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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第14章「血のムルドゥバ」
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戦慄の降魔血界(ワクテカ)

 その日、ムルドゥバは朝から雨だった。

 陰鬱な黒い雲が空を覆い、夕刻に近づいて陽が沈む頃になると、街は不気味な闇に包まれていた。冷たい風が街を通り過ぎ、小路を歩く者は、部屋や街灯の灯り、水溜まりに反射する淡い光を頼りに、人々は身を縮めて帰路を急いでいく。


「ありがとうございましたあ」


 ティアが頭を下げて客を軒下まで見送ると、暗い空を見上げていた。雨は雑貨屋に来た時に降り始め、ティアは濡れないように帰り道の経路を考えていると、店の奥から陽気な笑い声がした。ティアは後ろを振り向くと、深いため息をついた。


「……そしたらナギたらの、柄にも無く大はしゃぎしよって」「まあまあ、あの人にそんなお茶目なとこが。見たかったわねえ」


 店の奥からは、クリューネと老婆の弾んだ声が聞こえてくる。

 ティアがムルドゥバに来てから、もう一週間になる。当初は市街を走る車や街のあちこちに佇む魔装兵(ゴーレム)などの姿に驚き、町に溢れる活気と人の多さに目を見張っていたものだが、三日もすれば街に馴れてしまい、自分の使命を果たせていないことに焦燥感や忸怩たる想いを抱いていた。

 今日までに何度か説得を試みようとしたが、食堂でみせた怒りの形相が今もまぶたの脳裏に焼きついて、話を切り出せないでいる。

 そうこうしている内、ティアはクリューネに雑貨屋へ連れてこられていた。来客の少ない店番を任され、クリューネはお菓子をつまみながら、店の老夫婦と雑談する日々を続けている。


 ――これじゃ駄目だな。


 自分もクリューネ姫も。 

 日々を消費してばかりで、なんの進展もないとティアは少年ながらに思っていた。クリューネがこのまま雑貨屋でおとなしく過ごすことが、これからの将来に繋がっているとは思えなかった。


「じゃあ、クリューネちゃん。ティア君。今日はこれで終わりにしようかね」


 店の老婆が言うと、そこてはじめて外の暗さに驚いたようで、店の奥から外をのぞきこむようにして、あらあと声をあげた。


「おしゃべりに夢中なりすぎてよくわからなかったけど、まだ降ってたのねえ」

「なんだ、婆さん。気がつかなかったのかい」


 傍で新聞を読んでいた老爺が呆れて新聞を置くと、勝手口から黒いオンボロ傘を持ってきた。


「わしらは外出せんから、これくらいしか無い。すまんが使ってやってくれ」

「いや、こりゃあすまんのう。助かる助かる」


 クリューネは礼を言って老爺から傘を受け取った。

 老夫婦にはクリューネが孫のように思えるらしく、失礼な物言いにも腹を立てない。加えて、ティアを連れてきたことで賑やかになったと喜んでいた。

 クリューネたちは雑貨屋を出ると、クリューネが傘を持ち、二人は並んで小路から大通りに向かって歩いた。

 外に出ると急に辺りが静かになったようで、ティアは違和感を抱いたが、元々、周りが静かだっただけで、それだけクリューネと老婆との会話が賑やかだったということだと少し歩いてから気づいた。ちらりと隣のクリューネを盗み見ると、店にいた時とはうってかわって、物憂げな表情をして歩いている。

 

「どうじゃな、ムルドゥバの街は。お主らがいる村と随分違うだろう」


 不意にクリューネが口を開いたので、ティアは慌てて姿勢を正した。


「……いや、もう、全然。幼かった頃に幾つかの大きな町を見てきましたが、あの頃に見た町とも違います。ここまで活気があって、物や技術に差があるなんて思いもしませんでした」

