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狼と銃と改造車両

~IN???

 俺の名前はコウジ・ムラマサ、24歳。ニックネームはコージー。日系四世のアメリカ人だ。

 アメリカに移住してきた曾祖父さんの代から続く銃砲店の跡取り候補で、現在国家資格であるフェデラルファイアアームズライセンス所得の為に目下勉強中だ。まぁ小さい頃から銃と関わってるおかげでガンスミスとしての腕はすでに十分なものを持っていると師でもあるじいさんのお墨付きを貰っているので、後はライセンスを取るだけでめでたく実家、【ムラマサファイアアームズ】の跡取りの地位が確定されることになっている。

 ちなみに俺の夢はムラマサファイアアームズオリジナルブランドの拳銃を作り上げることで、勉強の合間に銃の設計をしている。

 さて、じいさんと両親は先日から日本の京都へと旅行に行っているため、現在家には俺一人しかいない。うんそれはOKだ。で時刻は朝の8:30。店を開けるのが11時からだから従業員もまだ来ていないのもいつものことだ。で現状の問題はだ…………。ニューヨークの一角にあるべき俺の家が、いったい何時から森の中に移動したのか、それが一番の、唯一の問題だ。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 枕元でうるさい音を立てる目覚まし時計の頭を叩いてアラームを止めたコウジは大きなあくびをしながらベッドから起きあがった。


「ふぁ~、あぁ~あふぅ~」


 寝間着のボタンを外すのも面倒くさいとばかりに頭から寝間着を脱ぐと、それをベッドに放り投げてクローゼットから適当に取り出したシャツを着て、椅子にかけてあったGパンを履く。ベッド横に投げ出されていたサンダルを突っ掛けて再度あくびをしながら部屋を出た。

 廊下に出て背筋を伸ばしながら隣の部屋に視線を向けるが、自室の隣にある和室に人の気配はない。その部屋の主である祖父は廊下の突き当たりの寝室の主達と共に遠く日本の地にいるのだから当然といえば当然な話だ。


「日系、か。先祖伝来の墓が他国にあるってのはどうなんだろうなぁ」


 あっちは火葬だって話しだし、と京都にあるというムラマサ家の墓を思う。曾祖父さんが帰化してアメリカ人となったムラマサ家なのだから、そのルーツを辿れば遠く海の向こうの島国に行き着き、そこに先祖の墓があるのは当然といえば当然のことなのだが、気楽に墓参りにも行けないな、と頭をかきながらぼんやりと呟いた。


「墓参りついでの京都旅行って言ってたけど、絶対逆だよなぁ」


 親たちの性格を思い出しながら朝刊を取りに行こうと玄関へと向かい、寝起きでしょぼしょぼする目を擦りながら扉を開いた。


「……………………」


 ガチャリと音を立てて扉を閉め、額を叩いて目頭をよく揉んでから頬を挟むように両手で叩き再び扉を開く。


「……………………」


ガチャリと音を立てて扉を閉めてコウジは天井を仰いだ。


「いやいやいやいやいやいやいやいやいや………………………………、俺起きてるよな、頬叩いて痛かった。うん、俺起きてる」


 そして三度扉を開き、目の前に広がる木々の青々とした薫り漂う光景に頭を振ってため息を吐いた。


「………………何じゃこりゃーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 木、木、木、木、右を向いても左を向いてもそこにあるのは四方に枝を伸ばし青々と葉を茂らせた樹木のみ。本来あるべきニューヨークの雑多な町並みがそこにはなく、コウジは呆然としながら家の周囲を見て回った。その結果分かったのは理由は分からずとも自分の家がどもとも知れぬ森の中に彼の知らぬ間に、それこそたった一晩(多分)の内に移動してしまったということと、家があるのは森の中にできた空きの地隅であり、家の裏には半径にしておよそ20メートルほどの空き地が広がっていることだった。

 空き地の向こうにも森が広がっていることを確認し、コウジは家の中に戻って電気と水道がどうなっているのかを確かめた。幸いと言うべきか電気と水道は通っているらしく、電気のスイッチをつければ明かりが灯り、蛇口を捻れば水も流れた。口にした水道の水がなにやらいつもと違っておいしいような気もしたが、それは些細な、今気にするべき問題ではないと判断する。


「あ、電話………………」


 現状何が起きているのか皆目検討もつかないが、電話が通じていれば誰かに助けて貰うこともできるのではと思いつき、急ぎ今に置かれた電話の受話器を取り、少し迷った末に友人の番号を電話に登録されている電話帳から選択する。しかし…………………。


「呼び出し音が鳴らない?」


 呼び出し音どころかウンともスンとも言わぬ受話器を見つめ、ついで電話の本体を見る。液晶画面にはメニューが表示されていて、少なくとも壊れているわけではないと判断。電話が通じていないと見るや、コウジは急ぎ3階にある自室へと駆け戻り、充電器につけっぱなしになっている携帯電話を開き画面右上に表示されている圏外の文字に肩を落とした。


「誰かに助けを求めることはできないか………………」


どうするべきかと今に戻り、週間通りにテレビのスイッチを入れてソファに腰を下ろす。


『ザザーーーーーーッ』


 テレビの画面に映る砂嵐。次から次へとチャンネルを変えてみるがそこに映るのは砂嵐のみで、一通りチャンネルを調べたところで諦めてテレビを消した。


「マジで何がどうなってるんだか………………」


 そこでグゥと空腹を知らせる音が腹から響き、コウジはひとまず朝食をとることにしてキッチンへと向かった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 ベーコンを敷いた上に卵を落として作った目玉焼きをトースターで程良く焼けたパンの上に盛り、冷蔵庫から出したオレンジジュースをグラスに注ぐ。昨晩食べた残りのサラダにチキンハムを加えて本日のメニューは出来上がる。


「いただきます」


 両手をあわせて呟くのはコウジの家では曾祖父の代から続く食前の挨拶。

 目玉焼きの乗ったパンにかぶりつき、よく噛んでからオレンジジュースと一緒に胃の中へと流し込む。


「とりあえず、飯食って少し休んでから周囲を調べてみるか。ここがどこだか分からなきゃ何もできないからな………………」


 サラダをつつきながら周囲の散策に何が必要かなどを考え、それがどこにしまってあるか記憶を掘り返すコウジだった。


 食べ終えた食器はすぐさま洗って乾燥機へとしまい、コウジはすぐに行動を開始する。屋根裏部屋にしまってあったリュックと持ち運び用の小型バッテリーを引っ張り出し、充電が十分に行われていることを確認してリュックの底へ。さらに自室に戻って机の上に置かれたノートパソコンを入れ、ビデオカメラ、方位磁石、簡単な治療キット、ノートにペンを放り込んで今度は地下の物置へ。キャンプ道具をしまってある箱からロープを取り出し、カラーテープや念のために懐中電灯をしまう。


「一応こんなものか?」


 災害時用のビスケットを一箱リュックにしまい、埃臭い物置を見回して頷きコウジはお店へと回る。どことも知れぬ森の中だ。どうしてこんなところに家が移ってしまったのかが分からない以上森の中に何がいても不思議ではないだろうと、商品を置かれた棚から12ゲージショットシェルを何箱かリュックへしまう。さらに店の奥にある作業室から自ら改造したレミントンM870をしまっていたケースから取り出し、ショットシェルを装填して安全装置を確認する。装置がかかっているのを確認してリュックとともに居間のテーブルの上に置いて部屋に戻る。

 部屋に戻ったコウジはサバゲーをするときに着用する迷彩柄の上下に着替え、地下から持ってきたナイフをベルトの鞘に差し込み、先ほどまでエアガンのFNFiveーseveNが納められていたホルスターに本物のファイブセブンをしまう。


「まさか趣味で作ったこのベルトをフル活用する日が来るとは………………」


 呟きながらベルトに設けられたポーチにファイブセブンのマガジンを2つ納め、最後にサバゲーで愛用しているがっしりとした作りの編み上げブーツを穿いて準備は完了する。

 休憩がてらに荷物のチェックを行い、考え得る限りの準備ができていることを確認しコウジは見知らぬ森へと足を踏み出すのだった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 などと言いながらコウジが向かったのは玄関の正面に広がる森の中ではなく、家の裏に広がる空き地の方だった。そこそこ広い空き地をビデオカメラで撮影しながらグルリと一周すると、リュックからパソコンを取り出し今ビデオカメラで撮ったばかりの動画を取り込んでゆく。サバゲー仲間が何を思って作ったのかは分からないが、取り込んだ画像や動画を元に地図を作製するオリジナルソフトを立ち上げ今撮ったばかりの動画から空き地の地図を作製する。およそ卵の用な楕円を描く広場、その南端に我が家が書き込まれた地図が画面に表示され、ソフトが正常に動いていることを確認して再びリュックにしまう。そして今度こそ玄関正面に広がる森へと足を踏み入れてゆく。


「う~ん、木の種類とか分かればなぁ」


 肩に固定したカメラに周囲を納めながら真っ直ぐに道無き道を進んでゆく。時折ナイフで木に傷を付けたり色とりどりのビニールテープを巻き付けて目印を残しながら慎重に進む。

 森を進んでいると、どこからともなく鳥の鳴き声が聞こえてくる。頭上に視線を向ければ、離れた場所にある枝に見たこともない鳥がとまっており、その鳥はまるで警戒するかのようにこちらに視線を向けているようにも見えた。


「いやまさか………………」


 偶然そう見えただけだろうと笑い飛ばし、その鳥がとまっている木にナイフで傷をつける。都会では味わうことのできない緑にあふれる自然の新鮮な空気を目一杯に吸い込み、改めて森の奥へと歩を進めてゆく。

 時折水分補給をしながら進むこと2時間ほど。変化らしい変化の見えない光景にさすがに焦りを覚えてくる。肩から掛けたショットガンをかけ直しながら周囲を見回すが、頭上に時折見つけられる鳥達以外に、人はおろか熊一匹見つけることは適わなかった。


「今更ながらに不安になってくるな。いや人をおそう動物と遭遇してないのは間違いなく良いことなんだけどさ、こう何とも出くわさないとなぁ」


 人工物らしきもの見つからず、鳥以外の動物とも出くわさない。ここはいったい何処なのかと今更ながらに不安がこみ上げてくるのを必死に押さえながら、コウジは休憩の為に木の根本に腰を下ろした。

 リュックの中からパソコンを取り出しカメラの動画を取り込み、今歩いてきた道無き道を地図上に描き出す。真っ直ぐに歩いているつもりでも、同じような木が周囲に沢山生える森の中、どうやらかなり蛇行していたらしくいつの間にやら家がある広場の西側へ出てしまっているようだった。


「あぁ、方位磁石で方角確認しながら進むべきだったな」


 何のために持ってきたのかと自分に呆れながら、ビスケットを数枚口にして水で飲み下す。パソコンをしまう際にリュックのポケットから方位磁石を取り出し首から下げて散策を再会する。

 来てしまったのだからと今度は森の西側を調べることにして、磁石で方角を確認しながら森を進んでゆく。歩き続けて汗ばんできてはいるものの、森自体の気温は涼しく過ごしやすいものであった。昨日までは炎天下と言う言葉にふさわしい夏のニューヨークに居たのだが、改めて全く違う場所に来てしまったのだなと実感する。


「ん?」


 立ち止まって方角を確認していたコウジが不意に背後に振り返った。なんと言うべきだろうか?視線のようなものを感じたのだが振り返った先には猫の子一匹おらず、気のせいかと確認した方角へと歩き始めた。


 歩き始めたコウジの背後、遠く離れた枝の上。一匹のリスに似た小動物がつぶらな瞳で彼の背を警戒するように見つめているのに、彼が気づくことはなかった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


「はぁ、はぁ、もう、5時間か………………」


 腕時計で時間を確認したコウジは、歩き続けてあがった呼吸を落ち着けようと大きく深呼吸をする。肺の中に溜まる緑の薫りに落ち着きながら、ノートパソコンに映し出された地図を眺める。


「結構歩いたけど鳥以外の動物も道も無し、本当に何処なんだここは………………」


 頭上を見上げ、すでに傾き始めている太陽に眉をしかめる。夜に不慣れな森の道を歩くのは自殺行為だろうと、今日は家に引き返すことを決めてリュックに入れてきたビスケットを一枚口に入れる。


「大した収穫も無し、か。一応非常用の食料はあるけどそれだって無限じゃないしなぁ」


 元々食料を買いだめしておくような家ではなかったため、非常用の食料を含めてもそう量は多くないはずだった。実際に調べてみなければ分からないが、節約して2週間分ほどあれば良い方ではないだろうか?

