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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第15章「第二次グリュンヒルデの戦い」
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この身を以て

 王都ゼノキアの宮廷はムルドゥバの事件で騒然としていた。事件の顛末は朝議の間でタギル宰相から詳細を知らされ、文武百官は皆一様に驚きを示したが、ムルドゥバが大被害を受けたことに対して歓喜する者はごく少数で、多くは戸惑いや懸念、不満といった声の方が強かった。

 まだ戦火の傷や疲れは癒えていない。

 タギル宰相がゼノキアを呼びに行くため、朝議の間から離れると、将校たちは三々五々に分かれて額を付き合わせていた。


『ところでアズにゃん、結婚生活どうなの』

『おい、誰がアズにゃんだ』

『しかし、歳の差が倍以上もある子と結婚するとはね。男色には縁無いと思ってたけど、ロリコンだったなんて。ミスリード、ショック』

『リディアは立派な女だ。おかしなことを抜かすな』


 いつもと変わらないのは、ミスリードくらいなもので、最近結婚したばかりのアズライルをからかい、わざと怒らせている。そんな二人を横目に、他の将校たちの表情は一様に重く暗い。


『“降魔血界(ワクテカ)”まで使ったと言っていたな。伝説のケスモス老まで引っ張り出したのか』


 朝議の間の外廊下で三人の将校が集まり、その一人が声を潜めて言った。


『しかし、街に甚大な被害を与えたといっても、肝心のアルドを始末出来なくてはな。成功というにはほど遠い』

『バハムートの他に、竜族の生き残りもいたとか。竜族も出てきたとすれば、ますますムルドゥバは力を増していくな。……くそ』

『バハムートはともかく、やはりリュウヤ・ラングだ。相変わらず恐ろしい』


 恐ろしいと口にした将校は、その途端、身震いを起こしていた。


『結界を剣で破るなど、貴様らに考えられるか。しかも、ケスモス老が命まで懸けて結界を』


 ひとりが見回しながら言うと、他の二人は深刻な面持ちで首を振った。

 召喚魔法で張られる結界は特別なもので、結界を上回る魔力か解除魔法が必要となる。

 ケスモス老はゼノキアとはかつては敵同士で、ゼノキアの魔力に破れて配下となった。

 強大過ぎる魔力の影響か、病気がちで“深淵の森”に引っ込み、その後はエリシュナの側近となっていたが、一振の剣に破られたなどと聞いたこともない。


『しかも、闇の王ベルゼバブを一刀両断か』


 他のひとりが腕組みをしてうなった。ベルゼバブという、魔王軍の若い将校でも図鑑でしか目にしたことのない化物を、どう戦ったのか想像も出来ないでいる。

 王都ゼノキアもゼゼルというレジスタンスのスパイがいたように、ムルドゥバにも魔王軍のスパイは数名潜んで活動している。

 決行直前にリリベルから計画を打ち明かされると、取るものもとりあえず命からがら逃げ出して、郊外から街の状況を確認していた。

 戦闘が終わる頃、ハーツ・メイカという男と出会い、エリンギアの魔族と偽って車で港まで乗せてもらい、王都ゼノキアまで逃れてきたという。

 そのスパイたちからタギルを通して語られたリュウヤ・ラングの剣技と獅子奮迅の働きは、朝議の間にいる武人たちを慄然とさせた。


