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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第11章「Radio Nowhere」
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陽がのぼるその先に

「やけに重そうだな」


 午前五時三〇分頃。魔空艦が不時着した神林霊園の駐車場。

 秋の早朝にふさわしい、澄んで冷えた空気が辺りをつつみ、人気のない駐車場には、昇ったばかりの太陽の眩しい光が、旅装姿のリュウヤたちを照らしていた。

 小野田の車を降りると、クリューネが魔法の鞄を何度も揺すって担ぎ直すのを見て、リュウヤは訝しげに訊ねた。多くの物を詰め込める魔法の鞄は限界を超えないと重さなど感じないはずである。


「その限界を超えてしまっとるんじゃ。お前のせいじゃぞ」

「セリナから聞いた。アイーシャが、かなりはりきってたらしいな」

「絵本だとか辞書、ここで買った私らの私服だとか、コタローがくれたセミの脱け殻に公園でで拾った石とかの。とにかく矢鱈めったらに入れさせるから、魔法の鞄もパンパンになってもうた。ただでさえ、キャンプ道具が入っておるのに」

「本棚から教科書まで無くなってたが、どうすんだろなアイツ」


 リュウヤは、急にガランとなった自室を思い出しながら苦笑した。

 驚いてセリナに尋ねると、リュウヤが道場にいる間、俄然はりきりだしたアイーシャが、向こうの世界に持っていくのだと、クリューネの魔法の鞄に荷物を詰め込めるだけ詰め込んだのだという。


「また戻すのが大変だな」


「笑い事じゃないぞ。あれやこれやと、付き合うの大変だったんだからな」


 憮然とするクリューネに、リュウヤは悪かったと謝った。リュウヤのそばで、とほとんとは私がやったのに、と思いながら無言のまま立っている。


「俺が後で片付けとくから」

「当然じゃ」


 よほど腹を立てているのか、クリューネはふてくされてそっぽ向き、重い重いとわざとらしく喚きながら、どこかに携帯で連絡している小野田へ傍と駆けていった。


「竜也」


 と、クリューネと入れ替わるように、父の健介がリュウヤに声を掛けてきた。健介の後ろでは、兵庫が黙然と腕を組んでいる。

 二人はリュウヤの見送りに来ていた。

 母とセリナはアイーシャを起こさせないために、いつもとは別の部屋でアイーシャと一緒に就寝している。

 三人を起こさないようにと、物音を立てないように気をつけながら家を出てきたから、女たちはまだ夢の世界にいるはずだった。

 それでいい、とリュウヤは思う。

 起きれば辛い現実と向き合わなければならない。せめて寝ている時だけは、ゆっくりと身体を休めてほしい。


「僕も、竜也の力になれれば良かったんだけどね。……この身体がくやしいよ」

「何言ってんの。父さんがそう言ってくれるだけでも嬉しいよ」


 健介は兵庫に人柄を見込まれて、二十五歳の時に片山家の婿となった。道場では三席で、剣に風格もあり、また穏やかで面倒見の良い性格らしく人に教えるのが上手く、幼い頃の竜也も父から基本を学んだ。しかし、リュウヤが十の頃に心臓を患ってからは、道場に立つことができなくなっていた。


「必ず、生きて帰ってこいよ」

 ひたと凝視する健介に、リュウヤは強く頷いた。そしてリュウヤは兵庫に視線を移し、行ってくると告げた。


「じいちゃん。本当に“清光”までもらっちゃっていいのか?これ、美術館に飾っても良いやつだろ」


 リュウヤの腰には水心子正秀の他に、もう一刀提げられている。今朝、兵庫が脇差として持ってきた刀で、“長船清光”という名刀だった。

 構わんと兵庫が言った。


「一本では不安だろうし、この非常事態だ。剣を後生大事に抱えていても意味がない。この時代に剣が役に立つならそれでいい。ただな……」

「ただ、何?」

「バレたら、ワシが刀剣協会や色んなところから叱られる。ちゃんと手入れして返せよ」

「水心子にも勝手に彫り物しているのに、今さら何を」


 そう言ってリュウヤは笑った。

 水心子正秀の刃には“弥勒”という文字が刻まれている。水心子は生涯三六九振の刀をつくり、その三六九振目が現在、片山家が所蔵している剣だという。その数字に準えて、兵庫が手に入れた際、刀工に彫らせたらしい。


