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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第5章「バルハムントへ」

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彼は遥か遠く歪んだ世界に

 リリシアは眉をひそながら、前方を見つめている。

 周りを睥睨するように、巨体を揺らしながら歩いているベヒーモスの後ろ姿がそこにはあった。ベヒーモスの隣では助けた男がリュウヤと世間話をし、時折、闊達な笑い声が森にこだましている。


「いや、しかし、昨夜のリュウヤ殿の剣は見事でしたな。妻の怪我まで治してもらいましたし。私も故郷のイステファンでは鳴らしたものですが、いやはや危ういとこであった。以前にも似たようなことがありましてな……」


 その男、ホウデンの話は壊れた蛇口のようにとめどなく続いた。リュウヤただ相づちをする程度だったが、会話をしているというより、大声で独り言を話しているだけのように思えた。 顔もリュウヤに向けて喋っているが、どこか虚ろで見開いた目の焦点が合っていない。

 ホウデンはリュウヤたちから助けてもらった後、バルハムントの方向と自分たちの行き先が重なることから、途中まで同行を求めてきた。

 リュウヤもこの辺りは傷がえたばかりのホウデンたちには危険な場所と思えたし、ホウデンの口ぶりには有無を言わさない雰囲気があって、余計なトラブルを起こすよりはと、二人きりになれないと小さなことに拘って渋っていたリリシアを押しきって承諾したのだった。


「ねえ、ヒルダ。お前もそう思うだろ。おいおい、何を恥ずかしがっているんだ。こっちを見なさい」


 ホウデンはヒルダと呼ぶベヒーモスに、いとおしそうに声を掛けると、もうリュウヤの存在など忘れたように、しきりに語り掛け、今日も綺麗だね美しいよと頭をで廻し始めた。

 ヒルダは恥ずかしがっているのではなかった。

 リュウヤから感じる力をを恐れ、警戒して間合いをとっているのだった。

 しきりにヒルダに話しかけた後、ホウデンが急にリュウヤに向き直った。


「いや、しかし、昨日の剣は見事でしたな、リュウヤ殿。妻の怪我を治療までしていただきまして。私も故郷のイステファンでは……」


 ――この男……。


 昨晩、巨大トカゲから二人と一匹を救出した後、怪我の治療の際にもやけに喋る男で、奇妙な印象を感じていたが、夜も遅くなっていたので話を終わらせていた。

 だが、こうして改めて陽の下でホウデンの顔を見て会話してみると、彼が精神を病んだ者だと実感していた。顔は青白く骸骨のようにやつれているのに、目だけは爛々(らんらん)と異様な光を帯びている。


「……迷惑かけて申し訳ありません」


 少し後ろで、リリシアの隣を歩く、ロナンという二十代半ばの男が沈痛な面持ちでリリシアに謝ってきた。

 ロナンはホウデンの弟だという。年下のリリシアに対しても丁寧な口調で接してきた。

 リリシアは返す言葉が見つからず、いえとだけ言った。


「それにしても、リリシアさんとリリシアさんのお兄さん、強いですね。私たちでも危なかった相手を、あっさりとやっつけちゃうのですから」

「お兄さん……」

「え?兄妹じゃないのですか」


 怪訝な顔をするロナンに、リリシアはうつむいて小声で言った。


「……まです」

「え?」

「つ、妻です」


 頬を赤らめながら、リリシアは消え入りそうな声で言った。ロナンに届く程度の小声なのは、恥ずかしさもあったが、リュウヤの耳に届けば顔を真っ赤にして絶叫するだろうからだ。

 ロナンは何やら感心した様子でリリシアとリュウヤを見比べていたが、やがてしきりに頷くと、「言われて見ると、お似合いですね」と言った。

 ロナンにしてみれば単なるお愛想のつもりだったが、リリシアにはそれで十分で、顔が熱くなるのと同時につい口元が弛みがちとなる。

 しかし、嘘をついている手前、浮かれて騒ぐわけにもいかなかったし、先を歩くベヒーモスの後ろ姿を眺めていれば、それどころではなかったと浮わついた気分も急速に冷めていく。


「それにしても、あのベヒーモスが人間になつくなんて……」


 にわかには信じがたいといった表情で、ベヒーモスを見つめている。


獰猛どうもうな獣にも、命の恩人だとわかるのでしょう」

「命の恩人?」


 弱々しい微笑を浮かべると、ロナンは何から話せばいいかと呟いた。


「昨晩、私たちはイステファンという国から来たとお話ししましたが、リリシアさんはどのような国かご存じですか」

「聞いたことはありますけど、よくは……」

「人口八千人程度の小さな国です。私と兄のホウデンは、その国で騎士として仕えていました。ホウデンは国随一の剣士として称賛され、その妻ヒルダは美しさで持て囃されたものです。二人は幸せに暮らし、私は素晴らしい兄と姉に恵まれ、誇りに感じていました」