「魔族と渡り合えるというのも納得したじゃろ」

「そうですね。魔装兵(ゴーレム)や魔空挺が相手では、下級竜だと手に余ると思います。それが数百ともなると……」

「まだまだそれらはつくられとって、いつかは兵士一人一人乗るようになるかもしれんの」

「……戦い方が随分変わったものになりそうですね」

「そうじゃな、時代は変わる」

「クリューネ姫は、今後もこのままですか」


 ティアはいきなり言った。クリューネが立ち止まってティアを睨むが、ティアは強い眼差しでクリューネを見返した。


「……あの老夫婦は良い人間ですが、まるで時が止まったようで、あそこで働いていたとしても、この先に何かあるとは思えません」

「無論だ。暇潰しで働いとるだけだからの」

「クリューネ姫は、これからどうするか決めているんですか。戦争は終わったんでしょ」


 終わっとらん休戦だと言ってから、クリューネは首をひねり、少し間を置いてから口を開いた。


「リュウヤたちと一緒に、ナギの聖霊の神殿へ行くつもりでいる」


 そう言って、クリューネは再び歩き始めた。


「たしか、学校にするつもりなんですよね。姫は何をするつもりですか」

「特に無いな。リュウヤは“反面教師ならピッタリだ”とぬかしおったが」


 自嘲気味に笑って、クリューネは続けた。


「ま、実際、竜言語魔法など扱うには強力過ぎて、普通の人間には無理だしの。スリの技術を教えるわけにもいかん。子どもたち相手に下働きでもするさ」

「それでは、ここにいるのと変わらないじゃないですか」

「リュウヤがおる。みんながおる。ナギの聖霊どもの護りがある。全然違うぞ」


 クリューネたちは店が立ち並ぶ大通りに出ると、急に街の明るさや喧騒が満ちはじめた。冷たい雨が降っても大通りはさすがに賑やかで、馬車や車が往来する人びとを掻き分けるように通りすぎていく。

 いつもなら、ここから大衆バーの“キニシナイ”に寄って一杯引っかけるところだが、ティア少年を連れて行くわけにもいかず、ここ最近はおとなしく寺院に帰って、食堂で夕飯を済ませている。


「でも、下働きなんて。それで姫は満足ですか」

「……みんなと幸せに暮らせていけるなら、それで満足じゃ。他はいらん。権力もな」


 クリューネの最後の言葉で、竜族との関係を断ち切ることを察し、ティアは深いため息をついた。

 これからどうするか。

 父にどう報告したものか。

 ティアは床に伏す、疲れきった父の顔を思い出していた。

 クリューネは沈痛な面持ちで伏し目がちに歩いているティアを横目に、無言のまま歩いていた。ティアが目的が果たせなかったことを悩んでいるのは伝わってきたが、同情する気にはなれないでいた。

 バルハムントに思い入れはないという気持ちは、微塵も変わっていない。ティアには気の毒だが、竜族とこれ以上の関わりは持ちたくはなかった。


 ――リュウヤを交えて、きちんと伝えるか。


 また感情がたかぶってしまうかもしれず、第三者がいて欲しい。それにはリュウヤが適当だと思えた。しかし、今日は改良した鎧衣(プロメティア)の実験でハーツと町を離れ、帰りは夜になることを思い出し、それならいつにしようかとぼんやり考えながら通りを歩いた。

 大通りを歩くとその先に十字路の交差点がある。そこを左に曲がった先に寺院宿舎があるのだが、その付近に差し掛かろうとした時、正面の通りから歩いてくる三つの人影に目をひかれた。

 黒いマントにフードを被り、俯き加減に歩く姿は影のようだった。一人は小柄で老人らしく杖を手にしていた。


 ――旅の者かな。


 機械技術が発達したといってもムルドゥバに限られ、他では前近代的な生活は珍しくない。未開拓の地も多く、一攫千金を狙った冒険者もまだ珍しくない。

 しかし、クリューネが気になったのは、三人が醸し出す異様に暗いオーラと、足取りに渋滞がないことだった。彼らは盛況な街の様子には興味がないようで、寺院とは反対の方角に歩いていく。

 その先には、アルド将軍が居住する宮殿や庁舎がある区域となる。


「……姫?」

「ティア、ちょっと付き合えるか」

「僕、お酒はダメですよ」

「バカ、そうじゃない。いいからついてこい」


 クリューネが急ぎ足で足を進ませると、ティアはわけもわからずクリューネに付き従った。寺院とは反対に道を曲がり、三人の後を追った。既に姿は遠く、長身の二人が人の間からにょっきりと突き出ていた。老人らしき者は股の間からチラチラと映っている。