 戻ったらとりあえず家の部屋を隅々まで探すことを決めてコウジは帰路につく。パソコンの地図に、木に巻いたビニールテープやナイフで付けた傷を頼りに来た道を戻ってゆく。歩いている内に木々の間から見える空が夕焼け色に染まり出すのを見て彼の歩く速さが心持ち早くなる。懐中電灯は持ってきているものの、暗闇に包まれた森の中を歩きたくはないのだ。それに日中動物に会わなかったからといってここら周辺に獣がいないと決まったわけではない。夜になれば夜行性の動物が活動を開始する可能性だってあるのだ。そしてその動物達が人を襲わないなどと言う保証は何処にもなく、武器としてショットガンを持ってきているとはいえ夜行性動物にとって夜とは彼らのフィールドであり、人を襲う動物とは天然のハンターなのだ。例え武器を持っているとはいえ、そんな相手に不意を打たれれば何もできない内に殺される自信が彼にあった。褒められるような自信ではないのは間違いないが。


「ん~食い物は節約して、一応鳥はいるみたいだし猟でもしてみるか。一様狩猟許可証は持ってるし大丈夫だろ。あと食べられる木の実とかあればいいんだけど高望みしすぎかな?」


 もともと彼のショットガンは狩猟用に改造したもので、一月か二月に一度、所属している狩猟クラブの親父達と猟に出ていたのだ、その腕が役に立つときが今、とばかりに一人頷いて背負ったレミントンM870のポンプを撫でた。


「そういえば、あのときは死ぬかと思ったなぁ」


 思い返すのは2年前初めて猟に出たときだ。何処から移動してきたのか向かった狩猟場に野犬の群がいたのだ。日中は誰も見かけることはなく、順調に猟をしていたのだがその日は大量でついつい日が落ちるまで猟を続けてしまったのだ。クラブのメンバーもいつもくる場所と油断しており、日が落ちて活動を開始した野犬の群に襲われることになってしまったのだ。暗い森の中、木々の陰から襲いかかる野犬の群。思わず引いてしまった引き金は、運良く他のメンバーを誤射してしまうことこそ無かったものの、放たれた銃弾は木の幹に撃ち込まれ彼は数匹の野犬に押し倒されてしまい、あわばその首に鋭い牙を突き立てられそうになってしまったのだ。間一髪のところでクラブのメンバーが助け出してくれたものの、今でも右腕や左脚には野犬に噛まれた傷跡が残っているのだ。


「今は俺一人だし、そんなことになったら絶対に助からないだろうなぁ」


 嫌なことを思い出したと体を震わせ、懐中電灯を付けながら星がきらめく日の沈んだ空を見上げながら道を急いだ。


 そして暫くして周囲を見回しながらゆっくり歩いた行きと違い、地図を頼りに急ぎ足で歩いたおかげか2時間とかからずに向かう先を変えたあの休憩場所へとたどり着いた。地図で位置関係を確認すると、今のペースを維持すればもう30分もすればたどり着けると思わず拳を握る。ならば休まず先を進もうと荷物を背負い直そうとして、コウジは弾かれたように左に顔を向けた。


「何か、いる?」


 見える範囲には生き物らしき陰はない。懐中電灯の光をそちらに向けるも動く者はいない。いったい何をもって何かがいると思ったのかコウジ自身明確とした理由があるわけではなかった。あえて言うならば感。いわゆる第六感というものだろうか?少し逡巡するも懐中電灯の灯りを消してコウジはレミントンM870を構えた。小さく息をのんで安全装置を解除しポンプを動かしてチャンバーへと初弾を装填する。一度ファイブセブンを引き抜き、こちらも安全装置を解除して初弾を装填すると再びホルスターに戻しショットガンを構える。

 大きく静かに深呼吸をして上がりそうになる心臓の鼓動を諫め緊張に震えそうになるのを抑え、暗闇に目が慣れてきたのを確認し、感に従って進み始める。


 木の陰に身を潜め、周囲を確認してから次の木の陰へ。サバゲーをしているときに何度も繰り返した動きを、かつてないほど集中して繰り返す。緊張から喉が乾き始めるも唾を飲むことでやり過ごし、流れ始める汗が目に入らないように手の甲で拭う。

 ショットガンを握る手に滲む汗に、手袋をしてくるんだった、と心の内で悪態をつきつつ、 暗闇の中うっすらと浮かび上がる陰影をたよりに進んでゆく。コウジの耳に自分の者とは違う息づかいが届く。周囲の様子に気を配り、いつも以上の集中と緊張が作用したのか、今までに無い感覚だった。耳に届く呼吸音は二つ。しかも片方は荒くまるで全力で動いた後のよう。

 なぜそんなことが分かるのか、などという疑問は浮かばなかった。ただ呼吸音が聞こえるのに前後して空気に鉄のような臭いが混じっているような気がして眉をわずかにひそめる。


(いる、間違い無く。この木の反対側!)


 静かに息を吸って、止める。どこまでできているか分からないができうる限り気配を隠しながら木の陰より顔を覗かせそこにいる存在を視界に納めた………………。


『lkjhgfd!』


 突如頭の中に音が響いた。音、というよりもそれは声のようにも聞こえたそれにコウジは頭を抑えそれが何なのかと思いつつも、目の前に現れたそれを凝視した。


「でかい、犬?」


 ハッ、ハッ、と舌を出し荒い呼吸をしながらコウジを睨みつけ、体をわずかに震わせながら立ち上がろうとする、暗闇の中でさえ黒銀色に煌めく体毛に巨躯を包んだ犬(?)。その身体は大型のオートバイと同等の大きさで、鋭い牙を生やした口はコウジの頭を軽く咥えることが出来そうなほど大きい。


『犬、だと?人間風情が我らを犬と呼ぶか!』


 再び頭の中に響いたそれは、先のものとは違い明確な言葉、声としてコウジの中に響く。そして響いた声はコウジが発した言葉に明確な怒りを覚えたらしく、怒気を滲ませて先よりも大きく響いていた。


「え、あ、喋った………………?」


 コウジは自分の言葉に明確な怒りを返すその言葉に、目の前の犬(?)がそれを行っていることに気づいて呆然として。て同時に目の前の相手の身体から鉄の臭い、いや血の臭いがする事に気づく。


「もしかして怪我してるのか?」


『近寄るな人間!』


 思わず脚を踏み出したコウジを怒声が止める。一歩踏み出した足をそのままに一瞬身体を硬直させるが、すぐに意を決して相手に近寄ってゆく。


「怪我、してるんだろ?簡単な手当くらいならできる。」


 目の前の犬(?)が喋る(またはテレパシー?)というあり得ない事態についてはとりあえず横に置いておくことにしたコウジは、襲われたら即座に動けるように注意しながらも、ショットガンの銃口を脇に逸らし慎重に近づいていった。


「グルルルルルルルルルルルッ……………………」


しかしそんな彼に対して新たなうなり声が発せられる。そのうなり声の主は目の前の犬(?)の陰から姿を現すと、今にも飛びかからんばかりに姿勢を低く、全身の毛を逆立てて威嚇ししてきていた。


「え、と、子供?」


チワワやパピヨンといった小型犬ほどの大きさの、目の前の犬(?)を小さくしたような存在に思わず脚を止めて呟いた。コウジの目の前に立ちふさがるその姿は、傷ついた親を必死に庇おうとする子供のそれであった。

 コウジは少し悩んだ末にショットガンとリュックを置くと、荷物の中から治療キットを取り出しそれだけを持って両手を上げる。


「これは治療用のものだ。な、危害を加えたりしないからそこを通してくれないか?」


 優しく声をかけるが子犬も退こうとはしない。親らしき方は言葉が通じていたため、子供の方にも通じると思ったのだけれどそうではないのか、はたまた信用されていないのかその両方か。警戒を止めない子犬の目の前に治療キットを持っていない手を差し出すと、すかさず噛みついてきた。


「くっ」


左手から鈍い痛みが走る。まだ噛む力が弱いのか傷を負ったりはしていないものの、肌に食い込む確かな痛みに手を退きそうになるのを必死に押さえ、ひきつった笑みを浮かべながらそれに耐える。


(そういえば、この前見た日本のアニメでもこんなことシーンがあったな!あっちは美人のお姫様で俺は平凡な一般人だけど!)


 ギリギリと訴えかけてくる痛みに声を漏らしそうになるが、笑顔で歯を食いしばるという端から見れば笑いを誘いそうな表情を保ちながら必死に耐える。


『良い、止めよ。無礼ではあるが、害意が無いのは、本当のようだ…………』


 ドサリ、と音を立てて犬(?)の巨躯が地面に落ちると、子犬は即座にコウジの手を離して心配そうに親の元へと掛けより、怪我をしているらしき箇所をしきりに舐めはじめる。

 そんな二匹を見ながら、噛みつかれていた手に涙目で息を吹き付けて痛みを誤魔化しながらそのそばにしゃがみ込み、キットの中から消毒液とはさみを取り出した。


「おとなしくしててくれよ」


 犬(?)のそばにしゃがみ込んだコウジは、まず前足を取り傷を負い血を流している周囲の毛をはさみで切り始めた。はさみを向けられたことで相手は一瞬身体を強ばらせるも、コウジは怪我をしていない場所を優しく叩いて落ち着かせて手当を続けた。

 毛を刈ることで傷口が見えやすくなると、消毒液を吹き付けキットの中から出したきれいな布で拭い、ガーゼを当てて包帯を巻いてゆく。同じように腹部や腿、背中など致命傷ではないものの血の流れてている傷を優先して手当を施してゆく。彼の所属する狩猟クラブではもしも傷を負ったときの応急手当の仕方などを義務づけられており、その経験が活きる形となった。

 手当をしている間子犬は心配そうに親の顔をのぞき込んでおり、親の方もなかなか収まらぬ荒い呼吸を落ち着けようと目を閉じて大人しくしていた。


「ふぅ、これでとりあえず応急手当は完了だな」


『………………礼を言う、人間』


「まぁあれだ、困ったときはお互い様ってやつだ」


 犬相手に言うようなことでも無いけど、と内心で思いつつ改めて目の前の相手を見る。大型のオートバイと同等の大きさを誇る巨大な犬、いや犬と言うよりも狼だろうか?森の中ほんのわずかに入り込む月の光を浴びて、暗闇の中でも確かに煌めく黒銀の毛並みを持つ狼。おまけにどんな理屈かは分からないがこうして言葉を交わすことすらできる存在。そんな話今までに見たことはおろか噂の端に上ったことすらない。

 家がいきなり見知らぬ森の中に移動してしまっていることと合わせて、不思議なこと、なんて言葉では片づけられないことが続いて起きている。いったい何がどうなっているのだろうかと首を傾げる。


『そうか、だがこの場所を早く離れた方が良い。何時やつ…………、どうした?』


 どこか申し訳なさそうにこの場を離れるように言う犬(?)改め狼の言葉を遮るように、コウジは急に立ち上がりショットガンを拾い上げると、二頭を庇うようにしてそれを構える。


「もしかして追われてたりする?」


 緊張した面もちで周囲に気を配るコウジの言葉に一瞬怪訝そうにするも、直ぐに表情をはっとさせて立ち上がろうとする。


『く、迂闊。よもやこんな近くに近づかれるまで気付かなんだとは…………!』


 吐き捨てるように呟かれた言葉を合図にしたかのように、コウジが睨む暗がりから異形が姿を現し始めた。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


