従兄弟•異世界へ移動する理由?
「今、わたしが向かってるのは従兄弟の家。従兄弟は今仕事の関係で茨城に住んでて、ここからちょっと遠いんだけど」
明美は僕の問いに答えると、横目で僕の顔を一瞥して、
「ごめんね。あなたの意見も訊かずに一方的に連れ出したりして」
と、明美はちょっと申し訳なさそう声で謝った。
「べつにそれは構わないけど……」
と、僕は明美の言葉に軽く首を振ると、運転している明美の横顔に視線を彷徨わせた。
「……つまり、それが、僕に会わせたいひとなの?明美の従兄弟が?」
明美は僕の問いに、どこか思い詰めたような表情で頷いた。
「……もしかしたら、うちの家系は、遺伝学的にそういう傾向があるのかもしれないんだけど……」
と、明美は少し言いよどむようにしてから口を開いた。
「実は、従兄弟も、わたしと同じで、霊感みたいなものがわりと強い方なの。……それから、従兄弟も、やっぱり幼い頃に、わたしと同じような体験をしているの。つまり、ある日突然、自分がそれまでいた世界からこちらの世界へとやってきているの」
「明美の従兄弟も!?」
僕は明美の発言に驚いて、少し大きな声を出した。明美は真顔で頷くと、言葉を継いだ。
「……突然この世界にやってきて混乱しているわたしのことを見抜いて、優しく声をかけてくれたのも、従兄弟だったの……その、パラレワールドのこととか、そういうことも全部説明してくれたのも。今は離れちゃってるけど、その当時は家も近所で、仲が良かったら、ときどき、わたし、従兄弟の家に遊びに行ってたんだけど」
僕は明美の説明に頷くと、
「つまり、その明美の従兄弟は、明美が僕に対してそうだったように……オーラだったけ?とにかく、その色の違いから、明美がこの世界の住人じゃないことを見抜いて、異世界のこととか、そういうことを説明してくれたっていうわけだね?」
僕は自分の解釈が間違っていないかどうかを明美の顔を見つめると訊ねてみた。明美はそうだというように首肯してみせた。
「……和司兄ちゃんは昔からわたしなんかとは違ってすごく頭がいいの。大人なだし、冷静だし、色んなことを知ってて、幼いわたしにいつも色々教えてくれたの。もし、和司兄ちゃんがいなかったら、あのとき……この異世界に思いがけず来てしまったとき……わたしは自分に何が起こったのか冷静に受け止めることができなくて、頭がおかしくなってたかもしれない」
明美はそう思いつめたような表情で語った。
「……その和司さんは、明美の従兄弟は、明美の何歳年上なの?」
と、僕は気になったので訊ねてみた。
「わたしの三つ上かな」
と、明美は何かを考えるように軽く宙を見上げるような仕草をすると答えた。
僕は明美の発言に首肯しながら、ということは、明美の従兄弟は中学校二年生にして既に、そういった異世界や、パラレルワールドについてのかなり詳しい知識を持っていたことになるな、と、少し驚いた。ちょうど同い年頃の僕はギャグ漫画しか読んでいなかったなと我ながら恥ずかしくなった。
「今、従兄弟は何をしているの?」
僕はなんとなく続けて訊ねてみた。
「自分の体験したことを専門的に研究したいって言って、今は筑波大学で働いてる」
と、明美はちらりと横目で僕の顔を見ると答えた。
「自分の体験したこと?」
僕は明美の言った言葉の意味が良く飲み込めなくて繰り返した。明美は信号待ちになったので、振り向いて僕の顔を見ると、
「つまり、従兄弟は大学で異世界、パラレワールドについての研究をやっているの。従兄弟は自分が過去にパラレワールドに移行するという体験をしているから、オカルトとかそういうことではなくて、もっと学術的に、科学的に、パラレルワールドというものを証明することはできないかって考えているみたい」
「……パラレルワールドの証明」
と、僕はあまりにも壮大な話に圧倒されて呟くような声で言った。明美は頷くと、言葉を続けた。
「勇気がいた世界ではどうなってるのか知らないけど、こちらの世界には、筑波大学の方に、ヨーロッパのセリンに匹敵するような、原子核研究所があるの。その機関で従兄弟は働いているんだけど……従兄弟の話だと、原子核の研究とパラレワールドの研究は密接な関わりがあるみたいで……」
明美はそこで言葉を区切ると、
「勇気はセリンのことは知ってる?」
