東京都渋谷区渋谷駅のどん兵衛芋煮うどん
「少し…小腹が空いたな」
私はいつものように腹を空かせていた。
商談の待ち合わせまで、時間はまだ十分にあった。
「…別に軽食でいいんだが」
とりあえず渋谷駅構内を歩く。しかしなかなかピンとくる所がない。
すると小綺麗な和風の建物があった。
「どん…どん兵衛?」
そこにはインスタント麺『どん兵衛』の食事処があった。
「へー、どん兵衛の店か…」
暖簾越しに店内を見る。どうやら食券を買ってカウンター席やテーブル席で食べるシステムのようだ。私は足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
若い女性店員が二人、元気に挨拶をしてくる。私は少しどぎまぎしながら食券の自販機に隠れた。
普通の食事処ではないという気恥ずかしさがどこかにあったのだろう。
その自販機には、基本的などん兵衛から地方限定どん兵衛まで、さらにはそれらが関東と関西に分かれて販売してあった。
「何で関東と関西で分かれてるんだ?」
後々知人より、関東と関西でどん兵衛の味が違うことを教えてもらったことで、この疑問は氷解した。
「セットメニューもあるのか」
好きなどん兵衛と好きなおにぎりのセットで300円。丁度良い腹ごなしになる。
私は東北限定芋煮うどんとごま昆布しそ風味のおにぎりを選んだ。
店員がどん兵衛を開け、お湯を注ぐ。
「砂時計が落ちきりましたらお召しあがりくださいませ」
砂時計と共にどん兵衛をお盆で渡してくれた。
又、サービスでどん兵衛のクリアファイルを添えてくれた。実用性のある有難いプレゼントだ。
水はセルフ。そして私はカウンター席へと腰をかけた。
隣のビジネスマンは、持ち込んだのであろう弁当を食べながらどん兵衛を食している。
なるほど、こんな方法もあるのか。
弁当を持ち込んでいい食事処なんてなかなかないので、そんな発想は出てこなかった。
店内を見回す。
普段はニュースなどを写しているのであろう40インチ前後の液晶ディスプレイは沈黙している。
東北の大震災による節電の影響だろう。日常なら昼の情報番組が店を賑わせているはずだ。
思索に耽っている間に砂時計が全て落ちきり、私はどん兵衛の蓋を剥がした。途端に溢れだす湯気と香り。
「これこれ」
これぞまさしくどん兵衛。
様々なインスタント麺を食してきたが、私にとって、インスタントうどんではどん兵衛が不動の一位だ。
ずるずるずると客が少ないのをいいことに音を立てて麺をすする。
コシのある太麺!喉ごし!いいね、胃にドカンとくる。
ここでようやくおにぎりに手が伸びる。
これはどこかの惣菜屋が作ったようなおにぎりで、米が旨そうだ。
「まさに好みの具だな」
胡麻に昆布にシソ。私にとってはまさに至れり尽くせり。それを一噛み。
うん、米も固めで好みの味だ…少し具が少ないかな。
それはどん兵衛にも言えた。芋煮とあるが、汁が芋煮風味なだけで芋自体が見つからない。
砂場で無くしたビー玉を探すように必死になって芋を探すが見つからない。
幾分ガッカリしたが、仕方なく汁を飲む。
…うん、和風仕立てで濃さも丁度良い。
「おや?」
よく見ればカウンターに七味唐辛子が置かれていた。
うどんと一番合う調味料だと私は思っていたし、これからもそう思うだろう。
私はさっと三回振りかけ、残りの麺を流し込んだ。
「ふー」
一息つくと、店内の音楽が耳に入ってきた。それはオルゴール調のメロディーで、ゆったりと、逸る気持ちを落ち着かせるように。
対比して店の外にはせかせかと早足に歩く都民達。この店とは時間の流れが明らかに違う。
急いで、急かして、逸って。
この街では皆がみな生き急いでいるように感じてしまう。
それぞれが自分なりに落ち着ける場所を持っていたら、まあそれでもいいんじゃないかと思うが、それがない人はいつ一息つくのだろうか。
「あっ」
完食間近になって、ようやく芋を見つけた。
一気に汁を口内に流し込んでいれば気が付かなかったはずだ。
「うん…甘い」
ほら、ゆっくりしていればこんなこともある。
少ない芋の数片をじっくりと味わい、きれいに完食した。
食器を返却口に戻し、何というキャラクターかは知らないが、狐のマスコットキャラクターに別れを告げ、退店する。
「ありがとうございましたー!」
駅構内に出たが、店内の流れのままゆっくりと目当ての電車へと向かう。
乗る予定だった山手線の電車はもう到着していた。
私は乗り遅れないよう急いで駆け出した。