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第4話・偉い人の話

 なんとかできたので投稿します。



 キニスの目の前に、一枚の扉がある。


 場所は商会の建物の中。他の扉と寸分たがわぬ片開きで、特に目立った装飾もない素っ気ない扉。しかし、この扉は他とは違い気安く触れることも許されない扉だ。


 キニスは扉に対してすぐにアクションを起こさず、まず服装に乱れがないかを確かめた。白いシャツにインクの黒はついていない。ベスト後ろからシャツの端も出ていない。問題は無いはず。

 ふと、視界の中で揺れる灰色の髪が気になった。どうしようか悩み、いじらずそのままにすることにした。

 伸ばし放題にしていた髪は目にかかっているほどだが、今から後ろに撫でつけも不恰好になるだけだし、仕事中に髪を縛っている紐も窓口に忘れてきてしまった。

 それに扉の中にいる人物は身だしなみにはそれほどうるさくなかったはず、と腹をくくることにした。もし怒られたら、その時はその時だ。


 キニスは拳を扉に当て、四度ノックした。『商会長室』と書かれた板が打ち付けられた、その扉を。




 なぜ受付に過ぎないキニスがいきなり商会のトップに会いに来ているのかというと、話は少し前、具体的には昼食から帰ってきてすぐの頃にさかのぼる。

 昼食を終えたキニスが商会に戻ると、彼の席にはなぜか普段は別室にいる上役がいた。どうやら待ち構えていたらしく、商会長から直々の呼び出しというありがたくもない伝言を受け取り、詳しい説明もないまま商会長室に連れてこられたのだった。



『おっと、どちら様かな? 入ってくれてかまわないよ』



 間を置くことなく扉の向こうからから帰ってきた返事に思考が呼び戻される。待たせるわけにも行かず、キニスは室内に足を踏み入れた。


 商会長室は単に商会長の仕事の場というわけではなく応接間としても使われる。

 トーリッツ商会は南部辺境では大きな規模を誇る商会であるため、訪れる相手も領主の補佐役などある程度の身分を持った者がほとんどだ。そういった相手に舐められない為にも、この部屋の家具や調度品にはかなりの金額がつぎ込まれている。

 しかし、それら高価な品々よりも何よりも、まず目を引くものがある。部屋の奥、大きな黒鉄檜の机の向こうで安楽椅子を揺らす、どこか泰然とした雰囲気を持つ女性。


 トーリッツ商会長。総支配人シーカ・グラディアートル。


 目が覚めるような深い群青の髪は緩くカールしながら腰の位置までするりと落ち、窓から入る光を受け艶のある光沢を放っていた。室内に足を踏み入れたキニスを見すえる髪と同じ色の瞳は一点の曇りもなく宝石のように澄み切っている。それに加え、服の下からでも大いにその存在感を万人に主張し続けるプロポーション。

 並外れた美貌と、起業間もない商会をわずか数年で王国連合南部辺境の雄にまでのし上げたほどの実務能力。

 シーカはその両方を備えた女傑だった。それも、類い希な程の。



「おっと、来てくれたのかキニス君。しかしまだ昼休みだというのに呼びつけてしまって悪かったねキニス君。とりあえず座ってくれたまえよキニス君。お茶でも出そう」


「いえ、もう昼は食べたので大丈夫です。どうせ始まるまで席に座っているだけなので。あと貴女が立っているのに俺だけ座るわけにはいきませんのでこのままで。……それで、どういったご用件でしょうか。……あの、商会長?」



 キニスは単なる受付であり、シーカは商会のトップ。商会の中での地位は天と地ほども離れている。対応としてはごく当たり前の差し障りのない物のはずだったが、シーカは棚から取り出した茶器を持ち、面白くなさそうにしている。

 彼女が弄んでいるカップ一つでキニスの給料の大部分が飛んで行く。落として割れやしないかと心臓に悪い光景だ。



「ふふん、いいねキニス君。君のそう言うところは嫌いじゃない。が、ここは私の部屋であり部屋の主足る私が良いといっているのだから座ってもかまわないのだよ。というかむしろ座れと言うのは雇用主でもある私からの命令であるのだから良いから黙って座りたまえ。ああ、お茶を飲むのも命令の内だ。黙って飲みたまえ。手を付けずに帰ったら命令違反で減給となる。わかったかね? わかったなら座りたまえ」


