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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第5章「バルハムントへ」
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袖振り合うも多生の縁

 町を守る外壁が見えてくるにつれ、悲鳴や怒号がリュウヤの鼓膜を刺激した。

 門の前に、寄りかかる格好で兵士が一人倒れていた。革胴ごと袈裟斬りで斬られている。ロナンの傷とは異なり、明らかに剣による傷だった。

 まだ血の臭いが濃く、生死を確かめに触れると、兵士の肌に温もりが残っていた。

 突然、町の中から、腹の底に響くような雄叫びが、リュウヤの鼓膜を震わせた。

 リュウヤは急いで町の中に入り、雄叫びのした方向を探ると、その先には噴水が設けられた広場が見えた。そこに血刀を下げて佇む男の後ろ姿と、二本の鋭い角を生やした巨大な四足獣の姿が映った。

 獣の足下には、痩せた老人が恐怖に身を強張らせて、地面にへたりこんでいる。血刀を下げた男の背から、ホウデンの震える声がした。


「みんなヒルダを馬鹿にしやがる。ガルデオ一家も、ミュントの村の連中も、ここの連中も……」


 ガルデオ一家やミュント村とは何かわからず、その後も何を言っているの意味不明な言葉が続いたが、その一言で、ホウデンがこれまでに何をしてきたかわかった気がした。


「た、助けてくれえ!」


 悲鳴をあげる老人に目を向けると、ヒルダが爪を振り上げるのが見えた。ロナンの血によるものか、爪の先が血に濡れている。


「くそっ……!」


 ホウデンの横を抜け、リュウヤが疾走した。噴水を囲むレンガの台座を踏み台にして跳躍し、

一気に間合いを詰めた。

 突如襲来したリュウヤがあまりに速く、ヒルダの反応が遅れた。リュウヤの気配に気がついた時には、既に刃を抜き放っているところだった。

 横に一閃したルナシウスの刃だったが、刃が届く瞬間に本能で身を避けたのか、刃は斜めに奔って、ヒルダの顔面を浅く裂いただけだった。


「貴様、ヒルダに何をする!血迷ったか、リュウヤ・ラング!」


 怒号しながら、ホウデンが剣を振りかざして殺到してきた。嵐のようなホウデンの斬撃を、リュウヤは剣で弾き返して凌いだ。ホウデンに隙はあったが斬るか捕まえるかで迷い、どちらかというと後手にまわっている。


「貴様!貴様!貴様!」


「ホウデンさん、あれはあなたの奥さんじゃない!ベヒーモス、魔物だ!」

「妻をあれだの、魔物呼ばわりか!」


 剣を凌ぐうちに鍔迫り合いの形となっていた。剣を押してくるホウデンの表情は憎悪で歪み、口に泡を溜めている。


「ホウデンさん、目を覚ませ!」


 無駄だと別な声がリュウヤの中で囁きかけてきたが、叫ばずにはいられなかった。

 不意に背後から殺気を感じ、ホウデンを押し退けると見もしないで、そのまま振り向き様に剣を擦り上げた。

 そこには、牙を向けて襲い掛かってくるヒルダの巨体があった。

 放った刃は顎から額へと深々と駆け抜け、ヒルダの顔面を真っ二つに斬り裂いていた。

剣撃の反動で跳ね上がった巨体は、やがて背中から重い音を立てて地面に倒れていった。


「ヒルダ……」


 ホウデンは倒れたベヒーモスを愕然とした表情で凝視していたが、そのうち身体が震えを起こし、剣先をリュウヤに向けて睨みつけた。

 ホウデンの周りを、武装した町の人間が取り囲んでも、視線はリュウヤ一点に注がれている。


「リュウヤ。貴様、何の罪があってヒルダを殺した。許さん、許さんぞ……!」


 噛み締めた唇は皮膚を破り、血が流れていた。憎悪と怒りに歪んだ狂人の顔は、蜘蛛の巣のような皺が浮かび、皺の間を涙が伝って流れていた。

 ホウデンの悪相は何かを思い出させた。その正体に思い当たった時、リュウヤの全身が震えがはしり、身が強張った。


 ――ヴァルタス……。


 恨みを晴らせとリュウヤに力を託し、憎悪と怒りに満ちた紅竜の姿がホウデンと重なっていた。

 失った者たちが持つ共通した怒りを感じた、などと筋道が立った考えがあったわけではないが、ヴァルタスの姿はリュウヤの行動を鈍らせるものがあった。

 