「その昔、森武蔵守が和泉守兼定の槍に“人間無骨”と彫らせた故事もある。ワシがやるなら構わんさ」


 自分を歴史上の人物並とぬけぬけと言ってのける兵庫がおかしかったが、自身でも気がついたらしく、兵庫はへの字口をつくって顔をしかめた。


「……そういうわけで、弥勒菩薩の加護がその剣にはある」

「そうか。ありがたい刀なんだな」

「そうだ。加護がある。加護があるんだ」


 兵庫は何度も頷きながら言った。その言葉はリュウヤにではなく、自分に言い聞かせているように思えた。


「大丈夫。じいちゃんの想いがこめられているんだから」

「そうか……。そうだな」

「じゃあな、じいちゃん。父さん」


 リュウヤは軽く手を挙げて身を翻すと、その後にリリシアが兵庫たちに一礼してリュウヤを追った。

 前方では、小野田が舗装された道をそれて林の奥へと入っていった。“立ち入り禁止”と黄色いテープを気にする様子もなく、携帯で話をしながらくぐって奥へと歩いていく。何度も足を運んだ者特有の馴れた足取りで、道は無いのに、足に迷いがなかった。スマホに興味津々なクリューネは、隣で薄っぺらい板に話しかけている小野田を熱心に眺めている。


「……リュウヤ様」


 いつものように、後ろ三歩の間隔で影のように歩くリリシアが言った。


「生きて帰りましょうね」

「もちろんだ」


 小野田の背中を見つめながら、リュウヤは短く言った。気がつけば、リュウヤの左手が腰にさげた水心子正秀を握りしめていた。頼もしい力強さが、黒塗りの鞘から伝わってくる。


 ――待ってろよ、エリシュナ。


 握れば握るほど、心の底から闘争心が込み上げてくるように思えた。

 リュウヤの意識は既に遠くアメリカへと向けられている。

 背後から、健介と兵庫の視線を痛いほど感じていたが、リュウヤは一度も振り返ることはなかった。


  ※  ※  ※


 木立の中に魔空艦の姿が見えてくると、リュウヤたちは足を早めた。

 クリューネが先に駈け、魔空艦に近づいていった。


「なかなか仕事が早いの」


 魔空艦を見上げて、クリューネが感心した様子で声をあげた。整備班に徹夜で修理された魔空艦は窓も操舵室の天井も元通りになっていたし、被弾した箇所も綺麗に修理されていた。

 嬉しそうに魔空艦を見上げて周囲を歩いているクリューネに、野太い男の怒声が飛んだ。

 クリューネの騒いでいる声を聞きつけたらしく、見ると、魔空艦の中から小太りで作業服姿の男が現れ、その後ろに数名の同じ作業服姿の男たちが訝しげにクリューネを見ているのが見えた。誰もが疲労感が漂い、眠たげで血走った目をしている。

 

 ――ははあ。こやつらは、小野田の言っておった整備班の連中とやらだな。


 労っておこうとクリューネは思った。


「なんだ君は。ここは警察が立ち入り禁止にしているんだぞ。見えなかったのか」

「よくやった。私、この船持っていく。お前ら用済み。早くあっちいけ」

「なんだと?」


 クリューネ本人としては、“お疲れさま。これからこの船が飛び立つ。危ないから船から遠ざかって欲しい”と意味のことを言っているつもりなのだが、クリューネの未熟な日本語では挑発しているのと変わらない。おまけに整備班の面々は、突然の徹夜作業で気が立っている。

 作業服の男の顔が、みるみるうちに真っ赤になっていった。


「俺らも関係者だ。警察所属の車両整備班なの。この船みたいなもんを、徹夜で修理しにきたんだぞ。手探りで。帰れ帰れ」

「何を言っとるかわからんな。何故か怒っとるし。……ええと、キサマ、日本語でオケ?」

「朝っぱらから、うっせえぞチビ!」


 肝心の内容は伝わらなくても、チビという悪口だけはクリューネにも伝わり、色をなして声をあらげて返した。


「チ、チチ、チビとはなんじゃ!このデブ。ブタヤロウ!お前なんぞ*%◎@§△≡……」

「何がブタだ!てめえだって*∑сзВ&◆%…」


 クリューネも小太りの男も、言葉の中身はわからないながらも、それぞれ聞くに堪えない罵詈雑言の応酬を始めた。そばの見かねた他の整備士が「山本班長やめましょうよ」と袖をひいたが、山本と呼ばれた男は振り払って唾を飛ばしながらわめきたてる。クリューネも負けてはいられないと、異世界の言葉で有らん限りの罵声を並べ立てた。


