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智之、お前の為に。■2014/01/11 16:21

「しっかりな。現実に負けるなよ」

 智之は光の余韻が辺りに漂う中で、もういなくなってしまった律に向けて呟くのだった。

 それからしばらくは、二人ともただただ立ち尽くしていた。頭の中は真っ白だが、それに対して心は清々しさでいっぱいだった。

「……行っちゃったね」

「行ってほしくなかったか?」

「どうだろう、仲良くなりたかったとは思うよ」

 千里にとって律は狭間に来て初めての、歳の近い同性。そう思うのは至極当然のことだ。

「でも、律ちゃんが還るとき、ありがとうって言ってくれた。何だかすごく嬉しくてね、今はそれで満足してるんだ」

「千里も同じこと考えてたんだな。オレたちの励ましなんかでも、前に進んでいってくれた。人の役に立つって、こんな気持ちいいことなんだって知らなかった」

 二人は思わず顔を見合わせ、笑ってしまう。こんなにも考えていることが同じだったなんて。

 その最中に、はたと思い出して千里は尋ねた。

「智之さん、もう大丈夫なの? それに、何であのタイミングで律ちゃんを?」

 それは智之自身も伝えなければと思っていながら忘れていた事柄だった。

「結論から言うと、今は完全復活だ。心配かけちまって、ホントすまなかった」

 頭を下げ、そして説明を始める。

「オレの目的全否定されたわけだろ、それで自棄糞になっちまって。今日もボーッとしてたら雷みたいなのが落ちたから、気になってさ。でも先にお前が走って行ったのも丘から見てて、鉢合わせるのも恥ずかしくて、そこの茂みに隠れて全部覗いてたんだわ。流石にストーカー紛いのことしてるのも悪いと思って帰ろうとした頃に、あの子がいきなり叫びだすのよ。で、崖の方走ってくし、千里は動かないし、まさか見殺しになんかできねぇから助けに飛び出した、っつーこと」

「き、気付かなかった……」千里は無性に恥ずかしくなって俯く。「わたしの説明、変なところとかあった?」

「特に無かったと思うけど――あ」

 指摘すべき点を一つ、思い出す。

「千里さ、もっと自信持っていいんだぜ」

「え?」

 予想だにしない言葉に、千里はあんぐりと口を開けたまま閉じられなかった。

「覚さんのときも、さっきもそう。還る二人のどちらにもお前は『強い』って言ったんだ。まるで自分は『弱い』みたいに」

「……それは、わたしには還るなんて決断、とてもじゃないけどできないから……。本当は、事実を知ってからずっと不安で仕方ないんだ」

 ポロポロと、抑え込んでいた感情が溢れ出す。まだ歯止めは効くと思ったが、千里は敢えて口の動くままに任せる。

「勉強に集中してる間は、不安な気持ちを忘れられる。だからセンター試験っていう目標に向かって、無駄になるとかはなるべく考えないで打ち込んでた。ここでの思い出を失ってしまうことから目を反らしているわたしなんかが強いわけないよ。それに、どうしても自分が凄いとか優れているとかって考えられないの。いつも他の人が羨ましく見えるんだ」

「いいや、千里は強い。少なくともオレよりはな」

 同時に狭間の事実を聞かされた二人だったが、反応は似て非なるものだった。千里は無心に机に齧り付いた。智之は空を仰ぎ泥沼に嵌った。どちらの方が前を向いているかなど、悩まずとも分かる。

「けど、もしかすると今は逆転してるかもな。オレはもう吹っ切れたぞ」

 智之はぎこちない笑顔で胸を張った。

「どうして? だって智之さんもレポート、いくらやったって」

「ああ、もうそれ諦めたから」間髪入れず断言した。「進級できなくたって仕方ねぇ。頑張る時に頑張らなかったオレ自身のせいだから。それにさ、レポートが提出できなくても死ぬわけじゃねぇし、また来年やり直せばいい。だろ?」

 それは、智之が律に向けて言った言葉とよく似ていた。

 実際のところ、決心が付いたのはついさっきのことだ。激昂中に口から出まかせに吐いた台詞は律の心を動かしただけに留まらず、彼女を見送った後にしばし考えてみると智之自身にも当てはまることに気付いたのだ。

 現実に還ったら残りの四日でレポートを死に物狂いで完成させる。もし失敗して留年になってもそれが自分の運命。人生が終わるわけじゃないのだから、絶望する必要なんてないのだ。……もちろん、留年しないに越したことはないが。

 自分の無意識の言葉に諭されたなどという情けない話を千里に言えるはずもなく、このことは胸の内に秘めておく。

「じゃあ、智之さん」どうしてかその眼は、潤んでいるように見えた。「還っちゃうってこと?」

 目的意識がないのに狭間に残ることはできない。智之も実際に還されかけたから知っている。レポート完成の為に狭間に来たというのに、その目的を諦めた今も残留できているのは何故なのか。そんな千里の問に、論理的に納得してもらう術を智之は持っていない。だがはっきりしているのは、こういうことだ。

「いいや。どうやらここは、当初の目的以外の為に残りたいと思っても許してくれるみたいだぜ。じゃなきゃオレはとっくに光の中だ」

「レポート以外の、為……?」

「お前の為さ」

 一瞬、誰を指しているのか本気で分からなくなった千里は右を見、左を見、そして自分を指差して、「わたし?」

「他に誰がいるってんだよ。ほらオレ、今日まで散々迷惑掛けたろ、約束もブチ破ってさ。だからその罪滅ぼし。……ああ、千里が必要ないってんなら今すぐ還るわ」

「――お願いします!」

 言下に千里は勢いよく頭を下げた。彼の教えを欲していた千里にとってこれほど嬉しいことはない。

 智之はその答えに安心してはにかむ。

「改めてよろしくな、千里。お前が満足行くまでとことん付き合うからな、覚悟しろよ?」

「うん! 智之さんこそ、ちゃんと最後まで見届けてよね?」

「今度は絶対だ。約束する」

 元気な返事を確認し、さて、と千里の拠点に向かうことにする。今日中にもあと数時間は教えられるはずだから。千里が一人でどれだけ勉強していたか、その成果も見てあげなければいけない。

 そのとき智之は、すっかり聞きそびれていた大事なことを思い出すのだった。気にはなっていたものの、本人から直接聞いていなかったこと。それは勉強の教え方にも影響することなのだから。

「そう言えば千里、どこの大学を志望してるんだ?」

 臆面もなく迷わず告げられた大学名と学部名に、智之の心臓は破れんばかりに跳ね上がることになる。

 何せそれは、自分の籍を置く大学の名だったのだから。

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