『奴は本当に、“竜の力”を失ったのか。人間どころか魔族の範疇はんちゅうを超えている』

『リュウヤにまだ竜の力があるなら、あのレジスタンスが作ったという蝶の羽根など使わないだろう』

『どちらにせよ、奴の強さは本物だ』


 本物。

 口にしてみて、自分たちがどんな相手をしているかを思い直し、将校らは押し黙ってしまった。

 しかもリュウヤ・ラングは敵の総大将ではない。部下すら持たない、レジスタンスの一剣士に過ぎない。

 戦火が開き、化物のような男と剣を交えるという重い気分が、そのまま愚痴となって将校の口から吐き出された。


『まだ、先の戦いの傷も癒えてないのに……』


 言いながら自身も戦場で受けた傷が疼き始めたのか、しきりに肩をさすっている。

 傍の将校が同意するようにうなずいた。近頃ようやく新兵も揃い、基礎訓練が始まったばかりという不安や、何も知らされていなかったという強い憤懣が将校たちの間にある。


『野生のベヒーモスやグリフォンを捕まえて、戦力として使えるように飼い慣らすまでに、少なくとも半年は掛かる。乗りこなせる兵士の育成も。ムルドゥバの魔装兵(ゴーレム)のようにパーツを取り換えるでは済まんのだ』

『ムルドゥバとは決着はつけねばならないが、まだ時機ではないはず』

『いったい、エリシュナ様は何を考えておられるのか』

『私もこの件を詳しく知りたいところだ』

『お前もそう……』


 不意に将校の会話に割り込んできた声に反応して振り向くと、将校たちはその場で凍りついた。顔色は潮がひくように青ざめていった。朝議の間にいたアズライル以下の将校らも、その姿に気がつくと雑談をやめ、急いで整列した。

 そこには、魔王ゼノキアが立っている。


『皆、揃っているな』


 朝議の間を覗き込むゼノキアの後ろでは、タギル宰相がじっと目を瞑って控えている。将校らには、観念しろと言っているようにも見えた。激情家としても知られているゼノキアである。先の戦時撤退を進言した部下を斬り捨てたことは、誰の記憶にも強く残っている。


『早く入れ。始める』


 苦り切った色を浮かべているが、将校たちの言葉に対して怒りを抱いているわけではないらしく、考え込むように朝議の間に入っていった。


『ゼノキア様の言う通りだ。早く入りたまえ』


 将校たちを促すタギルは安堵した表情で、将校たちを見渡していた。

 命拾いしたと思うと急に膝の力が抜け、その場でへたりこみそうになる。ひとりは仲間に肩を貸してもらわないと歩けないくらいによろめきながら、将校たちは朝議の間へと入っていった。

 ご苦労だと厳しい表情のまま、ゼノキアは玉座に腰掛けると、群臣を見渡してから言葉を続けた。


『タギル宰相から事の顛末は耳にしたと思う。しかし、諸君らには“なぜ今”と納得できない者も多いだろう。私もそうだ』

『……』

『しかし、エリシュナに問い質したが、皆の前で話すと言ったきり、口を閉ざしている。そのこともあって、急ぎ集まってもらったのだ』


 威圧感のあるゼノキアの声には、迷いや戸惑いがあるのを居並ぶ者たちは感じ取っていた。細い眉をひそめ、ゼノキア自身もエリシュナの独断に困惑しているようだった。


『お待たせえ。悪いわね』


 不意に軽薄とも受けとれるエリシュナの声が、後宮に繋がる奥の出入口から朝議の間に響いた。あっけらかんとした陽気な口調に、ほとんどの者が反感を覚えながら、声が発せられた方を見ると一斉にどよめきが起きた。