「……」

「そんな幸せな日々を、一人の魔導士に奪われたのです」


 ロナンは憤然ふんぜんと込み上げてきた怒りを抑えるように、ゆっくりと息を吐いた。

 三年前のある春の日、イステファンに一人の魔導師がふらりと現れた。

 北の塔に住むという老魔導士で、町に訪れた時、物乞いのような身なりをしていた。

 どういう風の吹き回しか、仕官を求めてイステファンに来たらしいが、手始めとして町で曲芸紛いの魔法を見せながら日銭を稼いでいた。

 口から火を吹き、人形を歌わせ、空から金の雨を降らす。

 魔法が存在するこの世界でも、曲芸を喜ぶのは同じで、見事な魔法の曲芸は町で評判となり、老魔導士は城に呼ばれ曲芸を披露した。

 見事な芸に、王族家来が居並ぶ満場の席は拍手喝采、ホウデン、ロナン、ヒルダもその場にあって、特にヒルダは興奮しきりで拍手を鳴らしていた。

 そんなヒルダを、老魔導士が年甲斐もなく見初めてしまった。


「奴は王の褒美の問いに、ヒルダを希望したのです。しかし、王は却下しました。家臣の妻とはいえ、無体なことをなさる方ではないですから」

「……」

「それから問答が激しくなりました。“王なら何でもできるはずだ”と詰る魔導士に、厳しい剣幕で怒鳴りつけました。もう褒美どころか仕官の話もありません。するとです」


 ロナンは苦い顔をしてから、唇をぎゅっと噛み締めた。


「いきなり、強烈な炎の魔法が広間を包み、炎が治まった時には大勢の焼死体が残り、ヒルダの姿が消えていました」


 怒った王は急遽、部隊を編成し、北の塔へ向かった。

 ホウデンはもちろん、ロナンも部隊に加わり、北の塔で魔導士相手に激しい戦闘が行われた。戦いはロシナンが魔導士を討ち取って終結したが、ホウデンにはそれで終わらなかった。


「……奴の寝室で、ヒルダは無惨な姿で殺されていました。あれを何と言えば良いのか。人間とはここまで出来るのか、という言葉しか出てきません。五体バラバラにされて……」

「……」

「その時に、兄もここから遠い世界に行ってしまいました。次の日から“ヒルダはどこだ”と町をさ迷い歩き、泥だらけになって家に帰ってくるようになったのです」


 あんなに強くて立派だった兄が、とロナンは切なげにホウデンを見つめた。

 次第にただ徘徊するだけではなく、何かに取りつかれたかのように突然喚きだし、町人や兵士たちに暴力を振るい始めた。

 暴れる度に兵士たちが取り抑えに向かうのだが、狂気に取りつかれたイステファン随一の技は冴えを増し、毎回一人二人の大ケガは珍しくなかった。


「きょ……」


 狂人ではないか、とリリシアが言い掛けて慌てて口をつぐんだのだが、代わりに身体が震えた。

 

「罪人として扱えという厳しい声も上がりましたが、兄への同情論が根強く、何とか謹慎という扱いにさせていただきました。それでも、深夜に外へと抜け出していたようです」


 相変わらずホウデンはリュウヤに熱心な様子で話しかけている。リュウヤはもう生返事で、辺りを警戒しながら歩いている。


「そんなある日、兄はあそこにいるヒルダに出会ったのです」


 魔導士を討って半年後、城に一人の農民が慌てて駆け込んできた。

 ホウデンが城の外で一匹のベヒーモスを世話をしているという知らせで、ロナンを始めとした兵士たちが駆けつけると、渓流の崖の下で、ホウデンがベヒーモスに餌を与えている光景が飛び込んでいた。

 ベヒーモスの全身には、包帯など手当てが施されていた。崖から転落したものをホウデンが見つけて治療したらしい。

 傷ついて瀕死のベヒーモスがホウデンの濁った頭には、血の海の中でバラバラにされたヒルダと重なったのだとロナンはリリシアに推測を述べた。

 ロナンたちの姿に気がつくと、ホウデンはやあと半年ぶりとなる快活な笑みを見せた。


“ロナン。ヒルダがやっと元気になったぞ。ほらごらん。ヒルダも挨拶しなさい”


 ホウデンが促すと、ヒルダは唸り声をあげて立ち上がり、ロナンたちを睨みつけた。迫り来る猛烈な殺気に、兵士の何人かは硬直し、失禁までしている。誰も手出し出来ず、ホウデンが意気揚々とヒルダを町に連れて帰ると、案の定、町は大騒ぎとなった。


「……とうとう、討伐隊まで組まれるという話になり、誰も兄を護ろうとする者はいなくなりました。私たちも城に居られません。官を辞し、旅に出ることにしました。ただ、王から旅立つ際に潤沢じゅんたくな資金を与えてくださり、どこか遠方の地でゆっくり静養に努めよと言ってくださいました」


 体のいい追放とリリシアには思えたが、それはロシナも十分、承知しているのだろう。寂しそうに笑った表情には、どこか自嘲気味だった。


「それから二年余り。安住の地を求めて、さ迷い歩く旅が始まったのです」

「……どこか当ては」

「メナム地方は北国ですが、自然豊かで人も少ないと聞きます。そこを目指そうかと」

「安住の地、見つかるといいですね」


 陳腐な励ましだと思いながらも、リリシアにはそんな言葉しか思い浮かばない。ロシナは愛想笑いさえもなく、無表情に無言で頷いただけだった。

 二年。

 狂人と猛獣の間に暮らす日々を、想像するだけでリリシアには気が重くなった。恐怖と不安に苛まれながら過ごすなど、地獄としか思えない。

 リリシアがロシナの顔を見つめた。虚ろに騒ぎ続けるホウデンを見つめる目は暗く、まだ二十代とは思えないほど憔悴しょうすいしきっていた。

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