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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第13章「休戦」
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竜族の使者

「えっしゃっせ〜」


 クリューネ・バルハムントが日本のコンビニ仕込みによる気だるい声で来客に声を掛けると、そのやる気のなさに店を訪れた大概の客は面食らう。

 クリューネ・バルハムントが雑貨屋でバイトを始めたのは、このところがあまりに暇で、手持ちぶさただったからだ。

 ナギは聖霊の神殿再建に向けて活動していたし、セリナはアイーシャや子どもたちの世話に奔走していた。リュウヤはハーツ・メイカの研究室に通いつめ、改良した鎧衣(プロメティア)の実験と、ナギとの打ち合わせで何かと忙しい。

 リリシアはジルとシシバルの手伝いで、ムルドゥバにはここしばらくは帰ってきていない。テトラは自分が指揮する白虎隊とともに、輸送隊だの地質調査だの警護の任務について地方を飛び回っている。


 クリューネだけがムルドゥバに残ったわけだが、最初はぶらぶらしていたわけではなかった。

 アルド将軍の行動が気になり、アイーシャの警護役を買ってでて、昼は寺院の外に出て不審な者がいないか周囲の警戒にあたっていた。

 はじめは念入りに警戒していたのだが、そこはクリューネである。怪しい気配もないために次第に気が緩んでいき、三日過ぎた頃には、魔導書を枕に自室でごろごろしていることが多くなっていた。

 

「……巡礼者の方で、お店の手伝いをしてくれる方を探していますから、そちらを手伝っていただけますか」


 一週間ばかり過ぎた頃、久しぶりに帰ってきたナギが提案してきた。

 あまり使えない警護役を見兼ねたリュウヤがナギと相談したらしく、忙しい合間をぬってバイト先を探してきた。

 そんな経緯もあって、クリューネは寺院から少し離れた雑貨屋でバイトを始めていた。

 老夫婦が経営している小さな店で、手間賃は安いが、商品は小物や衣類くらいだから軽作業程度の仕事を運ぶくらいだったし、どちらかといえば、来客の対応より老夫婦の相手をする時間が多かった。


「お釣りっすう。あっさっした〜」


 日本のコンビニ店員を見て真似たクリューネの対応で、客は不愉快そうな顔をするものの、上っ面でも言葉を掛けてくるために、納得しない表情のまま、頭を下げて客は帰っていく。


「クリューネちゃん、今日はもういいわよ」


 店主の老婆か老爺が告げて、一日の仕事が終わる。日払いで手間賃を貰い、寺院までの道すがら、労働で疲れた心と身体を癒すために、パブで一杯引っかけるのがクリューネの最近の日課となっていた。

 平穏な日々が続いてしまうと緊張感もなくなり、ムルドゥバに残ったのがアイーシャの警護という意識も、もはや薄れかけている。


「働いた後の、この一杯がたまらんなあ」


 ビールを満たしたジョッキを煽って、クリューネはカアッと爽快な声をあげた。クリューネがいるパブ“キニシナイ”は、労働者が多く集う大衆居酒屋で、店も品揃えは貧相だったが、ビールは安くて気前よく飲ませるので贔屓にしていた。

 片山家でつまんだタクアンがあれば良いのにと思いながら、クリューネは里芋を煮て塩でまぶしただけの貧相なつまみをフォークで突っついている。


「お嬢ちゃんがこんなとこに来ちゃいけないぜ」

「お主こそ、こんなとこなんか似合わんぞ。さっさと店を移れ」

「なんだと?」


 相手が色をなすかなさないかといった瞬間に、クリューネは言葉を続けた。


「こんな店ではせっかく良い男が台無しになる。もっとだらしない格好にせい」


 他の酔客にからかわれ、クリューネが他愛もない答えを返すとどっと店内が沸き起こる。気を良くした労働者から一杯二杯と酒を奢って貰い、鼻歌混じりに寺院の宿舎まで返るのが、このところのクリューネの日々だった。


「ああ、いい気分じゃ」


 その日の夜もクリューネは“キニシナイ”で一杯引っ掛け、ほろ酔い気分で通りを歩いていた。通称バッタ小路には、“キニシナイ”と似たような小さな料理屋や居酒屋が建ち並んでいて、そこかしこに酔っぱらいが歓声や歌声をあげている酔客の姿が見られた。

