真の神はここにいるのだから
「よく寝とるなあ」
クリューネが寝入っているアイーシャの頬を突っついてきた。
「起こすなよ」
「わかっとるわ。よく働いてくれたからの」
無くした〝弥勒〟探しに加え少し静かなとこで休ませたいからと、リュウヤはセリナたちから離れていた。クリューネもルシフィから手当てを受けたおかげで、身体もだいぶ感覚を戻しており、足慣らしにとリュウヤの後をついてきていたのだった。
一区切りついたという思いからか、二人の足は自然とプリエネルとバハムートが戦った付近まで歩いていた。アイーシャの力の限界を示すように、近づくにつれ草花の数は減り、さく、さくと乾いた土を噛み締める音だけがした。
誰かの剣や銃が転がり、大破した魔装兵がうずくまっているのがチラホラと見られるだけで、あとは赤茶色の荒野という寒々しい光景が広がっているばかりだった。
生物が死に絶えた地。
ただ救いなのは、放射能によって汚染された竜の山と違って、数ヵ月もすれば新しい命が芽吹き緑を取り戻すだろうということだ。一方で竜の山は人が近づけるようになるまで、どれほどの年月が掛かるのか。リュウヤには想像もつかない。
「……新しいバルハムント、良い国になると良いな」
「そうじゃな」
「俺にできることがあったら言ってくれ」
「出来ることか……」
そうじゃなあとクリューネは空を見上げた。
「私の家来にならんか」
「家来?俺はお前の家来だろ」
「そうじゃなくて、正式にだ。お前がいてくれれば何かと心強い。ティアも喜ぶ。剣の先生ならウチでも良いだろう」
まぶしいくらい強い眼差しと真剣な顔つきに、リュウヤは戸惑っていた。申し出はありがたいと思っている。だが、リュウヤは自分が政に関われる器ではないという自覚はある。
「クリューネ、悪いけど……」
「冗談じゃ、冗談」
クリューネは破顔して手を振った。
「政治に携わる身としては、魔王軍のタギルのようなバランス感覚のある奴が欲しいな。アルドみたいに傲慢な理想家じゃ危なっかしいし、リュウヤじゃ甘っちょろ過ぎて頼りにならん」
「ひでえな。お前から見て、俺はどれくらいの器なんだよ」
「政は無理じゃろうし、戦なら100人の部隊を指揮するくらいが、せいぜいかの」
「……」
政治が向いていないのはともかく、剣を扱う者として部隊指揮もさほどではないと評価されるの面白くはなかった。真伝流新当主のプライドもあり、いささか傷ついてリュウヤは顔をしかめていた。まあまあとクリューネはにこやかにリュウヤの腕を軽く叩いてきた。
「道場経営と部隊を指揮するとは、またちと違う。お前は100人に弟子を成長させることと、100人の部下の死をどっちを選ぶな」
「そりゃあ……、100人の弟子の成長だよ」
「お前は優しすぎるとこがあって、自分ひとりは良くても、周りの死や責任の重さを受け止めきれんかもしれんからな」
「……」
「まあまあ、お主ら一家は散々面倒ごとに巻き込まれてきた。これ以上、汚いもの触れる必要はない。それを思うてじゃ」
「クリューネ……」
リュウヤに見つめられ、クリューネは照れ臭そうに顔を逸らした。
「おっ、なんじゃアレ」
クリューネは何かに気がつくと、足をとめてしばらくじっと目を凝らしていた。視線の先にはプリエネルの残骸らしい細かいミスリルの破片があるばかりである。どうしたとリュウヤがたずねようとすると、いきなり駆け出していった。数十メートルほど走ってその場しゃがみこむと、熱心に土を掘り返していたが、やがて、おおと嬉々とした声を挙げて立ち上がった。
「おい見ろ、リュウヤ。このでっかい宝石!」
クリューネは喚声のようなものをあげて戻ってくる。まるで餌を見つけた犬のようで、これまでしんみりした雰囲気も一気に白けてしまうほど、クリューネの浮かれ様はみっともないものだった。
「見てみい!見てみい!」
高々と掲げた手には、手のひらに納まるほどの楕円状で緑色の宝石があった。燦然と輝きを放っているが、陽光に反射して煌めているとも思えないほどの強さだった。
「エメラルドじゃエメラルド。さすが私の“竜眼”。土中に深く埋もれた魔石も見逃さんぞ」
「なんだそれ。ただの宝石じゃないのか」
「そうじゃな。大概鉱山から採れる魔石は地熱の影響で紅くなっとるが、エメラルドの魔石とは珍しい。こりゃ売れば高いぞ」
「簡単に売るとか言うなよ。魔石なんだろ」
