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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第15章「第二次グリュンヒルデの戦い」
183/243

あなたは永遠に美しいままでいて

 プリエネルが放った二度目の“トゥール・ハンマー”は、グリュンヒルデを駈け抜け、北のアルゼナへとむかっていた。前方には遮蔽物となる高い山も無いために、超高熱の巨大な熱波は、大気によってエネルギーが減殺されても莫大な破壊力を保ったまま突き進んでいく。

 リュウヤが恐れていた通り、トゥール・ハンマーは射線上に点在する村や町を次々と消滅させ、森や山を焼き砕きながら、やがて第二の戦場であるアルゼナの街まで到達しようとしていた。

 その頃、アルゼナの指揮官として街の守りにあたっていたタギル宰相は、軍議を終えたばかりだった。


『今日も相変わらずやかましい』


 司令室代わりに使っている倉庫から出てきたタギルは、倉庫の出入口で立ち止まると、顔をしかめて眩しそうに爆音が轟く青空を見上げた。透き通る空の下では、負傷兵を載せた荷車や投擲用の石や矢を載せた輸送車が、砂煙をあげながらひっきりなしに往来している。

 長い顔をしかめているのは、暗い倉庫から急に明るい陽の下に出たせいもあるが、疲労と眠気がタギルの身体に重くのし掛かってきているからでもある。

 目が腫れぼったく、耳鳴りも酷い。

 本格的な戦闘が始まってこの四日間、タギルはろくに睡眠をとっていなかった。魔王軍ムルドゥバ軍の大多数がこの地に集結し、砲声が鳴り止まない日は無い。砲火が天を焦がし、大地が痛みで悲鳴をあげているように思えた。

 森や草原も砲火に引き裂かれ、荒涼とした茶色の大地を剥き出しになる土地も目立つようになり、このまま長引けば、エリンギアの同じような荒野と化すだろうことは容易に想像できる。街の住民も戦争に備えて大多数がアルゼナを離れたが、このままだと帰る場所を失うかもしれない。


 ――早期に決着つけないとな。


『グリュンヒルデから、連絡はまだ入って来ないのか』


 自身と国力の疲弊を避けたいという思いから、タギルは傍らにいる側近のカクサムに尋ねた。


『どうも遅いですな。魔力の磁場が凄まじく、こちらからの無線やレーダーでは状況が把握できませんし……』

『伝書鳩だと戦火を怖がって逃げてしまう。伝令だけが頼みだが、グリュンヒルデからだと遠すぎる』


 スケサルスが、うなずきながら隣のカクサムに言った。


『どうにも、じれったい。が、どうにもならん』


 ムルドゥバ軍の主力が、グリュンヒルデへ奇襲する計画はゼノキアにも既に読まれていて、アルゼナと掎角きかくの計を以て主力を討つ段取りになっていた。ムルドゥバがケーナ出発の情報に合わせて、アルゼナからは既に軍を出したのだが、以降の情報が入ってこない。

