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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第5章「バルハムントへ」
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湖畔のふたり

 その日の旅もひと段落つき、リュウヤたちは小さくも綺麗な湖を見つけると、そこで野営をすることとなった。深い森の中にあってもその湖の周辺は拓けていて、空の月や星たちが清涼な光を照らしてくる。

 夕食も終わり、後は眠るだけとなった頃、テントに入るとリリシアが魔法のローブを貸してくれと言ってきた。

 寒いのかと特段、疑問に思わず、リュウヤがリリシアに何気なく渡すと、ローブで小さな身体を覆い、その下でごそごそとローブが蠢き始める。

 いつかネットで見た、袋から顔を出す子猫みたいだとリュウヤは思った。


「……」


 リリシアがじっとリュウヤを見つめたままなので、何のつもりだろうと思って眺めていると、ローブの隙間からリリシアの細い腕が伸び、着ていた黒装束の衣服が出されると、次にピンク色の下着がテントの床にポンと投げ出される。


「な、なにやってんの」

「……下着の着替えです」

「着替えるならそう言えよ。それに、何で俺を見ながら着替えるわけ?」

「後ろ向きだと、見られているみたいで恥ずかしいので」

「こっちが恥ずかしいわ!」


 顔を真っ赤にさせ、リュウヤは逃げ出すようにして、テントの外へととびだしていった。


「……いくじなし」


 チェッ、とリリシアが小さく舌を鳴らすと、隠す意味がなくなったローブを脱ぎ捨てて着替えを続けた。


「参っちゃうな、アイツにも」


 リュウヤはテントから出て、目の前に広がる小さな湖を眺めていた。月明かりに照らされた湖は、わずかに立つ波に月光を反射させ、波の揺らぎに砕かれた光がリュウヤの目にチラチラと映った。

 はるか遠くから狼らしき獣の吠える声が届いたが、かなり距離があるし、テント周囲に聖水で描かれた結界かあるから、ここには魔物は近づけないはずだった。

 旅に出てから一週間。

 レジスタンスで行動を共にしていた頃と違って、リリシアの言動が少しずつ大胆になっているようにリュウヤには感じられた。

 朝起きると、リュウヤの身体に身を寄せて眠っているし、食事中も隣に座って何かと甘える態度を示してくる。そうかと思えば、先ほどの着替えのようにからかいもしたりする。

 戦う相手も魔物ばかりで、リュウヤからすれば食料が向こうからやってくるようなものだった。これまでのところ苦難と呼べるような出来事は起きてはおらず、平穏な毎日と言って良い。

