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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第9章「王都、燃ゆ」
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恐れていた者、遂に

「どうしたの、アイーシャ」


 突然足を止めて空を見上げるアイーシャを、セリナが抱きあげた。

 アイーシャは黙ったままじっと濃い煙が漂う暗い空を見つめている。セリナもアイーシャと同じ方向に目を向けた。激しい爆発音と重い震動に続き、戦闘による悲鳴や怒号がここからでも聞こえてくる。絶望的な響きに、胸が締めつけられる思いがした。


『外は危険です。早く魔空艦の中にお入りください』

「あ、はい……」


 ここまで状況がまったくわからないし、具体的には教えてくれそうもない。

 何もわからないという不安と、爆発による激震と燃え盛る炎に対する恐怖だけがあって、いかに気丈なセリナといえども、こんなところで無駄死にたくはないというのが本音である。それにヤムナークの指示なら、セリナもそれほど抵抗なく従うことができる。

 セリナが船に乗り込むとハッチが閉まり、窓の外で恭しく頭を下げるヤムナークの姿があった。頭をあげるとヤムナークはセリナたちから背を向けて、出発までの間、セリナを護る守護神たらんと、佇立して周囲を警戒している。


「さあ、奥に行きましょ」


 しかし、アイーシャがセリナの衣服をつまむと、「待って」と小さな声で言った。


「アイーシャ、ここは危険よ。ヤムナークさんが護ってくれてるから。早く安全な場所まで入らないと」

「夢でおとうさんが……」

「え?」

「朝、おとうさんがね。ここに来る夢を見たの。でも、おとうさんが、とても怖かった……」

「おとうさんて、リュウヤさんのこと?リュウヤさんが来てるの?」


 うん、とアイーシャは小さくうなずいた。


「でも、アイーシャはいつもは楽しそうに話をするじゃない」

「そうだけど……」


 そう言って、アイーシャがセリナの胸元に顔を沈めると、嗚咽をもらして身体を震わしはじめた。

 予知夢というか、内容は現在進行形のものだが、アイーシャの力のひとつに特定の人間の動きを夢で見ることができた。ルシフィにさえ内緒にしているもので、この一年、どこかの洞窟や塔で闘うリュウヤの話を物語を聞いて、自分の慰みとしたものだった。

 そのリュウヤがここにいる。なのに、いつもは嬉々として語るアイーシャの表情が、今はとてつもなく暗い。


「おとうさん、怖い。ここの兵隊さんたくさん斬って、鬼みたいな顔をしていた。知ってる人もいた。今のおとうさん、怖い。かわいそうで怖い」

「……もしかして朝、私にそれが言いたかったの?」

「ごめんなさい。おとうさんが来たのに、何て言ったら良いのかわかんなくて、お母さんに言えなかった」

「いいの。いいのよ」


 泣きじゃくるアイーシャをあやしながら、セリナは閉じられたハッチの窓から外を見つめた。

 漂う煙に紛れて瓦解した王宮や建物の光景が無惨に広がっている。

 不意に艦がドシンと揺れた。

 窓の下を覗くと、艦底が魔法陣の光が発し、少しずつ地面から離れていくのが見えた。魔空艦のエンジンが稼働し、浮上が始まっていた。


「リュウヤさん……」


 その時だった。

 呟いたセリナに呼応するかのように轟音が鳴り響き、魔空艦が爆風に大きく揺れた。


「きゃあ!」


 セリナもアイーシャと一緒に転倒しそうになったが、手すりにつかまって何とか堪え、外を見ると魔空艦の直近で、光も遮断するほどの真っ黒な煙の壁となってそそり立っている。

 悲鳴を聞いて、奥からヤムナークが慌てて駆けつけてきた。


『セリナ様、大丈夫ですか』

「え、ええ……」

『さ、早く奥に』


 ――間に合わなかったか。


 あと少しかもしれなかったのに。

 悔しさを滲ませながら見つめる黒煙の壁から、三つの影が飛び出してくるのが見て、セリナはヤムナークの手を振り払い、窓の傍に駆け寄った。

 ひとりは男、ふたりは小柄な女だった。魔空艦からでもはっきりとその姿が確認できる。


「おとうさんだ!」

「……あれが、リュウヤさんなの?」


 声をあげるアイーシャに対し、セリナは疑うような声を発した。セリナの目には、まるで別人のように映った。

 髪はぼさぼさで濃い無精髭をのばしているのは、アイーシャの夢話で聞いていた。だが、その時は聖霊の神殿で再会したときのイメージが残っていて、不似合いなことをすると可笑しく思っていたものだが、実際のリュウヤは想像以上に凄惨だった。

 どんな風雪を耐え忍んできたのか。それを考えるだけで胸が痛み、言葉がでなかった。


『……セリナ様。奥の部屋に入っていただきます』


 背後からヤムナークがセリナの肩に、そっと手を添えた。聞こえるヤムナークの声とその手は柔らかさはあったが、有無を言わせぬ強い力があり、セリナは自分たちが人質であることを再認識させた。


