第3話・兎の話
ここからは新規分になります。続きは近日中に。
日のある内はいつだって忙しい。
戦中に王国連合の重要拠点の一つとして急速に発展したベクティオは今なお南部辺境の都市の中では群を抜いた規模を誇る要衝であるし、輸送力を武器とするトーリッツ商会の本店もここに置かれているため、物流の流れも南部辺境では自然とここが基点となる。
日が昇りきらぬ時間でも夜明けと共に悠々と、しかしまどろむ住民達の夢を壊さぬようしとやかに、飛船は空を行き来する。
飛船が運んでくる物は多い。
例えば遠方の穀倉地帯から運ばれてきたであろう大量の食料。
東の名高い工房で鍛えられた、冒険者なら誰もが一度はと夢見る武器防具。
その繊細さと精緻さで見る者を魅了する、遠い異国から流れてき硝子細工の工芸品。
そして、何より飛船は人を連れてくる。それに付随した事物と共に。
日が昇り日光がベクティオの防壁を越える頃になると、夜の間は閉じられていた大門が開けられる。
そうなると、今度は門が開くまで止められていた馬車や飛船がベクティオから南部辺境、あるいはその向こうへと次々に出発し始める。
それと同時に、キニスの最も忙しい時間帯が始まるのだ。
「――はい、次の方どうぞー。団体六名様のパーティーでよろしいですか? どちらまで?」
「おう。飛船でもいいからトゥランティアまで一番速いのを頼む。これ六人分のカードな」
「はい・・・・・・はい、トゥランティアまでですね。今日の午後一番のサンフェトトリア経由の便がありますのでそちらを用意します。ギルドカードを提示していただいたので料金一割引きの六人分銀貨四十三枚と銅貨二十枚いただきます」
トーリッツ商会、受付一番窓口。
夜が明けたとは言え、やっと他の店が鎧戸を開け始める時間に、既にキニスの前には列が出来ていた。
それはキニスの列だけでは無く、隣のリーナの二番窓口、更にその向こうにも列は出来ている。
朝に商会の受付事務所がごったがえすのは毎度のことであるから職員達は慣れた物で、キニスもこの商会創で設初期から働き始めて早数年。長銃をペンに持ち替えてから鍛えた技術もベテランの域に達し、決められた手続きを流れるような動作で処理していく。
引き出しから抜き取った赤い木札を左手一本で横に滑らせるようにして並べた後、逆手に持った焼き印に持ち魔力を込め、木札に押しつけていく。
塗料の焦げる臭いで焦げ過ぎ無いよう気をつけつつ、右手では受け取った六人分のギルドカードの情報を名簿へと書き込んでいく。
灰色の用紙であるためわかりづらいが、休むことなく手を動かし続けてきたせいでそろそろ手の裏がインクで黒くなってきているのも経験でわかる。紙を汚さないために、本来は一度手を洗うべきだ。しかし残念ながら席を立つ暇など無い。
綺麗さと効率性。少なくともこの時間帯においては後者が何より優先されるのだ。
作業を同時に行いながらも常に目線は右手側、名簿へいったままだ。作業の効率を上げるために思考を速く、蓄積された経験が促すまま、半ば無意識のままキニスは両手を動かした。
(――アトル・コパル、男性、冒険者、剣士。エディアルト・キーン、男性、冒険者、槍術士。キエル・レーダー、女性、冒険者、魔術士・・・・・・よし)
記入に漏れが無いことを確認してギルドカードと木札をまとめ束を二つ作り、それをカウンターの上に載せた。
「お待たせしました。それでは料金をお願いいたします」
「これでいいか」
「・・・・・・はい、確かにいただきました。金貨一枚ですので半金貨一枚と銀貨六枚、銅貨八十枚の返金です。それではこちらが木札とお預かりしたギルドカードになりますのでお確かめください」
「ではな」
「ありがとうございましたー。はい、次の方――」
「あ、ああ。私の番だな。娘とケルペンまで行きたいのだが」
「ケルペンですと馬車が――」
運航予定表を指でなぞって確認してから、しまったと思った。予定表には黒い一本の軌跡が描かれてしまっていた。
気を付けていたのにうっかり予定表を汚してしまったことに少し後悔するが、表情には出さず、淡々と目の前の新しい客に対して相手の求める情報を伝える。
客の入りがいつも通りなら、ピークが過ぎるまではまだかかる。もう少しすれば今度は他の商店からの荷物の運搬依頼が来始める時間になるので、それまでになるべく多く捌いておきたい。