 もっとも、魔王軍側のムルドゥバに読まれているのも百も承知だったが、新しい情報が入ってこないことが、タギルの神経を苛立たせていた。


『やはり軍務は辛いな。いつも後方の裏方仕事だから、この歳では尚更だ。ゼノキア様も、この老体に酷な仕事を命じなさる』

『それだけタギル宰相が信頼されているということです。我が軍が勝利すれば、世界も少しは落ち着きましょう』

『そしたら、休暇取らせてもらうか』

『駄目ですよ。ゼノキアに帰れば、宰相には山のような政務が待っておりますから』

『私を殺す気か』


 苦笑いして肩を揉みながら、タギルは倉庫の階段を降りようとすると、背後からタギルを呼ぶ声がして振り向くと倉庫の奥から将校が駈けてきた。

 通信係を務める男である。将校は敬礼するのも忘れて、手にした電報をタギルに示した。


『申し上げます!グリュンヒルデの本陣が全滅との連絡が……』

『全滅?苦戦でも占領されたでも、撃退したでもなく全滅だと』

『南下した軍からの、無線連絡がありました。巨大な閃光によって全滅させられ、焦土と化したと』

『……』

『ですが、被害は魔王軍だけではありません。ムルドゥバ軍にも被害は多数に及び、戦闘どころではない状況のようです』

『どういうことだ』

『……』


 問われた将校もどう回答すればいいのかわからず、途方に暮れて、そしてどこか恐怖も混ざったような緊張した面持ちのまま、首を振った。


『……わかった。まだ向こうと連絡は取れるのか』

『はい!』


 詳報を把握するため、タギルは急ぎ踵を返して倉庫内に足を踏み入れた。

 トゥール・ハンマーの熱波が押し寄せたのはその時だった。

 背後から射し込んだ激光によって、周りの視界がまったく見えなくなると、次にはぐにゃりと床が波打ち、タギルの身体が宙に浮いて倉庫の奥に押された。音が消え、突如、轟音が熱風がタギルの身体を吹き飛ばし、ぐるぐると宙の中を転がされるような感覚に襲われていた。何か重いものが背中に当たり、身体が止まったが強い衝撃にしばらく身動きできなかった。

 どれだけ時が経ったか、気がつくと辺りから砲声が止み、人の喚声もぴたりと聞こえなくなっている。恐ろしいまでの静寂が沈澱していた。


『う……』


 タギルが目を覚ますと、自分が分厚い壁の下にいることに気がついた。幾重にも積み重なり、タギルはその隙間にいた。腰のマインゴーシュがほのかな光を帯びてタギルの周りを結界が覆っている。

 ゼノキアから拝領した短剣と、爆撃を防ぐために頑丈な建物が功を奏して無傷で済んだらしいが、喜ぶ気にはなれなかった。

 カクサムとスケサルスの名を呼んだが返答がない。肉の焦げた臭いがし、臭いをたどると近くに炭化した骸があったが、カクサムかスケサルスか、先ほどの将校かわからないほど焼け焦げてしまっていた。別の誰かかもしれない。

 タギルは瓦礫から這い出て、周囲を見渡したがただ瓦礫の荒野が広がるばかりだった。激しい戦火も途絶えている。澱んだ空気と濃い煙が静かに漂っているばかりである。ムルドゥバ軍の砲声も既に消えてしまっていた。

 足下に無線機が転がっていて、これも奇跡的に無傷だった。南下させた軍に一部帰還するよう求めたが、何の反応もない。今の攻撃ですっかり焼かれてしまったらしい。

 重い疲労と虚脱感だけが残されて、タギルは瓦礫の中に力無くへたりこんだ。

 もう、耳鳴りには悩まされないで済んだらしい。

 ぼんやりと広がる地獄絵図を眺めながら、タギルはもうもうと立ち込める噴煙の行方を追いながら、廃墟と化したアルゼナの空を見上げた。

 見上げる空には、太陽が相変わらず、眩しく輝いていた。


  ※  ※  ※


『なんじゃ、あの化物は……』


 クリューネはプリエネルのトゥール・ハンマーが、黒天を貫くのを慄然としながら見送っていた。その威力はホーリーブレスを遥かに凌駕している。


「リンドブルム、行くぞ」


 トゥール・ハンマーが虚空に消えると、続いて大気を揺るがす爆烈音と火球が生じるのを見た。凄まじい速度で滑空する白銀の巨人――プリエネル――が無数の閃光を放っている。プリエネルの周辺で、蝶の羽根複数の翼が輝いていた。


「リュウヤと……ルシフィがおるのか?」


 何故、ルシフィがいるのかとか共闘しているのかだとか、プリエネルの正体が何かはわからなかったが、相当な距離があるにも関わらずプリエネルから伝わってくる禍々しい殺気は、倒すべき敵が現れたのだと考えるしかなかった。


「ティアよ、急げ」


 バハムートになればリンドブルムより速く着けるだろうが、この場合、正体不明の敵に対し一分一秒でも惜しい。


“姫、あそこに人がいますよ。どうも、魔族のおじいさんです”


 リンドブルムの声に促され地上に目を向けると、クリューネは荒野にうずくまる老人の姿があった。銀の長髪から魔族らしい。クリューネはリンドブルムに降下を命じて、岩ばかりの大地に降り立った。気持ちは急いていたが、動けないところから怪我をしているかもしれず、魔族だからと放ってもおけなかった。


「おい、じいさん。こんなとこにおると危ないぞ」

『……』

「しかし、お主どうやって来た。その足じゃ歩くのも大変じゃろ」


 目立った怪我はなく、安堵してため息をもらした。避難しているうちに、家族や仲間とはぐれて力尽きたのだろう。

 クリューネ・バルハムントはそう思いながら老人を見ていると、やけに敵意を持った眼差しでクリューネを注視してくるのを感じていた。警戒しているかもしれないとクリューネは出来る限りの柔らかく微笑をつくっていると、老人がおもむろに口を開いた。


