天使のはしご
ミスリードの“神威烈撃波”の威力はテトラやセリナたちが乗る魔空艇までにも及び、機内に激光が満ちて魔空艇が上下に激しく揺れた。これまでとは段違いの激震に、テトラは立つことが出来ず、機内の天井に繋げた安全帯にしがみついている。
駄目ですと、機長が操縦席から悲痛な叫び声を放った。
「どうしたの!?」
「今の衝撃で左翼エンジン損傷!こいつはマジでヤバイ……」
これより緊急着陸行いますという次の叫びも、テトラには激震と轟音に乱され、ひどく遠く聞こえた。
墜落。
その二文字がテトラの頭を過り、戦場まであとわずかというのに、なんて間抜けなんだろうとテトラは唇をかんだ。確かに、いかに鍛えた戦士でも、流れ弾や泥濘に足を取られて雑兵に首を掻かれるのが戦場である。しかし、だからといって、こんなことでいきなり死に直面するとは。
「ヤバくても何とかしなさい!」
「当たり前すよ。私もここで死にたくないですからね!」
怒気を孕んだテトラの叫びに、機長は操縦悍にかじりつくようにして怒声を投げ返していた。
青ざめる白虎隊の面々は緊張と恐怖に強ばり、目を見開いたままテトラに凝視していた。テトラはそんな彼らに射るような厳しい目を注いだが、何を怖がってるのよと明るく笑いながら大喝した。
「ムルドゥバの精鋭たる白虎隊が、こんなことで死ぬわけないでしょ!一眠りすれば起きたら地上よ」
死ぬのを恐れるなとは、テトラは言いたくなかった。
死は誰にとっても恐ろしいものであり、泰然と構えるには相当のタフな精神がないと難しい。
白虎隊の戦士たちは相当のタフな精神の持ち主で、いずれも心に鉄芯があるような男たちだったが、必死の覚悟でアルドと対峙するのである。その直前で墜落などいう緊急事態であるから、ここで死んでは相当の無念が残るだろう。
同じ死を考えるのなら、負担を少しでも軽くさせ、最期を迎えるまでは前向きな気持ちにさせた方が、まだ気持ちは落ち着いていられるのではないかというのがテトラは考えだった。
「……」
テトラの言葉が白虎隊の面々の心に響いたのか、皆一様に無言だったが顔色には生気を取り戻し、何人かは目を閉じて「そうだ。俺が死ぬわけがない」と、ブツブツ念仏のように呟いたり、強がってタヌキ寝入りを始める者もいた。
「……テトラさん」
隣に座るセリナが、テトラの腕にしがみついてきた。尋常ではない震えが伝わってくる。テトラはセリナを包み込むように抱きすくめた。
「テトラさん。私……、怖いです」
「大丈夫、大丈夫よ。ここまで来たんだもん」
「……ええ」
「リュウヤ君やアイーシャちゃんに会うまでもうすぐよ」
「……はい」
蚊の鳴くような声で返したと同時だった。テトラの励ましを嘲笑うかのように、激震する機内がさらに激しさを増していく。最早声を発することも出来ず、セリナはテトラの腕の中で身をすくめていた。
――リュウヤさん。
震える心の中で、セリナはリュウヤの名を叫び続けていた。
※ ※ ※
灼熱の嵐が去ると、地に身を潜めていた兵士たちが這い出て、地表からもうもうと立ち昇る火山の噴煙に似た濃い煙を眺めていた。
誰もが言葉を忘れて、固唾を飲んで巨大な煙を注視している。グリュンヒルデの荒野は静寂に包まれ、辺りには風の鳴る音しかしない。
やがて雲間が割れ、空から穏やかな光が差し込んでくる。その光景は神々しく荘厳で、見る者は教会や美術館に展示されてあるような、神話を描いた絵画を思い出させた。
『やったのか……?』
救われたという思いが、言葉となって現れた。
最初に声を出したのはアズライルでもミスリードでもなく、魔王軍の兵士だった。興奮気味に拳を震わせている。
『やった……。ミスリード様が……、やった、やったぞ!』
我が大将が正体不明の敵を駆逐したのだと歓喜に奮え、吼える魔王軍の兵士に釣られるように、どこに隠れていたのか、ムルドゥバの兵士が地表にわらわらと這い出てきた。敵も味方も関係なく入り雑じり、唸り猛ってこだました歓声は、グリュンヒルデの地を大きく揺らした。
『他人がやると、愚かな様がよく見えるわね』
『何のことだ』