「は、夢でも見てんのかな?」


 暗がりから姿を現したのは高さ1mほどのゴリラだった。しかもただのゴリラではない。全身を濃い紫色の体毛で覆い、むき出しになった牙はその全てが鋭く尖り少なくとも肉を食べる種であることを容易に想像させた。しかし何よりもコウジを驚かせたのはその二対の腕だった。本人の胴体の半分ほどの太さはあろうかという腕が、本来腕の生えているべき場所から二本ずつ生えていたのだ。


「なんなんだよ、こいつら………………」


 そんなアニメやゲームの中にしか登場しないような存在が全部で七頭も現れたのだ。朝と良い先ほどと良いあり得ない事態を連続して経験したコウジも思わず表情をひきつらせた。


『猿どもめ、我らを皆殺しにせねば気が済まぬということか』


 身体を震わせながらも立ち上がった狼が吐き捨てるようにそういうと、牙を剥き出し怒りも露わにうなり声を上げる。


「あんたの知り合いかよ、妙に殺気立ってるみたいだけど何かしたのか?」


『何かしたのは奴らの方よ、奴らの群が突如我らの群を襲撃してきたのだ。その襲撃で群の者達は殺され、生き残った者達も四散してしまった。我は何とか子を連れてここまで逃げ切れたと思っていたのだが、まさか未だに我らを追っているとは思いもせなんだ』


 これほど執念深かったとは、と吐き捨てながら狼はコウジの横に並ぶ。


『こんなことを頼めた義理ではないのは承知している。だが頼む、我が子を連れて逃げてくれ。それぐらいの刻なれば我がなんとしても稼いでみせる。

 その子は我らの最後の希望なのだ!』


「おいおい死ぬ気かよ!」


 じりじりとにじり寄ってくる四本腕のゴリラを睨みつける狼だが、その身体はわずかにふるえており、戦いになればそう長くは保たないのは誰の目にも明白だった。子狼にもそれが分かるのだろう、自分を庇って立つ親の脚に行くなとばかりに噛みついている。


『頼む、行ってくれ!』


 狼が子供をふりはらうのと同時にゴリラ達は一斉に動き出した。二対の腕の内下部に生えた腕で地面を叩くように走り、残る腕に自身の頭ほどの大きさの石を握りしめており、それを頭上に振りかぶって突撃してきたのだ。

 狼が牙を剥き出しにして迎え撃とうと姿勢を低くした瞬間轟音と共に先頭を走っていたゴリラが走っていた慣性に逆らい後頭部から地面へと倒れ、それだけで収まらずにそのまま勢いよく転がり後ろのゴリラへと勢いよくぶつかってその動きを止めた。


『……なぁ!?』


「せっかく助けたのに命を粗末にしないでくれよ。その子を連れて行けば確実に連中は追ってくる。んであんたのその状態じゃ、時間稼ぎなんてできずに殺されるのが関の山だろ」


狼もゴリラも、誰もが驚き動きを止めている中、構えていたショットガンを上に向け空になった薬莢を排出させ次弾を装填する。


「どっちにしろこいつらと戦いは避けられないんだ、なら全員で生き残る方を選んだ方がより良いんじゃないのか?」


 問いかけという形を取っていても、コウジの言葉は"そうする”という意思表示そのものだった。そして敵も味方も突然のことに呆然とする中、コウジは次のゴリラへと銃口を向けて引き金を引いた。

 再び響いた轟音とともに呆然と立ちすくんでいた二頭目が後方へと吹き飛ばされる。これによりやっと我を取り戻したゴリラ達が動き出すが、今度は構えたまま即座にポンプをスライドして弾を装填し動き出そうとする三頭目のゴリラを吹き飛ばす。彼我の距離は10メートルほど、四発目のショットシェルを薬室に装填するや否や、コウジは引き金を引く。しかし野生の感か偶然か、狼よりもコウジをより大きな脅威と認めたらしいゴリラ達は直線に走るのではなく素早く左右に散り、放たれた散弾はゴリラ達のいた地面を耕すに終わる。


「ちっ!」


 左右に散ったゴリラ達、どちらを先に迎撃するべきかとコウジは咄嗟に迷う。しかし右から来るゴリラが先に届くと判断しそちらへと銃を向けて発砲する。放たれた散弾は真っ正面からゴリラへと殺到し、走る勢いを無視して後方へと吹き飛ばす。それに安心する間もなく次弾を装填しようとするが、それよりも早く左のゴリラが直ぐそばまで迫り、大きく振りかぶられたゴリラの右拳がコウジへと振るわれた。


「あぐぅっ!」


 とっさにショットガンを盾にするもその程度で何とかなるような相手ではなく、コウジは背後の木へと、まるでマンガのように地面と平行に吹き飛ばされ叩きつけられてしまう。


「かはっ、ゴホッ、こほっ………………。

 ぐぅっ!」


 強かに背を強打し、肺の中の空気を一気に吐き出されせき込むコウジ。ゴリラ達がそんなコウジの状態を気にするはずもなく、むしろここぞとばかりに襲いかかってくる。それを見たコウジも痛みに耐えながら銃口を向け次弾を装填するためにポンプをスライドさせようとするが、先の攻撃を受けた際に歪んだのかポンプが動く気配がなく弾を装填することが適わなかった。


「くそ、こんな時に!」


 咄嗟にショットガンを投げつけそれを目くらましに地面を転がり両手を組んでハンマーのように振り下ろされた一撃を躱す。重いものを勢い付けて地面に叩きつけたような音が響きわたり、その衝撃が地面を転がるコウジを煽る。


(こんなの受けたら一発で致命傷だろ、おい!………………っぐふぅ!」


 即座に立ち上がろうとするコウジに別のゴリラが飛びかかってきた。それを躱すことができず、スタンピングのように踏み込まれた脚が鳩尾にはまり再び肺の中の空気を一気に吐き出させられる。空気を求めて喘ぐコウジの頭上でゴリラの両手がハンマーのように絡められ高々と振り上げられる。そして残る二本の腕が必死に抜け出そうとするコウジの肩を掴み逃げさせない。


(死ぬ!?)


 死に物狂いで暴れるコウジへゴリラの拳が振り下ろされ、それが当たる寸前に銃声が鳴り響く。ほとんど無意識の内に引き抜かれた拳銃、FNFiveーseveNの銃声だった。ゴリラが抑えていたのが肘から先ではなく肩だったことが幸いしていた。拳銃は腰に提げられており肘から先が動きさえすれば、それを抜いて銃口を向けることぐらいはできる。そうして至近距離で放たれた銃弾が外れるということもなく、胸部を打った銃弾はゴリラの身体をのけぞらせることに成功したのだ。

 コウジは肩が自由になると同時にゴリラの左目に銃口を叩きつけるように突っ込み、躊躇なく引き金を引いた。

 ファイブセブンの貫通力とマンストッピングパワーを兼ね揃えた銃弾はゴリラの眼窩を突き破り、分厚い頭蓋骨をも貫通した。ただでさえ仰け反っていたゴリラはその一撃で吹き飛ばされ、周囲に脳漿をまき散らして絶命した。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、くそ、が!」


 肩で息をしながら片膝をついて銃を構え、先に襲いかかってきたゴリラがドラミングをしながら振り向いた。


「ドンドンドンドン、五月蠅いんだよ!」


 片膝をつき両手で構えた拳銃を向け、ファイブセブンの引き金を引く。立て続けに放たれた二発の銃弾は、コウジの狙い通りに標的の眉間と胸部を打ち抜いた。


「グガァァァァァァァァァァッ!」


 突如上がった咆哮に振り返れば、最初に撃ち殺したゴリラの下敷きになっていた個体が怒りも露わに突撃して来るところだった。おまけにこのゴリラは知能も高いらしく、自分を下敷きにしていたゴリラを抱き抱え盾にしているのだ。


「頭良いけど、この場合悪手だ。さっさと逃げれば良かったのによ」


 銃口をそちらに向けてトリガーを引く。マガジンに残っていた六発の銃弾が休む間もなく発射される。放たれた5,7ミリ弾はゴリラが盾にした死体を貫いてなお勢いを弱めることなく、標的の身体に命中する。

 空になったマガジンをイジェクトし、ポーチから取り出したマガジンを差し込み初弾を装填。倒れたゴリラに近寄りつつ念のために頭部に銃弾を打ち込み止めをさした。


「ふぅ、つつつ、なんとか倒せたけど、なんなんだよ4本腕のゴリラとか」


『……………貴様、何者なのだ?』


「ん?」


 ゴリラの腕を足で突ついていたコウジに狼がふらつきながら近づいてくる。


『雷鳴の如き轟きとともに見えざる力で敵を倒す人間の話など聞いたことがない』


「こっちからしてみれば、こうやって会話の成立する狼とか四本腕のゴリラの存在の方が何の冗談だっていいたくなるよ」


 狼の言葉に肩を竦め、戦闘によって散らばってしまった荷物を拾い始める。そこに子狼が手伝おうとしているのか、ショットガンを引きずってやってきた。


「お、ありがとうな」


 レミントンM870を受け取りポンプをスライドさせようとするが、やはり途中で引っかかり弾を装填する事ができそうにない。銃自体が歪んでしまったのだろう。一度分解して調べる必要がありそうだった。

 ちょこんとお座りする子狼の頭を撫でてやり、コウジは荷物を背負って立ち上がった。


「近くに俺の家があるからそっちに移動しよう。こんな森の中で野宿するのは勘弁して欲しいからな」


『我らも、いいのか?』


「見捨てて欲しいのか?

 ほら、歩けそうか?」


『………………多少歩みは遅くなるが、問題ない。

 ………………すまない、礼を言う』


 ふらつきながらも歩き出した親を心配そうに子狼見つめ、狼は心配するなとばかりに笑みを浮かべてみせる。


「あぁそうだ、家に行く前に………………」


『何かあるのか?』


 足を止めたコウジに狼は怪訝そうに顔を向けるが、コウジは笑みを浮かべて振り返った。


「コウジ・ムラマサだ、よろしく」


『群にて高潔なる牙と呼ばれていた、エヴィエニスだ』


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 作成した地図を頼りに森を進むこと1時間。負傷しているエヴィエニスに歩調を合わせていたため、思った以上に時間がかかったがなんとか空き地にたどり着くことができた。

 あの場所からここまでゴリラ達の襲撃も無く、ようやく見えた我が家に安堵のため息を吐く。


『こんなところにあのような建物があるとは聞いたことがなかったが………………』


「エヴィはここら辺は詳しいのか?」


『この森の大半は我が群の縄張りであったからな。

 今となってはあの忌まわしきゴリラどもの縄張りと言っても過言ではなくなってしまったが』


 悔しげな言葉にコウジは何も返すことができなかった。ただそれ以上にここが奴らの縄張りになったという言葉に顔をしかめる。


(あんなんに襲撃されたらひとたまりもないぞ。周囲に罠で張っておくか?)