 時間帯もまだ浅いせいか、道端で酔いつぶれる者はなく陽気にさわぐ男たちで、街は喧騒に満ちていた。


「今日も一日が終わるの」


 見上げる夜空には星が瞬き、誰ともなしに呟きには一種の寂寥感が混ざっているのを、クリューネは否定できないでいる。

 至上の時を過ごしたはずなのに、既に酔いはさめ始めていた。

 停戦となり平穏な日々が続くと、それぞれの仕事でピクニック以降仲間とはめっきり会う機会も少なくなっていた。顔を会わせるのはセリナとアイーシャくらいなものである。

 リュウヤたちがあのままミルトに帰ることになっていたら、今のように味気ない日々がずっと続いたのだろうと思うと、ナギに感謝せざるをえない。


「お、なんじゃ」


 前方でわっと声があがり、視線を地上に戻すと前方に人だかりができている。その間から言い争う二つの男の声が聞こえくる。不審に思ったのが、ひとつが大人のものに対し、もうひとつが少年のそれだった。

 クリューネが興味本位で近づいていくと、無礼者と少年の声が響いた。


「僕を誰だと思っているんだ!」

「ただの道に迷ったガキだろうが。古臭え騎士みたいな格好しやがってよ。どっかの劇団の子役か?」


 男のせせら笑いに周囲はどっと笑った。クリューネはピョンピョン飛び跳ねて現場を見ようとするが、人垣に阻まれて声しか聞こえない。


「何を笑う!これはリンドブルム家が人間と接するためにつくられた、先祖代々伝わる衣装だ。汚らわしい人間のためにな!」


 ――リンドブルム?


 聞いた名前だと思い、その正体に思い至った瞬間、悲鳴にも歓声にも似たどよめきが起きた。地面にどうと叩きつけられた音がし、男の嘲る声がした。


「威勢が良いじゃねえか。ガキだからって容赦しねえぞ」

「なぶるか、人間……」


 くぐもる少年の声に不気味さを覚え、クリューネは人垣を掻き分け、荒波を泳ぐようにして列の前に躍り出た。そこには炭鉱夫らしい男が佇立し、地面には膝丈スボンに白いストッキング、赤白の派手な色彩の上衣という出で立ちの少年が転がっている。腰には短剣を帯びていた。

 確かにムルドゥバでは見かけなくなった騎士風の格好で、着用する者は劇団員くらいしかいない。


「あやつ……」


 見覚えのある栗色の巻き毛に、緑がかった綺麗な瞳。

 あの時は今のアイーシャと同い年くらいで、随分と年月が経ったはずなのに、クリューネにはそれが誰だかすぐにわかった。


「リンドブルム家の……。こんなとこで何をしとる」


 男を睨みつける少年の目が、爛と光を帯びた。何だと男をはじめ周囲の見物客から、重々しいどよめきが起きた。少年から放たれる凄まじい圧力に、クリューネはチッと舌打ちした。


「バカタレッ!」


 クリューネは周りの人を押し退けて、少年に駆け寄ると、その巻き毛の頭を思いっきりひっぱたいた。


「な、なにをする!」


 顔をあげようとする少年の頭を押さえつけたまま、クリューネはそっと囁いた。


「竜族ティアマス・リンドブルムか」

「……」

「私はクリューネ・バルハムントじゃ。生きとったのか。随分と懐かしいの」

「クリューネ……様?」

「こんなとこで“竜化”するつもりか。落ち着け」


 ティアマスと呼んだ少年から、怒りに興奮は次第におさまっていき、代わりに激しく動揺する空気が伝わってきた。クリューネはティアマスと呼んだ少年の様子を見計らって、男に顔を戻すといやあと快活な声をあげた。


「こやつは田舎もんでな。口の利き方を知らんのじゃ。勘弁してやってくれんか」

「てめえの知り合いか」

「ちょっと目を離した隙に、これじゃ。まあ、一杯やっとくれ」


 クリューネはポケットから銀貨一枚投げ渡すと、男は銀貨とクリューネを見比べていたが、それで気が済んだのか、「今度から気をつけな」と言い捨てて、その場から去っていった。周りを囲んでいた野次馬も、喧嘩まで発展せずに終わってしまい、落胆した様子で散っていった。


