囚われの町
「改めて、この町をどう思うな?」
「……活気はあるな。魔王軍の支配下にあるはずなのに。旅して色んな町を見てきたけれど、ここが一番だ」
クリューネの問いに、とあるカフェの二階にあるテラスから大通りを見下ろしながら、リュウヤが率直な感想を述べた。テーブルを挟んだ向かいにクリューネが座り、紅茶をすすっている。
宴の日の翌日、リュウヤとクリューネは町に繰り出していた。
案内というのは口実で実際はリュウヤの懐を当てにしていたらしい。あれが欲しいこれが欲しいと店を寄って廻り、途中、久しぶりにお茶を飲みたいというクリューネの要望で、二人はカフェに入り、通りを展望できる二階のテラスに席をとった。席の下には購入したばかりの衣服や靴などの入った紙袋や箱が置かれている。
「この町は、魔王軍領土の国境近くにある。位置的にお主みたいな外からの流れ者や行商人が入り込んでくるせいか、人や物の往来も激しくての。おかげで物や金も潤っている。メキアの長官もその実入りを見込んでいるから、人間に対する扱いも他にくらべれば、かなり甘いとこがあるの」
大都市メキアは魔王軍の統治下にある。
領土の最北端、国境近くにある町で、支配下に置かれてから三年ほどになると言われている。
リュウヤのイメージとしては人間が奴隷のようにこき使われていると想像していたのだが、それぞれが人間らしく行動し、笑いあい生活をしている匂いが感じられた。
「まあ、それは人によっては、表面上だけと言うかもしれんがの」
「裏じゃ、何かあるのか」
「魔王軍はうまく搾取しとるだけで、実際の町を治めとるのは人間の商人や町長。兵士らはいばり腐っているだけじゃな。それに……」
その時、通りで悲鳴が上がった。
見下ろすと魔王軍の兵士が露店商から食料品を奪い、すがりつく店主を打擲していた。周りの人間は黙ってみているばかりだ。
血相を変えてリュウヤが立ち上がると、クリューネはやめとけと制した。
「向こうが仕掛ける口実をつくるだけじゃ。黙っておれ」
やがて兵士が意気揚々と立ち去り、あとにはぐったりして倒れ込む店主の姿があった。
憤然と座り込むリュウヤに あの塔を見ろとクリューネが促した。
アジトからも最も目を引いた高く佇立する白塗りの塔。頂上辺りに魔王軍の将軍の証でもある、鷲の紋章が掲げられていた。
「あの塔はいわゆる魔王軍の役所だ。その天辺にリルジエナという、この町を支配する長官がおる」
「……」
「リルジエナは毎日、町を物色し、食材として良さげな人間を選んでさらうという噂だ。騒がれないために、夜中にヒッソリとやっておるが、その趣味の悪さからリルジエナを“覗き屋”と呼ぶ奴もおるの」
「さっきみたいな事が日常的に起きて、ひとさらいも知っているなら、何で誰も逃げたり、抵抗して立ち上がろうとしないんだろう?最近、レジスタンスだって結成されたじゃないか。奴等と……」
しっと咎めるようにクリューネは周囲を窺った。
「声が大きい。この町は魔王軍の支配下なんだぞ」
感情的になり、自分が思っているよりも声が大きくなったらしい。悪いとリュウヤは素直に謝った。
旅の途中、人間を抑圧する魔王軍に抵抗するためにレジスタンスを結成されたという話を耳にしている。だが、リュウヤは実際にメンバーと遭遇したことは今までなかった。
「搾取といっても、ちと言い過ぎたかもしれんな」
「どういうことだ」
「たしかに魔族は人間を何とも思っとらん。しかしまあ、ここの長官はうまく折り合いつけているよ」
「・・・…」
「さっきも言ったが、実際に治めているのは商人や町の有力者だ。そいつらに関わるような人間に手を出したら、さすがに兵士たちを罰する。底辺と上層の対立もうまいな。不満のはけ口をよく見ておる。さらうと言ってもスラムの底辺層中心だ」
「……」
「魔族も昔は人を食らっておったが、都会や文明に触れた今となっては、一部を除いて食人の文化は廃れておる。しかし、一部とは言っても内部の反発も抑えて、人間に畏怖も与えるには食人というものは十分な威力を持つ。そのために底辺層を狙って定期的に人さらいをして殺すのだ」
「……クズだな」
「個人としてみればクズかもしれんが、統治者としては十分、合格といったところかの」
「やけに他人事だな。今のクリューネなら狙われる側だろう。怖くないのか」
「怖くないな。底辺には底辺の繋がりがあるでな。うまくやっとるよ」
そこまで言ってにやりと笑うと、クリューネは残ったコーヒーを飲み干した。
「ここだと大人しくしておれば、まあまあな生活が送れる。皆自分の身が可愛い。それにレジスタンスもできたてホヤホヤの組織だ。そんな連中はどこまで頼りになるかわからんしな。私としてもレジスタンスに関わらず、この町に身を潜ませ、逆らわず従わずの中間くらいで暮らしているくらいが私には良い」
「……」
「クリューネが盗人やっている理由も、その中間くらいてやつが良いからか?」