 先の戦いの時に見たゴリラの攻撃力を思い出し家の事を思う。店の方はシャッターを閉めれば何とかなりそうな気もしないではないが、所詮は町中に構えた店のシャッターだ、あれを相手取るにはいささか心許無い。ただそれ以上に家の各所の窓に玄関はガラスに木製、シャッターよりも簡単に打ち破られるだろうことは想像に難くない。


 家の裏から表へと回ろうとしたコウジとエヴィエニスは同時に足を止めた。そんな二人の間を子狼が追い抜き慌てて戻ってくる。

 彼らが足を止めた理由、それは玄関の方から何者かの気配を感じたからだ。先のゴリラの件も有りコウジは慎重に気配を消して壁に背をつけて忍び足で角まで移動し、拳銃を抜きいつでも撃てるようにセーフティーを解除する。そして静かに深呼吸を繰り返し、一気に角から躍り出て気配へと銃口を向けた。


「俺の家に何の様だ?」


「のぁ、っと、ちょ、ちょい待った!怪しい者じゃないよ!」


 コウジの言葉に返ってきたのは慌てふためく男の声だった。目を細めて相手をよく見ると、月明かりの下に眼鏡を掛けた優男風の男の姿があった。

 蒼い髪を首の後ろで結い、銀縁の眼鏡の奥にあるのは今は慌てている者の少々垂れ気味の柔和そうな眼、身長は160ほどだろうか?174あるコウジよりもいくらか目線が低い。着ている物はどこぞの夢の国の魔法使いが着ているような青いローブで、ゆったりした服装からは判別しにくいが細身の男のようだ。慌てて頭上に上げた手にはこれまた魔法使いが持っていそうな頭部がグルリととぐろを巻いた木の杖を持っており、こんな夜更けの森の中にいることを考慮しても………………十分に不審者だった。


「不審者は皆そう言うんだ、名前と俺の家になんの様があるのか、さっさと吐いてもらおうか」


「は、ははは、ふ、不審者か………………、ははは。

 あぁ~、僕の名前はウルラ・ルーナ。君に会いに来たのさ。だから、その、え~と、僕に向けてるその武器?それを降ろしてくれるとありがたいなぁ~」


 男は若干表情をひきつらせつつ笑顔を向けてくる。しかしコウジには彼の名前に心当たりはなく、見るからに怪しいこの男をどうしたものかと対応に困っていた。

 先ほどまでのコウジなら見た目の怪しさは取りあえずよこに置いておいただろうが、エヴィエニスに会い四本腕の謎のゴリラと戦った後では何よりも警戒心の方が先に立ってしまう。


『ウルラ・ルーナ?まさか月神様か!?』


 男の返事にどう返したものかと考えていたコウジの横にエヴィエニスが飛び出してくる。そしてウルラを目にした瞬間驚きに目を見開きすぐさまその場にひれ伏した。


「エヴィ?」


『何をしている!この方は月に属する高位神の一柱、【月梟のウルラ・ルーナ】様だぞ!さっさと頭を下げんか!』


「は?神様?」


 エヴィエニスの口からもたらされたこの男の正体。見たことも聞いたこともないような神だという男を前に、コウジは困惑するのだった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


「はぁ、まさか【原初の狼】アスルヴォルフと接触してたとはね、驚いた」


 場所は移ってムラマサ家の居間。コウジは神を名乗る男とテーブルを挟み向かい合って座っていた。


「はぁ、いまだよく信じられないんだが、あんたが神って言うのは本当なのか?」


『コウジ!月神様に向かってなんたる口の聞きよう、礼儀を弁えんか!』


 コウジの疑問の言葉に返ってくるのはウルラ本人ではなく、負傷し弱った身体を休めるためにソファに寝かされているエヴィエニスの叱責の言葉だった。休めるために寝かせたはずが、あのように怒鳴っていては休まるものも休まらないのではなかろうか?ちなみに子狼は現状が理解できていないのか、コウジの足下でさらに注がれたホットミルクを美味しそうに飲んでいるところだった。


「ははは、いや彼も悪気があるわけじゃないから。それに彼はこの世界についてよく知らないだろうしね。まぁ知っていても今みたいに対応してくれると僕としては嬉しいんだけどね。遠慮しない関係だと僕の方も気が楽で良いし」


「この世界?」


 いったい何なんだ、とため息をつきそうになりながら、ウルラの言葉の中に聞き捨てならない単語が混じっていたことに気づき、コウジは睨みつけるように発言者を見る。ウルラもウルラで彼がその単語に気付いたことに笑みを浮かべて頷いた。


「あんた、俺が今どんな状況に陥っているのか正確に把握してるのか?」


「うん、よく知ってるよ。昔僕の身に起きたことでもあるしね」


 コウジが淹れたコーヒーの薫りを楽しみながら一口飲むと、ウルラは姿勢を正して口を開いた。


「改めて自己紹介をさせて貰うよ。ウルラ・ルーナ【魔導史中興の祖】【系統魔法の始祖】【月梟】【三日月の守護者】【月の魔導神】と呼ばれる月と魔導を司る現神あらがみの一柱だ」


 自己紹介と共に立てられた人差し指の先に光が灯り、それが自ら意志を持っているかのように宙を駆け模様のような見たことのない文字らしき物を描きだす。見た瞬間コウジはそれを理解できなかったが、一度瞬きをして文字を見るとそこには【ウルラ・ルーナ】と書かれていることが理解できた。文字自体は変化がない、急にそう書かれていると理解することができたのだ。


「それでき君の現状の説明をしようか。まず事実として理解して貰いたいのはここが君が今まで生きてきた世界とは違う、まったくの異世界だと言うこと」


 コウジの脳裏に言葉を解し意志疎通をはかれる狼エヴィエニスと、先ほど戦った四本腕のゴリラ達の姿が浮かぶ。彼らの存在は異世界と呼ばれれば確かに納得できそうなものではあるが、しかしいきなりそう言われても少なくない疑問も浮かんでくる。例えばその話が事実だとしてなぜ自分がその異世界にいるのかなどだ。


『そうか、コウジは現人あらびとであったか』


「現人?」


 横から掛けられた言葉に首を傾げ、向かいに座ったウルラが小さく頷いた。


「現人というのは異世界からこの世界に落ちてきた人のことを指す言葉だ。

 今現在現人はコウジ君以外にはいないけど、世界の歴史を見てみればけして少なくない数の現人が存在しているんだ」


 何かを思い出すかのように目を閉じたウルラは微笑を浮かべて【現人】についての説明を始めた。


 曰く、世界という物は一つではなく天文学的な数の世界が存在し、それらには明確な位が存在するのだという。そして異世界から落ちてくる現人はそのほぼ全てが上位次元の世界から落ちてくる者達であるらしく、この位が高い世界ほどその世界に存在するために必要な【存在の力】なる物が大く必要にな世界なのだという。


「これが現人を異世界から落ちてきたと表現する理由だね。

 そして現人のほとんどが上位次元の世界から落ちてくるのかというと……………。

 高いところに上ろうとするのと高い場所から飛び降りるのと、どちらの方が労力が少ないと思う?」


「は?いや、どう考えても飛び降りる方が労力は少ないだろ」


 飛び降りる勇気があれば、と2、3メートルほどの高さの壁を想像するコウジ。そんな彼の答えを聞いたウルラはよくできましたとばかりに説明を再会する。


「そう、上るよりも下りる方が労力が少ない。これらは世界の間でも同じ事で、下位次元の世界に下りるのは簡単だけど上位次元の世界に上がるのは下りるのの数百倍の労力が必要になってくるのさ。しかも普通ならば物が自然と下に落ちることはあっても、外から力を加えない限り物が勝手に浮かぶことがないように、世界間においても自らの意志でしなければ下位次元に落ちることはあっても上位異次元に上がってしまうことはありえない。

 現人とは突発的な事態の結果この世界に落ちてきてしまうことがほとんど、それ故に下位世界から自身の意志に関係なくこの世界に上がってくることはありえないのさ。さらに言うと逆に下位次元の世界から上位次元の世界に行くのは非常に困難だ。例えばこの世界の最高位の神が束になったとしても小さな子供を一人、多少高位の世界に送る事ができるかどうか。世界と世界の間に穴を空けるだけでも最高位神が複数名必要だし、送るとなればそれ以上の数が必要になるからね。しかも例え送れたとしても送られた者がその世界で生きることができるとは限らない。なぜなら高位の世界というのはいるだけで元いた世界よりも多くの【存在の力】が必要になるからだ」


 机の上にウルラの両手から発せられた水が踊る。その水は球状の膜になり、そこに穴を空けて水滴を落として見せたり、水滴をゆっくりと上に上らせてみたりと彼の説明に合わせて姿を変え、図解となって説明をわかりやすくする。


「はぁ、とりあえず俺は、いや俺と俺の家は偶然世界に穴が空いたことでこの世界に落ちてきた。実質帰ることは不可能ってことで合ってるか?」


「そうだね、長々と説明してしまったけど要約するとそう言うことだね」


「そうか、帰れないのか」


 先のゴリラ達しかり、目の前で見せられたテーブルの上で踊る水しかり。少なくともこの世界が元いた世界とは何かと法則が違うことは納得できずとも理解することはできた。

 これからどうするべきなのだろうかと天井を仰いだ。


「それで、あんたまさかその説明をするためだけにここに来たのか?」


 とりあえず今後の問題は横に置いておくことにしたコウジは視線をウルラに戻して問いかける。問われた方も首を左右に振ってテーブルの上で踊っていた水を消した。


「もちろんそれも用事の一つだけどね。君に現人についての説明に来たのさ。

コウジ君は神になりたいと思ったことはあるかい?」


「はぁ?」


 唐突な質問だった。唐突すぎてあきれ声を上げてしまうくらいだ。

 なにを言ってんだこいつ、と言いたげな顔をされウルラは苦笑する。


「現人が高位の世界から落ちて来た存在だというのはさっき説明したけど、その際にこうも言ったはずだよね。高位の世界ではそこに居るだけで多くの【存在の力】が必要になるって。じゃぁ元の世界よりも必要な【存在の力】が少ない世界に来た場合それはどうなると思う?」


「?」


 言いたいことが理解できず首を傾げると、ウルラはテーブルの上に手をかざした。するとテーブルの上にマッチ棒のような氷の柱がいくつも現れ、さらにその上に大きな氷の板が乗せられる。


「これを使って説明するよ。テーブルの上に生えた氷の柱、これが【存在の力】でその上に乗せた板が世界だとする。世界からの加えられる圧力に対抗するために必要なのが【存在の力】だ。今は世界からの圧力に耐えるのにこれだけの【存在の力】が必要なわけだけど、もしも下位の世界に行くとどうなるのか」


 ウルラの指が氷の板に触れると、氷の板が見る見る内に縮んでいった。


「こうなる。世界の圧力に耐えるのに必要な【存在の力】はこんなに少なくなるのさ」


 ウルラの説明通り、十分の一ほどの大きさになった氷の板は、最初よりもはるかに少ない氷の柱に支えられるようになっていた。


「見てのとおり、必要な【存在の力】が少なくなったことで今まで使っていた存在の力の大半が余ってしまった。これが今の君の状態な訳だ。

 しかもコウジ君はこの世界から見てかなり高位の世界から落ちてきたらしいね。余った【存在の力】の量が下手すると最下位神に匹敵しかねないほどだ」


 目を細めてコウジを見るウルラから感心したような声が上がる。彼が指を鳴らすと共に机の上の氷が一斉に消え去り、直ぐそばに氷などを出現させたせいですっかり冷めてしまったコーヒーに眉をしかめる。


「コーヒーは退けとくべきだったかな」


 コウジもまた冷めたコーヒーを一息に飲み干すと、コーヒーのお変わりを淹れるべくコーヒーメーカーに水を入れる。


「説明を続けようか。

 君の中に大量の【存在の力】があるわけだけど、これは純粋な力そのものであり何にでも変われる力なんだ」


「何にでも変われる、力?」


「そう、何にでも変われるね。

 まぁ何にでも、って言っても金や宝石に変わることはできないけど。【存在の力】はあらゆる能に変わることができるのさ。例えば、ちょっと失礼」


 ウルラが小さく何かを呟き、コウジの目をのぞき込んでくる。


「うん、今ちょっと君のスキルを見せて貰った。スキルって言うのはこの世界で誰もが持っているもので、例えばエヴィエニスたちアスルヴォルフ達は【月下の脈動】という種族スキルを持っている。これは月が出ていれ筋力や敏捷性を引き上げる力を持ったスキル。存在の力はこう言ったスキルに変えることができるのさ。

 コウジ君、こっちの世界に来てから勘が働くようになっていないかい?」


 ウルラの言うことがよくわからず首を傾げるコウジだったが、足下の子狼が眠くなったのか彼の足の凭れるように丸くなったのを見て、不意に彼らと出会った時を思い出した。あの時のコウジはなぜか離れた場所の木の陰に隠れていたこの親子のことに気がついていた。自分でも納得のできる理由も無しにだ。他にも森を散策している間も普段なら気づけないような場所にいる鳥達にも何かと目にしていた。