新しい頁の用紙を取り出しながら、キニスは気合いを入れ直すのだった。
◆
――数時間後、昼休み。
無事にこの日も朝のラッシュを乗り切ったキニスは、カウンターの上に『昼休み』と書かれた看板を出し商会を出て近くの食堂を訪れていた。
宿屋の一階部分に居を構える店で、その名を三駒亭という。
安い値段でそこそこの量と味の物を提供するので、名店とまではいかないまでも主にトーリッツ商会の従業員を筆頭に労働者層に多くのリピーターを確保している。当然キニスもその一人だ。
「はいお待ちどうさま。今日のオススメ宵待兎の丸焼きとウィスプビーンズのスープね」
「どうもー。はいこれ」
「ありがとうございまーす!」
エプロンを着けた獣人の少女がぴこぴこと茶色の獣耳と尻尾を揺らしながら持ってきた。料理を机に置き、キニスが渡した銅貨を腰のポシェットにしまう。
小銭ではあるがチップを足しておいたためか、少女は愛想良く一礼してから厨房に戻っていった。
それを見届けてから、キニスは机の上に視線を戻した。丸い机の上に乗っているのは大きめに切り分けられた兎が乗った皿と、豆の他にもいくつかの野菜が突っ込まれたスープ。
キニスはまずスープに手を付けた。椀を取り、直接口をつける。
口に含み、火傷するような熱さでないことを確かめると具材を一気にかっ込んだ。煮込まれすっかり柔らかくなった野菜を咀嚼し、嚥下する。塩気の薄い、野菜のもとの味を生かした仄かに甘いスープだが、値段から考えれば充分な味だ。
甘い物を口にすると、今度は辛い物が欲しくなる。丸焼きにされた兎に手を伸ばそうとして……真ん中の、一番良いところの肉が一切れ無くなっていることに気づいた。調理された兎はもはや跳ねることはない。つまり何者かに奪われたのだ。
そしてその犯人はすぐに見つかった。ふてぶてしく、いつのまにかキニスの向かいの席に座っていたのだ。
「あら、思ってたより香草の香りもしっかり効いてて美味しいわね。肉も柔らかいし・・・・・・私も頼もうかしら」
「何してるんですかリーナさん。私の昼食ですよ。肉返せ」
「もう口付けちゃったじゃないの。一切れくらいけちけちしない」
肉を食べたのは、リーナだった。同じ受付業務でるからキニスが休憩に入れば彼女もまた休憩になる。
しかし、キニスが三駒亭に来たときには既にいて、別の席で自分の料理が来るのを待っていたはずなのだが。
とにかくキニスはサラダ用のフォークで刺した兎の肉を食べるリーナを睨みつつ、机の中央にあった兎の乗った皿をとりあえず自分の方へと引き寄せた。そうでもしないと、兎に視線を向けたままのリーナがきっとまた自分の兎に手を出すと思ったからだ。
その行動に、リーナはやはり面白くなさそうな顔をする。実際に、肉を狙っていたのかどうかは定かでは無いけれど。
「ちょっと、何よ。そんなあからさまに下げ無くったっていいじゃない」
「リーナさんが俺の兎に手ぇ出したからでしょうが」
「あたしってそんなに信用無いわけ? 肩を並べて働いてきた同僚よ?」
「今そのフォークに刺さってる物が全ての答えだと思いますけどね。それに何度目だと?」
「む……何よ、良いじゃない一切れくらい。美味しそうだったんだから」
「…………」
「わ、悪かったわよ」
「よろしい」
リーナの謝罪を受け、今度こそ自分の物である兎の肉を口にする。
美味い。リーナが言ったとおり柔らかく、塩と香草の香りがさらなる食欲をかき立てる。どうやら大当たりだったらしい。
一番良いところは持って行かれたが量としては一切れだけ。全体からすれば微々たる物であり、まだまだ食べる分は残っている。キニスはまた一切れ口に運んだ。再び香りと共に肉汁が口の中に広がる。やはり美味い。
「もぐもぐ」
「んー」
「もぐもぐ」
「むー」
「もぐもぐもぐ」
「ねぇ、ちょっとキニス」
「んぐ・・・・・・あげませんよ。一番良いところ食べたでしょうよ」
「何よ、けち」
「なんとでも。これは俺が金を払った俺の肉です。やっぱ食べられるときに食べとかないと」
自分の料理を食べながらキニスの分をねだるリーナに、それをあしらいつつ食べ続けるキニス。
三駒亭の常連からすれば日々の風景の一つとなったこの掛け合いは、結局この日も二人がちょうど同じタイミングで食べ終わるその時まで延々と続いたのだった。
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