『……クリューネ・バルハムントか』

「お、なんじゃ。私の名前を知っとるんか。意外と有名で照れるの」

『貴様は、私が誰かわからないのか』

「あ?エリンギアならともかく、ここらで魔族のじいさんに知り合いはおらんぞ」

『本当に、私が誰かもわからないのか』


 一瞬、老人はうろたえる様子を見せたが、その後はクリューネに目を据えたまま、口の端を歪ませたが、力が無く自嘲した笑みのように思えた。


「……?」


 クリューネは訝しげに首をひねった。

 悠長な問答をしている場合ではなかったが、心に引っ掛かる何かがクリューネを立ち止まらせていた。魔王軍の支配地域で、魔族の老人には心当たりがないはずなのに、確かにどこかで会った気がする。


『ゼノキア様!!』


 後方から絶叫するような声が響くと、キーロックを手にしたエリシュナが鬼のような形相でクリューネたちに突進してきた。


“いい加減にしつこい!”

「ティア待て!じいさんを巻き込むぞ!」


 サンダーブレスを放とうとするリンドブルムを抑えて、二人はエリシュナから退避した。そのまま追撃してくるかと思いきや、エリシュナは老人に駆け寄り、うろたえた様子で老人を抱き締めていた。さらに驚いたことに、あのエリシュナが女の顔になっている。

 クリューネはふと、エリシュナが何と叫んだか、こだまとなって返ってきた。

 たしかゼノキアと言ったか?


『私が誰だかわかるのか。エリシュナ』

『当然です。どうして、わからないなどということがありますか』


 襲いかかってきたかと思いきや、急に老人と悲恋劇まがいのやりとりを始めたエリシュナにリンドブルムは戸惑いを覚えていた。


“……誰なんです?”

「どうも、ゼノキアらしいな」

“あれが魔王ゼノキア?”


 ――フジョシ好みのイケメン。


 ティアマス・リンドブルムはゼノキアの顔を知らないので、決戦前にクリューネに訊ねたのだが、異世界の言葉である「フジョシ好みのイケメン」という表現は、リンドブルムにはいささか難解でいまひとつ理解できないでいたのだった。

 女性のよりも美しく整った秀麗な風貌で、彫刻のような隆々とした肉体で恐ろしく強大な魔力と剣技の持ち主とは聞いてはいた。だが、目の前にいる魔王は想像とはかけ離れ、みすぼらしくていかにもひ弱な老人である。


“どういうことです”

「私にわかるわけがなかろう」


 クリューネが渋い表情をしたまま呻くように言った。空に浮かび上がった魔法陣と何らかの関係があるらしいが所詮は想像でしかない。

 考え込むクリューネたちを嘲笑うように、強い熱風と轟く爆音がクリューネの身体をよろけさせた。見上げると、上空では白銀の巨人――プリエネル――が凄まじい速度で無数の光弾を放ちながら、上空を旋回している。プリエネルの傍で蝶の羽根が羽ばたくのが映った。


「リュウヤだ。あっちを追うぞ」

“え、でもゼノキアは……”

「リュウヤが戦っているんじゃ。状況わからんか。それどころではないぞ」


 クリューネの身体が金色の光に包まれ、バハムートに変身させると飛翔してリュウヤとプリエネルを追っていった。リンドブルムもぼやぼやしていられず、慌ててクリューネの後に従った。