「そう、いえば………………」


「覚えがあるみたいだね。君に見せて貰ったスキルの中に【第六感】という直感力を引き上げるスキルがあった。まだ出来立てで効果も低いけど、磨いていけば未来視にも似た力に成長する極めて珍しいスキルだよ。

 他にも言語を理解する【言語理解】というスキルもあった。エヴィエニスとテレパスで会話するために無意識の内に想造したんだろうね」


 言われて気付くのはエヴィエニス達を見つけたとき最初は何を言っているのか分からなかったのに、次の瞬間にはもう理解できるようになっていたことだ。さらに目の前のウルラが自己紹介したとき光で書かれた名前。全く見たことのない文字だというのに読むことが出来たのは、その【言語理解】なるスキルが影響しているのだろう事は想像するに難くない。


「他にも【基礎能力強化】や【感覚強化】なんてのもあるね。

 このとおり余った【存在の力】は君が必要とする力に自然と変化していく。もちろん意識的に変化することも出来るけど、その場合は変化させるのにかなりの修行が必要になるけどね」


 新しく淹れたコーヒーを口に含み、程良い苦みを味わいながらウルラの言葉を整理する。とりあえず【存在の力】によってスキルなる物が覚えられることはわかった。しかしそれがなぜ神になりたいかなどという言葉につながるのか?修行して神の如き能力を手に入れることが出来る、などそんな意味なのかと首を傾げる。


「【存在の力】は能に変えることができる。けど、【存在の力】にはもっと別の使い方もあるのさ。それが現人を神格化し現神へと昇格させるというね」


「現人を現神に………………ん、現神?」


 ふとその言葉をつい最近耳にしたような気がして首を傾げると、ソファに寝そべっているエヴィエニスが溜息を吐いた。


『さきほどウルラ・ルーナ様が仰られたばかりではないか』


「ん?あ、月と魔導を司る現神………………」


「そのとおり。僕も元々は君と同じ現人だったけど、2000年位前に現神になったのさ」


 つまり君の大先輩に当たるのさ、と冗談めかして肩をすくめて見せるウルラ。


「現神の神格位は、神格化するさいに持っている【存在の力】の量によって変化する。僕は存在の力をあまり多くの能に変化させなかったから結構高位の神になれたんだけど、僕の後に現神になった子はこの世界に落ちてきたときこそ多くの【存在の力】を持っていたけど、無節操にスキルに変えてから神格化したせいでいろいろ出来るけど能力の低い最下位神になっちゃってね。

 ちなみに今の君なら間違いなく僕よりも神格の高い現神になれるよ。ただ特別な力があるわけでもないしこの世界での知名度が皆無だから、力はあってもマイナーで何が出来るわけでもない神になっちゃうけど」


「神様ね。別に興味ないんだけど。一応後学のためにどうすれば神になれるのか聞いても?」


「簡単だよ。神なら誰でも良いから契ればいいだけだから。もしその気になったら好みの女神様を紹介してもいいよ。」


「紹介って、んなお見合いかなんかみたいに………………」


「僕らにとっては似たようなものだからね」


 まさかの内容に脱力してテーブルに突っ伏すコウジにウルラは苦笑する。


「神格化すると、そのとき現人を取り巻く状況や様々な要素が影響を与えてくる。例えば僕の場合、現人だったときに各地でバラバラに伝えられていた魔法を調べ種類別にまとめ上げて、さらに系統魔法と呼ばれる新たな魔法を創り当時の魔導技術を大きく発展させた。この実績が僕が魔導を司るようになった所以なんだ。そして僕の名前であるウルラ・ルーナ。僕の元いた世界ではそれぞれ梟と月を指す言葉で、僕が【月梟】と呼ばれて月に属する神になった理由なんだ。眷属もナイトオウルっていう梟だしね。

 現人だったときに成した事柄、名前などいろんなものが現神としての力になる。だからもしも神格化しようと思うなら行動には気をつけなよ。悪名が轟いていれば悪神になっちゃう可能性もあるからね」


「いや、神になる気はないって」


「さて、とりあえず用事は大半片づいたかな」


 疲れたと呟きながら肩を解すウルラをテーブルに突っ伏したまま見上げていたコウジは、ふと何で神、それも聞くところによると高位の神である彼がこんな説明をしに来たのだろうか疑問を覚えた。そしてその疑問を尋ねれば、帰ってきたのは自分がそうしようと思ったからだという。


「僕が落ちてきたときはそう言う説明をしてくれる人がいなくて本当に苦労したんだ。だから同じ境遇の人を放っておけなくてね。今では僕の他にも何柱かの現神も協力してくれていて、落ちてきしだい手が空いてる誰かが駆けつけることになっているんだ。ちょっとしたボランティアさ」


 楽しそうにそう説明され、コウジは取りあえず感謝の言葉を贈ることにした。ウルラはどういたしましてと普通に返してお茶請けのクッキーを摘み、美味しそうに口元を綻ばせる。


「それで、コウジ君はこの話を聞いてこれからどうしようと思う?」


「………………どうするべきかね。とりあえずここに引きこもっても仕方がないし人のいる場所には行くべきだと思うけど、家をここに置き去りにするのも気が引けるんだよな。とはいえ家を持ち歩くなんて出来る訳ないし」


「まぁさすがにそんなことは出来ないねぇ」


 困り顔で呟かれる言葉にウルラも苦笑を禁じ得ないようだった。


「ここに家を放置して行ったらさっきのゴリラだとか無法者だとかに家を荒らされそうだ。鍵掛けていったって扉とか壊されたらお終いだしな。こんな森の中にポツンとあるいえなら周りに気兼ねなくそんなことする奴もいそうだしな」


「だろうね。素行の悪い冒険者なら喜んで入り込んでくるだろうね」


「正直離れるに離れられない。なんかいい方法はないか?」


「それなら結界を張るっていう手があるよ」


「結界?」


「そう、結界」


 ウルラがテーブルの上に手をかざし、再び氷が生み出される。さりげなく脇にコーヒーを避難させながら作り出された氷塊はどうやら家の模型のようだった。氷の模型の周囲に文字の彫られた氷の欠片が六つ等間隔で配置されると、ウルラは囁くように呪文のような物を唱えた。すると氷の欠片に彫られた文字が光を放ち始め、その光はやがて家を光の円で囲い、さらにそれぞれ氷の欠片を頂点とした六芒星を描きだし、最後には円周から延びる光の膜が半球状に模型を覆いかくした。


「小さいけど結界っていうのはこういうものだ。触ってみるといい」


 ウルラに促されて手を触れると、光の膜は一見柔らかそうではある物、見た目に反して相当堅く押しても叩いても抜けそうにない。


「すごいな、まるでシャボン玉みたいな見た目なのに………………」


「周囲のマナを取り込み半永久的に展開し続ける防護結界だよ。これを破ろうとしたら周囲に満ちるマナの総量を上回る魔法をぶつけるしかないけどそれが出来るような存在は限られてるから、これを展開しておけばこの家については心配する必要はないと思うよ」


 後で使い方を教えてあげるよ、と言いながら結界を解除すると、氷の模型も解除したらしく宙に溶けるように消えていった。


「神様がそんなに手を貸したりして良い物なのか?」


「まぁ本来はあまり褒められたものじゃないんだけど、現人はちょっと特別なんだ。元の世界から意図せずこの世界に落ちてきて今までの生活の基盤を失ってしまうわけだから、すこしでもその助けになればってね。といっても僕らが手助けするのは最初だけだよ。それも全部で三つまでって制限もある。この結界でその一つを使ったわけだから後二つで手助けもお終い、後は自分で何とかしてもらうことになる。あ、説明とかその辺はその内に入らないから気きたいことがあれば今の内に聞いてね」


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 コウジがこの世界に落ちてきて3日目の朝、いつもどおり目覚ましのアラームで目を覚ました。


「クゥ?」


 目をあけて最初に飛び込んできたのは彼の胸の上に乗った子狼ーヘジンの顔だった。

 ヘジン、北欧神話の主神にして神々の王【オーディン】に従う戦士【ウルフヘジン】からとってコウジが付けた名前だ。ヘジンは生まれてまだ一月も経っておらず名前も無かったが、助けてもらったコウジに名付け親になってほしいとエヴィエニスに頼まれたのだ。出会った日から何かと懐かれていたコウジだったが名付け親になってからは余計に懐かれ、昨晩などは寝ている間に寝床へと潜り込んできたらしい。


「おはよ。起きたいからどいてくれないか?」


 ヘジンは聞き分けがよく、優しく頼めば素直に身体の上からどいてくれた。ちゃっちゃと服を着替えると、コウジはヘジンを連れて一階の居間へと降りていった。


『おはよう、ヘジンはコウジのところにいたのか』


「おはよ、いつの間にかに潜り込んでたよ」


 欠伸をかみ殺しながら朝食の準備を始める。ベーコンと目玉焼きを乗っけたパンは彼の朝の定番メニューだ。それに昨晩の内に作っておいたサラダをだして準備は完了。昨日飲みきったオレンジジュースのかわりにどうやら地下水を汲み上げているらしい水を汲んで朝ご飯。エヴィエニスとヘジンは昨日コウジが森で穫ってきた鳥型の魔物を焼いたものだ。


『今日だったな。出発するのは』


「あぁ、昨日の内に準備も終えたし、これ食って一休みしたら結界張って出発だ」


 サラダにフォークを突き立てながら思い返すのは昨日の事。一昨日の晩に壊れたレミントンM870を修理しようとしたのだが予備のパーツがなく、商品の在庫の中にも同型の銃がなかったのだ。狩猟のときなどずっと愛用していただけにショックだったが、コウジはレミントンM870の修理を断念。代わりにベネリM4スーペル90を用意したのだ。森で試射を兼ねて穫ってきた獲物がその日の食卓にならび、またエヴィエニス達の朝食になっている。


「ベネリもいいんだけどやっぱりレミントンの方が愛着あるんだよなぁ」


 帳簿を見るとこちらの世界に落ちてくる3日前に在庫が売り切れており、新たに発注した物が届く予定だったのが一昨日の午後だったというのだから間が悪いことこの上ない。なんとか修理の目処が立たないものかと未練たらたらである。


『アームズコングの一撃を受けたのだ、武器の一つが壊れた程度ですんで幸運と思え。本来あんな軽装で攻撃を受けていたら内蔵をつぶされて死んでいるところだ』


 エヴィエニスの指摘に分かっていると手を振るが、分かっていてもそう思わずにいられぬこともあるというものである。

 朝食の後かたづけを終え、コウジは冷蔵庫に僅かに残った食料をクーラーボックスにしまい始める。


「クゥン…………」


「こら、いたずらしない」


 クーラーボックスの横に置いていた肉に手を出そうとしたヘジンを叱りつけ、食料を移し終える。食料を入れたクーラーボックスを持って車庫へ向かう。

 乗用車が2台止められる車庫の中に止められているのは自動車整備工場に勤めるサバゲー仲間数名が廃車になったバギーをニコイチ(実際には数台)した水陸両用改造バギー。一応2人乗りで収納スペースもしっかり完備しているものの、登録を行っていないため外を走ることが出来ずに今まで車庫の置物になっていたものだった。

 先日ウルラの言っていた3つまで行うという手助け。一つは留守にする事になる家を守るための結界の張り方だった。そして二つ目がこのバギーをガソリンが無くても動かせるようにすることだった。