  ※  ※  ※

 

「魔空艦が浮上をし始めよったぞ」

「クリューネ、そこから中を確認できるか!?」


 リュウヤに言われるまでもなく、クリューネは既に“竜眼”を発現させていて、煙越しに魔空艦を凝視していたが、あっと声をあげた。

 リュウヤが求めていたもの。聖霊の神殿ではいつも優しく微笑みを湛えていた女と、無邪気に遊んでいた少女がそこにいる。女は顔をくしゃくしゃにさせて叫ぶようにして、何かを訴えていた。初老の男に連れられ、奥へと消えていった。


「あの窓、ハッチの傍にセリナとアイーシャがおった。あの魔空艦じゃ」


 クリューネの言葉を聞き終えると、リュウヤは鎧衣(プロメティア)を発現させようとした。しかし、どこからか無数の雷撃がはしり、三人が飛びさがると強大なエネルギーは、三人がいた場所を深く抉り、硬い地盤を粉々に砕いていた。


「こんなときに新手か」


 馬蹄の響きが大気を震わせ、数百と思われる騎馬に跨がる兵士たちが、王宮の西門側から魔空艦を守るように迫ってくるのが見えた。


「動きがやけに早いの。数が少ないが」


 約五十といったとこかとクリューネは思った。


『タギル宰相の言った通りだ。奴らは魔空艦に向かっている!』


 先頭を駈ける隊長らしき男が、リュウヤたちに剣の切っ先を向けて他の兵士に吼えた。


『行くぞ勇士らよ!今こそ、魔王軍の誇りと魂を見せる時!』

『オウッ!』


 兵士たちの応じる声が虚空を揺るがした。気迫に満ちたその声に、リュウヤは総毛立ち、ネプラスと対峙した時と同様の緊張感がリュウヤの身をかたくした。相手は尋常ではない覚悟を決めている。


「油断するな!」


 これまで兵士たちとは相手が全く違う。

 力の差ではない。

 意志や覚悟がまるで違う。

 リュウヤはリリシアとクリューネに振り向いて怒鳴って警告した。その途端、前方から熱源を感じ、視線を戻すと魔王軍から大量の大炎弾(ファルバス)が放たれるのが見えた。


 ――臥神翔鍛(リーベイル)


 クリューネの声が響いた次の瞬間には炎で形成された竜が、迫る業火の塊とともに兵士たちに襲いかかり、十数名の兵士と馬を巻き込んで、彼らは一瞬で炭と化していった。

 だが、兵士たちには怯んだ様子もなく、凄まじい形相でリュウヤたちに向かってくる。

 尋常な相手ではないと誰もが覚った。


「リュウヤ様、ここは私たちがひきつけます。早く魔空艦を追ってください」


 リリシアの申し出に一瞬、言葉がつまったが、意を決するように強く頷いた。


「……わかった。頼む」


 リュウヤは駆けた。十数騎の兵が行く手を立ち塞がろうと向かってくると、リュウヤは鎧衣(プロメティア)が発動させ、蝶を模した光の羽根から蒼白い粒子を撒き散らしながら、兵士たちの間を駆け抜けていった。

 疾駆するリュウヤとともに閃光が煌めき、リュウヤが突破した後には、兵士たちは斬られた首筋から鮮血を噴き出しながら、馬上から転落していった。

 しかし、その絶妙な剣技を目の当たりにしても彼らはひるまない。

 魔空艦に向かって走り出したリュウヤを見て、さらに追撃を仕掛けようと、何人かの兵の手の内に高エネルギーの光球が生まれた。しかし、彼らの目的は果たせずに終わった。なぜなら、クリューネから放たれた荒れ狂う炎の竜が彼らを喰らい、一瞬で炭化させていたからだ。

 わずかな間が空き、その隙をついてリュウヤは鎧衣(プロメティア)で飛翔した。


『噂の竜言語魔法か……。さすが神竜の力を持つ者』


 隊長はリュウヤと、真っ黒な炭となって倒れている兵士たちを見比べながら唸り声を出した。

 警戒にあたる兵士たちは、高位魔法を習得している者も少なくない。高位魔法の使い手なら自動の魔法バリアが張られるのだが、それすらも意ともせずに打ち破っている。


「これまで、魔法を節約しておいて良かったわ。やはり戦は何があるかわからんの。のう、リリシア」


 クリューネは隣にいるはずのリリシアに声を掛けると、もうリリシアの姿が消えている。ぐしゃと卵の潰れるような音と絶叫に視線を戻すと、“神盾(ガウォール)”の拳を振り回し、暴れまわるリリシアがそこにいた。

 兵士たちの魔法は“神盾(ガウォール)”に弾き返され、組みつこうにも、その前に拳で顔面を叩き潰されていた。兵士たちは声すらあげることも出来ずに、地面で虫の息のまま横たわっている。


