最大魔法は神威烈撃波(ググレカス)
リュウヤ・ラングは地に伏すリンドブルムのところまで、よろめきながら駆け寄った。崩れるように膝をついてリンドブルムの息を確かめると、小さくこぼれる呼吸と上下に揺れ動く胸に、リュウヤは安堵の息をもらした。
「しっかりしろ」
回復魔法をかけながら、リュウヤはリンドブルムの耳元に囁いた。リュウヤの魔法では大した効果は無いだろうが、少しでも傷は軽くしておきたい。
「ティア君、人間の姿になれるか。竜のままだとさすがに担げない」
“はい……”
目を閉じたままリンドブルムは力なくうなずくと、身体は光を帯びて少年ティアの姿へと変わっていった。リュウヤはティアを背負い、大きく息をついて戦闘に巻き込まれないようにと先ほどまでいた岩場目指して走り出した。
走り出したといっても疲労困憊した身体である。その足取りは重く覚束ない。鎧衣紡で飛べば早いだろうが、乱れ集中力と低下した体力では下手に目立つ動きは状況を混乱させるおそれがあった。
「……すみません。刀は見つからないし、今度は僕が背負ってもらっちゃって」
「戦場じゃお互い様なんだから気にするな。あとはあいつらに任せておけばいい」
「あいつら……?」
ティアは首をもたげ後ろを振り向くと、目にした光景に背後からティアの驚く様子で呻くような声が聞こえてきた。
「また魔王軍、ですか」
「敵の敵は味方てな。ルシフィといい頼りになる連中だよ」
アズライルとミスリードを目にしたらしいティアの言葉には、非難がましい響きがあってそう返したのだが、皮肉や自嘲も混ざっている。
本来味方であり反魔王軍の盟主であるアルドと戦い、仇敵であるはずの魔王軍と共闘している状況に、納得いかないものがあるのだろう。ティアの気持ちもわかる気がした。
――俺だってこうなるとは思わなかったよ。
リュウヤは岩場まで駆け込む小石に足が引っ掛かってその場にに倒れこんだ。しかし、二人は喘鳴したまま、しばらく起き上がることができなかった。
「ティア君、生きてるか」
「何とか……」
リュウヤは身体を仰向けにして大の字になると、暗闇広がる天を見つめていた。納得いかなくても、現実は今の通りになってしまった。アルドにどんな理想があるにせよ、そのために利用され、弄ばれ、犠牲にされ、踏み台になるなど真っ平ごめんだった。
人はただ生きているのではなく、幸せを望み誇りを持って生きているのだから。
抗い、戦う。そしてアイーシャを取り戻す。自分たちの幸せを守るためにも、アルドは絶対に倒さなければならない敵なのは疑いようもない。
しかしと、リュウヤは情けない声を漏らしながら毒づいた。
「……休憩三分はさすがにねえだろ。クリューネさんよ」
※ ※ ※
荒涼とした風が大地を葺き払い、舞い上がった砂埃が生き残った両軍の兵士たちの視界を覆った。だが、兵士たちは埃や塵で真っ黒な顔をそのままに、丘の上から、或いは岩場の陰から、魔空艦の中からそれぞれ息を潜めて、信じがたい光景を注視している。
魔王軍軍団長二人に、レジスタンスリーダーとその妹らしき女、エリンギア代表までが加わり、ともにアルドの声を発した白いミスリルの巨人と戦っているのだから当然と言えば当然で、魔王軍の魔空艦“レオナルド”や竜族も、ようやく追いつくことができたが、異様な光景とプリエネルから発する強大な魔力の反応が見えない壁のようになって、数十キロも離れた位置から動くこともできないでいた。
「……レジスタンスとエリンギアが、ムルドゥバを裏切ったのか?」
あるムルドゥバ兵が岩山の一角から見下ろしながら言った。元はグリュンヒルデの大砦があった場所で、見晴らしから言えば戦況を一望できる理想的な場所ではあった。しかし、彼らの周りにはブスブスと煙をあげる焼けた岩山があるだけで、彼と他には仲間の兵士一人しかいない。
「裏切って、レジスタンスに何の得があんだよ」
「だけど、戦っている巨人の声、アルド将軍だったろ」
ムルドゥバ兵の一人が言うと。まさかともう一人が答える。その声は鋭く、怒りの感情が籠っていた。
