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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第3章「ムルドゥバ武術大会」
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ムルドゥバへ

 神殿の荘厳な鐘が鳴り響くのを耳にした後、ドアをノックする音と「朝食の時間です」という声がドアの向こうからした。

 しわがれた年寄りの男の声で、昨日見なかった使用人なのだろうとリュウヤは推測した。

 リュウヤが目を覚ますと、隣ではクリューネはまだ寝息を立てていた。それが彼女の癖なのか、腹を出したまま短パンを脱ぎ、パンツを丸出しにしている。


 ――だらしねえなあ。


 謹直ぶるわけではないが、年頃の娘が尻を突き出すような姿勢の寝相を眺めていると、俺の娘がこうなったら困るなと、欲情や恥ずかしさよりも不愉快さが先に来ていた。

 若いがリュウヤは家族を持ち、そして奪われた男である。同年代の独身男性とは、女に対する感覚が少々異なる。


「おいクリューネ、さっさと起きろよ。昨日の夜、大神官様から日課を守るよう言われたろ」


“聖霊の神殿”での決まりで、ここに逗留する時はナギが定めた日課に従うこととなっている。

 二泊程度なら従うのは食事の時間ぐらいだが、それ以上だと奉仕活動として、庭や神殿内外の清掃、子どもたちの世話などもしなければならなくなる。

 リュウヤはクリューネの尻を軽く足蹴りする。クリューネは蹴られた衝撃で覚醒したものの、気だるげでまぶたも重たげである。

 ウウと唸るクリューネの目の下には、隈が出来ていた。


「ちゃんと寝られなかったのか?」

「うん……、まあの……」


 昨夜、リュウヤの寝言を聞いた後、自分の感情を整理する前に振られた気分になっていた。

 バカみたいと笑おうとしても笑うことができず、この世に身の置き所もないような、なんだか寂しいやら情けないような気分になって、シーツに顔を押しつけていたら、涙がポロポロ溢れて止まらなくなって、それが朝まで続いた。

 明け方近くになった頃に泣きつかれてようやく眠ることができたのだが、数時間では満足な睡眠もとれず、頭の中に靄がかかったようで、見ている世界もぼんやりして見える。立ち上がってもフラフラで、リュウヤの胸元に寄りかかってきた。

 厚くてたくましい胸だと思った。


「……抱っこして」

「自分で歩け」


 リュウヤの匂いを嗅いだら昨夜の切ない気持ちを思い出し、甘えたくてつい口に出してしまったのだが、リュウヤはただの不精だと思って突き放したように言う。


「わ、わかっとるわ!だ、誰が貴様何ぞに!」

「何、自分でキレてんだよ」


 クリューネは自分が何を言ったのかわかったらしく、クリューネはすっかり目が覚めて耳まで真っ赤にし、リュウヤを置いて足早に歩きだした。

 おいとリュウヤが呼び止める。気づかれたかと恐る恐る振り向くと、リュウヤが苦々しい顔つきをしながら手にしているものを見て、クリューネの顔が真っ赤になった。


「短パン、忘れているぞ」


  ※  ※  ※


 船の出航時刻が近づいたので、リュウヤとクリューネがナギへの挨拶を済まし、二人は船着き場へ向かった。他にも巡礼風の夫婦や行商人数名が船着き場に歩いていく。

 ナギに出立の挨拶に行くと、「聖霊とともに、旅のご加護がありますように……」と旅立つ二人に無事を祈り、いつでも遊びにきてくださいと微笑んで見送ってくれた。


「ここの雰囲気と一緒で良い人だよな」


 リュウヤがぼんやりと呟くと、ふんとクリューネが口を尖らせた。


「貴様は、ナギみたいなおおらかだったり、包容力のある女が好みなだけじゃろ」


 クリューネの刺のある言い草にも大して腹が建たなかった。言われてみて、最初に浮かんだのがセリナだったからなのかもしれない。

 優しさや朗らかさは似ているかもしれない。


「ああ、そうかもしれないな。タイプかもしれない」

「……」


 どこか暗い表情から、リュウヤはセリナという寝言で言っていた女を思い出しているに違いない。

 余計なことを言わなきゃ良かったと、クリューネは自己嫌悪に陥る横で、リュウヤは良い空気だなとのんきな口調で深呼吸をした。

 薫る風が疲れを拭い、澄んだ空気が肺の隅まで清涼感に満たされる。

 穏やかな陽の光が身体の中まで癒していくようで、心なしか身も心も軽くなっていた。海も常に穏やかだというし、日々是好日といった表現が思い浮かんだ。 旅人の中にもここが気に入って長く逗留する者や、そのまま居着いて門番や使用人として働いている者もいるとナギから教えられたが、それにしても不思議な土地だとリュウヤは言った。


