がこぼれ、玉座に座る人の影が映し出された。


『父君、このルシフィは魔族の名誉と繁栄のため、一身を以て竜族の残党を討ち果たして参ります』

『ルシフィ……。よくぞ決意した。それでこそ魔王軍の後継者、我が息子』


 くぐもった低い声が帳の奥から漏れてくる。久しぶりに父と会話らしきものをした、と嬉しさよりも何故か切なさが先に来た。気がつくと、胸元に下げられたた月型のペンダントを握っていた。

 ルシフィよ、と魔王ゼノキアの声が頭上に響いた。


『この広間には、多士済々の強者どもが揃っている。お前のためにタギルが精鋭を選出し、編制したものだ。よく指揮をし、竜族どもを討ち果たせ』

『あ、いえ、あの、ひとりで結構です』


 ルシフィの意外な言葉に、広間からはざわめきが起きた。

 タギルとネブラスも顔を合わせていたが、ヤムナークも同様で、呆然と廊下で立ちすくんでいた。


『待たれよ。ルシフィ様』


 ネブラスがたまらず、ルシフィに詰め寄った。


『こちらが聞いていた話と違う。たった一人で竜族を探し、討つということですか』

『うん、そうだよ。だからこういう格好してきたんだから、髪だってほら……』


 ルシフィは頭に巻いた帽子を脱ぐと、その下からは、黒に染められた髪が現れた。

 ネブラスは目を見張り、広間はざわめきを起こした。そこには非難や不満の声が混ざっていた。


『似合うかな?』

『なぜ、魔族の王子たる者が人間の真似など……』

『木は森に隠せって言うでしょ?ここにいる強そうな人たちを連れてたら目立っちゃうもの』

『……』

『それに、魔族の人口はだいたい六百万。対して人間は八千万て言われてる。それもわかっているだけで八千万。だったら、目立つ魔族より、人間に紛れた方が活動しやすいかなって』

『だからといって、ひとりで発つなど危険極まりない』

『大丈夫だよ。これでも僕、強いから』


 そう言うと、ルシフィは細い腕でガッツポーズをつくってみせた。


『いや、しかし……。第一、竜族の者たちがどこにいるか見当がつくのですか?』


 そうだねえ、とルシフィは人差し指を立てた。星のように明るい瞳が、じっとネブラスを見つめる。


『竜族のことわざにも、“竜は風と共に去る”と聞いたことがあるんだ。風が竜の居場所を教えてくれる』

『……』


 ネブラスには、それ以上の言葉が出てこなかった。

 ネブラスはルシフィに呆れたわけでも、気迫を感じたというわけでもない。堂々とした弁舌と思ったわけでもない。

 それなのにネブラスはそうかもしれない、という奇妙な説得力というものをルシフィから感じていた。

 二人の兄とは全く異なるが、ルシフィの屈託の無い明るさや前向きさは、何か力を与えるものがある。これも人の上に立つ才能なのかもしれないと、ネブラスの胸の内に歓喜と驚きの気持ちが沸いていた。


 ――歳は取るものだ。


 頼りないと思われていた若者が、予想外の形で成長した姿を見せる。

 この喜びや驚きは、歳を重ねた老人だけが体験できるものではないだろうか。


 ルシフィ様、とネブラスはルシフィに向かって跪いた。


『老臣ネブラス。ルシフィ様の御出立に水を差したこと、万死に値します。私の不明、お許しください』

『いいよ、そんなこと。心配してくれてのことだもの』


 皆の者、お見送りの準備をしろとと立ち上がり様に、ネブラスは大音声で家臣たちに告げると、武官は広間中央の絨毯に向かい合って並び、剣を掲げて魔王軍伝統の出陣式の見送り隊形をつくった。


『それでは、父君。行ってきます。それとお願いがあります』

『何だ、申せ』

『母君の故郷に一度行ってみたいのです。それは、お許しいただけるでしょうか』

『……』

『父君?』

『……好きにするがいい』

『あ、はい!』


 ゼノキアの鈍い反応を怪訝に思ったところ、強烈な殺気が注がれているのをルシフィは感じて反射的に顔をあげた。だが、それはゼノキアからではない。


 ――あの人から?


 ルシフィは傍らに控えるサナダに目を向けた。だが、サナダはいつもの笑みを浮かべてルシフィを見つめているだけだった。


「それより魔王様、よい機会です。私が開発した新兵器でルシフィ様の見送りに花を添えたいと思いますが、いかがでしょうか」

『……よかろう。ルシフィよ、目的を必ず果たせ』


 疑念が頭にもたげてきたが、ルシフィははいと快活に返事をして、ネブラスが先導するの下、広間の外へと向かった。眩しい光がルシフィを照らす中、音楽隊の勇壮な音楽と親兵隊の歓声がルシフィを迎えた。