 ゼノキアも驚愕して、目を見張っている。


 ――私の前でも、素顔を嫌がっていたのに。


 エリシュナは、顔の右半分を覆う仮面を外して手に下げていた。

 額から頬にかけてはしる醜い刀傷を露にし、悠然と歩いてくる。微笑を讃える笑顔には凄みすらあった。


『ごめんなさいねえ。勝手なことしちゃって』


 指先をひらひら群臣たちに振っていたが、すぐに真顔になって、ゼノキアの前に跪いた。


『エリシュナ、参上しました。この度の件、独断にも関わらず不首尾となり、万死に値します』

『……ちぇっ、空々しい』


 将校の一人が呟いた。

 もちろん、口の中でである。周りに聞こえていたら、彼は生きていない。

 ゼノキアはしばらくの間、エリシュナの頭にじっと目を注いでいた。意図や行動が不可解で愛する妻に裏切られたという気分は薄く、不思議と怒りはなかった。

 聞きたいことは山ほどある。

 しかし、ゼノキアの疑念は、一番先にエリシュナの仮面へと向けられていた。


『なぜ、その仮面を外した』

『妾も武人。武人たるもの、傷のひとつやふたつはあります。いちいち恥ずかしがってはいられません』

『いったい、どういう心変わりだ』

『妾を、后の座から降ろしていただきたいのです』


 小さなざわめきが波のように起きた。そのざわめきを制するように、エリシュナはすぐに声を張り上げ言葉を続けた。


『次の戦は雌雄を決するものとなりましょう。願わくば来るべき戦に備え、先陣としてムルドゥバ軍に当たらせて下さい』


 エリシュナの言葉が終わると、朝議の間のざわめきが一際大きくなった。ゼノキアは無言でいたが、エリシュナはじっと見返している。


『どういうことだ。お前はなぜ、そこまで戦を望む』

『今、この時しか魔王軍が勝てる見込みはありませんから』


 エリシュナの言葉に、朝議の間はしん、と静まり返った。


『時機を失すれば、我々はムルドゥバに破れます』

『失敬な。魔王ゼノキアの后ともあろう人が』


 アズライルが声をあらげて、エリシュナの小さな背中を睨んだ。エリシュナは少しも動じた様子もなく、わずかに振り向いて、アズライルの強烈な視線を跳ね返した。


『我らが人間どもに負けるだと?』

『ええ。このままだったら、将来負けるわねえ。アズにゃんもウスウスはわかっているんでしょ。たとえ勘でも』

『バカな……』


 笑い飛ばそうとして笑いきれず、アズライルの表情がひきつったままでいるのを、群臣一同が驚いていた。

 あの猛将アズライルがムルドゥバを、人間を恐れている?

 表情が固まるアズライルを捨てて、エリシュナは正面を向いた。


『野生のベヒーモス一匹、百日掛けてようやく人の声になつくようになると聞きます。しかし、ムルドゥバの魔装兵(ゴーレム)がつくられるのが、およそ三十日かけて一体』

『……』

『ゼノキア様が機械を嫌うのもわかります。我が魔族は、人間たちよりはるかに身体能力や魔力に恵まれ、機械など必要としない。邪道であると』

『……』

『でも、人間たちはその邪道を巧みに操りここまできた。ゼノキアも、皆も本心ではわかっているはず。ゼノキア様が各地を転戦したおかげで五分に持ち込んでいたけれど、そうでなければどうなっていたかと。撤退を進言して、斬られた人は可哀想だけど、核心を当てすぎたわね』


 ゼノキアの顔が真っ赤になったが、愛妻を前に怒鳴ることができないでいる。口調は軽々しくも、いい加減なことを言う性格ではないとわかっているから、怒りをすぐにおさめて黙って耳を傾けている。

 エリシュナは他の者が言いにくいことを言っていた。しかし、愛妻という立場であるエリシュナでなければ、誰も言えなかっただろう。


『……魔装兵(ゴーレム)を中心に機械を取り入れたムルドゥバの経済力や生産力は、過去の人間たちの歴史に類を見ず、目を見張るものがあります。この勢いのままでは魔王様御一人の力があっても間に合わず……』

『我らが負けるか』

『はい』

『言いたいことはわかる。しかし、我々、少なくとも私やタギルに相談するべきだったな』

『反対されたでしょうから』

『なら、なおさらだ。相談もなく独断で行い、結果も成功とは言い難い。后の座から下り、先鋒を買ってでたくらいで済むと思っているのか』


 強い口調ではあるものの、ゼノキアはエリシュナに強く物を言い、群臣らに謝らせればいいと考えていた。ルシフィは戯れに産ませた人間の子でしかないが、エリシュナは未来の王子を産む魔族の女。