「まずは金に換算して価値を知るのが大事だろが。わかっとらんな」
出来の悪い教え子を諭すように言うと、クリューネはほくほく顔になって鼻歌混じりに歩き出した。
リリシアにも自慢してやろうと言いながら、即席で「今宵はお金の雨が降る。嗚呼、夢のエメラルドフロージョーン」などと、途中からたわけた歌詞にふざけた節をつけ、エメラルドを空にかざしたままダンスでも踊るようにスキップしながら歩いている。
呆れてクリューネの後ろ姿を追っていたが、そのうちに、クリューネも新生バルハムントに行けば窮屈な身となる。今のうちに羽根を伸ばしているのかもしれない思うと、はしゃぎようもわかる気がした。
――それにしてもはしゃぎ過ぎだ。
苦笑いしながらクリューネの後についていこうとした時だった。
「あっ!」
と、アイーシャが突然跳ね起きた。前触れもなく、眠気など微塵も感じさせない。刮目してクリューネの姿を追っていた。
「お姉ちゃん!」
いきなりアイーシャの大声が響いた。クリューネの足が止まり、目を丸くしてアイーシャを見返している。リュウヤも訊ねる間を与えられず、アイーシャは金色の光をまとうとリュウヤから離脱して、リュウヤの肩の位置まで空中に浮遊している。さっきまですやすや寝入っていたはずなのに、突如変貌したようなアイーシャに戸惑いを隠せないでいた。
「お父さん、お姉ちゃん!何かが来てる。気をつけ……」
アイーシャの声が遮断された。
そう思った瞬間、リュウヤの背後に身も凍るような殺気が迫っていた。咄嗟にアイーシャを庇おうとすると強烈な一撃がリュウヤの脇腹を抉り、続いて胸部に受けた打撃でリュウヤは地面に崩れ落ちていた。
一撃目は硬質な武器による打突で、二撃目は感覚から後ろ蹴りだと推測した。
息が詰まりぼやけたリュウヤの視界に、アイーシャの前を白い影が立ち塞がったように思えた。白い影は、アイーシャの胸元のペンダントに手を当てた。
「……鎧衣紡」
女の声がし、カッと激光したかと思うと鎧衣紡の魔力がアイーシャを包んでいた。しかしそれはアイーシャが発したものではない。そのため、他人の増幅された魔力に封じ込まれた格好となって、アイーシャは身動きができなくなってしまっていた。
「アイーシャ!」
『慌てなくても、そのうちクリューネちゃんのとこに行くから』
駆け寄ろうと叫ぶクリューネと、甲高い女の笑い声がリュウヤの鼓膜を刺激した。
「貴様……!」
クリューネが竜言語魔法を唱えようとすると、それよりも早く、ヒュンと鋭い音がした。リュウヤが顔を上げると桃色の糸のように一筋の閃光が、クリューネに向かって駆け抜けていくところだった。
「かは……!」
閃光はクリューネの胸を貫き、クリューネは声も発することも出来ず、地面に倒れ込んだ。鮮血が大量に溢れだし、大地を濡らしていく。
「クリューネ……!」
「ほほほ、無様ね。一点集中型の“萌花蘭々(コスモス)”、なかなか鋭いでしょ」
虚空に高い笑い声が響いた。ルシフィやジル、生き残った兵士たちも何事かとリュウヤたちに視線が集まり、突然現れた人物に言葉を失っていた。
『油断大敵。こうもやすやす事が運ぶなんてねえ。リュウヤちゃんの世界には、“ピクニックは家に帰るまでがピクニック”なんて言葉は無いのかしら』
「貴様……クリューネを……アイーシャを!」
『妾の勝ちね』
鍵を象った杖を手に女は、勝ち誇ったように倒れたクリューネのそばに近づいた。
土埃に汚れ、戦いで破かれた箇所はあるが、純白に金色の刺繍を施したドレス。右の額から頬にかけてはしる深い刀傷の痕。左には痛々しい火傷の痕があった。
女は凄みのある微笑みでリュウヤを見つめていた。
『アイーシャちゃんの力、面白いから、今度は妾が借りるわよ。それに……』
おもむろに女はクリューネの手から奪い取るように、エメラルドの魔石を拾い上げた。
『妾の魔眼じゃ見つからなくてねえ。クリューネ姫の竜眼のおかげで、やあっと見つかったわ。絶対にプリエネルの確認に来ると思ってたけど、ビンゴ』
「貴様、生きていたのか」
『妾が簡単に死ぬと思って?』
小柄な女――エリシュナ――は、狂暴な笑みを満面に浮かべていた。凄まじい殺気にリュウヤの全身に悪寒がはしり、冷たい汗が身体を濡らした。
『死ぬわけないじゃない。妾は真の神になるのだからね。キャハハハハハ!!』