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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第10章「日本帰還」
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明日は明日の風が吹くと思う

 風呂に入ってから夕食を済まし、少し落ち着いてからリュウヤは隣の道場に足を運んでいた。

 庭の草むらからは鈴虫が騒々しく鳴いている。風は無いものの、秋らしい夜の冷えた空気が、酔いを含んだ身体には心地よかった。


 ――良い空気だなあ。


 リュウヤは不意に立ち止まると夜空を仰ぎ、ふるさとの空気を味わうように深呼吸をした。肺がふるさとの空気に満たされたのに満足すると、またゆるゆると足を進めた。

 リュウヤは髭を剃り、黒装束の旅装から、高校時代に着ていたポロシャツとジーンズへと変わっている。

 そのリュウヤの歩き方がどことなくぎこちないのは、以前よりも太もも部分の筋肉がついてために、ジーンズがかなりきつくなっているためだ。

 しかし、日本に帰ってきたという実感を少しでも味わいたくて、しばらくそのままでいようと無理してジーンズを履いていた。

 リュウヤは道場の引き戸をカラリと引くと、道場から漂う、埃っぽい臭いがリュウヤの鼻腔を刺激した。

 人が不在にしている時の特有の臭いで、その臭いは長い間、ここが使われていないということを感じさせた。竹刀や木刀は道場の隅でそのままにしてあるものの、神棚は外され、窓から差し込む灯りで下駄箱や板間にうっすらと埃が積もっているのがわかった。

 リュウヤは一礼して道場に上がると、木の床からひんやりとした冷たさが足の裏に伝わってくる。懐かしい冷たさだった。


「……ホントに道場を閉めたんだな」


 寂寥感が胸を浸すのを感じながら、リュウヤは道場内を見渡していた。多くの人々が稽古をし汗を流してきた。その中には自分の汗も道場に染み込んでいるはずである。


 ――じいちゃん、何も言わなかったな。


 リュウヤは食事中の祖父の寂しげな姿を思い出している。

 食事中、報せを聞いて帰ってきた父や母が、異世界での話やセリナたちの身の上話を聞いてくる間、祖父の兵庫はずっとアイーシャの相手をしたままで、道場のことは一言も口にしなかった。