と、ちょっと心配そうな声で訊ねてきた。
「……一応、なんとなくは知ってるよ」
と、僕はどちらかというとぎこちなく響く声で答えた。
明美は信号が青に変わったので、車を発進させた。
「セリンは……ヨーロッパの、スイスとフランスの国境地帯にある、全長二十七キロもある、円型の加速器があるところでしょ?その加速器を使って光速に近いスピードで陽子同士を衝突させると、これまで観測されたことのない粒子を発見できるかもしれないとか、もしかしたら、人工的にブラックホールを作ることができるかもしれないというような話を聞いたことがある」
僕の説明に、明美はその通りというように頷いた。
「そのヨーロッパにあるのとだいたい同じような加速器が、茨城の方にあって、従兄弟はその機関で働いていて、研究に携わっているの」
「……もしかして、こちらの世界ではもう自由にパラレワールドへ行けるよう技術が確立されているとか?」
と、僕は軽く興奮して明美の顔を見つめた。明美はちらりと僕の方を振り返ると、また顔を正面に戻しながら、僕の単純な発想をおかしがるように小さく口元を綻ばせた。
「……残念ながら、そんなSFみたいな話は聞かないわね」
と、明美は微笑して言った。それから、明美は再び真顔に戻ると、
「わたしも、そこまで詳しくは知らないけど、でも、せいぜい、未知の粒子が検出されて、この粒子がもしかすると、平行世界からやってきたものなんじゃないかっていう議論がされているくらいのものね」
と、説明して言った。
「なるほど」
と、僕は頷いてから、少し考え込むことになった。最先端の科学技術を持ってしてもまだ証明することさえ難しいパラレルワールドであるのに、僕はどうしてこんなにいとも簡単にこちらの世界へとやってくることができたのだろう、と。
……まだ明美や、その従兄弟が、こちらの世界へやってくることができたのはわかるのだけれど。何しろ彼等には僕にはない、不思議な力が備わっているのだから。でも、僕にはそんな特別な力等何も備わっていないし、僕はただインターネットのサイトに載っていた図形を眺めていただけなのだ。ただそれだけなのに、どうしてパラレルワールドへ移行するというようなとんでもないことが可能になったのだろうかと不思議に思った。
僕は明美の顔を見ると、疑問に思ったことを口に出してみた。すると、明美は僕の言ったことを吟味するように少しの間黙っていたけれど、やがて口を開くと、
「確かに言われてみると変よね」
と、認めた。
「ただの図形を眺めただけでパラレワールドへ移動することができるなんて……」
「……その原子核研究所だっけ?そこにある大掛かりな機械を使っても、まだ証明することさえできていない異世界なのに……明らかに不自然だよね?」
僕は明美の発言に勇気づけられるように思っていることを口に出した。明美は僕の言葉に何か思いを巡らせている様子で黙っていたけれど、
「……でも、もしかすると」
と、ふと何かを思いついたように口を開いた。僕は明美の横顔を注視した。
「勇気が見たっていうその図形には、何か特別な秘密があるのかも……たとえば身体の振動数を変えることができるような……」
「振動数?」
と、僕は不思議に思って、明美が口にした言葉を反芻した。明美はちらりと横目で僕の顔を見ると、続けた。
「以前、従兄弟と、自分たちが異世界へくることになった原因について話したことがあるんだけど……どうして自分たちは異世界へ来ることができたのかということについて……それで話していくうちに従兄弟が言っていたのが、もしかすると、振動数が変わったからなんじゃいかっていうことだったの」
明美はそこで言葉を区切ると、またちらりと僕の顔を一瞥して、
「といっても、まだこれはあくまでも仮説の段階で、ほんとうにそうなのかどうか確証が取れたわけじゃないんだけどね」
と、付け加えるように言った。
「物体にはそれぞれ振動数があって」
と、明美は話続けた。
「それがパラレワールドへ移行することと何か関係があるんじゃないかって、兄は話しているの」
僕は明美の横顔を見つめたまま、彼女の言葉の続きを待って黙っていた。
