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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第13章「休戦」
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変わらないものはなくて

 夜空には無数の星が瞬き、澄んだ空気と潮のにおいが辺りに満ちている。

 頭上から照らす満月の月明かりは眩しく、海から吹いてくる風の冷たさが心地よかった。リュウヤは船の縁に寄りかかり、じっと空を見上げていると、どこからか海鳥らしい影がリュウヤの頭上を過ぎていった。


 ――俺と同じで、あの鳥も寝られんのか。


 リュウヤはぼんやりと海鳥の行方を追っていたが、視線の先に映ったものを見て、表情を暗くした。唇をかみしめるようにかたく結び、眩しそうに顔をしかめた。

 離れていく陸地の遥か先の空に、闇よりも更に濃い黒い染みのようなものが広がっている。竜の山がある方向で、核ミサイルの爆発により、焦土と化したバルハムントの都アギーレから噴き上がる黒煙だった。


 ナゼルから離れて一日経つが、数千キロ離れた位置からでも黒い染みは、夜になってもはっきりと確認できた。

 リュウヤたちを乗せた船は、ナゼル南西の海辺からムルドゥバへと向かっていた。シシバルの“マルス”やその後到着した魔空艦は、破壊された魔装兵(ゴーレム)や負傷兵や遺体の搬送ですぐに満杯になってしまっていた。

 現在リュウヤたちが乗っている船は、アイーシャやセリナを負傷兵と同じ艦に乗せるのをためらったテトラが用意したものだ。

 かつて聖霊の神殿ムルドゥバ間で使用していた古い定期便の船で、既に引退していたがこれしか空いてなかったのだ。 

 相変わらず硬い寝床で、疲れはあるのに寝つけなくて、リュウヤは外で風を浴びていた。


「こんなとこにおったか」


 背後から声がし、振り向くと大きな毛布を羽織ったクリューネが立っている。訝しげにリュウヤは首を傾げた。クリューネはリュウヤと対照的に、床に就くなり、わずか数秒で寝息を立てていたはずだからだ。


「起こしちまったか?」

「いや、一度は寝たが目が覚めての。ぼんやりしとったらリュウヤが出ていったんで、ついてきたんじゃ」


 そうかと苦笑いするリュウヤに、クリューネがトコトコと近づいてきて毛布を広げた。


「それより、そんな旅装のままで寒くないのか。一緒に入れ」


 言われてみれば、澄んでいた空気も冷え込み始め、ひんやりとした風も肌寒くなってきている。思い出したようにリュウヤは身震いをおこし、自分の腕をさすった。


「そういや、少し寒いな」

「まったく、世話が焼ける奴だの。ほれ、早く入れ」


 クリューネは呆れながらもリュウヤの身体に毛布を被せてやり、二人は船室の壁にもたれかかりながら並んで座った。ふわりと花のような香りがリュウヤの前を過ぎていき、相変わらず良い匂いがするとリュウヤは思った。

 二人は船尾から竜の山から噴き上がる黒煙を、ぼんやりと眺めている。


「煙、なかなか消えんな」

「うん」

「竜の山に行ったら、放射能とやらに毒されて死ぬんか」

「うん。血を吐いて死ぬ」「そうか」


 独白めいたやりとりの後、リュウヤとクリューネは口をつぐんで、無言の間がしばらく続いた。小さな波の音と、船の乾いたエンジン音だけが聞こえてくる。長い沈黙の時が流れ、先に口を開いたのはリュウヤだった。


「悪いな、クリューネ。あそこの他に思いつかなかったんだ」

「構わんよ。どうせ滅びて誰もおらん国じゃ。バルハムントが滅びたおかげで、私らの命も助かったし、長かった戦いも痛み分けで一区切りついたしの」


 次の戦いのためになと言い掛けたが、そのまま喉の奥に呑み込んだ。一時の平和くらい言わなくても、クリューネだってわかっている。


「それよりも、竜の山付近の汚染が気になる。周辺は渓谷ばかりで、人なんか住めんとこじゃが」

「テトラが本国に連絡している。ムルドゥバが実際に動くかわからんけど」

「テトラたちも大変じゃなあ。まだエリンギアにおるんだろ」


 テトラ、シシバル、ジルは後始末のためにまだエリンギアに残っている。船に乗っているのはリュウヤたちの他に、セリナやアイーシャ、リリシアだけだった。


「ゼノキアも除染の仕方など、よくも教えてくれたの」

「そりゃあ、自分の支配するつもりの土地が汚染されていたら嫌だろう」


 リュウヤは黒煙を見つめながら、そう語っていたゼノキアの顔を思い浮かべている。


  ※  ※  ※


『……貴様の娘に助けられた形となったな』


 アイーシャを右腕に抱えるリュウヤを前に、ゼノキアが言った。互いに地上に降り、間合いを外した位置に立っている。

 ゼノキアの背後では、魔王軍が静かに引き揚げていく姿がある。ベヒーモスにまたがったアズライルが、“ハエタタキ”を使いながら、いつもの雄叫びような声ではなく低い声で指示を送っていた。

