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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
番外編4「星降る空の下で」
220/243

星の光を目に見ては

150話と151話の間くらいのお話です

 その男は死にかけていた。

 仲間をかばった際、空から飛来した一本の矢が胸を貫き、男に致命傷を与えていたのだった。

 うっすらと開いた視界には、美しい満天の星空が広がっていた。

 手を伸ばせば届きそうなほどに。

 だが、男には手を伸ばす力さえも残っていなかった。周囲には悲鳴に似た怒号が飛び交っていたが、遥か先で怒鳴っているようで声もぼんやりと遠い。


“俺を助けようとして……”

“ダメだ!脈がもうないよ。死んでる!”

“バカ言うな!こいつはゲシュタルトのリーダーなんだぞ!矢は抜いて傷を治したんだ。ショック与えりゃ息を吹き返す!”

“担架だ!担架!”

“辛抱だ。待っていろよ!”


 複数のばたばたと足音が遠ざかり、周りは静寂に包まれた。


 ――死ぬのか。


 仲間からの治癒魔法のおかげで痛みは消えているが、力はわかず意識は闇の底へ引っ張りこまれていくように薄らいでいく感覚がある。死ぬこと自体に恐れはないが、故郷に残してきた者たちや愛する祖国の将来への想いが、男の両目に涙を溢れさせていた。


 ――ムルドゥバめ。


 死の際に、彼の国より受けたこれまで屈辱が胸に溢れ、怒りで身体が震えを起した


 ――力があれば。どんな困難をも破ることができる力が俺にあれば。


 心ならずもではあったが、自分たちの国のためにエリンギアまで来たのに。

 ムルドゥバがために、何人もの同朋が命を落としただろうか。


「死ぬのか……」


 ――そうよ。あなたは死ぬ。


 暗闇の中で声がし、ふりしぼった力で再び目を開けると星空を背にして人影が映っていた。声や輪郭から女のものだと思った。声には懐かしさを感じた。


「誰だ」


 ――あなたは死ぬ。だけど、また復活するの。


「復活?」


 ――そう。祖国のために戦う戦士として。魔王軍との戦いは終わった。今度は私たちを虐げてきたムルドゥバと戦うの。私にはあなたが求める力がある。


「その声……もしかしてして……」


 ――行きましょう。


 その声の主は祖国ゲシュタルトで戦場で戦う戦士のために祈っているはずだった。それが何故ここにいるのか。男の中に疑念がわいたが、それも一瞬のことですぐに霧散した。あの“指輪”には大いなる力がある。奇跡の指輪。もしかしたら祈りが届き、それが今、奇跡となって具現化しているのかもしれない。たとえ、これが幻で正体が悪魔だとしても、悔いを残したまま死ぬよりは良い。


「……行くよ。“姉さん”」


 男が答えた時、突然激光が男たちを照らした。魔王軍から放たれた光弾のひとつで、次の瞬間には強大な爆発が大地を吹き飛ばしていた。もうもうと黒煙が立ち込め、担架を取りにいった男たちが戻って見たものは、凄まじい熱波と衝撃によって醜く抉りとられた荒野だけだった。


  ※  ※  ※


「えっしゃっせー」


 店番をしていたクリューネ・バルハムントは、いつものように気のない挨拶して顔をあげた。


「なんじゃ、リュウヤか」


 店に入って来たのがリュウヤ・ラングだとわかると、更につまらなさそうにため息をついて、そのまま本に目を落とした。顔をあげて損したと言わんばかりの言いぐさに、リュウヤはムッとしている。


「なんだよ、その挨拶は。店番なら、もっと愛想よくやれ」

「うっさいのう。お前の国のコンビニの参考にしただけじゃろが」

「あんなのはイマドキ小数派なんだよ。お前がそんなことすると、アイーシャが真似するからやめてくれ」

「それは親が悪いんじゃ、親が。アイーシャが私の娘なら、そんなことにはならんのにの」

「お前な……」


 こういった口喧嘩ではクリューネには敵わない。話題を変えて、クリューネが手にしている本に向けることにした。


「……なんでもいいけど、仕事中にさぼるなよ」


 リュウヤの指摘に、クリューネはまたため息をついた。リュウヤ・ラングは若いくせに以前から説教臭いところがある。この種の面白みのない人間に限って、説教臭くなるのは何故だろうかとクリューネは思う。説教することばかりに頭がいって、冷静さも少し欠いているようだと、クリューネは手にした古めかしい本をリュウヤに示した。