彼らはグリュンヒルデ本陣に攻め込んでいた兵士たちで、トゥールハンマーの射線上にいたが、部隊の最後尾にいたのと、分厚い岩場がわずかにエネルギー波を逸らして奇跡的に生き延びていた。だが、生き延びたのは彼ら二人だけで、彼らと行動を共にしていた十五名の仲間たちは熱波に呑まれて消えてしまっている。
「アルド将軍が、味方を犠牲にするような作戦を立てるわけがない。あんなことができるのは、人間じゃねえ。ただの人でなしだ」
「だよな……」
彼らの意見は、ムルドゥバ兵やレジスタンス兵の意思を代表するもので、自軍までも無差別に攻撃したプリエネルをアルドを真似した偽者だと思いはじめる者も現れていた。だが、だからといってその正体が魔王軍の新兵器とも思えず、事態の展開と異様さについてゆけず、黙って見守るだけしかできないでいる。その彼らの耳に、獣にも似た怒鳴る声が鼓膜を刺激した。
目を向けると、猛将アズライルが漆黒の空の中、小さな敵と対峙するルシフィに呼び掛けているところだった。
『ルシフィ様、ご無事ですか!今、加勢しますぞ!』
『こっちは大丈夫。それより、アズライルさんたちはプリエネルをお願い!』
アズライルの銅鑼太鼓のような大音声に対して、ルシフィの鈴にも似た澄んだ声が凛とアズライルのもとに返ってきた。アデミーヴと対峙したまま背中越しの格好で、相当な距離があるはずなのに不思議によく通る。
『プリエネル?』
『プリエネルの“トゥール・ハンマー”に気をつけて!大砦が吹き飛んだのも、グリュンヒルデが無茶苦茶になったのも、その力のせいだから』
『わかりました!』
身構えるルシフィの後ろ姿に向かってアズライルが大声で返すと、ルシフィが小さく頷くのが見えた。ミスリードがアズライルの隣に来て、ルシフィを見上げたまま声を潜めた。
『……ルシフィ様がここに来てるのも驚くけど、相手のあの子、リュウヤ・ラングの娘さんよね。一度見ただけだけど』
『うむ』
『なんで、あの子がここに?』
『わからんが、今は考える暇はあるまい』
考えたところでただの憶測にしかならない。
アズライルが言葉少なく答えた時、轟音が上空に鳴り響き、視界の横からカッと光が炸裂した。ジルの駈る魔装兵がプリエネルに攻撃を仕掛けて、その爆発によるものだった。シシバルの姿が見えない。目を離している間に、既に別行動をとってしまったらしい。
『せっかちな人間め。まだこちらの打ち合わせも済んでないのに……』
舌打ちするアズライルの頭上から、見上げるとジルの攻撃が口火をなって、ルシフィとアデミーヴとの戦いも再開されていた。
激突する度に爆発したような音が響き、雷撃と雷撃が衝突したような、目まぐるしい攻防には軍団長二人も息を呑んだ。
ルシフィとアデミーヴは、アズライルやミスリードの目にも捉えがたいスピードで戦っている。しかも、ルシフィは相手の攻撃をいなし続けながら、プリエネルとの連携を阻んでいる。そんな芸当がアズライルに出きるとも思えず、ルシフィが加勢を拒んだ理由がわかった気がした。
『グズグズしている場合ではない。我々も行くぞ』
アズライルはベヒーモスから下りると、そのベヒーモスに後方まで退くよう手で払った。ミスリードは不審に思いながら、ベヒーモスの後ろ姿を追っていた。ベヒーモスの機動力はこれからの戦いに欠かせないものではないか。
『ベヒーモスの脚では、プリエネルという奴まで届かん』
『じゃあ、どうする気なのよ。さすがに私じゃ、アズにゃん背負えないわよ』
『いいから来い!』
アズライルは突如吼えて疾駆した。
足には尋常ではない力がこもり、踏み込む度に硬い大地にヒビがはしった。重い地響きの割に足は速く、ミスリードの飛行速度ほどはある。アズライルたちが向かう先に、魔弾砲の光弾を魔法陣のバリアで防ぐプリエネル姿が映っていた。
「かなり強固だな……。“雷槍”程度の威力じゃ通用しねえってか」
ジルは独白のつもりだったが、外まで聞こえたらしく、プリエネルからアルドの怒声が聞こえた。
“当然だよ!この神の身体がそんなもので傷つけられると思うかね!煙を巻き上げるだけだ!”