「どうせ、お前のかーちゃんはの……!」


 そこまで言った時、クリューネの後頭部にゴツンと強い衝撃がはしり、痛みで言葉が急に途切れた。


「な、なにすんじゃ!」


 頭を押さえながら振り返ると、リュウヤがクリューネを凝視したまま、拳を固めてぬらりと立っている。

「……」


 明らかに怒っているリュウヤの姿に、クリューネは池の鯉のようにぱくぱくと口を喘がせた。見下ろしてくるリュウヤの強烈な視線に、クリューネの体は石像のようにかたまり、意味不明の愛想笑いが浮かんで、乾いた笑い声を洩らしているのが自分でもわかった。


「や、やあ、リュウヤ。ご機嫌が悪そうだの……」

「クリューネこそこんな時に何を騒いでいる。一刻も争う事態だぞ」

「いや、ははは……。見てわかるじゃろ。こやつがな……」

「騒いでいる時か?」

「いや、あの、その。しかしな、こやつが……」

「騒いでいる時か?」


 ニコリともせず、カッと目を見開いて詰め寄るリュウヤに、クリューネは次第にしゅんと悄気てうなだれた。


「……違います」

「こういう時、“騒いでごめんなさい”と謝るもんだろ?」

「……騒いでごめんなさい。でも、お前も頭を叩くことは……」

「あ?」

「いえ、何でもないです……」

「何でもないなら、さっさと中を点検して準備しろ」

「はい……」


 背中を丸めて艦内に入っていくクリューネに、リリシアが寄ってきて、ぽんと軽く叩いた。 慰め半分で、もう半分はからかっているような手つきに、クリューネが見ると、案の定薄ら笑いしている。


「……」


 クリューネはリリシアの尻を無言で蹴飛ばすと、リリシアも見返してきて、無言で蹴り返す。二人は互いにけつを蹴り合いながら、艦内の奥へと入っていった。クリューネたちの姿が消えると、リュウヤはすみませんと頭をさげた。