「この仇は、必ず果たすからな!」


 ホウデンは唾を吐き捨てると、身を翻し、猛然と剣を振るって囲いを突破していった。町の人間が追い掛けるもホウデンの足には及ばず、外壁を乗り越えて山の奥へと走り去ってしまった。

 町が騒然とする最中、リュウヤはただ呆然と佇立し、ホウデンの背を見送るだけだった。


  ※  ※  ※


 ベヒーモスに襲われていた老人は、テーブルの反対側に座るリュウヤから話を聞き終えると、なるほどと静かに言った。

 助けた老人はこの町の町長で、町の一切を取り仕切っているという。

 その町長とリュウヤを囲むようにして、厳つい男たちがずらりと暗い室内に並んでいた。町の自警団の男たちで、怒りと疑惑の目をリュウヤに注いでいる。


「それで、ホウデンという男と別れた時、あんたはどう思ったな?」

「正直、ホッとしました。一緒に旅した三日間、気が休まらなかったから」

「だろうな」


 町長は微笑むと立ち上がって、後ろの窓の外を眺めた。

 陽が西に沈みかけ、残光が空と屋根の一部を茜色に染めるばかりで、暗い影が町を包んでいた。その町中を赤々と燃え盛る松明が、慌ただしく行き交うのが見える。


「この町の周辺は強い魔物もおらず、外の争いにも長い間巻き込まれなかった。儂が若い頃に来た流れ者が暴れたが、それ以来だな。流れ者というのはそんな気質があるようだな」


 町長の言葉には、皮肉な響きがあった。

 今から一時間ほど前、山奥に住む村人からの知らせがあり、剣を持った男が民家に立て籠っているというものだった。

人相、風体からホウデンに間違いなく、自警団から盗賊狩りに向かう準備が進められていた。

 ベヒーモスを打ち倒したリュウヤだったが、そのあまりに見事な剣技やタイミングの良さから、ホウデンの仲間ではないかと疑われ、町長から尋問を受けていた。

 薄暗くなった室内を、自警団の一人がテーブル上のランプに火を灯し、ほのかな灯りが室内を照らした。


「あのホウデンという男が逃げた時、君は立ちすくんだままだった。ベヒーモスをも倒せる君が、戦えない相手とは思えんのだが」

「三日間とはいっても、旅の仲間だった人です。そんな人を斬ることができなかった」「だけどな、こっちは町長が襲われたし、門番やってたウチラの仲間が殺されてんだ。アンタ、甘いんじゃねえか」