「……私にはそれで十分」
煙を割って、白い翼を広げたリリシアがプリエネルの右側に現れた。まだプリエネルの右腕は修復していない。完全な無防備でがら空き。リリシアは拳に神盾を形成すると、握る拳に力を籠めた。
“かかったね”
アルドのせせら笑いが、リリシアの耳にはやけに不快に聞こえた。
“わざと修復せずにいたが、見事に引っ掛かった。バハムート君の惨めな有り様を見てなかったようだな”
リリシアに砕かれたはずの聖魂が瞬く間に形を取り戻し、背後からリリシアに襲いかかってきた。だが、リリシアは身構え引いた腕をそのままに、真紅の瞳をプリエネルから離さず突進する。
“勇敢だが無謀。この間合いなら、君より私の方がはやいぞ”
「大丈夫」
“何?”
「そのために、仲間がいるから」
聖魂の鋭い爪が、リリシアの身体を噛み砕こうと迫った時、下方から無数に屹立した鉄の柱が聖魂を撥ね飛ばした。
「破城槌だと!?」
城門を打ち破るのに使われる破城槌が何故とアルドが目を見張っていると、伸び上がる一本の巨大な鉄の丸太の上部に、うずくまる男の姿がある。
『これも一応“武器”なんでな。俺のブリューナクでもつくれる。まあ、普通よりはちょっと大きすぎるが』
“シシバル……!君も私を裏切るか”
『裏切ってるのはアンタだぜ。弄ばれるために生きているわけじゃねえよ』
“なに!?”
『おっと、よそ見するなよ!』
いたずらっぽく笑うシシバルに促されるように、アルドがリリシアの姿を探すと、リリシア重い衝撃がプリエネルの頭部から伝わり、白銀の巨体は駒のように宙を回転した。体勢を整える間もなく、続くアッパーカットが更にプリエネルを上空に跳ねあげた。
『ジル、リリシア!頼むぞ!』
シシバルは叫ぶと破城槌から飛び上がり、破城槌を消し去った。代わりにシシバルの手には長弓が形成され、空中で矢をしぼるとプリエネル目掛けて弓矢を放った。矢じりは空を裂いてプリエネルの頭部を割って突き刺さった。
落下するシシバルの身体をリリシアが受け止め、その近くを雷撃が駆け抜けていく。ジルの魔装兵が射出した光弾で、シシバルの矢に当たると猛烈な爆発を起こして、半壊した頭部から白い煙をもうもうと立ち上げていた。
『ミスリード、貴様がとどめを刺せ!』
プリエネルを追っていたアズライルがミスリードに怒鳴ると、ミスリードも負けじとがなり立てた。
『岩でもぶつける気!?いくらなんでも、大して効き目ないわよ!』
『岩じゃない。直接、俺の渾身の一撃を叩き込む!』
『でも、アズにゃん飛べないじゃないの』
『ああ、飛べはしない。……だが!』
アズライルは獣のように咆哮した。足の回転も増し、太股は膨張し、筋量が増大したために特注のズボンは膝からしたが破れとんだ。上半身の鎧も砕けて岩のような筋肉を露出させ、ブーツは衝撃に耐えきれず千切れ飛んだ。裸足となった指先には、地面を割るほどの力が加わっている。
『俺は飛べはしないが……、跳躍には自信があるのでな!』
アズライルは踏み込むと、両足に全力をこめプリエネル目掛けて一直線に飛び上がった。貫く閃光のように勢いは凄まじく、唸る轟音は火山でも爆発したようだった。
『……まったく無茶苦茶ね』
ミスリードは呆れながらアズライルを追っていたが、すぐに表情を引き締めると、印を結び低い声で呪文の詠唱をはじめた。その間に、雄叫びをあげるアズライルは一気にプリエネルの上まで到達し、ハエタタキを上段に思いっきり振りかぶっていた。
『捉えたぞプリエネル!』
“……!”