 リュウヤも道場閉鎖のことをつい聞きそびれてしまっていた。


「ここにいたか」


 背後からしわがれた声がし、振り向くと兵庫が立っていた。


「お前がいないから、言葉が通じなくて母さんたちが困っとるぞ。クリューネて子は、お構い無しに健介君に絡んでいるが」

「クリューネはそういう奴だから」


 苦笑してリュウヤが言った。健介とはリュウヤの父の名である。婿として片山家に来た。

 少ししたら戻るとリュウヤは微笑したが、すぐに視線を道場内に戻した。


「道場、閉めたんだな」

「ああ、ワシも歳だ。身体は嘘をつけんからな」

「見たとこ、そんな悪そうには思えないけど」

「一昨年は胆石で入院したし、目の手術もした。それに道場自体、寂れてきたことが大きい」


 異動、引っ越し、学業、引退等々の理由で門下生が徐々に減っていき、五年前と比べると半分近くになってしまったという。


「それに片山竜也というワシの孫であり、真伝流後継者の天才剣士を失ったことが何よりも大きかった」

「……」

「だが、こうやって帰ってきた。しかも可愛い妻子を連れてな。ワシは何よりも嬉しいよ」

「そういうことはさ、めでたい食事の席で言えよな」

「照れ臭くて言えるか。……だが、それはお前だって同じじゃないのか」


 兵庫の目と声色が変わった。

 剣士としての厳しい目つきで、リュウヤに目を注いでいる。


「お前は、ただ旅をしたとだけ語っていたが、それだけじゃなさそうだな。最初にお前を見た時、剥き出しの刀が佇立しているようだった」

「……」

「向こうで、何人斬った?」


 突然の兵庫の問いに。わかんねえとリュウヤは力なく首を振った。誤魔化しではなく正直、数はリュウヤにもわからない。だが、百や二百といった数ではないことは確かだった。


「……向こうは戦争やってんだ。セリナと暮らしていた村も、敵にめちゃくちゃにされた」

「後悔することはあるか?」

「無いよ」


 断言してから、リュウヤは兵庫の顔をじっと見つめた。兵庫の鋭い眼光が正面からぶつかった。

 稽古や勉強を怠けて親に嘘をついた時、祖父のこの目に睨まれると震えあがったものだが、今は動じない。

 弄ばれた命。

 無惨に殺された仲間や両親。そしてすべてに絶望して自ら命を裁った友。

 当時を思い出すだけでも、いまだに腸が煮えくりかえるような怒りが込み上げてくる。

 リュウヤに後ろめたいものは何もなかった。誇ることではなくても、自分が為したことに後悔はない。

 それに、今は何としても守るべきものがある。


「……アイーシャは今年で五歳になる」

「うん?」

「だけど、アイーシャと一緒にいられたのはほとんどない。セリナとも半年しか過ごせていない。一時は死んだと思っていた」

「……」

「アイーシャは俺の顔なんてほとんど知らないはずなのに、それでも、俺をお父さんと呼んでくれたんだ」

「……」

「俺はあいつらを守るためなら、俺は敵に容赦はしない」

「……そうか」


 兵庫はリュウヤから視線を外すと、そっと目を伏せた。リュウヤが放つ、強烈な眼差しに耐えかねたように思えた。


「竜也はもう、ワシなど手の届かんところに行ってしまったんだな」


 兵庫は呟いて背を向けると、そろそろ戻ろうと言いリュウヤを促して道場の外へと歩きだした。表に出て、月光に照らされた痩身の背中がやけにさびしく映った。リュウヤはそこで初めて、祖父の老いを知ったように思えた。

 リュウヤは兵庫の背中を見送っていたが、兵庫が立ち止まってリュウヤに振り返った。


「どうした、竜也」


 と、兵庫が訝しげに聞いてくると、リュウヤは夢からさめたように急いで神棚のあった場所に一礼し、兵庫の後を追って表に出た。

 思ったよりも時間が過ぎたのか、外の空気は一層冷え、庭の草むらから聞こえる鈴虫の音も、さっきより大きくなった気がした。


「……ところで、竜也」

「なに」

「セリナさんたちは剣と魔法の世界の人という割には、思ったよりテレビや冷蔵庫に驚かんな」


 秋の澄んだ夜気と月のあかりに浄化されたように、兵庫の声や顔は平静さを取り戻していた。リュウヤもいつしか、胸のうちの荒々しい気分は消えていた。


「向こうにもテレビモニターはあるんだよ。立体映像もある。電気の代わりに魔力で稼働しているんだよ。ロボットだってあるから、下手したら、こっちより文明が進んでるところもあるかもな」

「なんだ」


 兵庫はがっかりした様子で言った。


「例の台詞が聞けると思ったのになあ」

「……もしかして、“テレビの中に人がいる!”てやつ?」


 うむと兵庫が大真面目な顔をしてうなずくので、リュウヤは思わず噴き出してしまった。


「まだ一般に普及してないから、そう反応する人もいるだろうけど、セリナたちは接する機会が多かったから。じいちゃんが期待するような反応は無いよ」

「そうかあ、つまらんなあ」


 ぼやく兵庫に苦笑いして、リュウヤは母屋の勝手口の戸を開けると、居間の方から賑やかな両親の笑い声と、歌声に混じって手拍子が聞こえてきた。


「……?」


 何だろうと思って居間を覗き込むと、テレビを前にアイーシャとリリシアとクリューネがくねくね動いている。和室に設けられたテーブルの上にはビール瓶が増えていて、リリシアとクリューネの顔は酔って真っ赤だった。

 近くでは両親とセリナが、曲に合わせて手拍子を打っている。

 テレビからは、音楽番組の映像が流れていた。何年か前のプロモーションビデオらしかった。


「コイシュルウ、フォーチュンクッキ〜。ミライハ、ショーンナワリュクナイオ〜」


 アイーシャが片言のたどたどしい日本語でAKB48の曲を歌い、アイーシャの隣では、クリューネとリリシアも映像を真似して踊っている。

 セリナが明るく笑いながら手拍子を打っていた。リュウヤの両親も、アイーシャを可愛くて仕方がないといった目で見守っている。

 リュウヤにはその微笑ましい光景が一瞬、不思議なものに思えた。しかし、次にあたたかなものが胸のうちに広がると、その正体がわかった気がした。

 ミルト村が滅んでから忘れていたものだった。明るく笑顔と平和に満ちた空間。それは幸福と呼べるものだと思った。

 竜也と隣で兵庫が言った。


「ワシは今、とても幸せだ」

「俺もだよ。じいちゃん」


 ――歌が終わったら……。


 アイーシャを思いきり抱き締めてあげよう。

 リュウヤは興奮に近い感情に心を奮わせながら、居間に入っていった。

サブタイトルは内容から「恋するフォーチュンクッキー」からです。

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