 強く美しく驕慢な性格にも愛嬌があり、ゼノキアはこの女を深く愛していた。罰を与えたり、后から下ろすなど考えてもいない。

 だが、エリシュナはゼノキアの問いに予想もしない行動で返してきた。


『……そうですね。妾の気持ちを皆に示さないと』


 エリシュナはおもむろに立ち上がると、諸官に向き直った。


『妾の名はエリシュナ!妾は誓う。一介の武人として、あなた方とともに戦うことを。その覚悟をあなた方にここで示そう!』


 凛と澄んだ声で叫ぶと、左手に猛火の塊が生じた。

 突然の凄まじい熱波に、ゼノキアやアズライルたちが身構えると、次の瞬間、エリシュナはその炎を自らの顔に押しつけていた。

 ジュワと肉の焼ける音とともに、エリシュナの絶叫が朝議の間に響き渡った。

 思わぬ行動に、朝議の間は騒然となった。


『何をしているか、エリシュナ!!』


 ゼノキアが玉座から立ち上がった時には、肉を焼いた生々しい臭いが朝議の間に充満し、エリシュナは絶叫しながら床でのたうち回っていた。


『バカな。なんてことを……』

『医者だ!医者を早く呼べ!』


 タギルやアズライルが急ぎ指示を送る中、ゼノキアは暴れるエリシュナを押さえつけると、傍に来たミスリードとともに魔力を集中させて治癒魔法を唱えた。

 二人の強い魔力に癒され、エリシュナの声も小さく呼吸も落ち着いていく。しかし、醜く歪んだ皮膚はなかなか元通りに治らない。

 エリシュナもまた、強大な魔力の持ち主である。

 ミスリードとゼノキアの治癒によっても、火傷の痕はグズグズと不気味に蠢いていた。


『……酷い火傷。これ残るわね』


 膨れ上がったみみずのような火傷に、ミスリードは唇を噛み締めていた。

 大丈夫ですとエリシュナは蚊の鳴くような声で、唇の隙間から言葉を洩らした。


『……目が見えなくては、さすがに戦いに支障がでます。ですから、せめて顔まででご容赦を……』

『なぜだ。なぜこんなことをする』

『ゼノキア様は……妾の醜い刀の傷を、魔王軍の誇りだと讃えて下さいました。魔王軍のためを思えばこそ……。しかし、思うだけでは……』

『わかった。お前の気持ちはよくわかった』

『では……、妾を戦列に……、加えていただけるのですか』

『ああ。だが、お前は私の后だ。何があってもだ。それだけは許さんぞ』

『……ありがとう……ございます』


 エリシュナは力なく微笑を浮かべていたが、そのまま身体から力が抜けていった。

 医者が担架を持った従者数名を連れて、朝議の間に駆け込んできた。エリシュナの容態を素早く確認すると、火傷用の薬草を塗布しながら従者に命じて担架に乗せ奥へと運ばせていった。

 ゼノキアは運ばれていくエリシュナをじっと見送っていたが、感情のない声でタギルの名を呼んだ。


『アズライル、ミスリード以下の軍団長は、この後、獅子の間に集まらせろ。他の者は急ぎ出兵の準備をせよ』

『は、はい』

『それと、望み通りに先陣をエリシュナに任せるが、皆に異論は無いな』


 振り向くゼノキアの問い掛けに、群臣一同、言葉もない。

 驕慢、不遜、跌蕩放言。

 野心家とも言われ、新たな妻に選ばれた時期と、王子ルシフィが後継者から外され、追放となったことが重なって、エリシュナを奸婦と警戒する者もいた。しかし、身を呈した行動に心打たれぬ者はなく、奸婦と疑いを抱く者はこの場からいなくなっている。

 

『エリシュナ様が先陣、我らも誇りに思います』


 タギルを始めとした居並ぶ男たちは跪くと、勇敢なるエリシュナへの敬意を込めて深々と頭を下げた。

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