第2話・今の話
再開にあたり、こちらにも少し手を加えました。
※7月29日修正しました。
一番窓口。
椅子を引き、そこへ座る。客では無いので外側ではなく内側に。
自分の定位置に腰を据えて、まずは引き出し鍵を開け中から鉄のリングで綴じられた名簿を取り出した。
次にインク壷の蓋を外し、ペンを突っ込む。それから幾つかの引き出しの中身をチェックし、問題がなければ最後にカウンターの上に置かれていた立て札を内側に下げれば準備は完了だ。
椅子に深く座り直し、襟が乱れていないか確認し、居住まいを直して笑顔を前に向ける。
「一番窓口、準備できました。お待ちのお客様がおられましたら、どうぞこちらへー」
「……ちょっとキニス」
仕切りの向こう、隣の二番窓口にいる同僚から声がかかった。
栗色の髪を後ろに流した、同僚の中でも評判の良い女性だ。立ち姿がスラッとしていて体つきもめりはりが効いている。
何より誰に対しても人当たりの良い性格が多くの者の心を掴んでいた。
「なんでしょうか、リーナさん」
「まだ就業時間って言っても早朝だから、客は誰もいない。あとその愛想笑い気持ち悪いからやめろ」
「……ハイ」
ただし、なぜかキニスに対しては冷たい。
なお、時刻は朝の五時である。
◆
――中央大陸の南側。エンジ大湿地帯のほとり、サリクス王国領の端に位置する自由交易都市ベクティオ。
このベクティオに、一風変わったギルドが存在する。その名も『トーリッツ商会』。
この商会、何が珍しいかと言えば業務に従事する人員の多くが商人ギルド以外に冒険者ギルドにも加盟しているのである。
『目の前の物を力なき商人であるから手に入れられないというのなら、冒険者としてより多くの物を勝ち取る』……というのが商会長の言だが、その主力商品は町人のための日用雑貨でも冒険者の為の武器防具でもない。無論それらを扱わないではないが、メインではない。
トーリッツ商会の特徴を挙げるとするなら、もう一つ欠かせない物。それが主力商品にして最大の強みである、『輸送力』だ。
飛船二十六隻。馬車百四台。
それらを運用し、人や物、他商会の荷物まで。運ぶことに主軸を置いたのがトーリッツ商会なのだ。
都市に店を構える商会でも普通飛船は持っていないことや、出来て数年のトーリッツ商会の歴史の浅さを考えると、これが異常な数だというのがわかる。
無論盗賊やモンスターなどに襲われることも考慮しており、それに対処するための護衛を行うのも商会の人間の仕事。
商会でありながら冒険者ギルドに加入しているのはこのためで、雇用などを巡って冒険者ギルドと無用な争いを生まないようにとの配慮だ。
そんな他の商会とは異なる点が多すぎるトーリッツ商会でのキニスの仕事は、受付業務。戦中に士官であったために文字の読み書きと計算が出来たからありつけた仕事だった。
時刻が六時をまわると、ぽつりぽつりと人が入ってくる。
飛船や馬車の席には限りがあり、ギリギリに来たのでは乗れないこともある。
トーリッツ商会では同業者の中では珍しく、乗合馬車でさえも徹底した客の名簿管理がなされているため、それに時間をとられて乗り遅れるなんてこともあるくらいだ。
当然、そうなった場合は次まで待つか、他の手段を探すしかない。返金はされるが乗り損なえばもちろん不都合が出る。それを嫌って早い時間にやって来るのだ。
この日もさっそく冒険者らしき三人組が事務所の中に入ってきた。構成は女性二人に男性一人。剣を持っているのは男だけで、残りの二人はそれぞれ杖と弓を持っている。
その内、カウンターに近づいてきたのは弓を持った方の女性。
残りの二人は待合い用の長椅子に座るでもなく周りを珍しそうに眺めたりしていた。きっとトーリッツ商会を利用するのは初めてなのだろう。
「すいませーん。南のサンフェインズまでいく馬車ありますかー?」
地図と運行表を照らし合わせ、それに該当するものがあるか確認する。あればそれを提示すればいいし、無ければ代わりの物を勧めることになる。
馬車も飛船も基本的には決められた一定のルートが軸になっている。ごくまれに、事情がある場合に限り臨時便が出る場合もあるが。
「馬車だと三日後になりますね。飛船なら今日の午後にありますが、どうなさいますか?」
「あー飛船ねー。……高いよね?」
「サンフェインズまでだと、馬車が半銀一枚と銅十枚、飛船が銀二枚となります」
「うぐっ、銀二枚かぁ……ちょっと仲間と相談してきても良いかな?」
「どうぞどうぞ。まだこの時間なら空いていますので」
馬車と飛船。それぞれの料金を提示すると、女性は仲間の元へと戻っていった。
交換比率は銀一枚が銅百枚。
馬車と比べると飛船は運用にそれなりの費用がかかるが、飛船の方が段違いに速いし一度に運べる荷物の量も多い。安全性も高いので信頼性を売りにして、商売としては成り立たせている。
ただキニス個人の考えだと、予期せぬ所から直撃弾を喰らって落ちていく飛船を何度もその目で見ているため、どちらが安全とは一概に言い切れないのであるが。
少しして、仲間と話し合っていた女性がキニスの所まで戻ってきた。
「サンフェインズまでお願いします。三人で!」
「はい、承りました」
鉄のリングで綴じられた分厚い名簿。