 クーラーボックスを荷台に乗せてベルトで固定し再び家の中に戻ると、コウジは先日と同じ迷彩柄の上下に着替えると、さらに商品であったボディーアーマーを一晩掛けて改造したものを着てその上からベルトを巻き付ける。ホルスターに納められているのはFNFiveーseveNではなくH&KHK45が2丁だ。ファイブセブンの使用する銃弾、5,7mm弾は採用している銃火器がファイブセブンを除くとFNP90しか無く需要が少ないため、家にはコウジが自分で購入していた分以外の在庫が少なく、補充できる当てもないことから在庫が多くマンストッピングパワーの高い銃弾45ACP弾を使用するHK45を使用することにしたのだ。そして同じ銃弾を使用するサブマシンガンイングラムM10を右腰に提げ、もしもの火力ようにS&WM500リボルバー銃を腰の後ろのホルスターにしまう。現状だけで合計4丁もの火器を携帯している状態になっているコウジだが、バギーにはさらに二丁目のベネリM4スーペル90に、2丁の対物ライフル、ドラグノフ狙撃銃、グレネードランチャーをしまってあるうえに、固定銃座として店の倉庫で埃を被っていたブローニングM2銃機関銃を取り付けてあるのだ。いったいこれからどこへ戦争を仕掛けに行くのかと言いたくなるような重装備である。コウジに言わせればどんな危険があるともしれない未知の世界を歩くのだから用心するに越したことはない、ということらしい。一応ウルラからこの世界について聞いてはいるものの、この世界にはコウジにとっては架空の存在でしかなかったドラゴン(ドラゴンはその数が少なく滅多に遭遇するような存在ではないが)も存在すると聞いて過剰に装備を揃えているというのもある。


「家ごと召還されて良かったよなぁ。これが着の身着のままだったとしたら………………、考えたくもないな。家が銃砲店なのもありがたいよな、言ってしまえば武器屋だから銃も売るほどある。実際売り物だし」


 バギー後部の荷台の下ある収納スペースを開き、そこにライフルケースや予備の弾薬や、この世界に落ちてきた日の晩に倒したゴリラ達ーアームズコングを解体しげ得た素材が入っているのを確認して蓋を閉めた。

 この世界にはエヴィエニス達アスルヴォルフやアームズコングのような魔物が数多く存在し、中にはアスルヴォルフの様に言葉が通じたり温厚で力を貸してくれる魔物や、神またはその遣いたる神獣として崇め奉られている魔物も存在するがその大半が人々に敵対し仇なす存在であるという。そしてその魔物の角や爪、革や鱗などはそう言った魔物と戦うための武器を作る素材となりお金になるとウルラに教わり、昨日アームズコングと戦った場所まで赴き素材となる部位をはぎ取ってきたものだ。


「これがいくらぐらいになるか分からないし、道中で魔物を見つけたらなるべく狩ったほうがいいかもな。倒せるようなら」


 アームズコングと戦った経験を通して彼が感じたのは、魔物と呼ばれる存在であっても銃器で十分戦えるということだ。ただし魔物の中には守りの堅いものも多いという。コウジがしとめた魔物はアームズコングと鳥型の魔物を数羽だ。どれも体毛や羽でその身を包んでいるがけして守りが堅い訳ではない。全身を鱗で覆っていたり、甲羅を背負っているものや甲殻を持つ魔物もいるし、ゴブリンやオークといった人型で鎧を纏う知恵を持つ魔物も存在するらしい。そういった魔物を相手する場合には例え銃を持っていても戦い方を考えなければいけない可能性も十分にあり得るのだ。


「取りあえず油断だけはしないようにしよう。安全策安全策で」


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 ウルラからの3つの手助け、その最後の一つはある技術の教授だった。コウジが教わったのは【限定空間における空間の圧縮拡張技術】というもので、平たく言えば丸々ふとった青ダヌキのポケットと似た機能を持った物を作る技術だ。この技術は鞄や袋、箪笥など口や戸を閉めることができ、外の空間と触れる場所が1カ所に限定されるものにのみ施すことができるという制限が存在するが、小さい袋に容量以上のものをしまえるというのは特に荷物が多くなりがちな冒険者や商人といった人達に多くの需要がありまた必需品とまでされているらしい。しかしこの技術は地上では現在魔導ギルドで秘匿されているうえに出荷量なども制限されていて、高額で取り引きされるような代物らしく、成功した冒険者や商人しか手を出せないのだという。

 コウジはそれを聞いて「教えてもらっておいてこう言うのもなだけど、秘匿されているような技術を教えちゃって良い物なの?」とウルラに訪ねたが「秘匿してるのは人間達の勝手だからね。現神の僕には関係がないことだよ。第一この技術を確立したのは僕だからね、誰に教えようと文句を言われる筋合いはないね」とのことだった。

 この技術を習ったコウジはバギーの収納スペースや、リュック、クーラーボックスなどの空間を拡張し、その中になるべく多くの弾薬を持ち運べるようにしたのは言うまでもないだろう。また彼らの意図していなかったことだが、この技術を習得する過程で【魔具作成】というスキルを覚える事になったのは全くの余談である。


『ふむ、このような物が馬などに引かれるでもなく動くとは。魔導人形ゴーレムとやらの類か?』


 車庫から出されたバギーの荷台に乗ったエヴィエニスは感心したように荷台を叩きながら呟き、その横ではヘジンが興奮したのか楽しそうに荷台の上を駆け回っている。


「いやいや、俺の世界には魔法なんて無かったっていったろ。ゴーレムっていうのがどういう物なのか知らないけど、こいつはそんなんじゃないよ」


 ウルラから教わったとおり結界を張り終えたコウジが運転席に乗ってエンジンに火をつける。静かな森の中にエンジンの発する爆音が轟き、鳥達が慌てて空に舞い上がってゆく。


『ふむ、コウジもう少し静かには出来んのか?これでは的に居場所を教えているようなものだぞ』


「いやそう言われてもエンジン音はどうにもならないよ」


 シートベルトをしたコウジがゆっくりとアクセルを踏み込み、バギーはゆっくりと前に進み始め、ハンドルを回して東へと進路を向ける。空き地を横切り昨日空き地を回ったときに見つけたバギーなら通れるといった間隔で生える木の間を縫ってバギーは進んでゆく。木と木の間にバギーが通るのに十分な隙間があるものの、スピードを出せば即座に真っ正面から木に激突してしまうので、ハンドルを握るコウジの表情も真剣な物になる。


「余裕が出来たら道を整備しなきゃだなぁ。せめて木を切ってバギーが通りやすくしないと」


『我らは手伝わんぞ』


「むしろ手伝えるの?」


 アスルヴォルフは名前の通り狼であり腕を持たぬ四つ足動物だ。それでは木を切る道具である斧も鋸も握ることは出来ないだろ、と思いながら不思議そうに問いかける。


『ふん、木を切るぐらい我らにも出来る。いや正確にはへし折ることならだが』


 道を作るために木を排除するというならば大した違いはあるまい、と荷台から顔を突き出すエヴィエニスに肩を竦めてみせる。


「左様で。まぁ家の倉庫にチェーンソウもその燃料も結構あったし、木を切るだけなら一人で十分出来るから何とかなるさ。切った後はバギーで牽引して広場にでも運べば使い道もあるだろうじっ!」


 タイヤが木の根で盛り上がった地面を踏んで上下に揺れ、喋っている途中だったコウジは衝撃で舌を噛んだ。


「~~~~~!」


 声にならない悲鳴を上げて涙ぐみ、それでもハンドル操作は違えてはならぬ腕に力を込める。

 バギーに設置したビデオカメラと繋いだパソコンにリアルタイムで作成された地図が表示され、そのキーボードの上にはウルラに貰った近辺の地図が風で飛ばぬようにテープで貼り付けられており、荷台から顔をつきだしたエヴィエニスがその両方を見比べて首を傾げる。


『ところでどこに向かっておるのだ?東には人里が無いようだが』


「一応、目的地は森の北にある【アヴェントゥラ】って街だよ。なんでも冒険者ギルド発祥の地らしいな。少し言ったところに森を縦断してる川があるから、そこで北に向かう予定。それで日暮れまでに進めるだけ進んで野宿。たぶん明後日までには街につくはずだ」


『その街で冒険者ギルドに登録するのか』


「この世界で身分を証明するような物を持ってないからな。冒険者ギルドに登録するのが一番手っ取り早いってウルラに聞いたんだ」


『敬称を付けんか!』


 ウルラの怒鳴り声を笑って誤魔化して助手席のパソコンを見る。描かれる地図と貰った地図を見比べて川までの大体の距離を推測して顔を正面に戻す。

 森の中はバギーのエンジン音以外聞こえず魔物の襲撃もなく平和なもので、先日のアームズコングとの戦闘が嘘のようであった。


「エヴィエニス達の群はここからどれくらい離れた場所を巣にしてたんだ?」


『………………お前の家より南東の方角、人間どもがアキード山と呼んでいる山の麓だ。洞窟が並ぶ場所があってな、我らは先祖代々そこを寝床としアキード山からこの森、トリオンの森を守ってきたのだ』


「森を守る、か。この世界でも自然破壊は深刻なわけ?」


『ふむ、自然破壊なるものが何かは分からんがあまり良さそうなものではなさそうだな。

 だが我らが森を守るのはそれとは違う理由だと思うぞ。トリオンの森はな、月の最高神【月女神フリーディア】様が数百年に一度の静養をなさる地、【月の聖地】と呼ばれる地なのだ。人間どもの間ではすでに忘れ去られた事実ではあるがな』


 エヴィエニスは荷台の上に座り直すと小さく溜息を吐いた。


『我らの先祖は遙か昔にこの森の守りフリーディア様より任されたのだ。この緑豊かで静かな森を。それから何千年もの間、我らが一族はこの森を守ってきた。だがそれも………………。

 たとえ奇襲を受けたとはいえあんな猿どもにしてやられるとは、フリーディア様に顔向け出来ん』


 憎々しげに吐き捨てるエヴィエニスの言葉には自分たちの不甲斐なさに対する物も含まれているようにコウジには聞こえた。


「けどよ奇襲を受けたんなら仕方がないだろ?」


『我の話を聞いてなかったのか?

奇襲を受けたとしても、過去において我らがあの猿どもにこうもたやすくしてやられたことはないのだ!倍、10倍、数の差があれども、我らの血族はあの猿どもが襲撃してくればそのことごとくを返り討ちにしてきた!それを、数は確かに多かった、奇襲も受けた!されど今までにもそんなことは幾度もあったのだ!四年前の襲撃の時など今回襲撃してきた数の10倍はいた、そして我らの寝静まった夜中に奇襲を掛けてきた。それとて我らは犠牲を払うことなく退けたのだ。だというのに此度は!為す術もなく皆殺しにされた………………』


(いままで負けることがなかったのか。そんな相手に急に負けて誇りに傷が付いたってところなのかな?)


「まぁでもよ、お前もヘジンもいるんだ。他にも生き残った仲間がいるかもしれないだろ。そんな仲間を探しだして力を付けて今度は連中から奪い返せばいいじゃないか。森がなくなるわけでもあるまいし」


 元気を出せとばかりに笑い飛ばすコウジの言葉。しかしそれを聞いたエヴィエニスは小さく頭を振って森に視線を向けて呟いた。


『無くなりかねんのだ、奴らアームズコングが移り住んでくるという事実は、文字通り森の存亡を掛けていると言っても過言ではない』


「はぁ?」


『あの猿どもは欲望に忠実な野獣にすぎん。とくに己の食欲には貪欲だ。腹が減れば目に映る物すべてを食いつくさんとする。木も草も、動物達も。奴らが住み着いたことで失われた森や山は多い。このまま奴らがここに住み着けば直ぐに森は荒れ、数年もせずにこの緑豊かな森も山も失われてしまうだろう。一刻も早く奴らを排除せねばトリオンの森はこの大地から姿を消すことになろう』


「おいおい、そんなことになったら俺の家もただじゃ済まないんじゃないか?いや結界は張ってあるけど世の中絶対なんて無いし………………」


『我とお前の2人だけでは猿どもを駆逐することは出来まい。

 今我に出来ることは少しでも早く力を付け、速やかに奴らを排除することだ。』


「そんな状況で俺についてきてよかったのかよ」


『我一人で出来ることなど高がしれているし、今の我では奴らの群に見つかって無事に切り抜けられるかどうかもわからん。口惜しいが森を離れぬ他ないのだ。

 森が無くなり困るのは人間どもも同じ、貴様が冒険者となるならばそれを利用させて貰う。

 貴様が行く先々で我も逃げ延びた仲間や力になってくれる者を探す。お前も住む場所を守るために仲間を集めることだ』


「そうする」


 後方に流れてゆく光景が無くなるかもしれない。エヴィエニスの口からもたらされた事実に寒気を感じるコウジだった。それからしばらく会話らしい会話もなしにエンジン音が響く森の中を進んでゆくと前方に光の煌めきが見えてきた。