「あの人たちが何か。知り合いですか」


 クリューネの視線を追った、フード姿の三人を見ながらティアが訊ねた。


「知り合い、か……。確かにどこかで見覚えがある」


 だが、懐かしいという類いのものではなく、もっと危険な感覚。正体がつかめず、焦燥感がざわざわとクリューネの心をかき乱していた。クリューネがフードの連中を注視していると、雨の中、帰路を急いでいるらしい通行人の男が、フードの一人とぶつかった。フードがはだけ、その下から現れたのは黒い長髪の女だった。


「あれは……」


 現れたその顔に、クリューネは息を呑んでいた。

 悪いと謝って去っていく通行人の姿を女は恨めしげに見送り、その先にクリューネの視線とぶつかると、女は一瞬、驚愕の表情を浮かべ、フードを被り直してあわてて歩き出した。

 髪の色は違うが、あの女には覚えがある。

 合体魔法を使った双子の魔法使い。

 生き残った片割れ。

 エリシュナの側近。


「あやつ……リリベルか?」


 おいと、クリューネは正面を見据えながらティアに言った。


「お主は魔族相手に戦えるか」

「へ?」

「戦えるのか」

「竜化すれば戦えますけど、経験ないので」

「なら、後方支援で良い。竜族なら大炎弾(ファルバス)くらい使えるじゃろ」

「まあ、雷槍(ザンライド)も」

「それなら上等じゃ」


 言うなり、クリューネは傘を捨てて駆け出した。ティアは質問する間もなく、必死でクリューネについていくしかなかった。クリューネの足の早さは風のようで、するりするりと人混みを駆け抜けていく。


「ま、待ってください、姫!」


 疾駆する二人に通行人たちはざわめき、その声はリリベルと思われる三人にも伝わった。迫るクリューネたち気がつくと、三人はローブを脱ぎ捨てた。

 小柄な老人、一見、痩せては見えるが屈強そうな剣士。そして長身の女。漆黒の髪がみるみるうちに銀色へと変化していった。


「魔族だ!」


 悲鳴があがり、街は騒然となった、

 その一人――リリベル――が舌打ちすると、三人は散り散りに別れて飛び去っていった。老人も長身の剣士も建物の壁を駆け登り屋根の向こうへと消えていく。


「ティア、リリベルじゃ!あの女から追うぞ!」

「は、はい!」


 三人の動きから、リリベルがリーダーと見当をつけて、クリューネとティアはリリベルが逃走した方向へ駆けた。軽々と屋根まで駆け屋根づたいにリリベルを追っていく。

 庁舎がある方角に、猿のように跳ぶ人影が映った。“竜眼”を使わなくても、みのこなしの癖からリリベルだとわかる。


 ――狙いはアルドか。


 アルド自身に好意は持てないが、人間側には必要な存在である。放っておくわけにもいかない。


「喰らえ!」


 リリベルが屋根に跳び移る瞬間を狙って、クリューネの雷鞭ザンボルガによる雷撃が屋根を砕き、リリベルはバランスを崩して足が止まった。


「もう一丁!今度は貴様じゃ!」

『くっ……!』


 リリベルは咄嗟に放った雷鞭(ザンボルガ)で、雷撃を防いだが、そのためにクリューネたちには完全に追いつかれてしまっていた。


「久し振りじゃな。リリベルとか言ったか」

『久し振りね。竜族の姫様』

「アルド暗殺にわざわざ来たのか。厳しい監視をよくここまで来たの。誉めてやる」


 国境や町の内外に監視役はおり、厳しいチェック体制が敷かれている。変身を見破る装置もあり、魔族が町に来るだけでも容易ではないはずだ。


『あなたに誉められても、一銭にもならないわね』

「しかし、もう魔族とバレたからには兵も動く。アルド暗殺も失敗だな。流石に猛火烈掌(テヘペロ)でも、多数の魔装兵(ゴーレム)を破れないだろう」

『一人ならね』

「だが、仲間ともバラバラ。諦めろ」


 クリューネが次の魔法を詠唱するために身構える傍らで、ティアはリリベルと地上を交互に見ていた。通りから人々は屋根上にいるクリューネたちを指さし、何か騒いでいる。まだ軍の到着はしていない。


『仲間は私たちだけではない。それにアルド暗殺は目的の従。主な目的はこの町』

「……町?」

『ケスモス老、あなたのお力を!!』


 リリベルがいきなり叫んだ。澄んで高い声は雨空によく響き、その声は数キロ先の時計台まで逃れた老人ケスモスの耳まで届いた。


『……リリベル殿の美しい声は、私の老いた耳にも実に良く聞こえる』


 紙を丸めたような皺だらけの表情を陶然とさせながら、ケスモスは眼下の街を見下ろしていた。

 

