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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第4章「レジスタンス」
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死地へ赴く

 その日の朝、エリンギアの空を厚く黒い雲が覆い、遅くとも午後から雨が予想されていた。

 厚い雲の隙間からは陽の光が所々差し込み、海面のその場所だけが目映く反射し、穏やかな波の揺れにあわせて輝いていた。

 間もなく秋が過ぎようという季節の変わり目のせいか、曇り空のせいだけではなく、時折身を震わすほどの肌寒い空気が、エリンギアの町全体に物憂げな雰囲気を生み出していた。

 それでも朝市が開かれている広場は盛況で、敷き詰められたような人だかりができている。

 そんな群衆の頭上を暗い影が覆い、見上げると人々はどよめきをあげた。


「おい、魔空艇だぞ」

「庁舎に向かっていくな」

「連絡係からは何の知らせも無かったのに……」


 青果の露店を開いている主人は、自分の失言に気がつき、慌てて周囲を見渡した。皆、あんぐりと口を開けて魔空艇を見上げている。

 誰にも聞かれなかったらしいと主人はほっと安堵の息をついて、再び顔をしかめて空を見上げた。

 店の主はレジスタンスの関係者だった。魔王軍の動向については、クリキント卿からジルにもたらされる。情報の選別はジルが行うが、侵攻手段として用いられる魔空艇がエリンギアに来るなら、何らかの情報が事前にもたらされるはずだった。


「おい」


 主人は後ろを振り向き、木箱に腰掛け、魔空艦を不安そうに見上げている少年に声を掛けた。

 主人の声に気がつき、少年が主人の顔を見た。主人がわずかにアゴをしゃくると、少年は立ち上がって静かに市場から離れていった。

 市場からニブロック先に、ジルが表向きに経営をしている古本屋がある。

 おお、と再びどよめきが起こり声に釣られて主人が見上げると、更に一隻の魔空艦が黒い雲の中から現れるのが見えた。建造中と噂されていた、最新鋭の艦だと主人は思った。

 全長百五十メートル、幅九十メートルの巨大戦艦。 エリンギアに生息するクジラ以上の巨体に、町の人々は圧倒されていた。

 それが二隻。


 ――ただごとではない。


 市場にいた人々は、足早に去り、或いは店じまいを始める。不吉な予感が人々を支配していた。

 レジスタンスの者も、そうでない者も、魔空艦の行方を目の端に捉えながら、足早に家路に急いだ。

 突如、魔空艦からサイレンが鳴り響いた。

 兵士たちの非常召集を知らせるサイレンだと、青果店の主人は荷をまとめながら思った。

 ただごとではないと感じたのは人間たちだけでなく、エリンギアに住む魔族や兵士、なにより長官レギル自身が感じていた。


『……一体、何事だ』


 執務室に入ったばかりのレギルが、窓から不安そうに魔空艦を眺めていると、非常召集のサイレンが魔空艦から鳴らされ、近くの兵舎から魔王軍の兵士たちが、こけつまろびつ庁舎前の広場に集結する姿が映った。庁舎前の広場は事案が発生し、出兵時に集まる場所として決まっている。


『どういうつもりだ。私が任されている部隊を、勝手に指示をするなど』


 意図が読めず部隊の様子を眺めていると、庁舎が激しく、大きく揺れた。何かに掴まらないと立っていられないほどの揺れだった。 魔空艦が庁舎の停泊用の塔に接触したのだとわかったが、それが二隻分となると庁舎が崩れないかと思わず心配になるほど大きく揺れた。