「…………ハイ」



 言われた通り、素直に腰を下ろす。手持ちぶさたにシーカが手ずから茶を入れる様子を眺めていたが、それもすぐに終わった。

 今キニスの目の前には透明感のある淡い緑の液体、確か緑茶とやらが入れられたカップが置かれ、机と同じ黒鉄檜のテーブルの向こうにはシーカが腰掛けている。



「良い香りだろう。遠く東の八百津洲から取り寄せた品だ」


「ええ、それはもう。……それで商会長、俺のような下っ端を呼びつけたのはどういったご用件なんでしょうか?」


「率直だね。うん、用事か。無論用事はある。だが君は話を聞いていなかったのかね?」



 シーカはまだ話に入らず、テーブルの上のカップに視線を送る。二人きりの状況なので、キニスもすぐにそれに気づき、カップを手に取った。



「……いただきます」


「よろしい。うん、流石だ。私は座ってお茶を飲めと言ったからね。私が誰か呼びつけると大抵の奴らは私の事を無視してお茶に手を付けずそのまま無理矢理話を進めるからね。もっとも副商会長などになると私が何か言う前から黙ってお茶に手をつけてくれるがね。まったくもって良い部下だ。キニス君、そういった意味では君にも期待しているよ」


「ありがとうございます」


「さて、私の下も回ってきたところだ。そろそろ用事の話をしよう。無論私が誰かを呼びつけて話す用事など決まっている。――仕事だよ、キニス君」



 背もたれに身体を預け、足を組み替えながらシーカはそう口にした。なお彼女は下手の良いズボンを着用しているため曲線美は楽しめても何かが見えることは決してない。



「仕事ですか?」


「ああそうだよ。仕事だ。」


「俺受付なんですが。もう昼の業務始まってますし」



 部屋に鎮座する柱時計に目をやれば、開始時刻からは文字盤の四分の一ほど針が回り過ぎてしまっている。



「それは私もわかってはいるさ。商会の顔たる受付を決めるのは直接私がやっているからね。しかし私はそれよりも今回の件に君を当てるべきだと判断した。というわけで君は今この瞬間をもって受付はクビとなる」


「はぁ……なるほど。…………え、クビ?」


「そう、クビ」


「え……いや、だって、え……?」



 キニスは腰を浮かせるが、シーカは悠然と座ったままだ。



「ま、座りたまえよ。話くらいは落ち着いて聞きたまえ」


「いやいやいやいや、落ち着くも何もクビっていったい――!」


「私は座れと言ったよ」


「……はい」


「ま、先に言っておくが商会をクビにするというわけではない。言うなれば配置換えというヤツだ。他の者にしようかとも思ったのだが生憎と皆遠方にいてね。今近場にいる中で一番適任そうなのが君だった。だから君になった。無論嫌なら断ってくれても良い。当然そのときは商会からもクビになるがね。前々から言っているだろう? 利益を得るのに必要な物が度胸だけの時に、それを厭うような者は私の部下にはいらないと。……それが嫌ならこの仕事を受けてもらうことになる。さて、君は――」


「受けます」



 キニスは残っていた緑茶を一気に飲み干し、うっとうしい灰色の掻き上げた。隠されていた右目が露出し、シーカをじっと見る。


 口調は最初と変わらない。顔に浮かべた柔和な笑みもそのまま。しかし、思った通り目だけは部屋に入ったときとはまるで違った。

 シーカが自分を見る目。それは商会の創設時、上も下もまだ今のような体制が確立していなくてまとまり切れていなかった頃、今寄りかは割と彼女の近くに行けた頃に見たのと同じ、何か大きな得物を狙う狩人の目をしていた。

 そしてその狩る者の目は今時分に向けられているのだと。



「おや。ろくに話の内容を聞かなくて良いのかい」


「ええ。どうせ断ることはできないんでしょうし。そんな目をしてる時には足掻いたところでどうにも出来ない。だったら素直に従いますよ、俺何ぞに何をさせたいのかは知りませんけどね」



 シーカはまだ仕事の内容については何も口にしていない。何をするのか、どこでするのか、何時するのか、どの程度の危険が伴うのか、何一つだ。

 それでいて、こちらが断れない状況をつくって彼女は平気な顔をしている。



「まぁそのとうりな訳だが……フフ……やはり君を選んで正解だったようだな。いやいい、理解が早いのは実に好みだ」



 クスクスと笑うシーカに、キニスはもはや苛立ちよりも疲れを覚えた。どう頑張っても自分如きでは『傾城の魔女』にはかなわないのだと改めて言い聞かされた気がした。

できるのは、せいぜい彼女の手のひらの上でで踊る演目の予想を覆して、少しばかりの驚きを与えてやるくらいか、と。



「それで、結局俺は何をするんです? できれば非合法なのは勘弁なんですが」


「ん、ああまだ言っていなかったか。何、言葉にすれば簡単だ。“エスコート”だよ」







「つまりは我々の本業であり、同時に騎士のまねごとだ。後ろ盾を失って危機に瀕したお姫様を、安全な場所まで無事お運びして差し上げる…………ようは亡命を取り仕切るわけだ。どうかな? 久しぶりに実にやりがいのありそうな仕事だろう?」







今日もご意見ご感想誤字脱字の指摘、全てお待ちしております。

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