『喰らえ、俺のハエタタキを!!』
魔装兵の手のひらがプリエネルの胸部に叩き込まれ、バグンという聞いたこともない爆発音とともに、白銀の巨体はボールを打ち込むように直下の地面へと落下していった。
『いいわねえ、アズにゃん。いっくわよー!』
ミスリードは真っ直ぐに右腕を天に掲げると、指先に太陽にも似た真っ赤な火球が生じた。膨大なエネルギーを放ち、鋭い稲光が火球から無数にほとばしった。
「……まずいかも」
リリシアとシシバルはミスリードが生じた魔法を見て、ギョッと顔色を変えた。元魔王軍のシシバルも知らない、初めて見る魔法だが、伝わる魔力は大炎弾や雷槍の比ではない。
『ミスリードのバカヤロウ。もう少しタイミングてものを考えろ!』
リリシアの神盾は広げすぎると効果が薄れる。捕われの身のバハムートまで守るには竜の身体はいささか大き過ぎる。あと数秒くらい待てないのか。
「ミスリードはさっきまで敵。私らのことまで考えない」
『ちっ!』
シシバルは激しく舌打ちすると、リリシアの腕を振りほどいて地上に飛び降りた。着地と同時に、爬虫類を連想させる両腕に有らん限りの力を集中させると、最大限に増幅された鬪気を地面に叩きこんだ。
『行け、魔手!!!』
叩きこんだ手のうちから、強烈な光が発せられ、巨大な破城槌がバハムートの頭上まで伸び上がった。破城槌は一本だけでなく、林のように次々と乱立し、やがて分厚い鉄の壁を構築していく。
ミスリードが魔法を放ったのは壁を形成した直後だった。
プリエネルの巨体が地面にバウンドし、押し寄せる衝撃波を前にしながら、ミスリードは恍惚にも似た表情を浮かべたまま高らかに叫んでいた。
『そーーーら!“神威烈撃波”!!』
ミスリードの手の内からカッと強烈な光が瞬いたかと思うと、炎の激流が押し寄せる衝撃波をかき消し、激流はその勢いを保ったままばく進していった。
ミスリードの最大魔法“神威烈撃波”。
自身で編み出した炎系魔法。
リリシアも戦闘中に二度ほど受けたが、神盾では耐えきれる自信がなく、かわすしか方法がなかった。いずれも虚空の彼方へと消えていったが、その凄まじい威力に慄然としていた。外見は気味悪くふざけている男だが、ミスリードが超一流の魔法使いであることには疑いようもない。
「この世は馬鹿ばかりか……」
迫る灼熱の熱波を目の前にしながら、アルドは奥歯を噛んだ。脳裏に古書で目にした古人の言葉が過る。
“君が至る栄光への道は遠く険しい。
君の行く手を阻む者は、敵だけではない。
君の背中には、無能な味方もいるからだ”
たしかにそうだとアルドは口の中で呟いた。
「……この神が苦境に陥っても、バカどもは何が起きているか理解もしていない。頼れるのは自分のみ」
アルドは小さく舌打ちした。
「結局、使えるのは“アレ”だけか」
熱波がプリエネルを呑み込もうとモニター一杯に炎が広がった時、アルドは咆哮するように叫んだ。
“アデミーヴよ、ここに来い!!”
刹那、激光がアルドの網膜を焼くと、強大な熱を持った爆華が、闇の荒野を燦々と照らし続けていた。