「従兄弟の考えによると、宇宙というのはひとつではなくて、無数に、あるいは無限大に存在していて、その宇宙というのは、たとえば薄い紙のように何枚も重なってできているんじゃないかって話なの。つまり、わたしたちが生活している世界のうえに、何層にも渡って、無数の異世界が重なるようにして存在しているんじゃないかって考えで……。で、それぞれの世界にはそれぞれの振動数、あるいは周波数のようなものがあって、それよって世界は分離されているんだけど……イメージし易くすると、こっちの世界の物体の振動数は三角で、もうひとつの世界は丸といった感じに。……だから、それぞれの世界は形が違うために、通常は両者の世界を行き来することはできないんだけど、でも、何かの拍子に、その形が、丸だったものが突然三角に変化してしまうようなことが起こって、それによって、ときどき異世界へと移動してしまうようなことが起こるんじゃないかって、従兄弟は言っているの。わたしたちがこちらの世界へ移動することになったのも、わたしたちの身体の振動数が変化して……それが何によって引き起こされるのかはわからないんだけど……とにかく、それが突如として起こって、わたしたちはこちらの世界へ来てしまうことになったんじゃないかって……」
僕は明美の説明に耳を傾けながら、僕が今見えている空間に重なるようにして、またもうひとつべつのパラレワールドが存在しているところを想像してみた。
「……面白い考えだな。というか、明美のお兄さんはさすがだね。よくそんなことを思いつくな」
僕は感心して言った。
「……それでさっきの話の続きなんだけど……例の、勇気がこちらの世界へ移動することになったという図形。その図形は、もしかすると、勇気の身体の振動数を変えることができるものだったんじゃないかしら?」
明美はそう言うと、どう違う?といように振り向いて僕の顔を見た。
「……もちろん、誰もがその図形を見ることで異世界へ行けるわけじゃなくて、わたしや、従兄弟のように、ちょっと特異な体質の人間だけが異世界へ行けるのよ。……たぶん。そして勇気、あなたが気がついていないだけで、実はあなたにはわたしたちと同じような特異な体質があるんじゃないかしら?つまり、霊能力のような……」
「……いや、そんなことはない……」
と、僕は否定しかけて、ふと思い出した。母親が昔、僕に向かってからかうように話していたことを。あなたは幼い頃、よく妖精とか幽霊が見えたって大騒ぎしていたのよ、と。僕はそのとき、子供というものは得てしてそんなふうに見えもしないものが見えたと思い込むものだと思って気にも留めていなかったのだけれど、明美の今の話を聞いて、あるいはもしかすると、と、思った。
僕はそのことを明美に話して聞かせた。明美は僕の説明に、さもありなんというふうに頷くと、
「恐らく、勇気、あなたは本質的な部分ではわたしたちと同じなのよ。今はそういった能力みたいなものは低下していて、ほとんど何も見えなくなってしまっているのかもしれないけど。……そしてさっきも言ったように、あなたはそのパソコンの図形を見たことによって、一時的にその能力が高められたんじゃないかしら?……だから、あなたは異世界へ来ることができたのよ」
「……なるほど」
と、僕は明美の理論整然とした説明に、打ちのめされたように頷いた。
「……でも、その勇気がパソコンで見たっていう図形の正体が気になるわね」
と、明美は僕の隣で眉根を寄せると、いくらか深刻な表情で呟くように言った。それから、明美ははっとしたようにその表情を緊張させた。
「どうかしたの?」
僕は明美の表情の変化が気になったので訊ねてみた。明美はちらとり僕の顔を見ると、
「……もしかしたら、その図形も、何か、わたしたちのことを調べている一団と関係があるんじゃないかって思ったの」
と、明美はそこまで話すと、
「……でも、あまりにもなんでもかんでもそのことと結びつけて考え過ぎよね」
と、明美は弁解するように苦笑して続けた。
僕は明美の発言に曖昧な笑みを浮かべただけで、特にも否定も肯定もしなかった。でも、実を言うと、明美の言ったことがすごく気になっていた。というか、すごく嫌な予感がしていた。でも、それを口に出してしまうと、それがほんとうのことになってしまいそうだったので、僕は黙っていた。
僕たちの乗っている車はいつの間にか街灯の光のない道路を走り始めていて、前方にじっと視線を向けていると、まるでそれは車が暗闇のなかに吸い込まれていっているようにも感じられた。