「ん、ようやくか。ちょっと揺れるから気を付けてくれ」


 荷台の二頭に注意を呼びかけ、川辺に出ると同時にアクセルを踏み込む。低音を響かせていたエンジンが甲高い音を奏でて回転数を上げ、川辺の砂利をタイヤがしっかりと噛みしめてバギーが速度を上げる。


「水陸両用万歳だな!」


 コウジが歓喜の叫び声をあげるのと同時にバギーが川に突っ込んだ。トリオンの森を南から北へと流れるこの川は森の各地から幾本もの支流が合流しており、かなりの規模の川となるらしい。水しぶきを上げて川に飛び込んだバギーは川底を蹴って川を北上し始める。


『これは、すごいな』


バギーの左右にかき分けられた水がまるで翼のように吹き飛ばされ、飛び散る飛沫は風に舞う羽毛のようであった。


「ぁん、ぁん!」


 その光景に見とれるエヴィエニスの横ではヘジンが嬉しそうに声を上げて荷台にかかる飛沫にじゃれつき、右へ左へと飛び跳ねている。


「ヘジンが落ちないように注意しててくれよ」


『あ、うむ。確かに落ちたら大変だな』


 いつの間にかにサングラスを掛けていたコウジの言葉に我に返ると、顔に当たる風の強さに表情を強ばらせてヘジンへと注意を向ける。


『しかし大地を掛けるだけでなく水の上をゆくことさえ出来るとは………………。お前の世界には魔法が無いと言っていたがそれと同等以上の物が存在しているのだな』


「感心して貰っているところ悪いけど、こいつの真骨頂はまだまだこれからだ。今だって水の上に浮いて進んでるんじゃなくて、川底をタイヤに噛ませて陸の上と同じ要領で進んでるんだからな」


 バギーの性能に感心するエヴィエニスに苦笑しつつ、悪戯小僧のような笑みを浮かべてさらにアクセルを踏んでバギーを加速させる。


『ぬぅお!』


 跳ね上げた川の水がかかったのかエヴィエニスが驚いた声を上げる。コウジはコウジでアクセルを踏み込む前に、屋根の下に収納されていたフロントガラスをおろしていたので水を被ることはなかった。

 時折川底の大きめな石を踏むことで車体が跳ねらせながらバギーは川を下って行く。エンジン音に水しぶきの音が加わるが、それにつられて魔物が出てくるわけでもなくその旅路は順調なものであった。

 しばらく進むとバギーは川の本流へとたどり着き、水深が一気に深くなった。タイヤが川底から離れ今までの慣性でゆっくりと流れに沿って進むバギー。コウジは一度アクセルから足を離すと本来マニュアル車のクラッチが設置してある場所の少し上の場所に設置されているペダルを踏み込んだ。すると今まで川底を走っていた四つのタイヤが下向きに僅かに傾き、コウジからは見えない車体の下では二つのスクリューが後方へとせり出していた。

 コウジがアクセルを踏み込むと今度はタイヤではなくその二つのスクリューが回りだし、水上のバギーが緩やかに加速を始める。


「お~お~、初めて試したけどうまくいった。ジャックのやついい仕事するじゃないか」


 もう会うことはないだろう整備工場勤めのサバゲー仲間に例をいいながら、彼の作品であるバギーはトリオンの森を北上していった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


「ん、あれは?」


 最初にそれに気づいたのはコウジだった。森を抜け川沿いにバギーを走らせていた彼は進行方向から立ち上る黒い煙に気がついたのだ。


『煙、だな。それも一つ二つではないようだ。よほど多くの物が燃えていると見える』


 エヴィエニスの言葉を聞きながら地図に目を落とす。川沿いに進んだ先には彼が次のチェックポイントと定めていた小さな村があるはずなのだ。立ち上る黒煙との距離は相当離れているがそれでも見える大量の煙となればただ事ではない。


「いやな予感がする。エヴィ、スピードを上げるから振り落とされるなよ!)


 言うや否や彼女の返事を待つことなくアクセルを踏み込み、エンジンがそれに答えて回転数を上げてバギーは弾かれたように川沿いを疾走し始める。


『ぬぅ、待て!あ、ヘジンそっちへ行ってはいかん!』


 背後から聞こえる声を気にすることなくコウジはバギーにさらなる加速を求める。運転席に添えるようにしまわれたベネリM4スーペル90の安全装置を解除し前方の煙を睨みつける。何があったのかは分からない。しかし禄でもないことが起こっているという予感がするのは【第六感】のスキルによる物か………………。この世界で初めてあうはずだったこの世界の人達。彼らが無事であることを祈りつつハンドルを握る手に力を込めるのだった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 村の様子が伺えるのようになったのはバギーのスピードを上げてしばらくしてのことだった。遠方に見える黒煙の根本には炎に巻かれた小さな村の姿。当たってほしくはなかった予想が的中し、しかしまだ最悪の状況かどうかは分からないと僅かな希望をよせるも、彼の感は最悪の状況であると告げている。

 コウジが予想している最悪の状況とはこれがウルラの説明にあった盗賊などのならず者の手によってこの事態が起こっているということだ。もしそうなら村に火を放つような輩のことだ、村人の命は絶望的なのではないだろうか?しかしこれが不審火など村人の不手際などによるものなら、逃げ遅れた人はいても全員が死んでしまっているという事はないだろう。しかしその可能性は非常に少なそうだった、村は風上の方向にあるらしく僅かに届く木などの焼ける臭いと一緒に金属同士のぶつかり合う音、すなわち戦いの音が聞こえてきたのだ


「この世界に来て一番最初に出会う人間がならず者とか、出来ることなら勘弁してほしいな」


『介入するのか?』


「助けられる人がいるなら助けたいからな。見て見ぬ振りとか罪悪感がとびっきりなのなんざ御免だからな」


 エヴィエニス達までつきあう必要はないぞ、と断りながら村から上がる炎の熱気を肌で感じ始め、緊張からか喉が渇くのを自覚する。おそらくこの先で待っているのは戦闘だ。先日のアームズコングとは違う異世界とはいえど同じ人間が相手の戦闘だ。


 脳裏を掠めるかつての記憶。彼の放った三つの弾丸。傷つけられた者と奪われた一つの命。必死だったあの時とは違う。今の自分は冷静であり、これから自分がするであろうことをちゃんと把握している。


「どうか、ただの火事であってくれよ」


 それでも叶わないであろう希望を呟きながら、燃えさかる村へと飛び込んでいった。


 村に飛び込んで最初に見たものは、明らかに刃物で切りつけられ事切れた女性の死体だった。仰向けに倒れた彼女のそばにはひっくり返った籠と収穫物だろう野菜が散らばり、トマトにも似た野菜が無惨にも踏み潰されていた。


「くそっ!」


 バギーのギアをバックに入れてバギーを村の外まで後退させると、コウジはショットガンとリュックを手にバギーを飛び降りた。


「村の中に行ってくる!エヴィはそこで待っててくれ!」


『気を付けろよ』


 手伝う気はないらしいが心配するそぶりを見せる彼女にうなづき、ショットガンを抱えるように構えて村の中へと飛び込んで行く。

 村の規模はそこまで大きいものではないのだろうか?この世界の村の基準を知らぬコウジにはそんなことは分からないが、木造ではあるものの作りは小さな家や広くとられている道のおかげで左右から熱気を感じるが、炎に道を遮られたり燃えさかる家屋が倒れてくると言うことは無さそうである。そこかしこに倒れる村人に表情を歪めながら、コウジは先ほどから聞こえる戦いの音のする場所へと走った。

 

「お、まだ逃げ遅れがいやがったか!」


そんなわかりやすい台詞とともに現れたのは見窄らしい革鎧で身を包み、ぼさぼさに伸ばされふけだらけの髪を適当に纏めた血濡れの剣を手にした盗賊や山賊という言葉がぴったりな汚らしい男だった。


「お前等か、この村をこんなにしたのは………………」


「あん、お前今村に来たのか?そいつは災難だったな、この村にゃもう何も残ってねぇぞ。俺たちが皆いただいちまったからな!」


 人を殺すことが楽しいのか、舌なめずりをしながら襲いかかってくる男に向かって銃口を向けると、コウジは迷うことなく引き金を引いた。炸裂音とともに放たれた散弾が男に襲いかかり仰向けに吹き飛ばした。

 笑顔のまま事切れた男を一別し周囲に気を配る。今の銃声を聞いて他の盗賊達がやってくるかもしれない。腰のポーチからショットシェルを取り出し消費した分を込め、慎重に辺りの様子を伺いながら村を進む。


 【第六感】か【感覚強化】の影響か、争いあう金属音以外の音が聞こえた気がしたコウジは戦いの音のする方を一別すると無言で音の聞こえた方へと走り出した。その感覚はトリオンの森でエヴィエニス達を見つけた時と同じものだった。それゆえに疑うことなく走るコウジの耳に下卑た笑い声が聞こえてきたとき無意識に走る足に力を込めていた。


「げへへ、散々てこずらせやがって。ちゃんとその償いはして貰わなきゃなぁ」


「いやぁっ、止めてぇ…………」


 服を破られ素肌を露わにしたまだ幼い少女と下半身を丸出しにした獣。弱々しい悲鳴が耳に届き、ショットガンでは少女を巻き込むと判断したコウジは沸き上がる怒りに任せて駆け寄ると同時に男の側頭部に蹴りを放った。


「うごげっ!」


 みっともない悲鳴を上げて吹き飛ぶ男と少女の間に割り込み、コウジはホルスターからH&KHK45を引き抜き起きあがろうとする男に銃口を突きつけた


「て、てめ、何しやがる!」


 コウジの姿を目にした男がそばに落ちていた剣に手を伸ばそうとするが、それをわざわざ待ってやる必要もないと引き金を引く。放たれた銃弾は男の眉間を違うことなく打ち抜き、近距離から威力の高い45ACP弾を食らった頭部は地面に後頭部から脳漿をぶちまけながら叩きつけられた。


「大丈夫か?」


 ホルスターにハンドガンをしまいながら少女に話しかける。もう服としての機能を果たせそうにない布切れを掻き抱き胸元を押さえる少女の表情は怯えの色に染まっている。それは仕方のないことだろう、なにせたった今女であるが故の恐怖に晒されていたのだ。そのようなめにあわせた相手と同じ【男】であるコウジに恐怖を覚えるの当然のことだ。

 コウジはそれ以上無理に話しかけようとはせず、リュックの中からコートを取り出して少女の肩に掛けてやった。コートを掛けられる瞬間少女が身を強ばらせるのに痛ましげな視線を送りながら立ち上がると周囲に視線を向ける。


「このままここにいるのは危険だな………………」


 いつ他の盗賊がここに来るともしれないし、こんな炎に囲まれた場所にいつまでもいたら焼け死ぬ可能性だってある。コウジは考えるのもそこそこに怯えた表情で身を縮めている少女を抱き上げた。


「ひっ!」


「怖いだろうけど少し我慢してくれ!」


 少女を抱き上げたままでは銃を撃つことはできない。ここにたどり着くときよりも周囲に気を配りながら燃えさかる村の中を走り始める。近くで焼けることで耐久度を失い自重で崩れる家屋の音が聞こえ、少女が悲鳴を上げて耳を塞ぐ。

 未だに続く戦闘音を背にしながらコウジは村の入り口へと走った。


『早かったな、む、なんだその小娘は…………?』


バギーを止めた村の入り口まで戻ったコウジをエヴィエニスが迎えるが、彼の抱き上げる少女の姿に訝しげな視線を向ける。


「説明は後だ。まだ中で戦ってる人がいるみたいなんだ、俺はその人を助けにいく!すまないが戻ってくるまでこの娘を頼む!」


『なに、正気か!』


 コウジの言葉に驚きの声を上げるも、言葉を向けられた当人はすでに身を翻し村の中へと再度突撃するところだった。それを見送る形となったエヴィエニスは、荷台に置いていかれ顔を青くして怯えた視線を向けてくる少女を見やり溜息を吐いた。


