ジクードの正体
倉庫は漁業関係で使われているのか、倉庫内は魚の脂の臭いで満ちていた。仲間の中に、この倉庫の関係者がいるのかもしれないとリュウヤは思った。
倉庫内に潜入すると窓が少ないせいで中が急に薄暗くなった。外の明るさとの急激な変化に目をしばたたかせる。
「足元に気をつけろよ」
リュウヤはクリューネにも注意を促し、視界が慣れるまでは壁を手に、慎重な足取りで声がわずかに漏れてくる奥へと向かった。
「臭いもキツいが、けっこう寒いの……」
クリューネの声が少し震える。休みの日は無人とは言っても魚類を保存している機械は稼働している。倉庫内は肌寒いくらいだった。
部屋は幾つもに別れていて重い扉で閉ざされているが、冷気はそこの隙間から漏れているようだった。奥に向かって歩く内にやがて奥の一室から光がこぼれ、複数の男たちの声が聞こえてきた。
入り口には“乾物”と記載されたプレートが掛けられていて、他の部屋のように冷気は感じない。冷房を切っているのか、最初から無いのか、クリューネにはわからなかった。
ガハハと、下品な笑い声が室内から響いた。
「ホントにいいバイトだぜ。こんなガキをさらって一人金貨十枚だもんな」
「宿の前でウロウロしてたとこに、ちょいと脅したら、びびって大人しくついてきやがったもんな」
「これで優勝はカルダの旦那に間違いねえし、もう少し弾んでもらわねえとな」
「でも、テトラて奴が仲間を連れ来たらどうするよ」
「貧弱そうな野郎とガキだけだろ。そのために、こっちにゃ五人もいるんだからよ」
「それに、このガキを盾にすりゃ、奴等も手が出せねえって」
「そしたら、野郎はさっさと殺して、テトラて女を可愛がってやろうぜ」
「なんだ。あんな奴がタイプか?」
「おうよ。美人で気が強そうな奴をよ、いたぶって泣きわめかせるのが楽しいじゃねえかよ」
「ひでえ趣味してんなあ」
男たちはそこで一斉に哄笑した。野獣のようなおたけびが室内に満ちた。やはりここは、野獣の巣窟だとリュウヤは思った。この連中なら人質も簡単に始末出来るだろうし、女子どもにも容赦ないのだろう。
何をするかわからない、という点では危険な相手だと言えた。
リュウヤは扉につけられた覗き窓から、慎重に室内を確認した。
やはり男は四人。
奥の木箱が積み重ねられたところに、手を縛られ、うずくまっているジクードの姿が見えた。薬で眠らされているのか、じっとしたまま動かないでいる。
「クリューネ」
リュウヤが向かいで身を屈ませているクリューネを小声で呼ぶと目があった。
――ジクードを頼む。
口だけ動かしてクリューネに言った。クリューネが目だけで了解するのを見ると、リュウヤはルナシウスの柄に力を込めた。
――真伝流は一足一刀。
先々の先を初志とする。円の心を以て、四方に変幻せよ。
祖父の顔がリュウヤの脳裏に過る。舌で唇を濡らした。
短く、そして鋭く息を吐く。
肚に力が籠った。
「よし」
それが合図となった。
扉を蹴破るようにリュウヤが室内に躍り込むと、地を摺るように走り、男たちにルナシウスを鞘ごと振るった。
「なんだ……?」
――薄汚いボロキレが室内に投げ込まれた?
ローブをまとったリュウヤは、男たちに敵だと認識する間も与えず、目の前の一人に間合いを詰め、こめかみを打って昏倒させると、背後から迫った一人を、屈むと同時に柄で金的をえぐった。
そして、ナイフで斬り掛かってきた男の腕を、踏み込んでしたたかに打ち据えたあと、胴を薙ぎ払って壁まで弾き飛ばした。それから最後の一人に踏み込んで、鞘の石突きで相手の眉間を突き、一瞬で意識を奪った。
室内に強烈な嵐が巻き起こったような動きで男たちを打ち倒し、クリューネがジクードの下に着く頃には、四人の悪漢は意識なく地面に倒れていた。
「まったく、お前は……」
鮮やかに悪漢らの意識を奪ったリュウヤの技に、クリューネは感心を通りすぎて、呆れて倒れた男たちを見渡した。
「不満か?殺しはしなかったろ。一ヶ月はまともに飯を食えないだろうが」
「違う。よくやったとこれでも感心しておる。この手際の良さが、メキアでも出せれば良かったのにの」
「……それを言うなよ」
苦々しく舌打ちしながらリュウヤはルナシウスを腰に戻し、男たちの様子を確認し始める。
「大丈夫だ。みんな気絶している。早くジクードを連れ出そう」
そうだのと、クリューネは思い出したようにジクードの腕を縛る縄をほどいた。次にジクードの足に取りかかり、うずくまって縄をほどいた時だった。
突如、異様な重さを持った殺気が頭上から落ちてきた。
熱い風がクリューネを吹き抜けた。
「……!」
クリューネが見上げると、そこには分厚いナイフを振りかざしたジクードと、それを鞘に収めたままなルナシウスで堪えるリュウヤの姿があった。
尋常でない力がルナシウスから伝わってくる。
「ジクード、お前……!」
見覚えのある邪悪な笑み。
“ラ・キファ”にいた時、カルダと何か密談を交わしていた時の残忍な顔。
リュウヤがナイフを強引にはね除けると、ジクードの身体はゴムボールのように跳ねて、リュウヤたちから間合いをとる。
身軽な動きは、あのとろいジクードの動きには思えなかった。
「残念、仕留めそこなっちゃったなあ」
声はジクードと同じだが、冷酷さを感じさせる口調は、別人のように思えた。
「……誰だ、貴様」
言いながら、敵だと告げるリュウヤの本能がルナシウスの鯉口を緩めさせた。
「やだな、ジクードだよ。僕が本当のジクード」
「……本当のジクード?」
今一つ事態が呑み込めないでいるクリューネに、ジクードが嘲笑うように言った。
「説明するのメンドイなあ。もう正体を隠すのいいか」
そう言うと、ジクードの身体が光を帯びた。髪が銀色に変色し、か細い肉付きだった身体もごつごつと隆起したものへと変化していく。やがて、光が消えると、そこにはかつてのジクードの姿はなく、精悍な肉体を有した男が佇んでいた。
ジクードだったものはウンと大きく背伸びをした。
「やっと、本来の魔族の肉体に戻れたよ。人間のふりをしているのって、凄く疲れるんだよね」
「ぜんぶ演技だったということか……」
「違うね。あれも本当の僕さ」
「なんじゃと?」
「僕は魔王軍のスパイ。暗殺活動もする。人間の国に潜り込むのに、演技だけじゃ難しい部分もあるからね。心から振る舞える奴が必要だったのさあ」
それってまさか、とクリューネは息を呑んだ。竜族にもいない。そんなことが可能なのか。
「そう。もう一つの人格を作り出すこと。気弱で無能、強さに純粋に憧れて、警戒心を抱かないような人間の僕を作り出すのに成功したのさ。おかげでムルドゥバを色々と知ることできたよ」
木箱の上で、ジクードがわずかに身を屈めた。膨れ上がった陰惨な殺気がジクードから放たれるのを、リュウヤは瞬時に感じた。
「離れろ、クリューネ!」
リュウヤが叫ぶと同時に、ジクードの身体が弾丸のように跳ねて殺到してきた。




