そこに地獄を見た
白い輝きを放つ無数の魔法陣から次々と現れた異形の怪物――アーク・デーモン――の群れを、群衆は息を呑みながら見上げていた。
「お主ら、はやく逃げろ!」
屋根の上から聞こえる女の怒鳴り声と白い巨人の姿に、誰もがただ事ではないとは感じていたが、多くは突然の事態に頭の中が痺れたようで、まるで身動きできないでいた。
ある者は恋人と一緒に歩いている最中で、予約のレストランに向かう途中だった。付き合って一年、停戦で世間も落ち着き始めたこともあって、昨日プロポーズしたばかりだった。
「あれ、なんなの」
「わからん。わからないけど……」
「屋根の子、逃げろって言ってるよ」
「ああ……」
そうだなと男が答える間も無く、次の瞬間には上空のアーク・デーモンの一匹が眼前まで迫っていた。
「あ」
きょとんとしたまま、踏み下ろされる足の裏が恋人たちの視界に広がっていく。身動きできない恋人たちは、何の言葉も発せ無いまま、アーク・デーモンの下敷きとなった。巨人は逃げる人々を追って、悠然と前進する。アーク・デーモンが去った痕には、果実を潰したように、皮だけとなった恋人たちが、手を繋いだままの状態で残されていた。
ある男は、危険をいち早く察知し、街の外まで逃げようとした。見える先の平野にはアーク・デーモンの姿は無い。
「あそこまで行けば……!」
しかし、街を抜けようとした瞬間、何かにぶつかり弾き返された。手を伸ばしてみると見えない分厚い壁に遮られている。押しても叩いてもビクともしなかった。
男は諦めて別の場所を探そうした。しかし、男の後から逃げ惑う人々が次々に押し寄せてくる。
「駄目だ!ここから先へは行けないんだ!」
しかし、男の叫びも虚しく悲鳴と喚声にかき消されてしまい、男は群衆の波に流された。
「よせ!くる……、く……」
男はそのまま群衆と壁の間に挟まれ、その猛烈な圧力で身体中の骨を砕かれながら、潰されて死んでいった。
「助けて!助けてよ!」
「何だよ!何で前に行けねえんだよ!」
男を圧殺した群衆も、無事では済まなかった。
後方からヌラリと黒く巨大な影が彼らを覆い、振り向くとアーク・デーモンが嘲笑うかのようにうずくまっている。
言葉を失い立ちすくむ彼らに、アーク・デーモンはやがて洞穴のような口を開くと、その奥から吹き荒れる猛火が数百もの群衆をあっという間に炭へと変えていった。
ある者は衝撃波で飛んできた石の破片に腹を割かれ、腸を振り回しながらのたうちまわっていた。
ある者は頭を吹き飛ばされて即死していた。
ある者は絶叫しながら地べたに這いつくばり、目の前で粉砕された我が子の肉片を探しはじめた。
夜空を焦がす猛火はみるみるうちに建物や工場を焼き、街を暗い炎が包み照らした。老いも若きも男も女も関係なく、人間という人間が街の至るところでアーク・デーモンによって殺されていった。悪魔が吼え、人は肉塊と化し、死が撒き散らされていった。
「ティア、後ろだ!」
クリューネの“臥神翔鍛”がティアの背後をとったアーク・デーモンを呑み込み、上半身を吹き飛ばしていった。
初めの一匹目を倒してみて、一匹一匹なら勝てる相手だという手応えがクリューネにはある。クリューネの力がそれ以上なのか、伝承ほどの恐ろしい相手ではないように感じていた。
しかし、次から次へと現れるアーク・デーモンは余りに数が多すぎた。今も空に魔法陣が浮かび、十数匹のアーク・デーモンが現れ、住民たちをためらいなく襲いかかっていった。幾ら倒してもキリがなく、虐殺される町の住民を見殺しにせざるをえなかった。
「まだ軍は動かんのか!」
“竜眼”で宮殿方向を睨むと、二十体ほどの魔装兵が集まっているが、防戦しているだけでそこから動こうとしていない。半分、もしくは五体だけでも割けば、被害の状況は大きく変わるのにと、怒りで熱くなった頭が爆発しそうだった。
「あいつら、アルドがそんなに大事か」
呻きながらクリューネは、振り向き様に“臥神翔鍛”で背後に近づいたアーク・デーモンを焼き払った。
「ティア、何をしとる。しっかりしろ!」
「あの子……、僕は、僕は……!」
クリューネは傍で泣き崩れているティアの腕をつかみ、身体を引っ張り起こした。
竜族といっても、ティアは幼い頃から人との関わりが長い。
戦闘中、身体を八つ裂きに殺された子どもを目の当たりにしたのがショックで腰が砕けてしまい、顔は涙と鼻水でべとべとになっていた。
ティアにも見知らぬ子どもだったが、殺される直前に訴えるような目がティアのまぶたにはりついていた
