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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第15章「第二次グリュンヒルデの戦い」
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この悲しみと苦しみは、どれだけ繰り返されれば終わるのだろう

 傍で動く気配がし、セリナがうっすらと目を開けると、暗がりの船室の中、アイーシャが半身を起こしている。

 セリナはアイーシャ他十数名の子どもたちとともに、聖霊の神殿に帰る船に乗っていた。

 ムルドゥバには出港して、今日で二日目となる。

 子どもたちにとっては、故郷とも言える場所に帰れることもあって、漁船を手を加えただけの小さく狭い船にも文句を言わなかった。三十分ほど前までは大はしゃぎだったのだが、消灯時間を過ぎると、疲れが出たのから泥のように眠って小さな寝息しか聞こえてこない。


「どうしたの、トイレ?」

「ううん」

「お父さんがいなくて心細かった?」


 今ごろはムルドゥバを出発しているはずで、戦場に向かっている。次に会えるかなどという確証はなく、心細いというのはセリナの本心でもある。

 そうじゃなくてと、少し苛立ったようにアイーシャが言った。


「何か来るよ」


 アイーシャは宙をにらんでいるが、そこには灯の消えた船室しかない。周りでは、聖霊の神殿に帰る子どもたちが、毛布にくるまって雑魚寝している。


「来るって何が。魔物とか魔王軍とか?」

「ちょっと違う。でも、味方じゃない。すぐ消えちゃったけど、ムルドゥバで感じたすごい力……」


 アイーシャは柔らかな光をまとって、ふわりと宙に浮いた。近ごろは力の調整も出来るようになっている。寝ている子どもたちを飛び越えると、そのまま室外から出るという横着なことはせず、床の縁に腰掛けて自分の靴を履き、セリナが来るのを待っていた。

 セリナが靴を履き終えると、アイーシャはギュッと手を握ってきた。思わぬ強い力に驚いてアイーシャを見ると、緊張した面持ちで、外への扉を見詰めている。


「どうする?行くの」

「行く。お母さんたちを守らなきゃ」


 セリナとアイーシャは息を詰めるようにして、二人は船室の外へと出た。

 燦然とした月明かりが船を照らし、静寂な空間の中、船体が波を切る音が耳に聞こえてくる。船首側に目を向けると操舵室が見えた。正面側しかない操舵室には、舵を操る船乗りの背中が映る。この船ただひとりの船長で、岩のような身体をしていて、漁師の傍ら人や荷物を運んでいるというる。その船長がセリナたちに気がついて髭面の顔を向けた。


「どうしたい。眠れねえか」

「ええ、ちょっと」

「狭い船だからな。無理もねえか。俺も昔は遠洋で……」


 よほど暇だったのか、頼みもしないのに昔語りを始める船長の話を、上空から照らす強烈な紅い光が遮った。


「な、なんだ!」


 見上げると、紅い魔法陣を広げた魔空艦の黒いシルエットが夜空に浮かび上がっている。


「まさか、魔王軍?」

「いや、ありゃあ、ムルドゥバの船だな」


 セリナより船に詳しい船長が訂正した。その間も、アイーシャはじっと空を睨み据えている。


「……やっぱり、あの船から怖い力を感じる」


 アイーシャはセリナから手を離すと、さきほどより強い光を身体から放って宙に浮かんだ。


「アイーシャ!」

「危ないから、お母さんたちは少し離れていて」


 船長はあまりの出来事に、呆気にとられながらアイーシャを見上げていた。


「……来る」


 アイーシャが見据える先の、魔空艦上部に設置された見張台辺りで、ポッと光が灯った。刹那、紫色の強烈な火球が上空を鋭く旋回していると、不意にアイーシャへと一直線に突進してきた。

 アイーシャは両手を掲げ、魔力を滞留させる。迫る火球に向かって狙いを定めた。

 アイーシャに攻撃する力はない。相手を拘束し、転移させるのが狙いだった。


「このまま来るなら……!」


 アイーシャの両手から、激しい光量を宿した光の風が流れ、荒れ狂う火球を包み込んでいく。本来は守るために使うバリアであったが、身を守るよりも危険な物体を遠ざける方が良いと、アイーシャは瞬間的に判断していた。

 守る。

 お父さんのように。

 わたしを守ってくれたお父さんのように。

 アイーシャの脳裏には、襲いかかる寸前にベルゼバブに剣を突き立て、押し退けたリュウヤの姿が強く残っている。

 あんな風になりたい。

 自分にはそれだけの力がある。なれるはずだとアイーシャは自分に言い聞かせていた。


「どっかにいっちゃえ!」


 だが、アイーシャが叫んだ瞬間、アイーシャに異変が起きた。ガクンと身体に衝撃がはしり、光の風が紫の火球に吸い込まれていく。


「これ、あの時と同じ……」


 アーク・デーモンを浄化しようとした癒しの光を吸収した力。アイーシャにも説明がつかなかったので、ただの疲れかと思い込み、今日まで誰にも言っていなかったのだが、その原因がようやくわかった気がした。