 ムルドゥバ軍も似たようなもので、テトラが中心となって指揮し、援軍の魔空艦が待機するエリンギアの方向へと去っていく。両軍とも、火山のように噴き上がる黒煙に何度も振り向きながら、兵士は厳粛な面持ちをしていた。

 クリューネとシシバル、ジルといったレジスタンスの面々だけが、遠くリュウヤたちの様子を見守っていた。


『さすが、私が見込んだけはある。その力、早く覚醒していればな』

「……」

『魔王軍にとって必要な力だ。私がアイーシャの力を得ればこの世界だけでなく、異世界を制するのも容易となるだろう』


 ギロリとゼノキアが鋭い眼光をアイーシャに向けると、アイーシャは怯えた様子でリュウヤにしがみついた。


「まだ、続けるつもりか」

『休戦だと、私は全軍に告げたはずだが』


 ゼノキアはリュウヤに向かってニヤリと笑ってみせた。爆発直後、ゼノキアはキノコ雲がのぼる空を背に朗々と響き渡る声で停戦を持ち掛けてきた。

 ナゼルを中立地帯として互いに軍を引きあげるというもので、どちらかと言えば休戦の色合いが濃いものだったが、強烈な破壊兵器の威力を目の当たりに、戦場の誰もが戦意を失っていた。

 ムルドゥバ軍とジルやシシバルらのレジスタンス側で話はすぐにまとまり、互いに停戦信号の合図を打たせて戦いは終わりをむかえたのだった。

 

『兵士にも疲労の色が濃い。それに貴様に破壊された“ゼノキア”の様子も気になるからな。やることが山ほどある』

「……」


 ゼノキアは去っていく魔王軍の兵士を見送りながら言った。

 しばらくゼノキアはその姿勢のまま無言で佇立していたが、不意にリュウヤに顔を戻すと『幾つか伝えておくことがある』と言ってきた。


『放射能の測定には、タルドリスの羽を使え。危険域に近づけば針のように細い状態となる』

「……は?」


 タルドリスとは、ムルドゥバから南東の島々に生息する怪鳥だが、突然の話が呑み込めず、リュウヤはキツネにつままれた気分でいた。


『回復系の高位魔法を封じた魔石を二つ、溜めた水三リットルの瓶に入れろ。雷系の下位魔法で魔石に当ててエネルギーを発現させれば、その水で放射能を除染できる。しかし、効果は持って数時間。アギーレのような場所だと、昼夜問わず作業しても十年は掛かるだろうが』

「待てよ、いったい何の話をしている」

『放射能の測定方法やその後の処理についてだ。貴様らは何も知らんだろう』

「随分と親切なんだな」


 リュウヤが言うと、当たり前だてゼノキアは笑みを大きくした。


『どうせ、欲深い人間のことだ。興味本位に、あの汚染された山へ足を踏み入れる奴も出てくる。教えとけば、人間が勝手に除染してくれるのだろうしな』


 ありそうなことだとリュウヤは思ったが、それでもゼノキアを疑っていた。


「なんでお前は、そんなことを知っている」

『俺の中にはサナダ・ゲンイチロウの知識が残っている。奴はこの世界で、魔法と科学を融合した研究をしていた。と言っても、奴もここまでがわかるのがやっとだったようだがな。そのサナダも、もう存在しない』

「……」

『……まあ“敵に塩を送る”というやつだ。それに知らずに持ち帰って、いずれ支配する世界に汚物を撒き散らされては困るのでな』


 時間にすればまだ一日も経過していないはずだが、既に懐かしさを感じる日本のことわざに、リュウヤがふっと軽く笑ってみせるとわずかに空気がゆるみをみせた。張りつめた空気の中で、身を強張らせていたアイーシャは安堵の息をもらした。


『だがしかし、だ』


 急に押し殺したゼノキアの低い声に、アイーシャは再び身を固くした。


『貴様との決着はいつかつけるぞ。エリシュナを傷つけた恨み。必ず晴らす』

「それはこちらも同じだ」


 リュウヤは笑いをひっこめ、凶暴な顔つきに変わっていた。


「ミルトをお前らの部下に滅ぼされて、エリンギアも破壊された。こうして今、ナゼルの町の人たちもお前の屁理屈で全滅させられている。てめえを許しておけるか」

『……』

「必ず晴らす?来るなら来てみろ。“ぶっ殺してやる”」


 アイーシャの手前、汚い言葉を避けて日本語を使ったが、リュウヤの言葉にゼノキアも反応し、両者の間に凄まじい殺気が生じた。勝手な理屈で殺されていったかつてのミルト村やナゼルの住民を思えば心が痛み、頭が燃えるように熱くなっていた。