ミスリードが歓喜に沸く両軍の兵士たちを見渡しながら、独り言のように言った。似合わず神妙な口調だったので、アズライルが思わず訊ねた。アズライルの着ていた軍服は裂けて無くなってしまい、腰以外は全裸の状態でいる。
グリュンヒルデの地域は空気が冷えやすい。汗が乾けば、ひんやりと冷たい風が身体を通り過ぎていく。
温暖な気候にすっかり慣れてしまったミスリードとしては、寒くないのかと思うのだったが、この鉄のように頑丈で屈強な男には、少しばかりの寒さなど関係ないのだろう。
『エリンギアのことよ』
『ああ……』
肩をすくめて苦笑いするミスリードに、アズライルは渋い表情をして口をかたく結んだ。
魔族が多く居住するエリンギアの市街地で、二人が周囲の状況を考慮せずに戦ったせいで、魔族も多くの死傷者を出した。そのために軍団長同士の不和を招き、やがてシシバルが反乱を起こすことになる。
アルドも同じ轍を踏んでいる。
プリエネルの搭乗者はアルドの偽者と思われているようだが、それは無差別攻撃によってアルドに不審を抱いたからである。本物だとすれば、アルドに対してはやがて失望へと変わるだろう。
ムルドゥバはバラバラになるだろうし、魔王軍としては喜ぶべきことなのだが、手放しでは喜べなかった。
歓喜するムルドゥバ兵の姿に、自分たちがエリンギアでの行為によって、もたらした結果と重ね合わせていたからだ。加えて、魔王軍もシシバルの反乱以降、国内は疲弊しきっており、覚悟で臨んだ一戦ではあったが、勝ったなどとは到底呼べるものではない。
『何にせよ過去の話だ。当時、我々は最善を尽くした。前に進むしかないだろう』
『ま、それもそうね』
苦い過去ではあっても、いつまでも感傷に浸る柔な二人ではない。既にミスリードもアズライルも、今後について頭が切り替わっている。
『また休戦ね。今度は長くなりそう』
グリュンヒルデの大砦から兵だけでなく、大量の食糧や武器や資財が焼失している。アルドと思われる人間はプリエネルとともに倒されたが、こちらも魔王ゼノキアの安否も不明である以上、魔王軍も混迷は避けられず、復興までには長い年月が掛かるだろう。
『これから忙しくなりそうね』
同じことを考えていたのか、アズライルは無言でうなずいたが、急に身震いを起こすと、大きなくしゃみをひとつした。
『あら、猛将アズライル様が風邪かしら。あなたもそんなに若くないんだから、身体は大事にしないとね』
『……お前もな』
アズライルの返しに、ミスリードは肩をすくめただけだった。
一見、ミスリードは平然としているが、“神威烈撃波”を放った右腕に力が入らず、腕が上がらないでいる。激痛が全身をはしり、額には脂汗が浮かんでいた。
痛みの具合から脱臼や複雑骨折しているとは感じたが、周囲の手前や軍団長としての意地もあって黙っていたのだ。
『威力凄いけど、あの魔法はそう使えないわねえ』
ミスリードは汗を浮かべたまま朗らかに笑ってみせると、アズライルはふんと鼻を鳴らして、大きなくしゃみをまたひとつした。
※ ※ ※
薄明光線。
天使のはしご。
確かそんな名前だったかと、黒い雲の間から差し込んできたいくつかの光の柱を見ながら、さきほど、何かを耳にしたものを思い出していた。
「……ティア君、さっき何か聞こえなかったか?」
誰かに呼ばれた気がしてリュウヤがティアに尋ねると、自身の治療をしながら、ティアは訝しげに首を振った。
「自分の声も聞こえないくらいの爆風でしたから」
「そうだよな」
「何か気になることでも?」
いや、とリュウヤ首を振った。空耳かもしれないと思うことにして空を見上げた。
半日過ぎたばかりなのに、久し振りに陽の光を目にしたような気がした
ミスリードの“神威烈撃波”の衝撃波はリュウヤたちまで押し寄せたが、鎧衣紡と厚い岩山が守ってくれて、傷ひとつ負わずにすんでいた。
嵐がやみ、岩場の陰から外を覗くと、地上は立ち込める黒煙ばかりだったが、空から差し込む光明に、戦いが終わったという予感をリュウヤにもたらしていた。
不審な声を耳にしたのは鎧衣紡で“神威烈撃波”の衝撃から耐えている時だった。声は微かだったが、聞き覚えのある声だと思った。あれは複数の子どもの声だった気がする。