「ウチのやつが、お騒がせしました」

「まあ、いいけどよ。……てか、おたくらはいったい何なの。ここは立ち入り禁止で……」

「山本班長、朝から元気ですねえ」


 小野田がニヤニヤしながら、山本とリュウヤの間に割り込んできた。


「突然の呼び出しに徹夜までさせちゃって、すみませんね」

「何だ、小野田さんの連れかよ。先に来てくれれば良かったのに」

「いやあ、あの子と山本さんのやり取りが白熱してたんで、つい出るタイミングを失っちゃって」


 申し訳なさそうに小野田は頭を掻くと、山本は人が悪いなと軽く笑った後、真顔に戻って次にリュウヤへと視線を向けた。


「じゃあ、この人が例の……?」

「うん、そう。俺の友人でこの船の所有者。修理はもう済んでます?」

「ええ。取り付けは済んだから、あとは内部から補強するだけで、それも終わったんで連絡したんですけどね」


 山本が言いたいことはそれだけでないらしく、疑問と好奇の光を瞳に浮かべて難しい顔つきでいる。

 山本さんとリュウヤが声を掛けた。


「ありがとうございます。助かりました」

「あ、ああ……」


 リュウヤが山本に頭を下げて礼を述べると、山本と小野田から離れ、操舵室が見える艦橋の下へと歩いていった。

 艦橋を見上げているリュウヤが突然手を挙げたのは、操舵室と何か確認作業をしているらしい。

 山本は不審な眼差しをリュウヤに向けていたが、不意に顔をよせて、小野田にささやくような小声で言った。


「この船の下にある動力部分を確認したんですが、ガラスケースに囲まれた中に魔法陣みたいなのが描かれていて、真っ赤な石が宙浮かんでいた」

「……」

「調べようにも、凄い電磁波を放出していて、恐ろしくて全く近づけなかった。」

「この船の外装に使われている材質も、どこの規格に該当しないものばかりだった」


 いつの間にか整備班の人間が傍にいて、会話に加わっていた。


「この船は何なんです。それに彼らは?しかも、腰には日本刀なんか差してる」

「……」


 小野田は無言で詰め寄る男たちを見渡していたが、やがて静かに口を開いた。


「……動画みたでしょ。銀髪女がアメリカ人を殺したやつ」

「ええ、意味不明な言葉話しているやつ。あの女と関わりが?」


「俺も説明しにくいんです。信じられないし、理解できないことが多すぎる。でも、はっきりしていることがある」

「なんです?」

「彼らは俺の友人です。そして、彼らはこの国だけじゃなく、世界を守ろうとしている。今、アメリカで起きていることを放っておけば、悲惨な事態になる」

「……」

「だから、しばらく見守っていてもらえないですか。責任は俺がとりますから」


 優しく微笑む小野田に、山本を始め男たちは返答に窮し、戸惑った様子で互いの顔を見合わせたり、眩しそうに目を細めてリュウヤに視線を送っていた。

 そのリュウヤが確認作業を済ませたらしく、操舵室に向かって手を振ると、小野田たちのところへと戻ってきた。


「ありがとう小野田。世話になった。そろそろ行ってくるわ」

「そうか……」

 小野田は言葉を詰まらせた。

 これから、この男は想像を絶する相手に戦いを挑むのだと思うと、掛ける言葉が見つからなかった。

 死んだと思っていた友人と、数年ぶりに再会できたのに。この世界では想像もつかない死地から逃れたというのに、これから再び死地に赴こうという。

 ひき止めたい。

 今ならまだ間に合う。

 ダメなら、せめて何かの力になりたい。

 不意に生じた強い衝動が小野田の心を突き動かし、口を開きかけた時、機先を制するようにリュウヤがボソリと言った。


「セリナと同じ村に、テパて奴がいてな。親友といえる奴だった」

「……テパ?」

「うん。歳は俺とかわらないのに、天候の読み方、農作物の育て方、丈夫な小屋も建てられたし、飲める水や食べられる草や薬の調合も出来て、村から頼りにされてる奴だった。もうすぐ結婚するはずだった」

「……」

「ある時、村が滅んで俺とテパだけが生き残った。セリナは行方不明。他はみんな死んじまった。テパの婚約者も」


 リュウヤはため息をついて、空を見上げた。

 あの日も、こんな清々しい青空だったのだ。

 後悔と悲しみに満ちるリュウヤの横顔を、小野田も整備班の男たちもじっと見守っていた。


「テパは全てに絶望して、あいつは自分で命を裁った。あいつがいたら、助かったことも多いのに」

「……」

「小野田はテパに良く似ている。顔も性格も。ちょっとおっちょこちょいなとこがあるのもな」


 リュウヤは笑ってみせたが、小野田は無言のままだった。


「お前を死なせはしねえ。もう誰も死なせない。今度こそ俺の家族を、仲間を、友だちを守りぬいてみせる」


 竜也と、小野田は言葉を詰まらせながら、絞り出すような声で言った。視界が涙で滲み、リュウヤをはっきりと見ることが出来ないのがもどかしく、ぐいっと熱くなった目頭を拭った。


「……竜也。俺はお前が友達でよかった。誇りに思う」

「俺もだよ。小野田」


 リュウヤが爽やかに笑ってみせると、ふわりと風が舞った。

 船の下に魔法陣が描かれ、白い光を地上から放っている。酷いのは見た目だけで、エンジン等には何の問題もないらしい。


「これから、船が飛ぶ。危ないから、そこの木まで下がっていてくれ」


 リュウヤがコナラの木を指示すると、男たちは大人しく下がり、リュウヤを見送った。


「じゃあな」


 それだけ言ってリュウヤは魔空艦に飛び乗った。ドアが閉められ小さな丸窓から、リュウヤの顔が覗いていた。

 風は強さを増し、周囲の木々が激しく揺れた。土埃や枯れ葉が小野田たちを襲って、目をまともに開いていられない。男たちが悲鳴のような声をあげて木々にしがみつき耐える中、小野田は親友の姿を追おうと必死に踏ん張っていた。

 猛風の中、わずかに開けた視界の中で、船の底が地上から離れ少しずつ上昇していくのが映った。


「竜也!」


 風の勢いが緩みを生じた時、小野田は顔をあげたが既に魔空艦は空高く、赤く塗られた船の底しかわからない。


「……」


 小野田たちが息を呑んで見守る中、魔空艦は空を大きく旋回し、船の後部から激しい光を噴出させると、東の空へ向かって、あっという間に飛び去ってしまった。


「……帰ってきたら、ゆっくり酒飲もうな」


 視界に映る太陽が眩しく、目を細めて空を見上げながら、小野田は口の中で呟いた。

 魔空艦が去った後も、小野田や整備班の男たち、そして兵庫や健介も、魔空艦が残した光塵が舞う青空を一粒残らず消えるまでずっと眺めていた。


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