「お主はこの本に見覚えないかの」

「え?」

「これのためにバルハムントまで行ったんじゃろが」

 ほれとクリューネは改めて本の表紙を見せた。言われてみれば、薄汚れた茶色の表紙には見覚えがある。


「竜言語魔法の魔導書か」

「私だってな、こうやって精神や魔力を鍛練しとるんじゃぞ。リュウヤの稽古みたいにだらだらとくっさい汗かいて、ハアハア犬みたいな息遣いするのほどわかりやすくはないがの」

「……ああ、そう」


 リュウヤは面白くもない言った顔つきで、そっぽ向いてしまう。不貞腐れた顔がやけに子どもぽい。


 ――変な男だの。


 リュウヤの横顔を盗み見しながら、クリューネは思った。

 初めて出会った時や妻のセリナたちがさらわれた時のように、リュウヤは思い詰めれば獰猛な野獣、或いは剥き出しの刃のような殺気を漂わせる。そんな時のリュウヤは、クリューネでさえ容易には近寄り難い存在となるが、日常だと隙だらけで別人のようにも思える。

 もっとも、娘のアイーシャやセリナの目には良き父、良き夫と映るようで、「隙だらけ」なリュウヤを見られるのは自分だけらしい。そのことが何となくクリューネには嬉しく、密かに楽しむところがあった。


「……で、今日はなんじゃ」

「今日?」


 一瞬、リュウヤはきょとんという表情をしていたが、ようやく自分の用事を思い出して、ああと何度もうなずいていた。


「食材が足りないからセリナに頼まれて、買い物行く途中でさ。そろそろ店番終わる頃だろうから、ついでに寄ったんだよ」

「おや、もうそんな時刻か」


 クリューネは驚いて、店の壁時計と外の景色を見比べていた。確かに表の通りは濃い影が広がり、陽が当たっている箇所も夕陽の赤い光が建物を染めている。

 時計の時刻は五時をまわろうとしていた。クリューネは魔導書を机に置くと、ウンと思いっきり背伸びをした。


「やあ、今日もよく働いたの。おかげでくたくたじゃ」

「……座ってただけじゃないか」

「今日は客が三人来てちゃんと応対した。棚物の整理や在庫の確認もちゃあんとやっとるんだぞ。それに魔法の鍛練」

「鍛練ねえ……」


 リュウヤは魔導書を手にとって、ペラペラとめくった。竜族に伝わる竜言語魔法の文言や、呪文のコツなどが細かく記載されている。説明の仕方は詩文のようで、雰囲気的に古武術の指南書に似ていると思った。


「ええと、“風と地の盟約により”……」


 リュウヤがぶつぶつと詠唱を始めると、開いた手の内に小さな光が生じた。しかし、途端にグニャリと歪みを見せると小さく弾けて消滅してしまった。


「やっぱ、ムズいな」

「竜言語魔法は人間じゃ扱いが無理じゃと言ったろう」


 傍らで様子を見守っていたクリューネは、ニヤニヤと腕組みしている。


「魔法ひとつひとつの習得には、器となる潜在能力。器に注げる水、すなわち魔力。その水をこぼれてしまわぬように注意するだけの集中力。こういったものが必要なのに、リュウヤには集中力以外どれも欠けとる。特に竜言語魔法は特別な力が必要じゃ。無理に習得しようとしても無駄だぞ」

「別に良いだろ、やってみるくらい」

「別に構わんよ。ただ無駄な努力だと言っておこう」

「わあったよ。俺も“臥神翔鍛(リーベイル)”みたいな強い魔法が欲しかったからさ」


 リュウヤはポンと魔導書を机に投げ捨てた。

 リュウヤの微弱な魔力は自身の最大な弱点と呼べるもので、雷系数回と下位の治癒魔法しか扱えない。これからの魔王軍との戦いに、魔法の強化は欠かせないと焦る気持ちが多少ある。