リュウヤが黒煙越しに、闇の空から差し込む“天使のはしご”を眺めていると、黒煙に紛れて小さな光が瞬くのがリュウヤの目に映った。それは一定のリズムを持ち、光信号だとすぐにわかった。
「……ビャッコタイ、キンキュウチャクリクカイシ。チジョウブタイハタイヒセヨ……?白虎隊……、テトラの船か!?」
疲れてはいたがテトラの危機にじっとはしていられない。リュウヤは黒煙漂う空を見据えたまま、鎧衣紡を発動させた。
「リュウヤさん、どこに行くつもりですか」
「ムルドゥバの魔空艇が緊急着陸の信号出してる。テトラたちが危ない」
「でも、どうやって?」
「鎧衣紡のエネルギー粒子をクッション代わりにする。羽根直接だとエネルギーが強すぎて船体を傷つけちまう」
「それなら僕も行きます。竜の力なら、今の僕でも船体を受け止めるくらいできます」
「助かる。頼む」
急いで短く言うと、リュウヤは空へと飛び上がった。ティアも竜化して七色に輝く羽根を目印にリュウヤを追った。
一方、ルシフィが魔空艇に気がついたのも、ミスリードの“神威烈撃波”の熱波が消滅した後である。
衝撃波はルシフィとアデミーヴを吹き飛ばし、十二枚の翼で身体を包んで衝撃に耐えていたのだが、悪夢のような嵐が去って辺りを見渡すと、アデミーヴの姿が消えている。
『まさか今ので……』
あの灼熱に呑まれてしまったのかと一瞬、胸がざわついたが、同時にそれにしてはあっけないように感じた。身体は幼い子どもだが、あれだけの強靭の力を示したアデミーヴが、あの熱波ごときでやられてしまうものだろうか。
不気味に立ち上る黒煙を見据えていたが、ふとルシフィの聴覚に機械の重低音が響くのを捉えた。音を追うと、二隻の魔空艇がルシフィの近くを通りすぎていく。だが、そのうちの一隻が一見して明らかに様子がおかしい。上下に激しく揺れ異様な速度で地上へと向かっていく。
『あの魔空艇……、落下しているの?』
後続部隊として派遣されただろう。
船体側面の記章や船の形からムルドゥバ軍のもので、本来なら助ける必要もないのだが、性格上、黙って見過ごすことはできないのがルシフィだった。
“十二詩編協奏曲”を羽ばたかせて転身すると、魔空艇の先に回り込んで十二枚の翼から羽根を大きく散らした。
『……間に合って!』
ルシフィの発想はリュウヤと同じものである。
十二詩編協奏曲から舞い散る羽根は推進に使う魔力の残滓が形を変えたもので、使い方によっては、一種のバリアのような役割を果たす。この時も、十二詩編協奏曲の羽根は緩衝材となって、弾丸のように地上へと落ちていく魔空艇の速度をやわらかく受け止め、次第に勢いを減速させていった。
通常の降下速度に近づき、機体のバランスも安定を取り戻している。このままなら無事に着陸できるはずだ。
『よし、これで……』
ルシフィは先に地上に降り、衝撃吸収のために、羽根を絨毯のように敷き詰めて待っていた。舞い散る羽根に導かれるように魔空艇が降下してくるのを、ほっとしながら見上げていたが、それも束の間だった。ブスブスと細い煙があがっていた魔空艇左翼側のエンジンが突然爆発を起こし、船体は横に流されるとあらぬ方向へと急旋回した。舵を失ったらしい。平野から岩肌ばかり目立つ山の斜面へと落ちていく。傾斜は緩やかだが、急激に速度を増してバランスを失った状態ではひとたまりもない。
『くそ……!』
ルシフィは“最大神速”で魔空艇を追い掛けるが、それでも山への激突は避けられそうもない。必死に詰めようとするルシフィの前に、ひらりと蝶が舞った。魔空艇に先回りする形で、七色に光る麟粉が虚空に乱舞する。
光の粒子は魔空艇を再び減速させ、崩れたバランスも安定させていく。
『やっぱり、こういう時はリュウヤさんなんだ』
やはりこんな時にはあの人なんだと、ルシフィは奮える思いで空に舞う蝶を見つめていた。羽根から溢れる大量の粒子によって、再び魔空艇は減速を始めていた。
「ティア君、頼む!」
リュウヤらしき男の声が風に乗って聞こえた。呼び掛けるとともに、青き竜リンドブルムが飛来して船底に潜り込むと、万歳するようにヒシと両腕で船体をつかみあげた。
“とーーまーーれえぇぇーーー!!”