 光を吸い続ける中、紫の炎が拡散し、その下から現れた銀色の甲冑をまとった影が姿を現した。


〈ワタシノ、ナマエハ、アデミーヴ〉

「アデ……、ミーヴ?」


 アイーシャが問い返す間もなく、アデミーヴを覆っていた紫の炎は散ると、無数の触手ような形をつくりだし、風と絡み合うようにしてアイーシャの身体を伝っていく。


「アイーシャ、逃げて!」

 セリナの叫びも虚しく、アイーシャは身体ががんじがらめに拘束された感覚に陥り、全く身動きができなくなっていた。


「お母さん……」


 タスケテと叫びたかったが、意思すらも拘束されて言葉を満足に発することもできなくなっていた。アイーシャの風とアデミーヴの炎が混じり合い、風と炎はリングのようになって二人を囲んでいった。


〈ワタシハ、アナタニ、チカラヲエタ〉

「……ちからをえた」


 アイーシャは頭の中がぼんやりして、まともに考えられなくなっていた。

 真っ暗な空間を漂っているような感覚だったが、恐怖も寂しいとも思わなかった。眼下ではセリナが泣き叫んでいたが、それも遠く、やがて闇の中へと消えていった。

 瞳は虚ろとなり、アデミーヴの姿が見るともなしに、ぼんやりと映っていた。


〈ワタシハ、アナタ〉

「わたしは、あなた」

〈アナタハ、ワタシ〉

「あなたは、わたし」

〈ワタシノナマエハ〉

「わたしのなまえは……」

 アデミーヴとアイーシャは互いに右手を掲げると、間から目映い光球が生じ、二人の姿は光に隠され見えなくなってしまった。


「アイーシャ!」


 忽然と光が消えた。

 闇夜の空に、ひとつの佇む影がある。

 銀色の甲冑を着装した幼き少女。影がまとっていたものだ。


 そして、ほんの数分前まで、手を繋いでいた我が子がそこにいる。

 だが、セリナに向ける目は冷たく、存在すら認識していないのではないかとすら思えた。


「アイーシャ……」


 変わり果てた娘に絶望しながらも、それでもセリナは叫ばずにはいられなかった。

 

「お母さんよ。ねえ、アイーシャ。聞こえないの、アイーシャ!」

 セリナの声に、アイーシャだったものはゆっくりと小さな口を開いた。


「わたしの名前は“アデミーヴ”。偉大なるマスターと、共に歩む者」

「何を言ってるの……」


 わななきながら手を差し伸べるセリナを、“アデミーヴ”は無感情に見下ろしていた。

 やがて、魔空艦から光信号がチラチラと瞬くのを認めると、アデミーヴは頷き、セリナたちへとおもむろに小さな手のひらを向けた

 瞬間、大きさとしては小指の先ほどしかないが、強烈な光を放つ光球が生じた。


「……アイーシャ。ダメよ、ここにはみんながいるのよ。……やめて、やめて!」

「“(マスター)”の意思、絶対」


 言い終わると同時に、カッと目が眩むほど激光が広がった。セリナも隣の船長も光に呑み込まれていく。

 光の中で「あぶねえ!」という船長の声とともに、黒い影がセリナを覆った。そして、次の瞬間にはセリナの身体は宙に浮き上がり灼熱の熱波と轟音がセリナを押し流していった。


 どれほどの時間が経ったのか。

 身体中を駆け抜ける激痛が、セリナを覚醒させた。うっすらと目を開けると満天の星空が見えた。身体が水に浸されている。口の中に塩の味がし、どうやら海に落水したらしいとぼんやりと想像した。

 沈まないで済んでいるのは、衣服が船の板切れに引っ掛かっているからだろう。

「……」 あぶねえと叫んだ船長を思い出し、おそらく船長がかばってくれたおかげで死なずに済んだとは思い、残った力で何とか首を動かし、船長の姿を求めた。

 すると、すぐ傍に黒い塊が浮かんでいるのに気がつき、セリナは手を伸ばすと塊は波に揺られて向きを変えた。


「船長さん……」


 セリナの目の前には、絶叫したままの状態で炭化した船長らしき物体が浮かんでいた。泣き叫ぶ力もなく、セリナは顔を背けると、海の上には船残骸に紛れてぷかりぷかりと無数に漂う人の影が映った。

 その正体が何かとわかって、身体の中に抑え込んでいた感情が涙となって溢れ出た。


「嘘よ……。みんな……」


 少し前までアイーシャと一緒に船ではしゃぎ、未来を夢見て眠りについていた子どもたち。

 これまで危険なことはたくさんあった。

 それでも何とか乗り越えてきたはずなのに。離れた時期はあったけれど、ずっと一緒だったのに。

 想像もしない、ほんの一瞬で全てを奪われた。


「……任務、完了。“アデミーヴ”、帰艦、します」


 アイーシャだった者の声とともに、視界の端にポッと火がともるのを見た。

 セリナが視線を移すと、空に佇むアデミーヴの身体を紫の炎が包み、あっという間に魔空艦へと飛翔していくのが見えた。

 火球が魔空艦に消えると悠然と旋回し、空の彼方へと消えていった。


「アイーシャ……」


 また失った。

 何度目かに味わう無力感に、セリナは叫ぶ力もなくなっていた。かかる波と涙が視界を滲ませたが、拭いもせず呆然と空を見上げていた。しかし、空を見上げても、星の瞬く夜空は無情に煌めいているだけだった。

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