「リュウヤの気持ちはわからんでもないが、伝説的な武具や道具と呼ばれるような特別な代物は簡単には扱えないものつうのが相場じゃ。お主の“鎧衣(プロメティア)”みたいにの」

「これがか?これは伝説の武具じゃないだろう」


 リュウヤは胸元に下がる楕円形のペンダントを弄っていた。ハーツ・メイカというレジスタンスの発明家につくってもらったもので、まだ出来て数年しか経っていない。伝説とは言い過ぎだと思えた。


「そうじゃろ。“鎧衣(プロメティア)”はお主以外にロクに扱えない。リュウヤの世界のように、太古より人間は道具を用い強い者に対抗して生き延びてきた。ただ、ウチラの世界はちと特殊で限定的なとこがあるがの」

「……」

「例えばアルドのエクスカリバーもそう。私の竜の魔導書もそう。他にはゲシュタルトの“星降りの指輪”とかな。誰にでも操れるわけではないが、そうやって人間は強大な道具で魔王軍や強い魔物に対抗してきたんじゃ」

「星降りの指輪てなんだっけ」

「なんじゃ、知らんのか」

「わすれちった」


 リュウヤをこの異世界に喚んだ紅竜ヴァルタスの力が消えてしまうと、使わない知識は記憶の底に埋もれて忘れてしまうようだった。以前は辞書を引っ張り出すように思い出せたのだが、“星降りの指輪”という名前に聞き覚えはあっても、頭の中でふわふわと頼りなく漂っているだけで、それが何なのか判然としない。

 それでも、頭を捻ってようやく思いだそうとしているところに、それは突然に起きた。

 ドウンと激しい爆音とともに店内が大きく揺れ、凄まじい爆音はリュウヤの思索を断ち切った。震動で棚の品物が次々に落下してくるほどの衝撃だった。


「な、なんじゃ!」


 クリューネが魔導書をヘルメット代わりに頭に載せてしゃがみこんでいると、店の奥の扉が開いて、店の老夫婦が駆け込んできた。二人とも顔色は真っ青だった。


「た、大変よ、クリューネちゃん!」

「なんだ。何があった」

「び、美術館が突然爆発して、すごい煙がもうもうで……」


 それ以上は言葉にならず、息も絶え絶えな老夫婦は地面にぐったりとへたりこんでしまった。店の外からは人々の悲鳴の重なって響いてくる。

 リュウヤとクリューネは目を合わせると、互いに頷いて雑貨屋を飛び出していった。


  ※  ※  ※


「リュウヤ、あっちじゃ!」


 表通りに出て、クリューネが指した方角を見ると、逃げ惑う人々の背後にもうもうと不気味な黒煙が暁の空に向かって立ち上っている。


「クリューネ、行くぞ!」


 リュウヤとクリューネは、濁流のように押し寄せる人々の流れを見て、いきなりクリューネを抱きすくめた。不意の行動にクリューネは言葉を失い、顔に熱を帯びた。


「リュウヤなにを……!」

「いいから、しっかり掴まれ!」


 鋭く叱るリュウヤがやけに男らしく、クリューネは思わず「あ、はい」と返事をしてしまったのだが、そのことクリューネも気がついていない。しがみつくクリューネを素早く確認すると、リュウヤは勢いよく叫んだ。


「“鎧衣(プロメティア)”!!!」


 リュウヤの声に反応して、胸元のペンダントが燦然と蒼白い光を放つと、楕円形をした銀色のプレートがリュウヤの周囲を取り囲んだ。

 ミスリル製のプレートは稲光に似た蒼白い光に繋がれており、リュウヤの背後を守るプレートからエネルギー波が放出されると、それは蝶の羽根を形成していった。

 蒼白い光の羽根がひとつ扇ぐと、砂塵を巻き上げながら、リュウヤたちの身体を瞬く間に上空へと運んでいった。

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