「……お父さん」


 アイーシャの手がそっとリュウヤの頬に触れた。心配そうに見つめるアイーシャと目が合い、訴えかける瞳は熱した頭を急速に冷ましていった。


「……大丈夫、お父さんは大丈夫だから。怖がらせてごめんな」


 深呼吸して乱れた呼吸を戻すと、心気も沈まり平静さを取り戻すことができた。戦いは終わったのだ。

 取り合えず、今は。


『いずれ、決着をつけるぞ』

「ああ……」


 ゼノキアの身体は金色の火球に包まれると、大空に飛翔し魔王軍が去っていく西へと向かっていった。最後まで残っていたアズライルが、じっとリュウヤを注視していたが、ベヒーモスの手綱をひとうちして、そのままゼノキアの後を追って疾駆していった。


 ――次が決着、か。


 リュウヤはゼノキアの放つ光が見えなくなっても、蒼弓の空を見上げて佇んでいた。


  ※  ※  ※


「……おい、リュウヤ」


 静かになったと思ったら、寝息を立てて肩にもたれ掛かってくるリュウヤに、クリューネは呆れていた。


「おい、こんなとこで寝たら風引くぞ。リュウヤ……」


 肩を揺すろうと伸ばした手が止まった。リュウヤの穏やかな寝顔を見るのは、五年余りの付き合いで初めてのような気がしていた。

 思い返してみれば、こんなに近い距離で寄り添ったのは、聖霊の神殿の一夜を除いて、ムルドゥバからエリンギアまでの雪山くらいしか記憶にない。それもお互い凍えながらだったし、ここまでの一年余りの旅も、どちらかと言えば近より難い雰囲気を醸し出していた。


 ――寝顔がアイーシャとそっくりじゃな。


 片山家ではいつも隣に寝ていたアイーシャを思い出し、リュウヤの寝顔がアイーシャの無邪気な寝顔と重なっていた。


「おい、起きろ。リュウヤ」

「ん……」


 小さな声を出して、むずかるように眉をしかめる仕草もそっくりだと、クリューネは吹き出しそうになっていた。リュウヤは目を覚ますと、寝ぼけ眼のままびっくりした様子で周りを見渡していた。


「あれ、いつの間に寝てたんだ」

「こっちが聞きたいわ。私が話しとる隣で、気持ち良さそうに寝よってからに」

「そっかあ、昼間のこと考えてたんだけど、途中でお前が出てくるから妙だと思ったんだよな」

「わ、私?な、何が」


 夢であるにも関わらず自分の名を出されてたことで、クリューネは変にどぎまぎして、顔が熱くなるのを感じていた。


「クリューネが父さんとじいちゃんと一緒にビール飲んでて、近くでアイーシャとリリシアが、AKBの歌を歌いながら踊ってんだもん。何やってんだよて思ってたら目が覚めて、辺りは夜だった」

「なんじゃそりゃ、くだらんな」

「たしかに」


 二人はどっと笑った。

 夜の澄んだ空気によく響き、夜中にしてはいささか大きな声に、自分たちでも驚くほどだったが、激戦を終えた気のゆるみが声を大きくさせていたのかもしれない。

 ひとしきり笑ってしまうと爽快な気分になって、リュウヤやクリューネの心の中にわだかまっていたものが消えてしまったように感じた。


「戻るか」

「そうじゃな」


 今度こそちゃんと寝られそうな気がし、リュウヤは毛布から出て、二人は客室へと並んで歩き出した。

 歩きながら、ふとクリューネはあることに気がついた。

 リュウヤと二人っきり、それもすぐ隣にいたにも関わらず、これまでのように気分が高揚していなかったことである。リュウヤの寝顔が可愛らしいとは思いこそしたたものの、アイーシャに対するそれと同じ感覚でそれ以上のものがない。

 今までなら、というより、二人きりなど滅多に無いチャンスである。何らかの行動を起こしていたかもしれないのに、特にその気も起きなかった。

 そんな感情の変化にクリューネは奇妙なことだと戸惑いを感じたが、身体が身震いを起こすと、寒いからだろうと思うことにして足を急がせた。急に眠気がきて、今は早く床に就きたかった。


「そんなに急ぐと転ぶぞ」

「何を言っとるか。神竜バハムートのクリューネ様が、こんなとこで転ぶわけなかろう」


 ふふんと鼻で笑うクリューネだったが、客室に入ったところで毛布に足を引っ掛けて盛大に転び、結局は寝ていたセリナたちを起こす破目となった。

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