 リュウヤに付き従っていれば平穏で、そんな旅の日々は、リリシアの心境に変化をもたらしていったようだった。

 レジスタンスリーダーの妹という立場から解放され、兄や仲間の目もない。強くて頼りになると慕っていた男と二人きりで過ごす毎日。

 口数が少ないのは相変わらずだったが、その分、態度で表すようになっていた。

 リュウヤも朴念仁ではなければ、そこまで謹直な人間でもない。

 自身の性欲を処理するために、ジルや仲間と隠れて女郎屋にも何回か足を運んでいる。

 だからこそ、美しい娘が大胆に迫ってくることで、突き上げる情動は堪え難いものがあった。

 いっそ欲望に身を委ねようかという考えも過ったが、テトラとの事後に味わった裏切ったような感覚は、リュウヤの中に強く残っている。

 それにセリナやミルト村をまだ夢で見ることがあって、時折ぎりぎりと万力のように胸を締めつけてくる。


 ――クリューネの時とは全然違うな。


 ムルドゥバからエリンギアに向かう道中、今と同様にクリューネと過ごす日々が多く、時には寒さを凌ぐために身を寄せあって眠ることあった。

 しかし、情動に悩まされるようなことなどなく、そのまま旅をしていた。

 これまでのリリシアの行為と比べて思い返してみると、クリューネが一歩退いていたからなのかもしれない、とリュウヤは思った。


「リュウヤ様、着替え終わりました」


 リリシアがテントから顔を出してきた。

 おう、と返事をしたものの幾分警戒する気分でテントの中に戻ると、ひとつの布団に枕を並べた状態で敷かれてある。


「あれ、もうひとつは?」

「寒いので、魔法の鞄にしまったままです」

「……」


 言うなり、リリシアはリュウヤの袖を、そっと摘まんできた。リュウヤは気がつかない振りをして袖を外すと、魔法の鞄を漁って自分の布団を引き出した。

 クリューネが一歩退いていた、というリュウヤの印象は間違っていない。

 リュウヤがセリナの夢で涙にくれた姿をクリューネがかつて見たように、リリシアも別に一度見ている。

 違うのは、そんなリュウヤを見た二人の反応だった。

 クリューネがリュウヤの傷口に触れないようにしているのに対し、傷を癒そう忘れさせようとしているのがリリシア。


 ――辛い思い出を忘れさせてあげたい。


 そんな想いが、リリシアの行動を大胆にさせる理由のひとつにあった。


「リュウヤ様、今夜も冷えます。野営用の布団では寒すぎます。今夜は二人で暖めあいましょう」


 リリシアがリュウヤの背に身体を寄せてきた。柔らかでしなやかな肢体の感触が、リュウヤの背中を覆った。頭が痺れて呆然としていた。


 ――駄目だ。頭どうにかなる。


「……ちょっと外に行ってくる」

「またですか」


 寒いのに、と非難がましいリリシアの声にも、リュウヤは無言のまま立ち上がると、ふらふらとした足取りでテントの外に出ていった。


「星、綺麗だなあ……」


 リュウヤは呆けたように、ため息の代わりに他愛もない台詞を吐いた。

 テントのそばに大きな岩があってその上に登って腰かけると、満天に輝く星を眺めながら、リュウヤはぼんやりと呟く。

 表面はぼんやりしている割に頭の中は混乱し、心もひどくざわめいていて、何か落ち着かない。

 人はこういう時に煙草を吸うのだろうかと思ったが、あいにくリュウヤは煙草を吸わないから、ただため息をつくしかなかった。

 リュウヤも知らない間に、二人の関係は行き着くとこまで来てしまったようにリュウヤには思えた。

 以前からリリシアが好感を持っていると、多少の自惚れはあったが、まさか自分にここまで好意を示してくるとは考えもしなかった。

 今日は何とか誤魔化しても、旅は明日明後日と続いていく。リリシアの誘いに抗することは、もはや不可能に思えた。


 ――馬鹿だな、俺は。


 テトラとの情交で苦い思いをしたのに、また揺らいでいる。何度繰り返すつもりなのか。

 頭を抱え込むようにうつむいていた時、リュウヤの耳が何かを捉えた。


「悲鳴……?」


 その時にはリュウヤは既に立ち上がり、気配を探っていた。湖の北東側、月が真上に照らす位置にその気配を感じた。

 リュウヤは小走りにテントに戻ると、「リリシア」と押し殺した声で言った。 テントで待っていたリリシアは、声質からそっちのプレイ?と喜色の笑みを浮かべて振り返ったリリシアは、殺気に満ちたリュウヤの表情を見て瞬時に身を強ばらせた。


「近くで人が魔物に襲われている。お前も来い」

「は、はい……!」


 リリシアは慌てて足袋を履き、先に駆けたリュウヤの後を追った。リュウヤは既に鯉口を緩めていつでも剣を抜ける準備している。

 駆ける先に尋常でない殺気が溢れ伝わってきた。猛獣たちの喚き、人間の悲鳴。慄然とする響きがリリシアの耳に届く。

 鬱蒼うっそうとした森が拓いた時、悲鳴と殺気の源が明らかになった。

 二人の若い男に向かって、二メートルはある三匹の巨大トカゲが襲い掛かっている。

 一人は腕に怪我を負い、もう一人が喚きながら剣を振るって抵抗していた。


「リリシアは一体頼む」

「……はい!」


 リリシアは駆けながら拳を握りしめ、短く息を吐いた。リリシアの気持ちは切り替わり、目の前の敵に集中している。

 リリシアは呪文を詠唱し、両手の拳に絶対防御の結界を張る。リュウヤが二体に向かって戸惑うトカゲたちを見計らって、リリシアは残る一体に間合いを詰めた。

 ふっ、とリリシアは短く息を吐いた。

 巨大トカゲが鋭い爪を軽く避けた次の瞬間、リリシアは嵐のような連続攻撃を放っていた。

 強靭な肉体を持つアズライルに、尻餅を着かせたリリシアの打撃力は伊達ではなく、巨大トカゲに抵抗する隙も与えないまま地面に叩きのめしていた。

 どうだ、とリリシアが振り返ると、残る二体の巨大トカゲが地面に倒れ込む光景が映った。リリシアが打撃を加える間に、リュウヤは一太刀で巨大トカゲを倒していた。


「大丈夫ですか?」


 リュウヤが腕に怪我した男に声を掛けると、大丈夫と青白い顔をして微笑んだ。明らかに出血で弱っている。リリシアに治療を頼むと、もう一人の喚いていた男に近寄った。

 歳は30代くらいに思えた。


「妻が……、妻が……」


 呆然とした状態で呟く男に、リュウヤはその妻という姿を求めた。探る内に、森林の奥に野獣の気配が伝わってくる。


「奥さんて、どこですか?」

「怪我して、その奥にいるんだよ。ヒルダ、出ておいでヒルダ。戦闘は終わったよ」

「……」


 リュウヤは息を詰めて、男が指し示す森の奥を睨んだ。

 野獣の吐息、唸り声が響いてくる。

 男の声に呼ばれ、その気配が近づいてくる。左足から血を流し、ぎこちない足取りで。

 ヒルダと呼ばれた者は四本足で歩き、頭には角を生やして牙を剥いていた。


「ベヒーモス……」


 治療に当たるリリシアが呻くと、怪我をした男は気まずそうに俯く。

 対照的にもう一人の男は、満面の笑みを湛えてベヒーモスを迎い入れた。


「紹介します。あれは、私の妻のヒルダなんです。ほらヒルダ。命の恩人にお礼を言いなさい」

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