『万歳!』『頑張れよ!』と声を送る兵士たちに、ルシフィはいちいち手を振り頭を下げる。ルシフィの後をネブラスたち家臣が付き従った。

 溢れる歓声や音楽を、不意に響いた轟音が掻き消した。ルシフィたちを影が覆い、見上げた先にふたつの巨大物体が浮遊し、空を覆っている。


『新型の魔空艦?』


 タギルも知らなかったらしく、驚嘆する声が聞こえた。音楽も歓声も止み、誰もが息を呑んで物体を見上げている。

 その魔空艦は、これまで船のような形状をしていたのに対し、巨大な翼を持つ四足獣の生き物を連想させる形をしていた。それぞれ赤と青で色分けされている。


「素晴らしいでしょう」


 広間の奥から現れたサナダが、朗々と声を響かせた。


「ご紹介します。あれは対バハムート用に開発された新型魔空艦、青が“ファフニール”と赤が“ヒュドラ”と申します」

『ファフニールにヒュドラ?竜族の名前ではないか。何故、そんな名前を与えるのか』

「そうです。それは竜の身体を元に造られたからです。竜を竜で倒す。痛快でしょう」

『……』

「さあ、みなさん!我々は新しい力を手に入れました。そこで私は提案したいのです。ルシフィ様だけにお任せせず、我々も新しい魔空艦を使い、世界に魔王ゼノキア様の威光を示そうではありませんか!」


 サナダの言葉が終わると、噴き上がるような戦士たちの怒号が大気を揺らした。軍団長クラスはさすがに冷静に受けとめていたが、他はルシフィなど忘れてしまったかのように、熱狂的な歓声が兵士たちを覆った。

 ルシフィはサナダを見ると、満足気な笑みを浮かべて階段の上から兵士たちを見下ろしている。

 先ほど抱いた疑惑の念が、ますます強くなっていくのをルシフィは感じていた。


  ※  ※  ※


『情けない……。あまりに情けない』


 馬上でむせび泣くヤムナークに、同じく隣にいる馬上のルシフィがまあまあと肩を叩いて慰めた。


『盛り上がったから良かったじゃないの』

『良くはありませんぞ!』


 涙と鼻汁で顔をべとべとにしながら、ヤムナークが顔をあげた。

 ルシフィは王都ゼノキアを後にし、執事のヤムナークと数十名の親衛隊とともに東の国境線にある砦へと向かっていた。

 次第に周りにはごつごつとした岩肌が目立つ山に囲まれ、鳥の姿も木々も少なく、無愛想なほど殺風景な光景が広がるばかりだった。


『折角の晴れの舞台を台無しにされたのですぞ。何よりも、情けないことがあります』

『何?』

『私を連れていってもらえないことです。長年お仕えして必ずやと思っていましたのに……。情けなや』


 悲嘆にくれるヤムナークに、ルシフィは泣かないでよと馬を寄せた。

 後ろを振り向き、親衛隊との距離があるのを確認すると、身体を寄せてヤムナークの耳元にささやいた。


『ヤムナークには残って、やってほしいことがあるんだ』

『は……』

『あのサナダて人を、注意して、動きを見てて欲しいんだ。何かあったら、ネブラス将軍かベリア教官と相談して』

『何か、と申しますと』

『それは、ちょっとよくわからない。だから、注意してて欲しいんだ』


 サナダが放った強烈な殺気に不気味な笑み。

 父親に対する違和感。タギルも知らなかった新型魔空艦の建造と誇示。

 これまで影のように潜めていた男が、出立間際になって、ほんの少しだけ本性を覗かせた気がした。

 ただの当てずっぽうな憶測でしかないものだったが、ルシフィの意志がヤムナークには伝わったらしく、涙と鼻汁で顔面を真っ黒にさせた中で、瞳はひたりとルシフィに向けられていた。


『……わかりました。その命、しかと受けましたぞ』

『でも、危ないことはやめてね。お願いだよ』

『わかっておりますとも。私もルシフィ様を悲しませたくはありませんでな』


 ヤムナークは汚れたら顔を拭いて、闊達に笑ってみせた。元のヤムナークだと安堵として、ルシフィは身体を離した。


『まあ、ホントは口やかましいから連れていきたくなかったんだけどねえ』

『……帰ってきたら、それまで溜め込んだ、小言を言わせていただきます』

『お土産持ってくるから、勘弁してくれない?』

『駄目です』


 二人は顔を見合わせると、可笑しそうに噴き出し、快活な笑い声が山中と青い空によくこだました。

 やがて山と山との間から、国境線の砦か見えてくるとヤムナークは馬をはしらせ、砦の警備にあたる警備隊長の下へ向かった。


 ――ここから、ひとりなのかあ。


 ルシフィは馬を降り身支度を済ませながら、砦の門の扉をじっと見つめていた。期待と不安、そして使命感が胸に溢れている。

 戻ってきたヤムナークがルシフィの傍に立った。周囲では兵士たちが慌ただしく行き交い、城門を開く準備をしている。


『ルシフィ様、ご武運を』

『うん、行ってくるね』


 ルシフィはいつしか、胸のペンダントを、ぎゅっと握りしめていた。 鉄製の分厚い扉が、重い音を響かせながら、ゆっくりと開かれていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