 リュウヤの背後にいた男が詰った。

 一方的な言いぐさに腹が立ったが、こんなところで喧嘩しても意味がないとぐっと堪えた。

 まあまあ、と町長が取りなすように言った。


「リュウヤさんをそこまで責めるのは酷だろう。あのベヒーモスを倒してくれただけでも感謝せんと」


 それでも男はまだ納得のいかない様子で、憮然としたまま元の場所に戻っていった。


「そこでだ。アンタの腕を見込んで頼みたいことがある」

 町長が椅子に座り直すと、両手を組んでじっとリュウヤを見つめた。


「アンタにあのホウデンを斬ってもらいたい。もちろん金は出す」


 予想はしていたが、実際に言われてみると、背筋が冷たくなるのをリュウヤは感じた。


「自警団の方がいるでしょうに」

「アンタほど腕の立つ人間がいない。ウチラとしても、怪我人は出したくない」


 ――毒を以て毒を制すか。


 流れ者を流れ者で倒そう。例え負けても死んでも自分たちには損害は少ない。

 気持ちはわかるが町長の申し出は露骨で田舎臭く、反発もあってリュウヤはすぐに返答は出来ないでいた。


 憮然とするリュウヤの背後から、コンコンと扉を叩く音がした。

 傍の男が扉を開くと、ウッと呻く声とどよめきが起きた。振り返ると、リリシアに寄りかかるロナンが室内に入ってきた。

 びっこを引き、部屋に入ってきたがそれだけでも辛いらしく、激しく息を乱している。リュウヤは急いで席を譲り、ロナンを座らせた。


「この度は兄が……、本当に……」


 ロナンはそれ以上、言葉にならず、うなだれてむせび泣くだけだった。

 そんなロナンに町長が冷然とした言葉を浴びせた。


「今、そちらのリュウヤさんに、あなたの兄を斬ることをお願いしたところです。あなたも了解してくれますね」

「……捕まえる、では駄目ですか」

「大切な仲間が問答無用に殺され、人質もいる。彼は我々の敵だ」


 迷いを見せるロナンに、リュウヤが待ってくれと口を挟んだ。


「受けてもいいが、条件があります」

「何かね」

「この人を、ロナンさんを町で面倒見るてことです」

「無法者の弟だぞ……」

「もう、ロナンさんは充分に罪を償っているでしょう」


 リュウヤが声をした方に言うと、室内には男たちから言い様のないため息が漏れた。

 ロナンが何の罪を犯したか。リュウヤ自身にもわからなかったが、とにかく言った。

 自警団の男たちも、無惨な姿となったロナンを見れば追及する気持ちは失せて、同情の気持ちさえ沸いている者もいた。

 これ以上下手に詰ればそれが自分に返ってくる。室内の男たちは、それを直感していた。

「いいだろう。ロナンさんの面倒はこちらでする。ですが……」

 わかってると、リュウヤは町長の言葉を遮った。


「俺が……、ホウデンさんを斬るよ」


   ※  ※  ※


 リリシアは十数日ぶりとなる風呂に入り、こんなときに不適切だと思いながらも、さっぱりした気分で寝室に向かっていた。寝室といっても、物置として使われていた小部屋を急いで片付けた程度だが、リリシアには充分だった。

 リュウヤたちは町長の紹介で、町の教会に宿を借りて一夜を過ごすこととなった。

 リュウヤたちに不審を抱く者が一部いるということで、安全のために宿屋ではなく教会で宿をとらせていた。ロナンは既に別室で休んでいる。

 神父が居住する司祭館には、浴室から寝室までの途中、渡り廊下があってそこから庭に出ることができる。

 既に陽は沈み、外は暗闇が広がっていた。澄んだ夜空に星が瞬いていたが、寒空の下で星を眺める気分にもなれず、寒さに身を震わせて寝室に戻ろうとした。


「……?」


 ふと、リリシアは庭から光と殺気を感じ、足を止めた。胡乱な人間が敷地内に入り込んだかと警戒したが、殺気はこちらに向けられたものではなかった。

 目を凝らして窺うと、リュウヤが闇の中で佇立していた。

 無造作に両手を下げているが、異様なのは夜目でもわかるほどに全身から湯気を立てていることだった。

 キラリと闇に光った。 次の瞬間にはルナシウスを虚空に振るったリュウヤの姿があったが、いつリュウヤが剣を抜いたのか、リリシアには見えなかった。

 素早く剣を戻し、再び抜き打ちに剣を放つ。

 何度も何度も、リュウヤは同じ動作を繰り返していた。

 リュウヤが一人で型稽古や素振りをしている光景を目にするのは珍しいものではなく、この旅でも時間と暇さえあれば稽古に励んでいる。

 ただ、リリシアが目を惹いたのは、リュウヤから伝わる尋常でない悲壮感だった。


「リュウヤ様……」


 思わず声を掛けると、汗だくのリュウヤは驚いた様子もなく振り向いて、そんなとこに立ってると風邪引くぞと軽く笑った。


「リュウヤ様こそ、そんな汗だくになって。そこまでする相手でしょうか」


 ホウデンは確かにかなり腕が立つ剣士だが、アズライルやサイナスといった魔族の軍団長に比べれば格段に劣る。軍団長をも一蹴したリュウヤが、そこまで覚悟を決めるような相手ではない。

 リリシアにはそんな気持ちがある。


「同じ人の形をした魔族や魔物は何人も斬ってきたが、人間を斬るのは初めてだ」

「……」

「魔族には復讐する怒りが、俺を闘いに駆り立ててくれた。だけど、俺はホウデンさんに恨みもない。乗り掛かった船てだけだ。反対にホウデンさんは俺に恨みがある。怒りは時に強大な力をもたらすきっかけとなる。リリシアには覚えないか?」

「……ある、と思います」


 魔法や格闘術を学び、厳しい鍛練に堪えたのも、魔王軍に対する復讐への気持ちがあればこそだ。


「それに人質もいる。迷いが生じる。もしかしたら、不覚をとるかもしれない。その時は……」

「その時は?」

「聖霊の神殿に行って、そこからジルのところに帰れ」

「そんな……、リュウヤ様が負けるなんて」

「だから、もしかしたらだって」


 力ない微笑はリリシアを不安にさせた。

 軍団長と渡り合い、昼間、オークを歩きながら一刀で斬り倒した同じ男とは思えなかった。

 リュウヤはリリシアの肩を叩くと風呂入ると告げて、寝室となる小部屋へ戻っていった。

 リリシアは遠ざかるリュウヤにしがみつきたい衝動に駆られていたが、足は反対に、根が張ったように動かすことができず、ただリュウヤの背中を見送るだけだった。

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