「泣いとる場合か。お主の力を発揮させる時だぞ!」
「でも、でも……!」
「セリナたちを守るためにも、街を守るためにも。術者を見つけ、リリベルも奴らを倒すぞ」
「……」
「怒れ。いいか、仇をとるぞ!」
怒れ。
仇をとる。
ティアの震えが止まり、凝然とクリューネを見上げた。恐怖が消えると、内から沸々と熱い感情がわき上がってくるのをティアは感じていた。
怒れ。そして、仇をとる。
ティアの心に、クリューネの言葉がピッタリとおさまった。
あの子は、これまで会ったことも話したことも無い子どもだった。何の罪もないはずだ。ただそこにいた。それだけで。
――許せない。
「必ず……、仇をとります」
ティアは顔を拭い、呼吸を整えると、勢いよく立ち上がって迫りくるアーク・デーモンを睨み据えた。
「頼りにしとる。一気にいくぞ」
「はい」
低く、力強い声でティアが応じた。
男らしい声だとクリューネは思った。
ハーフのクリューネと異なり、ティアは竜が素の姿である。
バハムートのように時間制限もなく、純粋な竜族なだけに、魔力や身体能力は人間よりもずば抜けている。状況によっては、ティアの方が役に立つとクリューネは思っていた。
「臆するな。お主は青竜リンドブルム」
「はい!」
クリューネの身体を金色の光が、ティアの身体を青い光が包んだ。二人の小さな身体は、瞬く間に変異し巨大化していく。
突然現れた光に、アーク・デーモンは怯んでたじろぐを見せると、咆哮とともに屹立した二本の巨大な閃光が虚空を駆け抜け、数匹のアーク・デーモンを一瞬で消し去っていった。
「竜だ……」
生き延びた人々は、名状し難い吐息とどよめきを起こしながら空を指差した。
悪魔たちがたじろぐ姿に、地上の人々は救いの神を見た思いがしていた。二匹の竜はそれぞれ雄叫びをあげてアーク・デーモンの群れへとばく進していく姿を勇ましく見つめていた。
“我が名は神竜バハムート。青竜リンドブルムとともに、我ら竜族の力をとくと見よ!”
※ ※ ※
「アルド将軍、工業地帯と街も中心部が壊滅的な打撃を受けております。ここも危険です。早く退避を……」
「我々は相手の結界に閉じ込められているのだろう。救援も望めない。どこに逃げろと言うのかね」
「そ、それは……」
「この部屋は総司令本部だ。逃げるわけにはいかんよ」
アルドは執務室に駆け込んできた将校を一睨みすると、再び窓の外に視線を向けた。鞘ぐるみに抜いた長剣を、杖のようにして立っている。アルドの執務室は、臨時の総司令本部として使われていた。
無線通信機や有線通信機、机が幾つも室内に持ち込まれ、将校の怒号が四方八方から飛び交って、執務室内は喧騒が渦巻いている。
赤々と燃え盛る街から、白い悪魔たちを薙ぎ払いながら、空に二匹の竜が飛翔するのが見えた。ほうとアルドは目を細めた。
「竜族はさすがにやるな」
敵は見誤ったなと、口の中で呟いた。
厳重な監視や検査の目を掻い潜り、厄介なリュウヤらが不在の状況を狙って、おそらく周到な準備をしてきたのだろうとアルドは推測した。しかし、クリューネやティアマスという竜族の生き残りが街にいたとまでは把握できていなかったらしい。
アルドは将校の一人を呼んだ。
「……“プリエネル”と“人造兵器”はどうなっている」
「プリエネルの起動はいまだ困難、出せるのは人造兵器のみ。それも最大出力は四〇パーセント程度とのことです!」
「プリエネルはともかく、人造兵器はかまわん。この非常事態だ。急がせろ」
「は、はい!」
「それと、竜族の働きによって我々は優位にある。そろそろ魔装兵も一隊出撃させて、竜族の援護に向かえ。結界の術者も早く見つけるように」
「了解しました!」
将校が伝令役となって執務室から飛び出していき、通信係の将校が机に広げられた街の地図を見ながら、有線無線を使って指示を送っている。
アルドは窓の外に視線を戻した。魔装兵が放つ光弾の紅い光が、室内を激しく照らす。魔装兵でもアーク・デーモンに充分対抗できている。ここの守りは残りの部隊で充分対応できる。
アルドは剣を携えたまま自分の執務机に向かい、引き出しからグラスとウィスキーを取り出すと、軽く注いで一息に飲み干した。
心地よい酔いが全身を巡り、恐怖心の代わりに高揚した気分がアルドを沸き立たせた。もっとも顔に出す性格ではないから、口の端を歪めた程度ではあったが。
まだまだ多くの人間が死ぬだろう。
しかし、敵は強大。全てを守りきれれるものではなく、多少の犠牲はやむを得ないことだ。
「何よりも、私が死んでは、この世界はどうにもならんからな……」