王都ゼノキア
魔王軍の王都ゼノキアの宮廷の一室『獅子の間』は重い空気に包まれていた。
窓からは暖かな陽射しが射し込み、小鳥のさえずりが室内の重い空気にわずかな安らぎをもたらす。鳴き声にさそわれて、窓の外の庭に広がる、鮮やかな花々を眺める者もいたが、表情は暗いままでいる。
『獅子の間』には、魔王軍を代表する長が居並んでいた。
宰相タギルが長方形テーブルの上席に立ち、右手に軍を指揮するネブラスを始めとした軍団長六名、左手には内政面を担当する内務長官や親衛隊長、情報局長などが座っている。
タギルが一同を見渡しながら、自分にも言い聞かせるように重い口を開いた。
『魔王様は酷く気分を害されている。それが全てだ』
『しかし、魔装兵など我々には不要な兵器。人間に奪われたからといって……』
銀髪を逆立てた獣のような巨漢が、椅子に納まった身体を窮屈そうに揺すりながら言った。
体があまりにも大きいために、着ている軍服もはち切れんばかりとなっていて、どうにかすると破れそうなくらい左右に引っ張られている。
『奪われた事実が問題なのだよ、アズライル軍団長。それに、魔装兵より強靭な肉体と膂力を持つ貴殿や他の軍団長、勇猛な将士には確かに不要なのだろう。しかし、非力な人間にはかなりの戦力となる。それに魔装兵以外にも問題がある。それは貴殿も聞いているのではないか』
『……竜族、ですか』
アズライルと呼ばれた巨漢が唸るように言うと、タギルが大きくうなずいた。
『ムルドゥバでは暗殺計画も失敗し、メキア前長官リルジエナ、カーランド前長官ベルサムも討たれた。どれも竜族の残党、クリューネ姫とヴァルタスによるものだ。しかも現在はレジスタンスに合流しているという』
『レジスタンスは、エリンギアに潜伏しているという情報があります。レジスタンスなぞ、他の人間と町ごと潰せばいいでしょう』
『そう簡単にはいかんよ』
マルキネスという情報局長を務める男の発言に、タギルは力なく首を振った。
『我々の経済活動に、最早人間の存在は欠かせないところにまで来ている。製造、流通、土木開発……、これまでは人間を使役し吸い上げる形だったが、失えば我々の生活は一気に窮乏に陥る状況になってしまっている。エリンギアにも魔族が多く住み、そこで生活している。エリンギア以外土地を知らぬ魔族の子も生まれている状況だ。それにメキアを思い出したまえ』
メキアはリルジエナを失った直後は多少の混乱はあったものの、これまで町の経済活動を担ってきた商人たちの指揮で平静さを取り戻している。
しかし反面、商人たちの活躍のせいで以前のような従順さはなくなり、現長官は対応に苦慮しているという。
『しかし、人間ごときに何故、気を使わなければならんのだ』
『それが丸投げという代償だよ、アズライル』
憤然とするアズライルの隣で、サイナス第四軍団長がしたり顔で言った。
『我々は深い森の奥地で力を争っていた時とは違う。竜魔大戦後の大会議の折、人間に対する扱いで、私が懸念を示した通りになったろう。半世紀前よりその傾向は見られたのに』
『……サイナス軍団長の先見の明は素晴らしいが、我々はこれからを話し合っている。できれば起きたことではなく、これからに目を向けていただきたいな。魔王様も身体が回復せず、政務を執ることができない。我々で何とかしないと』
サイナスの口ぶりに、誇るような色が混ざっているのを聞き逃さず、タギルが牽制するように言った。
『……それにしても、エリンギアの長官レギルは何をしとるんだ』
『“発見に至らず”、“情報、得られず”……。こんな報告ばかりです』
マルキネス情報局長はネブラス将軍の呟きに、手にした報告書を忌々しそうにテーブルの上に投げ捨てた。
『奴め、レジスタンスとつるんでいるんじゃあるまいな』
アズライルが呻くと、隣のサイナスが憂鬱そうにため息をついた。