「リュウヤのためだと、あやつ、鬼みたいな強さになるな」


 肩をすくめながら、クリューネは兵士の一人がリリシアに魔法で狙っているのに気がつくと、クリューネは咄嗟に雷嵐(ザンライド)で後退させ、さらに連続して放った雷嵐(ザンライド)で、その兵士の身体を黒焦げの肉塊へと変質させた。


「済まない」


 リリシアが飛びさがりクリューネの隣に立つと、小さな声で謝ってきた。


「お互い様じゃ。まだ敵は多数残っておる。全滅させるつもりでいくぞ」

「うん。そのつもり」


 リリシアはじりじりと押し包もうとする兵士たちを、注視しながら拳を握り直した。

 リュウヤの剣技、クリューネの魔法、リリシアの拳を受けながら、敵の士気はまだ衰えていない。追い散らすだとか半死半生程度の生温さでは、どのような不意を突かれるかわからない。

 殺るか殺られるか。

 強烈な殺気同士がぶつかり、クリューネたちの神経は異常なまでに昂り血の臭いに酔っていた。今のクリューネや兵士たちには、もはや互いの敵の息の根を止めることしか頭にない。


 ――さあ、来い。


 次なる戦闘に備え、全神経を前方の敵に集中させていた。そんなクリューネの視界に光が奔るのを見た。

 太陽とは異なる方角から、白い光が空を駆け抜ける。その後に鳥の羽根にも似た光の残滓が、ひらひらと舞い落ちていく。


『お戻りになさったぞ!』


 兵士たちの間から歓声がわき起こった。対照的に、クリューネたちは全身から血がひくような感覚に襲われていた。


「まさか……、いや、こんなに早くだと」


 クリューネとリリシアは目の前に敵がいるにも関わらず、思わず空を見上げて光を追っていた。自殺にも等しい行為だったが、そうしなければならないほどの衝撃がクリューネたちにはあったのだ。

 十二枚の翼を持つ者が、猛スピードで魔空艦へと向かっていく。それが何なのか、クリューネやリリシアには一目瞭然だった。


  ※  ※  ※


 魔空艦から発射される嵐のような砲弾を、リュウヤは巧みにかわしつづけ、魔空艦へと迫っていた。護衛役である三隻目の魔空艦も異常事態に浮上を始めているが、他の護衛艦は流れ弾が魔空艦に被弾するのを恐れて容易に手出しが出来ないでいる。

 リュウヤは速度を上げ、小さな艦橋までまわった。中には二名の操舵手と、連絡用の受話器を手にしている老紳士風の男がいて、凍りついた表情でリュウヤを見ている。


「……ここにはいないか」


 リュウヤは上昇し、魔空艦の上部に回り込んだ。

 一度は見失い、不意に現れたリュウヤに見張り台の兵士が慌てて銃砲を向けるが、リュウヤが抜き打ちに腕ごと斬って飛ばすと、返す刀で絶叫する兵士の顔面を叩き割った。


『……』


 艦内に落下しようとする兵士の鎧を掴むと、リュウヤはそのまま死体を外に放り捨てた。死体はボールのように艦体を跳ねながら、やがて地上へと落下していった。


「こっちから攻めるしかないか」


 見張り台から艦内を慎重に覗き込みながら、リュウヤは独り言のように呟いた。

 先に艦橋内の連中を叩き潰すのが早かったのかもしれないが、リュウヤ一人では操縦に自信がなく、墜落の危険は避けたい。セリナたちがあそこにいないのであれば、今は彼らに操縦させた方がマシだ。


「アイーシャ。おとうさんと一緒に遊ぼうな」


 立ち上がったリュウヤの正面に、猛烈な向かい風がぶつかってきた。如何に鍛え上げられた肉体といっても生身の身体である。その強さに思わず視界が塞がれ、身体もよろめいて転げ落ちそうになり、鎧衣(プロメティア)の存在も忘れて、慌てて見張り台にしがみついた。

 落ち着いてからようやく鎧衣(プロメティア)を思い出し、カッコ悪いと恥ずかしさのあまり苦笑したその時だった。

 猛風に紛れて風とは別の方角から、凄まじい力がリュウヤ圧してきた。それは背後から迫ってきた。


 ――敵。


 一瞬でそう判断し、先に攻撃を仕掛けたのは、無意識に剣を放ったリュウヤだった。

 ルナシウスの鋭い刃が風を斬り裂き、背後に迫る敵を打った。

 しかし、それは堅い木製の杖に防がれてしまっていた。

 一見、どこにでもありそうな素朴な杖ではあったが、尋常ではない力がリュウヤを圧迫する。

 その杖の向こうに見える乙女のような可憐な顔に、リュウヤの全身に悪寒がはしっていた。

 戦いを避けるために、もっとも警戒していた相手。

 魔王軍の姫王子。


「ついにきたか……。ルシフィ!」

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