『……エリシュナ、私も連れていってくれ』

『しかし、その身体では。どこかで休みませんと』

『休んでも意味がない。アイーシャ……いや、今はアデミーヴと言ったか。私の命は遠からず尽きるそうだ』

『……まさか』

『白銀の巨人プリエネルを動かしているのは、私から奪った力。“マスター”と自称している』

マスター……』


 マスターと自分で口にしてみて、なぜかエリシュナの体に思わず身震いが起きた。


『リュウヤとルシフィが戦っている同じ死ぬなら、この戦いの行方を見てから死にたい』

『……』

『頼む』


 細く頼りない指が、エリシュナの指に絡んだ。岩のようにたくましかった指先から、力強さを全く感じないことに驚き、エリシュナは胸が締めつけられるような苦しさを感じた。

 この御方は弱っている。

 死を目前にして怯え、ひどく苦しんでいる。

 この苦しみから解放してあげるには。

 自分がすべきことは。

 そこまでエリシュナが考えた時、不意に身体が震えると、身体の中から湧き出た涙がぼたぼたと流れ落ちてゼノキアの枯れた手を濡らした。


『……ゼノキア様。さぞ、お辛いでしょうね』

『ありがとう、エリシュナ』

『ゼノキア様のおかげで、妾がすべきことを決心いたしました』


 エリシュナはゼノキアの手を放すと、泣き腫らしたままゆっくりと立ち上がった。

 やはり私が見込んだ女なだけはあると、ゼノキアの中にあたたかなものが広がっていた。私に何があろうと魔王軍をまとめてくれるだろう。エリシュナに対しては特別な想いを抱いていたが、生まれて初めて“愛”というものが実際にあるものだと実感し、死の間際に自分の心に光が射し込むような感覚を味わった。


『ありがとう、エリシュナ』


 もう一度ゼノキアは礼を言って、エリシュナの手を掴もうと、差し伸ばしたゼノキアの顔が凍りついた。

 エリシュナは泣き顔のまま、キーロックをゼノキアに向けている。キーロックの頭部にはピンク色のエネルギーが滞留していた。


『さようなら、妾の愛しい人。これで皆の中で、あなたは勇猛で気高い魔王ゼノキアのままでいることでしょう』

『待て、エリ……!』


 ――ありがとう。


 うろたえているゼノキアを、エリシュナの混濁した頭はゼノキアがそう言っているように聞こえた。

 ゼノキアが望んでいることだから、自身も遂行するだけ。

 目を見張ったまま、すさまじい激光がゼノキアの網膜を焼いた。キーロックから放たれた花吹雪の熱波は、ゼノキアの肉体を一瞬で灰と化し、光の奔流に押し流されて塵のようになって拡散していった。

 やがて熱波が消えると、そこには天を仰ぎながら肩を震わせるエリシュナの前には、抉れた荒野だけが残されていた。

 埃っぽい乾いた風が、エリシュナを虚しく通り過ぎていく。


『妾がすべきこと。ゼノキア様の後を継いで成し遂げますわ』


 魔族の象徴である魔王の弱い姿を、これ以上晒すわけにはいかない。人間との争いはまだ終わっていないのだ。魔王に失望或いは絶望すれば、今後の士気にも関わる。人間や竜族も魔族を軽く見るようになるだろう。ならば、いっそ……。

 それをゼノキアが憂慮していたのだと、エリシュナは思った。

 愛している。

 誰よりも深く。

 エリシュナは袖で涙を拭い、プリエネルが去った暗い空を見上げた。涙は既に消えていたが、血走った真っ赤な瞳に、口元は耳まで裂けた邪悪な笑みを浮かんでいた。

 深い悲しみの底にあったのは事実だが、一方でエリシュナの紅い瞳は、次の未来を見据えている。

 獰猛な男たちが集う魔王軍をまとめるのは、エリシュナと言えども一筋縄ではいかないだろう。そのためには、誰の目にもわかる絶大な力が必要だった。“マスター”というプリエネルのような。


『……妾がゼノキア様の後を継ぎ、“マスター”になればいいだけ』


 呟いてみて、思わずククッと笑みが洩れた。

 エリシュナは翼を広げてプリエネルを追った。

 愛した男はもういない。

 これまでに多くの部下を失った。彼らのためにも、魔族のためにも、未来のためにも、これからは自分が思うがままに腕を振るう番だ。


『そう……、自分の思うがままに』


 魔族の時代を切り開くのは自分に懸かっているのだと考えると、身体がぶるりと奮えた。

 深い悲しみのどん底にいたエリシュナだったが、混濁した意識の中で、わき上がってくる高揚感にエリシュナの全身の血が熱く沸騰してくる。

 目の前の犯した罪の現実を、別の思考に転じて誤魔化しただけに過ぎないのだが、狂った思念から生じた喜悦の感情が抑えきれないでいる。

 エリシュナは、自分でも気がつかない間に哄笑していた。


『そうよ。妾が真の“マスター”エリシュナ。世界を支配者よ。そう、そうなのよ……』


 虚ろな視線を虚空にさ迷わせながら、エリシュナのけたたましい笑い声は止むことなく、暗闇が広がる空に響いた。


『皆の者、真のマスターを……、妾を崇めなさいよね。キャハ……、キャハハハハハハ!!!』

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