『レジスタンスではなく、町の有力者と繋がっているらしい。有力者はレジスタンスに繋がっているだろうから、結果は同じだろうがな』
『そこまでわかっていて、何故、奴を処罰せん』
『皮肉な話だが、その方が町の経済は発展し、統治も上手くいっている。メキアと同じだ』
『……』
アズライルとサイナスのやりとりが終わると、再び重い沈黙が、獅子の間を覆った。
人間よりも強い魔力や能力を持ち、竜族をも打ち破った魔王軍が、闇よりも暗い病魔に侵されつつあるのを、獅子の間にいる一同は垣間見たような気がした。
そんな一同を嘲笑うかのように、甲高い笑い声が室内に響いた。見ると、いつからいたのか、扉の側には、白衣を着た顔色の悪い貧相な男が立っていた。
「魔王軍のお歴々が何とも情けない有り様ですね」
『貴様、ここに何の用だ。魔族でも限られた者しか許されぬ会議の場だぞ。人間ごときが……』
アズライルが野獣のように獰猛な目を向けると、男さらりと流したように軽い笑みを浮かべた。
「私は魔王様から、会議に出席するよう命じられたのです。我が意思を伝えるようにと」
命令書もありますと、男は一枚の紙を示した。
魔王様からと聞いて諸将に緊張が奔り、背筋がピンと伸びた。どよめきが起こり、視線が人間の男に集まる。
宰相のタギルだけは背を丸めた姿勢を変えないまま、男にじっと厳しい目を注いでいる。
男は神託でも告げるように、厳かな口調で読み上げる。
「“長官レギルは富を貪り、魔王軍を裏切る卑怯者である。魔王軍の名誉を守るため、これを処刑しレジスタンスを討ち滅ぼすべし”」
『そんなことを、本当に魔王様がおっしゃったのか?』
「どうぞ、ご確認を」
エルリックという親衛隊長を務める若い男が疑いの眼差しで睨むと、男は命令書をテーブルに置いた。勝ち誇った笑みが気に入らない、とエルリックを始めとした数人の将が、苦々しげに男から顔を背けた。
だが、文書がまわってこれば目を通さないわけにもいかず、確認すると確かに魔王ゼノキアの筆跡である。
「では、あとは御一同様で……」
男が退室しようとすると、タギルが「待て」と呼び止めた。
『お前は同じ人間が滅ぼされようというのに、何も思わないのか?』
さあ、と男は首を傾げる。にやついているようだが、本人にしたら快活なつもりかもしれない。
「人間は魔族に比べて、あまりに数が多すぎます。余程親しい者でなければ、大して心は動きませんね。ましてや、私は魔王様に重用されておりますから、魔王様の利になることが第一です」
『……わかった。もういい』
タギルが男に退出を命じると、アズライルが面白くもない顔で鼻を鳴らした。
『あいつに命令されているみたいで、腹が立つ。何故、ゼノキア様はあんな奴を……』
『あれでも魔空艦に魔装兵、列車などを発明した男だ。功績は大きい』
『それでも、技術者として扱うべきでしょう。なんだ近習のように……』
エルリックがアズライルとサイナスのやりとりに入ってきたた。親衛隊長として、日頃から不満の持つことが多いのだろう。
『ゼノキア様が何を考えてあの男を近づけているか、私にもわからん』
タギルが窓の外に顔を向けた。
『先ほど、ゼノキア様に伺いを立てた時も帳が下がり、聞こえるのはゼノキア様の声だけだった。その時もあの男が側にいた』
この一年余り、病身となった魔王の身の回りの世話は、あの男が取り仕切っている。人間だからではなく、明らかに分を越えた行為だが、世話役をあの男に任せているのも、魔王の意思である以上は逆らえない。
『……とにかく、愚痴を言っても始まらん。命令書に従い、エリンギアについて話し合おう』
タギルが一同を見渡すと、諸将は口を堅く結んだままうなずいた。不満や疑念はあるが、魔王の意思は絶対だった。
それがわかっているから、面白くないとアズライルが苛立った様子で身体を揺さぶった。
『たかが人間が。名前もふざけている』
アズライルは舌打ちをした。
『何がサナダ・ゲンイチロウだ』