減速したといっても凄まじい圧力がリンドブルムにも掛かり、それはリンドブルムにも予想以上の力で、抵抗してもどんどんと押し流される。リンドブルムは咆哮しながら疾駆し、ついに斜面にまで到達し、何百メートルも駈けたところで、ようやく魔空艇の動きが止まった。あと数十メートルもすれば壁のように佇立する山の急斜面に衝突するところだった。
『リュウヤさん、よく気づいて……、あの竜の子も……』
急に胸が熱くなり、ルシフィの視界が滲んた。涙に気がつくと慌てて顔を拭い、表情を引き締め直して魔空艇を追った。まだ無事に済んだわけではないのだ。
リンドブルムは魔空艇をゆっくり下ろすと、足に力を失い、よろめいてドスンと尻餅をついた。
「ティア君、ありがとう。君がいてくれて助かったよ」
“どうってことないですよ……”
駆け寄るリュウヤにぐったりとしながら、リンドブルムは親指を立ててみせた。
“それより中の人を……”
喘ぎながらリンドブルムがそこまで言った時、ちょうどルシフィが降りてきた。『大丈夫ですか』と泣きそうな顔でリンドブルムとリュウヤを交互に見ている。突然現れたルシフィに、リュウヤは訝しげな顔をしていた。
「アイーシャはどうなった?」
この質問は当然かとルシフィは思った。
ルシフィと交戦中だったはずである。不安に駈られながらリュウヤが尋ねると、わかりませんと申し訳なさそうに首を振った。
『あの熱波が消えたら、アイーシャちゃんの姿もなくて。探そうと思ったんですけど、これも放っておけないから……』
そうかと安堵とも失望とも言えないような弱々しい吐息をつき、リュウヤは魔空艇へと踵を返した。
「俺は怪我ないから、ティア君の方を看てやってくれ」
それだけ言うと、リュウヤは後ろも見ずに魔空艇へと走っていった。
減速させたとはいっても、所々で岩と接触したため、船体の表面はボコボコでひどく損傷している。分厚い窓の防弾ガラスにもヒビが入って中のようすもわからなかった。左翼側の吹き飛んだエンジン部分からは小さな煙があがっていて、またいつ爆発を起こすとも限らない。
リュウヤはいそいで左翼に登ると、衝突で歪んだエントリードアを蹴破って、いそいで機内を覗きこんだ。
外から陽がわずかに差し込んでいるが機内はうす暗く、人の顔も判別しにくい。とにかく知っている名前を呼び掛けることにした。
「テトラ!そこにいるのか!」
リュウヤの声にぴくりと反応した影があった。
「……その声、リュウヤ君?」
「そうだ!リュウヤ・ラングだ!」
機内の奥で影が揺れ動き、エントリードアの出入り口に近づいてきた。背が高く、明らかにテトラのシルエットだ。傍らに誰かいると思ったが、負傷兵だろうとリュウヤは思い込んでいた。
「怪我人は俺が運ぶから……」
寄越せと言おうとしてリュウヤが手を差し伸べた時、エントリードアから差し込む光がテトラの連れてきた人物を照らして言葉を失った。
「リュウヤさん……」
震える声で見つめるセリナに、リュウヤはまだ頭の中が真っ白なままで、口をパクパクと魚のように動かしているだけだった。
「どうして、ここに」
ようやくそれだけ口にすると、セリナは無言のまま潤んだ瞳のままリュウヤを見据えた。こんな目をするのかと、鋭く強い眼差しにリュウヤは戸惑いを覚えるほどだった。