「治安の関係ではスラムの連中の方が狙われやすいが、裏に繋がりがある分、色々と情報も入りやすい。魔王軍にも金に汚い奴は多いからな。それに追われている立場の姫様が、陽の下で堂々と働けるわけなかろう」
ふうんとリュウヤは腕を組んでクリューネを見た。
確かにクリューネが話して聞かせた情報は、繋がりが無ければ得られないような類いのものだと思えた。
まだ若いが町では相当な顔役と繋がりがあるのだろうと思う一方で、どこかクリューネを憐れに思うリュウヤがいた。
目の前のクリューネはどこかで拾ったらしい野球帽に似たつば付き帽子を目深に被り、服装を昨日の少年風の姿に戻している。
クリューネ・バルハムントについては放縦な言動の持ち主といった印象があるが、町に出るとその印象は少し薄れる。身を隠すように背を丸めて、辺りを窺うようにこそこそとコーヒーをすすっていた。これまで追っ手の目を免れるために、生きてきた者の癖なのだろうとリュウヤは思った。
リルジエナという魔王軍の長官を評価しているようだが、とある実験で電流に打たれ続けて反応しなくなったというネズミのようにも思えなくもない。
――協力してもらうのは難しいかな。
クリューネの反応の鈍さに失望が胸に去来したが、表に出さず、リュウヤはコーヒーを口にした。
長い沈黙の間が流れた。
そんな二人の周りに、急にどよめきが起きた。
見渡すとウェイターも客も路上の人々も一斉に空を見上げている。
釣られてリュウヤとクリューネが空を見上げると、青い空と白い雲との間に、黒々とした物体が空に浮かんでいる。
「あれが“魔空艦”か」
誰かの驚き雑じりに呟く声が、リュウヤの耳に届いた。
空に浮かぶ戦艦。
リュウヤが抱いた第一印象はそれだった。
リュウヤが知っている世界の飛行機と異なり、船そのものが空を飛んでいるように見えた。翼も短く、バランスを保つ程度に備え付けられているだろう。リュウヤも飛行機というものをわかっているわけではないが、今、上空に飛行しているものは、飛行機の歴史や製造に携わってきた技術者たちの努力を、真っ向から否定しているように思えた。
「噂では耳にしていたが、完成していたのか」
クリューネが“魔空艦”に鋭い視線を向けながら言った。
リュウヤも去年頃、旅の途中で耳にしたが目にしたのは初めてだった。
「知っとるか。あれの他にも、”魔装兵”というのもつくっておるらしいぞ」
「ゴーレムて、岩や金属でつくられた魔法で操る巨人だろ。そんな改めて言うことか?」
「これまでのものとは違うらしい。魔力をエネルギーとしておるが、人が中に載って直接操るものらしいの。載っておる奴に魔力がなくても操るとか。これだけでは、何かよくわからんが」
「ロボットみたいなものかな……」
「なんじゃ?」
クリューネの説明から、リュウヤの脳裏には漫画やアニメなどに登場するロボットを想起させたが、ただの想像でしかない上にそれをクリューネに説明してもますます混乱するだけだろうと黙っておくことにした。それにしても、魔空艦や魔装兵の情報もヴァルタスが遺した記憶にはない。ヴァルタスが生きた数百年もの間、剣と魔法の世界だったはずなのに、たった数年でこの世界の異様な変化はなんだろうかとリュウヤは心がざわめくのを感じていた。
そんなリュウヤに気がついた様子もなく、クリューネは遠ざかる魔空艦を見送っていた。
「これで、魔王軍の侵攻もますます強まるだろうの」
軽率な批判が周囲に洩れるのを恐れて言葉数は少なめだったが、その声質からクリューネが魔王軍の勢力拡大を、不安に感じているのは充分に伝わってくる。
魔王軍に対して怒りや恐怖は誰もが感じている。だが、ほとんどの人間は力が無いから動けないでいる。
動けるのに動かなかった。
それが二年前の自分であり、今のクリューネだとリュウヤは思う。
「クリューネ、お前に頼みがある」
「なんじゃ、お前への協力の件というなら昨日の通りだぞ」
ちょっと違うと言って、リュウヤは立ち上がった。
これから自分が行おうとしていることは、単なるエゴではないのかという疑念もリュウヤの心の片隅にあったが、魔王軍のやり方に怒りを感じずにはいられないでいる。
それに自分の目的は魔王軍への復讐であって人間を助けることではない。
心に生じた迷う気持ちを、冷酷に割り切ることで振り払おうとした。
動け。
それで石投げられようが、唾を吐かれようが動け。
自分自身を叱咤する声が鞭となって響いた。
「魔王軍の連中が、いつ、何人、どこの人間を拐いにいくのか、お前の力を借りて、その情報が欲しい。情報をくれるだけでいい。金は出す。情報だけなら問題ないだろ」
「なにするつもりじゃ」
クリューネの問いに、リュウヤは無言で首を振り、3回かなと独り言のように呟いた。
「何が3回じゃ」
重ねる問いにもリュウヤは答えずに、青空を背に浮かぶ魔空艦を眩しそうに見上げていた。