「怪我はないかの」


 念のためクリューネが問うと、ティアマスははいとか細い声で立ち上がった。その瞳は濡れて、涙がたまっていた。


「クリューネ様。おひさしゅう……、お久しゅうございます」

「こんなとこで泣くな。“ティア”」

「その呼び名も懐かしゅう……」


“ティア”はそれ以上言葉にすることが出来なかった。流れる大量の涙が頬を伝い、むせび泣いて身体を震わせていた。通り過ぎる人々が怪訝な顔を向ける中、クリューネがティアの肩を優しく添えた。


「こんなとこで立ち話もなんじゃ。ちゃんとした店で飯でも食おう」


  ※  ※  ※


 立ち寄ったレストランで、ティアは実によく食べた。クリューネの奢りでステーキを平らげると、次にクリームシチューを注文して数分で片付けてしまっていた。


「バルハムントから逃げてこの五年あまり、こんな豪勢な食事なんてしたことないですから」


 口の中のものをようやく飲み込むと、パンの欠片でシチューの残った部分を丹念に拭いながらティアが言った。


「森の生活はずいぶん苦しいみたいだの」

「最近は落ち着きましたが、酷い有り様でしたよ」


 ティアが父親と他に生き残った六匹の竜とともに、バルハムントから南に数百キロ、ベルガモの森まで逃れたのが六年前のこと。魔王軍からの追っ手から逃れるために、人の姿に変えて、主に狩猟をしてひっそりと暮らしていたのだという。

 ティアも幼少期から、弓と剣で、仲間たちと森を駆け回る日々を過ごしていた。


「獲った獲物の毛皮や肉を近くの町にまで売りに行くのですが、町では以前からバハムートの名はしばしば耳にしておりました。神竜がムルドゥバにいると。ですが、魔王軍の力は大きく迂闊な行動をすることができなかったのです」

「……」

「しかし、魔王軍と人間との争いが終結したと聞き、私は父の命でムルドゥバまでクリューネ姫の情報を集めようと思っていたのです。しかし、まさかこんなに早く……」

「停戦しておるだけで、終わっとらんがな」


 クリューネは訂正したが、涙目になってすすりなくティアには届かなかったようで、冬が辛かっただのベルガモ熊の肉が臭くてたまらなかっただの、顔をくしゃくしゃにしながらベルガモの日々を邂逅し始めていた。


「おい、大変なのはわかったから、泣くのはよせ」

「ぶぁい、ずびばぜん……」


 奇異な目を向けるウェイターや周りの客に、慌ててクリューネが小声でたしなめると、ティアはテーブルクロスで鼻をチンと小さくかんだ。


「それより、他に何かいらんか。まだ足りないじゃろ」

「いいんですか」


 クリューネが訊ねると、ティアは少年らしい明るい表情に戻ったが、すぐに何かを遠慮するように周囲を窺い始めた。


「でも、ここだってそんなに安くはないんじゃないですか?」


 昼飯用にサンドイッチをひとつかふたつかで悩んでいたティアにとって、レストランのメニュー価格は、目を疑うような金額で、メニューひとつひとつに思わずため息がもれてしまう。


「そんなに、高収入のお仕事されているんですか?」

「いや、なに。そうでもないが、今日は臨時収入があってな。金には困っとらん」


 言葉を濁しそっぽ向きながら、クリューネはワインに口をつけた。ふうんと不思議そうな顔をしてティアは見ていたが、食欲旺盛な少年の関心は次の料理に向かい、食い入るようにメニューを眺めだした。

 確かに、先ほど臨時収入はあった。

 人垣を掻き分ける際、三、四人のポケットから財布を頂戴した金が嚢中にある。ティアとトラブルになった男に渡した銀貨もそのひとつで、気づかれないよう一人ずつ財布は戻してあるから騒ぎにはなっても、クリューネとは気づかないはずだ。

 大した腕前だと自画自賛したい気分だったが、さすがに口に出して言えることではない。


「ところで、私を探しに来たのは何用じゃ。懐かしさで会いに来たわけではあるまい」


 クリューネの一言に、少年は弾かれたように顔をあげた。目を見開いたその表情は、大切な用事を思い出したようだった。


「……そうです。大切な用事を忘れていました」


 ティアは居住まいを正して、クリューネをまっすぐに見据えた。


「クリューネ姫をお迎えに上がりました」

「迎えじゃと」


 はいとティアは力強く言った。

 その瞳にもまぶしくらいに強い光が宿っている。未来を見据えた者が持つ、希望に満ちた光。


「バルハムント復興のために」

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