『先代の魔王様から仕えて百数十余年。老いて朽ち果てるだけの身と思えど、ここに役に立てる時がくるとは。エリシュナ様に声を掛けていただいた時には、どんなに嬉しかったか……』


 ケスモスは両手で杖を引くと二つにわかれて、杖の頭部の側から刃物があらわれた。刃物といっても小指程度の長さで、とても戦闘に向くものではない。

 ケスモスはフガフガと歯の無い口を動かしていたが、洞穴のような口から発した言葉は、老人とは思えない荘厳な声が周囲にこだました。


“今、ここに生け贄を

 異界の者よ、まさに宴の始まり

 集え鳴らせ、悪魔の笛よ

 悲鳴は爽やかなる調べ

 血肉に心を踊らせ、恐怖に惑し者を鑑賞せよ”


 ケスモスの足元に燦然と輝く魔法陣が生じた。

 ケスモスは左手を空に掲げ、刃物の切っ先を手首に当てた。


『“……我が心血を捧げよう

 この命が絶えるまで”』


 悔いはない。充分に生きた。すべては魔王軍の未来のために。


『悪魔よ、ここに来たれ。……召喚魔法“降魔血界(ワクテカ)”!!』


 ケスモスが叫ぶと同時に、刃はケスモスの左手首を深々と切り裂いた。

 鮮血が宙を舞い、足元の魔法陣を濡らしていく。血を吸収して歓喜するように、魔法陣はますます光の強さを増していった。


 大召喚魔法“降魔血界(ワクテカ)”。


 自らの血を捧げることで、地の底に封じられし者共を呼び出す召喚魔法。

 術者の血が枯れ、命が尽きるまで効果は続く。


『……』


 ケスモスは血を垂らし続ける手を伸ばしたまま、無言で魔法陣の上に胡座の姿勢になって座り込む。やがて、光がケスモスを隠してしまうほど輝きを増すと、上空に無数の魔法陣が現れた。


「なんじゃ、あれは……」

『すぐにわかる。この街を破壊する地獄の使者たちを』


 そう言って、リリベルが身を翻した。


「あ、待て!」


 クリューネが咄嗟に雷鞭(ザンボルガ)を放とうとすると、空から異様な圧迫感がクリューネたちにのし掛かってきた。


「姫、危ない!」


 ティアがクリューネの身を抱えて飛び退くと、屋根が粉々に砕かれ、衝撃と風圧で隣の屋根まで飛ばされた。


「……すまん。大丈夫か、ティア」

「いえ、僕の方は……」


 怪我の有無を確認する二人に、獣のような唸り声が聞こえてきた。腹の底にまで響くような不気味な声で、精神の弱いものならそれだけで震え上がってしまいそうになる。

 砕かれた屋根の上に、一体の巨人が佇んでいた。石像のようだった。鳥肌のように小さなイボが覆う皮膚は白く、見るからに岩のようにごつごつとしていた。背中からは、こうもりのような羽根が生えている。

 丸くガラス玉のような瞳に口元からは巨大な二本の牙。

 地獄の使者と形容するに相応しい異形の怪物が、クリューネたちを睥睨している。


「まさか、アーク・デーモンか」

「あ、悪魔なんて、伝承でしか聞いたことがないですよ……」


 ティアの声は震えていた。恐怖がクリューネの身体に伝わってくる。

 アーク・デーモン。

 悪魔いう呼び方が一般的だが、憎悪を抱いたまま死んだ人の魂が聖霊によって浄化されず、長い年月の間で歪に変形したものが正体と言われている。

 月光程度の光をも嫌うため、闇の深い空間でしか存在することが出来ないのだが、月明かりを阻むこの天候なら、悪魔は充分に活動できるらしい。


「ティア」


 とクリューネはティアの手を握り、身体を抱き締めた。柔らかな感触に包まれて、ティアの震えがおさまっていく。


「ここを乗りきるにはお主の力が必要だ。頼む」

「……はい」


 見据えるアーク・デーモンの背後に、アーク・デーモンと同型の異形の怪物が次々と現れる。町の住民は、逃げるのも悲鳴をあげることさえも忘れて、呆然と漆黒の空を見上げているだけだった。

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