「決まっています。アイーシャを取り戻すため」
「でも、お前がここに来ても仕方ないだろ」
「……みんな、死んじゃった」
リュウヤを見つめる瞳から大量の涙が溢れて落ちた。
「みんな、みんな真っ黒焦げになって、海の上を漂ってた。身体もバラバラ、誰が誰で、どれが船の残骸かあの子たちかもわかんなくて……集めても集めても、全然わかんないねよ!」
食いしばる歯を剥き出しにして、怒りと悔しさを露にするセリナの目は血走り、憎悪に満ちた凄惨な表情にリュウヤも思わず息を呑んだ。
「だから、アイーシャだけでも、アイーシャだけでも!」
怒りの感情は燃え盛る炎のようで、セリナにこんな一面があったのかと、リュウヤはたじろいでいた。
「とにかく、早く船から出ましょ。油断は出来ないよ」
やりとりに耳を傾けていたテトラに促され、リュウヤは我に返るとセリナの肩を抱いて、魔空艇から表に出た。外に出ると、駆けつけてきたルシフィとティアと出会し、二人はセリナの姿に唖然としている。
思い詰めたセリナの剣幕にルシフィは声を掛けることも出来ず、セリナも気がついた様子もない。
「ティア、ルシフィ。済まないがテトラを手伝ってくれ」
「は、はい」
ティアが背筋をのばして返事をすると、魔空艇から離れる二人の後ろ姿をルシフィは黙って見送っていた。
贖罪。
懺悔。
グリュンヒルデの大地に差し込む薄明光線に向かって歩く姿は痛ましく、神に救いを乞う哀れな夫婦のように思えた。
※ ※ ※
『まずはひと安心……、かな』
激震が収まるのを待って、シシバルは熱波でグズグズとなった破城槌の壁を解除させると、急に目眩がして足下がふらついた。
――力を使いすぎた。
足が力を失って膝から崩れ落ちようとした時、腕を掴まれぐいっと引っ張られ、地面に顔から倒れ込まずに済んだ。
「さすがシシバル」
声につられてシシバルが見上げると、空中に佇むリリシアがシシバルの腕を掴んでいる。雲間から差し込む光明を背に、リリシアが微笑して親指を立てるのが見えた。颯爽とした佇まいが美しく、シシバルは思わず疲れも忘れて笑ってしまった。
『どうだ。俺も大したもんだろ』
「うん。器用貧乏な割に地味な元軍団長だと思っていたけれど、やるときはやるのは意外」
『言ってくれるな』
シシバルは苦笑いを浮かべたが、すぐに笑みを消すとじっとリリシアを見つめた。自分が映るくらいの大きく紅い瞳が見返してくる。
『クリューネの面倒、頼むな』
真剣な顔をしたままシシバルがリリシアに親指を立てて返すと、リリシアは小さくうなずき、身を翻してバハムートの下へ飛んでいった。
しばらくの間、シシバルはリリシアの後ろ姿を見送っていたが、姿が遠退くと、急に大の字になって倒れ込んだ。
近くに誰もいないのを確かめて、あらんかぎりの声を発した。
『あー、もう疲れたあ!』
普段、部下には弱音を言うな泣き言吐くなと、何かと厳しいシシバルである。
普段なら口にしないし、やかましく言っている部下には絶対に聞かれたくない言葉だったが、今日は口にしないではいられなかった。
――俺は生きている。
早く風呂入りたい、酒飲みたいなどとうわ言のように呟きながら、頬を撫でる冷えた心地よい風に、シシバルは生き延びたという実感を味わっていた。