「そりゃ、世界各地の聖霊が集まる“聖霊の神殿”だからの。ここは神気や力に満ちておるよ。人が集まるのも神気に引かれてじゃ」 

「わかるのか?」

「伊達に竜の国の王女で、神竜バハムートをやってはおらんからの。メキアからここに来たのも、この力に引かれて来たに違いない。わかる者にはわかるものよ」


 気をとりなおすつもりで、得意気にクリューネは語るが、適当な発言の多いクリューネが言うとなんだか説得力に欠ける。 そうなんだと回答には曖昧に反応してみせ、船着き場まで来ると、神殿に預けられている子どもたちが数名集まって、沖をじっと眺めていた。


「どうした。何かあったの?」


 子どもたちの真剣な眼差しが気になって、リュウヤはクリューネを先に行かせた。リュウヤは足元もおぼつかないような小さな女の子を連れた一番年かさの女の子に尋ねた。


「お母さんが、この船と入れ替わりに戻ってくるからここで待っているんです」

「お母さん?」

「うん。ここでナギ様の他に私たちの面倒を見てくれる人が何人かいるんですけど、“お母さん”て言われてる人がいて。昨日から町に買い出しにいっていて、この便で帰ってくるんですよ」

「お母さんじゃないけど、綺麗で優しくてホントのお母さんみたいなんだ」


 女の子の隣で男の子が言った。


「そうかあ、そんなお母さんと一緒なら、みんなもこの子も幸せだろうな」


 まだ一歳くらいだろうか。

 リュウヤは子どもたちの前にしゃがみこんで、小さな女の子の頬を突っついた。マシュマロみたいに柔らかですべすべとした肌の感触が気持ちいい。触っているだけで幸福感に満たされる。くりっとした瞳が宝石みたいだった。


「この子、その“お母さん”のホントの子なんですよ」

「この子、何歳なの」

「一歳……、だよね?」


 正確な年齢に自信が持てないのか、年かさの子が他の子に尋ねた。尋ねられた子も「私は二ヶ月前に来たばかりだし」と自信なげに確かと言った。


 あのままミルトで平和が続いていたら、今ごろこんな子が生まれていたのか。

 失ったものの大きさを改めて痛感した。胸の動悸が急速に高まり、熱い感情が涙を誘った。

 涙がこぼれ落ちそうになるのをぐっと堪えて、女の子にの頭をそっと撫でた。


「おい、リュウヤ。船が出る時間だぞ!」


 大声で呼ぶクリューネに軽く手を挙げて返すと、リュウヤは立ち上がった。後ろ髪をひかれる思いだったが、いつまでもじっとしているわけにはいかない。


「その子と仲良くしてやってね」

「もちろんだよ!」


 子どもたちの明るい返事に、生まれてくるはずだった娘が救われたような気持ちになった。

 リュウヤは嬉しくなって、軽い足取りで小さな船に乗り込むと、同時にプウッと間の抜けた汽笛をあげて、海面の上を滑り始めた。

 しばらく船が進むと、向かいから似たような形の船が通りすぎていく。甲板には誰も出ていないが、おそらく“お母さん”を乗せた船なのだろう。

 その頃、船着き場で待つ子どもたちは船の姿を見て歓声をあげていた。


「お母さん、お母さんだ!」


「おーい!おーい!」


 手を振ったり、飛び跳ねたり様々な反応をみせる子どもたちの中で、年かさの女の子は小さな女の子を抱えて船を見せていた。


「ほら、アイーシャ。お母さんが帰ってきたよ」

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