鍵を解除して名簿を開き、その一番上に引き出しから取り出した新しい紙を足す。
質は悪いがざらりとした手触りが気に入っている灰色がかった用紙。それの一番上に最初に日付を書き込み、次に自分の名前をフルネームで書き込んだ。
「それでは全員分のお名前をお願いします。それと、冒険者ギルド発行のギルドカードを提示していただければ一割引となりますが、こちらは提示できる方の分のみとなります」
「一割引!? やった! イリア、ルー、ちょっとこっち来て!」
手のひらほどの大きさの金属製のカードをカウンターの上に残し、女性は再び仲間の元へ向かう。
その間に、キニスはギルドカードを見て名前と簡単な特徴、そして時刻を記入した。
氏名、エルシア・クーノル。性別、女性。職業、冒険者。備考、弓使い。
他にもギルドカードの有無など幾つかの事柄を記入した後、最後に今の時刻を記入し完成となる。
「はい! これギルドカードと、一割り引きした代金ね!」
革製の受け皿に二枚のギルドカードと硬貨が几帳面にそろえて積まれる。
銀貨が五枚。銅貨が四十枚。確かにあるのを確認した後、鍵付きの引き出しの中へと種類別にしまい込む。
それから残りの二枚のギルドカードを手に取り、エルシアのそれと同じように項目を一つ一つ埋めていった。
「確認いたしました。今から木札を造りますので、しばらくお待ちください」
キニスは赤く塗られた小さな木の板を三枚取りだし、カウンターの内側の作業机の上に並べる。
それを興味深げにのぞき込んだのは三人組の一人……ギルドカードによれば、ルードレストという男だ。冒険者で名字が無いというのは珍しい。
「それは……?」
高い背とがっしりした体つき。腰には剣と見た目は冒険者の模範のような男だが、そこから発せられたのが想像とは違う学者のような低く落ち着きのある声であったことに、キニスは少し驚きを覚えた。
時間はまだ早朝。他の客もいないため、作業を進めながら柄でもない説明に興じることにする。
「証明書……の、簡易版といったところです」
説明しながら、キニスは引き出しの一つから幾つかのスタンプのようなものを取り出した。
細かい細工の施されたそれは――焼き印である。
「まずは出発した場所。つまりこのベクティオを示すものを」
焼き印の一つ。一番大きく、そして細かい紋様の物を木の板に押し付ける。
火にくべていないのにすぐに印を押せるのは、キニスが魔力を込めて加熱したからだ。
「次に行き先であるサンフェインズの物を。他にギルドカード所持者であることを示すもの。何番の飛船に乗るかを示すもの。最後に裏面に我がトーリッツ商会の紋章を押しまして……これで完成です」
「なるほど……よくできているのだな」
感心しているルードレストを尻目に、キニスは手際よく残りの二つも完成させた。
それに三枚のギルドカードを加えて、計六枚をカウンターの上に並べてみせる。
「まずはギルドカードをお返しします。次にこちらの木札についての説明を。この木札は飛船に乗るときに必要となり、乗船時に回収されますので無くさないようお願いします。サンフェインズ行きは午後二時の出発となります。万が一乗り損ねた場合はその木札をお持ちいただければ半額返金致しますが、紛失した場合は応じかねますので。説明は以上ですが、何か他に疑問に思われたことなどありましたら今のうちにどうぞ」
「いや……特にない。丁寧な接客、感謝する。ではな」
「ありがとねー、おじさん!」
ルードレストが三人分のギルドカードと木札を受け取り、キニスに礼を言って出て行った。
残る一人、杖を持った女も無言ではあったが、去り際にはにこやかな笑みを残していった。
「ありがとうございましたー」
キニスは椅子から立ち上がり、軽く腰を折り三人を見送った。忙しい時にはしないが、時間がある早朝のうちは行っている習慣だ。
完全に事務所の扉が閉まると、左隣、二番窓口のリーナが一番窓口のキニスの側に顔を覗かせる。
「キニス。あなたよくお客様と話しながらあのスピードで捌けるわね。私なら焼き印一つ熱するのに三十秒はかかるのに」
珍しくキニスを褒めるようなリーナの言葉。
しかしキニスはそれに反応を示さない。
三人組に向けていた笑顔を貼り付けたまま、動こうとはしなかった。
「…………」
「…………ちょっと、無視しないでよ。そのうっとうしい前髪焦がすわよ」
「……あー、リーナさん」
リーナが言葉に少し険をにじませて、やっとキニスは反応を示した。
「……俺って、そんなに老けて見えてます? そりゃあ髪は白に近いような灰色ですよ? でもまだ二十台なのに」
錆び付いた機械人形のような口調と動作のキニス。気圧されたのかそうでないのか、何にせよリーナはキニスから少し身を引いてから答える。
「おじさんって言われたこと気にしてるの? そういう愚痴っぽい所がおじさんっぽかったんじゃない?」
「……どうすれば」
「知らないわよ」
リーナに突き放されカウンターに突っ伏す……ことは名簿が広げてあるためできず、天井を見上げることしかできないキニスだった。
午前六時半。まだ一日は始まったばかりである。
ご意見、ご感想、誤字脱字の指摘、全て受け付けております。気になったことがありましたらお気軽にどうぞ。