(人間共からは畏怖の対象にもなる我らとたった一人で置いていくなど………………。この小娘も災難だったな)


 興味深げに少女に近づこうとする我が子の尻尾を踏んで止めながら、どうしようもなく居たたまれない空気を漂わせる現状にどうしたものかと空を仰いだ。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


「ち、景気よく部下を殺してくれやがって」


 盗賊達の頭は忌々しげに部下達に取り囲ませた相手を睨みつけた。大きく弧を描く刀身を持つここらでは見かけない武器を手に周囲の部下を威圧するのは、黒髪を短く纏めた褐色の肌をした女だった。体のラインが浮き出る体に張り付くようなデザインの革鎧、その上から不思議な光沢を持つ黒色の薄衣を纏った踊り子の衣装にも似た独特の装束を身に纏い、全体的な露出は多くないもののその革鎧の意匠や動きにくそうにひらひらと揺れる薄衣の間から覗く褐色の肌をした四肢に燃えさかる炎の熱気と今まで彼の部下と刃を交え続けていたことで浮かぶ汗が女を非常に艶めかしく見せている。


「だぁ!」


「死ねや!」


 彼女の背後と右手から盗賊が襲いかかる。背後の盗賊は錆びた斧を振りかぶり、もう一人は剣力任せになぎ払う。


「雑」


 女の口からこぼれた言葉を聞き拾うことが出来た者はいなかった。女が体を仰け反らせ右手に指で挟むようにして持った二本の曲刀、ショーテルを盗賊の剣に下から軽くあてがうと、剣はまるでそうなることが決まっていたかのように女の上を通り過ぎてゆく。さらにその動きにくそうな格好でなぜそんな動きが出来るのか、女は体を仰け反らせたまま地を蹴り、逆上がりでもするかのように右斜め後方へと飛び上がり、薄皮一枚と行ったきわどいタイミングで振り下ろされた斧を躱して今し方彼女の上を振り抜かれた刀身の上に着地する。着地した刀身を蹴って再び宙を舞うとクルリと回転するのと同時に両手併せて四本のショーテルが振るわれ、輪切りになった盗賊の頭部が宙を舞う。輪切りになった盗賊の首が地に落ちるのは、彼女が着地するのとほぼ同時だった。彼女の回りにはすでに10人を越す盗賊の死体が散らばってお超人的な動きをする彼女もそれだけの数を相手した今ではさすがに疲労を感じるのだろう、肩で息をしながら周囲を見回した。


(ぱっと見た感じではまだ20人くらい残っている。こんな小さな村になんて数で襲っているんだ、こいつらは)


 目端をつり上げ睨みつければ、睨みつけられた盗賊達がひるんで囲いに隙が生じる。しかし彼女はその隙に飛び込むようなことはしない。自ら動くというのはそれだけ運動量が多くなるということだ、彼女にしてみればこの数を相手に体力消耗は少しでも減らしたいのだ。いくら彼女が強かろうが単純な腕力では五分か負けていることを承知している。それ故に獲物を直接打ち合わせることを極力減らし、攻撃を躱し動きで翻弄しながら戦わなくてはならい。そしてその激しい動きは用意に彼女の体力を削ることになる。ならば出来る限り動きを減らすためにも受けの戦いをせざるを得ないのだ。彼女は視線で敵を牽制しながらあれる呼吸を整え、焼け石に水であれ僅かな体力回復をはかる。


 そんな彼女らの膠着を崩したのは新たな侵入者の存在だった。


 盗賊達による包囲の向こう、彼女達の戦う広場に通じる通りの向こうから雷鳴のごとき炸裂音が響く。包囲の外側にいた盗賊が崩れ落ち、突然のことにその場にいた全員が音のした方へと振り返った。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 村に再突入したコウジは先と同じ道を駆け抜け、今度こそ戦闘音の聞こえた場所へとたどり着いた。そこでは大勢の盗賊が一人の女性を取り囲んでいるところで、彼には盗賊達が彼女をなぶり殺そうとしているように映った。その光景を見た瞬間、コウジは手にしていたベネリM4スーペル90の銃口を跳ね上げるように構えると、女性へと流れ弾が行かないよう右端の、外周部にいる盗賊に狙いを定めてトリガーを引いた。

 火薬の炸裂する音とともに放たれた散弾は狙い通りに盗賊を穴だらけにする。盗賊達はろくな鎧を着ていないらしく、革鎧か最悪薄汚れた服を着ているだけであり、ショットガンから放たれた散弾を防ぐ能力は皆無だった。

 突然の銃声にその場にいた全員の視線が集中するが、コウジはそれに動じることなく再度引き金を引く。セミオートでショットシェルが装填されるベネリM4スーペル90は、引き金を引く彼の要請に応え次々に散弾を吐き出して行く。囲まれている女性が広場のほぼ中央にいるため、ショットガンの銃口は右へ左へと振られて銃弾を放ち、盗賊達は見たこともない兵器に為す術もなく撃ち殺されてゆく。


「こっちだ!」


 女性と視線が合い、コウジは大声で叫んだ。ハッとなった女性は右往左往する盗賊を足場に囲いを飛び越えコウジの方へと走り寄ってくる。そんな彼女の手に納められた大振りの武器に一瞬驚くも、コウジはショットガンの引き金を引き続ける。しかしショットガンの欠点は装填数の少なさと、弾が切れたときの装填のし辛さにある。女性が彼の元へたどり着く頃には装填されていた八発のショットシェルを撃ち尽くし、ショットガンを背負い一緒に走り始めていた。


「援護、忝い………………!」


「礼はここを切り抜けたらにしてくれ、とにかく村の外へ!」


「ちっ!逃がすんじゃねぇぞ!」


 頭らしい男の怒声に右往左往していた盗賊達が一斉に追いかけ始める。走りながら左腰に下げたサブマシンガンーイングラムM10を引き抜き振り向きざまに横薙に斉射すると、戦闘を走っていた盗賊達は訳も分からぬ撃ちに銃弾を食らってその場に転倒して後続の盗賊に踏まれ絶命し、また踏んだ盗賊もそれでバランスを崩して転倒するといった連鎖が起こる。それでも倒れた仲間を踏み越え追ってくる盗賊達に銃弾を見舞いながら村の出口へとひた走る。


「あれに乗れ!」


 村の出口へとたどり着きその先に停めてあるバギーを指さすと女性は一瞬躊躇うものの、彼女を追い越して荷台に飛び乗ったコウジを見て覚悟を決めたように自分も荷台に飛び乗った。

 荷台に飛び乗ったコウジはバギーの屋根に被せてあったシートをはぎ取り、そこ備え付けられた兵器を晒しその銃口を盗賊達へと向ける。盗賊達にはコウジがなにをしているのか理解できていないのだろう。雄叫びを上げながら突っ込んでくる彼らを睨みつけ、安全装置を解除して引き金を引いた。

 ショットガン、サブマシンガン。そのどちらもが霞むような轟音の連打。廃莢された空薬莢がバギーの床を叩く音が響きわたり、バギーへと突撃してきた盗賊達は皆そろって蜂の巣になる。動く者がいなくなったのを確認したコウジは引き金から指を離し、燃えさかる村を睨みつける。どこかで家屋の崩れる音が届き、コウジは頭をふって運転席へと座る。


「動かす。落ちないように気を付けろ」


 返事も聞かずにアクセルを踏んでバギーを走らせる。村を迂回して進路を北へ。燃える村を横目に見ながらバギーはスピードを増して行く。


「助けてもらって感謝する」


 その言葉がかけられたのは日が暮れるまで走り続けたバギーを川辺に停めた直後だった。四本のショーテルを背負い、いつの間にか眠ってしまった少女を抱き抱えた女性がエヴィエニスに警戒を視線を向けながらも礼を行ってきたのだ。


「助けられるかもしれない人が目の前にいるのに、それを無視したら罪悪感に苛まされそうだったからやったことだ。まぁ、礼の言葉は受け取っておくけど」


 エンジンを切って女性を見、次いでその胸に抱き上げられた少女に視線を落とす。


「助けられたのはこの娘だけか………………」


「他にも助けられる人もいたのかもしれないけど、あの炎じゃな」


 炎が道を塞ぐようなことはほとんど無さそうな村ではあったが、あんな炎に囲まれた空間にいてはどうなるか分かったものではない。


「村の人か?」


「いや、私は昨晩から世話になっていただけだ。世話になった礼をすることは出来なかったが………………」


 悔しそうに唇を噛んで答える女性から、視線を村のあった方へと向ける。今頃火は消えているのだろうか?夜の帳の落ちた空にいまだに黒煙が立ち上っているのが見えてコウジは舌打ちをする。


「………………コウジ・ムラマサだ。一応【アヴェントゥラ】に向かう途中だ」


「オリンピア・シャイルーン。ある物を探してこの地に訪れた者だ。私も最初の目的地としてその都市に向かう途中だった」


 コウジの自己紹介に返した女性ーオリンピアの頭部に、髪をかき分け一対の耳が飛び起きた。驚いて彼女をよく見ると先ほどまで気づかなかったが、腰の辺りからは黒い毛に覆われた尻尾がゆらりゆらりと揺れていることに気づいてコウジは目を丸くした。


「獣、人?」


「……っ!」


 思わず呟いた言葉にオリンピアが身を固くする。

コウジの脳裏にウルラから聞いたこの世界に住む種族のことが思い出させられる。コウジと同じ姿をした人間。獣の特徴を備えた獣人。森の妖精種エルフ、ダークエルフ。山の精霊種のドワーフ。竜の力を継ぐ竜人種等々。その中でもっとも数が多いのが人間であり、人間は他種族を嫌い下等と見下し差別する傾向にあり、特に獣人にその感情を向けられることが多いということ。

 自分の反応がそのようにとられたと気づき、コウジは慌てて首を振った。


「すまん、違う、初めて獣人を見て驚いたんだ。獣人だからって理由で嫌ってるわけじゃない」


「………………そう、か。すまないな、ここに来るまでに人族から言われ無き中傷を向けられることが何度かあったのでな」


「いや、いくら何でも失礼な反応だったからな」


 互いに非を認めて謝罪の言葉を交わし、会話が途切れたところでオリンピアの視線が構って欲しそうな目で見上げるヘジンと、そのヘジンの尾を踏んで動きを制限しているエヴィエニスへと向けられる。その目に警戒の色を見て取ったコウジは肩をすくめてヘジンの頭を撫でる。


「大丈夫だ、人を襲ったりしないから。アスルヴォルフのエヴィエニスとヘジンだ」


『我らに敵対の意志はない。故にもう少し肩の力を抜くといい。まぁそう言われてそうそうできることでは無かろうがな』


「あん!」


「アスルヴォルフ、【原初の狼】か!まさか誇り高き狼王種が人間と一緒にいるとは………………」


 目を丸くして驚くオリンピアの姿に首を傾げるも、その正体を知ることで肩の力を抜き始めるのを見て安堵の吐息を吐く。


「さて、あとはその娘の処遇をどうするか………………。村に戻すなんてことができるわけでもないし、このまま一緒に街まで連れてくしかないかな」


「すまない、私の荷物はあの村の中に置き去りになってしまっている。路銀もその中に入っていたのだが、おそらく一緒に燃えてしまっているだろう。できればご一緒させてはくれまいか?」


 少女を起こさぬように気を付けながら頭を下げるオリンピアにコウジは苦笑して頷いた。もとよりこんな所に彼女を放り出すつもりはなく、行き先も一緒との話だったので同行するか聞くつもりだったのだ。


「旅は道連れ、世は情けってな。短い間かもしれないがよろしくな」


「うむ、よろしく頼む」


 コウジの差し出した手をオリンピアが握り返し、2人は笑みを浮かべて頷くのだった。



作中に登場する銃器については、主にウィキペディアを中心としたホームページ、動画などを調べ参考にしています。これはこうではない、などのご指摘がありましたら遠慮なくお願いします。

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