 揺れが収まり、ほっとしたのもつかの間、二つの黒い巨大な影が窓の下へと落ちていく。

 それが地面に着地した時、兵士からの悲鳴や怒号が響き渡った。 


「ダーク・ベヒーモス、だと?」


 黒い皮膚に黄金の角、燃え盛るような真っ赤なたてがみ。

 そして、刃のような鋭い瞳。

 ベヒーモスの中でも狂暴な性格と強靭な肉体を誇る二匹のダーク・ベヒーモスが兵士たちをへい睨していた。そんな狂暴な獣を飼い、操れるのは魔族でもあの男しかいない。

 その時、複数の足音が執務室に近づいてくるのが聞こえた。荒々しく、地鳴りのような足音だった。


『エリンギア長官レギル!』


 爆発音に似た怒号とともに、施錠してあるはずの木製扉が軽々と破壊された。


『長官レギル、ここに来い』

『ア、アズライル様がどうして、ここに……』


 短気で粗暴。獣のように危険極まりない男だということはレギルも充分、承知している。

 銀色の髪は逆立ち、歯を剥き出しに唸る姿はまさしく野獣だった。

 驚いたのはそれだけではなかった。アズライルの傍らには、第四軍団長サイナスが控えている。

 大規模出兵レベルの陣容で、何があったのかと身を震わせていた。


『アズライル様、どちらかにご出兵で……?』

『違う。我々は道を正し、回帰するために来たのだ』

『は……?』

『レギル、貴様に問う。今月、貴様はレジスタンスを何人捕まえたか』

『いえ、報告した通り、有力な情報もなく……』

『黙れっ!』


 アズライルの声が、稲妻のように轟いた。


『ならば、先月は。先々月は、昨年はどうだ』

『……』


 レギルは答えることができずにうなだれるだけだった。


『元より貴様の罪は重い。貴様にも心辺りがあるだろう』

『何のことか、いっこうに……』


 ばれているのにしらばっくれるという児戯に等しい手段しか、レギルには残されていなかった。

 ならば教えてやると、魔王軍の命令書をレギルの眼前に示しながら、アズライルは歯を剥いた。


『レジスタンスなる不逞の輩を見逃し、人間の歓待を受け私腹を肥やし、魔王ゼノキア様の名誉も威をも貶めようとした。貴様は万死に値する』


 万死に値。

 総身に寒気がはしった。

 その言葉でレギルは観念しかけていた。だがわずかに、何とか生き長らえようと、無駄な足掻きともとれる抵抗を哀願を以て示した。


『いえ、何卒、なにとぞ……。お許しを、お許しを……!』

『サイナス、貴公の出番だ』


 アズライルが恐怖に震えるレギルを無慈悲にあごで示すと、サイナスは静かに歩み寄り、ゆらりと剣を抜いた。


『レギル。お前も魔族の端くれなら、潔く死ね』

『……い、いやだ、死にたくない。どうか、どうか慈悲を……!』


 レギルがその言葉を口にした瞬間、サイナスの剣が風を薙いだ。ヒュンと軽い音を立てて、剣を納めた時には、レギルの首は目や口を見開いたまま、床に転がっていた。


『……苦しまずに死なせてやった。これが私なりの慈悲だ』

『見事、サイナス』


 アズライルはレギルの首を拾うと、五階の執務室の窓を蹴破り、レギルの首と胴体を兵士たちに向かって放り投げた。

 ダーク・ベヒーモスが争うようにレギルの首に飛びつくと、数秒もしないまま跡形もなくベヒーモスによって食い尽くされてしまった。

 動揺してざわめく者や息を呑んでベヒーモスを見つめる者、動揺する兵士たちにアズライルの声が重く圧した。


『見たか!これが、怠慢と卑怯者の末路である!』


 アズライルは命令書を兵士たちに掲げて咆哮した。

『これより、アズライルがエリンギア長官を兼務し、この町に潜むレジスタンスを駆逐する』

『……』

『怪しい人間、反抗する人間は残らず斬れ!奴らに恐怖を与えて、人間とは家畜であることを植えつけてやれ!』


  ※  ※  ※


 少年がジルの店に駆け込んで来た時、リュウヤたちは支度を終えて旅装となっていた。

 サイレンが聞こえ店の外に出ると、魔空艦の停泊した庁舎から歓声のようなものが聞こえてくる。やがて爆発音とともに、暗い雲より黒い煙りが所々立ち上ってくるのが見えた。


「……クリキント卿の方向だ」

「ジル、バルハムント行きは延期だ」


 リュウヤは、ブーツの紐を締め直しながら言った。 剣の束を調べ直し、出ていこうとするリュウヤをジルが「待て」と呼び止めた。


「まさか、一人で行くつもりか」

「一人では無い。私も行くぞ」


 クリューネが胸を張って言うと、ジルは愕然として言葉が出なかった。


「敵の数がわからんのだぞ。幾らなんでも無謀だ」

「敵の大将をやっつける。あの艦二隻分と、この町の兵二千だろ。町を守るには、それだけ知っていれば充分だ。それに、俺ツエーから任せろ」

「……」

「つまらんとこでグジグジしとったお主も、少しはヒーローらしくなったか」

「うるせ」


 憮然とするリュウヤに、クリューネがニヤリと笑って返した。

 リュウヤは表情を引き締め直し、リュウヤをじっと見上げているリリシアに振り向いた。


 ――リリシア、行くぞ。


 リリシアはリュウヤから、そんな言葉を掛けられるのをを待っていたが、リュウヤの口から出た言葉は全く別のものだった。


「リリシアはジルと行動しろ」


 普段は変化を見せないリリシアの目が見開き、リュウヤを凝視している。


「……何故です」

「さっき言った通り、敵の大将へ一気に向かう。無謀な戦闘をやることになる。お前にはやらせられない」

「足手まとい、ということですか?」

「そうだ」

「……」

「リリシアは兄さんといろ」


 リュウヤはそう言うと、クリューネを促し、互いに頷くと、二人は同時に町へと駆け出していった。今度は呼び止める間もなく、あっという間に逃げ惑う人々の中に消えていった。


「とにかく、俺たちはアジトに行くぞ。町の人間を出来るだけ避難させないと……。リリシアも来い。お前は船で町の人と逃げるんだ」

「私はリュウヤ様と共に戦う」

「リリシア、お前……」


 兄さんとリリシアが言った。


「私はレジスタンスの一員。私がレジスタンスに加わったのも、魔王軍に殺されたお父さんやお母さんの敵を討つため」

「……」

「兄さんにはレジスタンスリーダーとして、大事な仕事がある。私には私の仕事がある」


 ジルは二の句が継げず、口を喘がせて佇立したままでいる。

 そんなジルに、リリシアがそっと身体を寄せた。自然とジルの腕が、リリシアの小さな身体を包んでいた。


「兄さん、これでお別れかもね」

「……生きろよ」

「兄さんも」


 そう言うと、リリシアは身体をそっと離した。堪えるかのようにうつむくと、踵を返して疾走した。あっという間に、リリシアの姿が小さくなり見えなくなった。


「……行くぞ」


 リリシアの姿が見えなくなると、ジルは少年を促し、店を離れた。リュウヤたちとは反対側、アジトのある港へと向かっている。

 ジルの顔つきは、既にレジスタンスリーダーの表情に戻っていた。


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