表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

母の日のプレゼントが買えません。買った瞬間、母に通知が行くからです

掲載日:2026/08/19

 去年の母の日、僕のサプライズは、渡す三十分前にバレていた。


 花屋のレジにスマホをかざした瞬間、母さんのスマホが鳴ったからだ。


『ユウタさんがカーネーション(一本・四百九十八円)を購入しました。場所:駅前フラワーはなむら』


 買った店も、時刻も、値段も、この一本でぜんぶ届く。僕が花を玄関のくつ箱のかげに隠すあいだ、母さんは台所で、気づかないふりをしていた。


 夕方、僕が「じゃーん」と花を出すと、母さんは三十分前から用意していた顔で「わあ、うれしい」と言った。


 うれしい、の前に、わざとらしい間があった。


 サプライズっていうのは、たぶん、あの間のことじゃないと思う。


◇◇◇


 現金が使えなくなったのは、僕が小学一年生のときだ。


 泥棒が減るから。税金のごまかしが消えるから。落としても盗まれないから。大人たちの言う理由は、ぜんぶ本当らしい。学校でも習った。「決済の完全記録化で、社会は透明でクリーンになりました」


 僕たち子どものお小遣いは、「みまもりペイ」というアプリで配られる。毎月一日に千円。使うと、品名と値段と場所が、その場で保護者に届く。店のレシートまで決済といっしょに送られるから、何を買ったかまで、母さんには分かるのだ。


 お年玉も、今は送金だ。お正月、親戚のおじさんが『おとしだま(三千円)』を送ってくれると、僕より先に母さんのスマホが鳴る。僕がお礼の電話をかけるころには、金額も時刻も、ぜんぶ知られている。あれはもう、お礼というより、確認の連絡だと思う。


 いつ、どこで、何を買ったか。ぜんぶ見える。だから、悪いことは何もできない。


 でも、と僕は思う。


 内緒の悪いことができない世界では、内緒のいいことも、できないのだ。


 このことに気づいている大人を、僕はまだ見たことがない。


 学校の合言葉は、「ログを残そう」だ。


 ログというのは、記録のこと。宿題の提出も、体温も、登下校の時刻も、ぜんぶアプリが勝手にログにしてくれる。先生は言う。ログがあれば、証明できます。ログがないことは、なかったことと同じです。


 なかったことと、同じ。


 ログのないものは、この世にいない幽霊と、おんなじ扱いなのだ。


 四年生のとき、「キャッシュレスとわたしたちのくらし」という作文の宿題が出た。僕は正直に「ぜんぶ見えると、プレゼントができません」と書いた。


 先生は赤ペンで「テーマとずれています」と書いた。


 ずれてるのは、どっちだろう。


 ちなみに、大人も似たようなものだ。家族の「ほしいものリスト」は共有設定だから、母さんが何をほしいかは、僕にも父さんにも最初から見えている。母さんはときどき通販で昔のきなこ棒を取り寄せては、「違うのよねえ」と言う。履歴には「きなこ棒(違う)」がもう四件も並んでいる。


 ほしいものが最初からぜんぶ見えていたら、驚かせる方法は、この世にない。


◇◇◇


 今年の母の日は、五日後に迫っていた。


 作戦その一は、代理購入だった。


「ケンタ、頼みがある。おれのレアカード、三枚やるから、代わりに花を買ってくれ」


 教室のすみで、僕は声を落とした。ケンタは学級で二番目にカードを持っている男だ。ちなみに一番は僕である。


「買うのはいいけど」ケンタは首をかしげた。「おれがカーネーションを買ったら、母ちゃん、自分への花だと思うぞ。家に持って帰らなかったら、ぜったい聞かれる」


「適当にごまかせないの?」


「無理。先月、タカシが代理購入をやって、母ちゃん同士の電話会議になった。次は学校まで話が行くって」


 親同士の情報網は、アプリより古くて、アプリより速い。


 作戦その一は、開始三十秒で終わった。


 作戦その二は、手作りだった。


 画用紙を切って、「肩たたき券・十回分」と書いた。これなら買い物じゃない。お金を使わないから、通知も行かない。われながら、いい線だと思った。


 学校で見せると、ケンタは券を裏返して、表に戻して、言った。


「これ、使ってもログが残らないじゃん。おまえが十回叩いたって、どう証明するんだよ」


「肩を叩けば、肩が覚えてるだろ」


「肩は履歴を見られないんだよ」


 正しいような気がして、僕は券を机の奥にしまった。


 記録のない約束を、僕まで少し、信用できなくなっていた。


 作戦その三は、父さんだった。単身赴任先の父さんに電話して、代わりに買ってもらう。われながら天才かと思った。


「悪いな、ユウタ」父さんは電話の向こうで笑った。「うちは家計共有アカウントだ。父さんが買っても、母さんの画面に出る。父さんの買い物は、ぜんぶな」


「ぜんぶ?」


「ぜんぶ」


 父さんの声が、ちょっとだけ遠くなった気がした。大人には大人の事情があるらしい。


 木曜日、学校の帰り、自転車でとなり町のおじいちゃんの家へ寄った。


「おじいちゃんが、代わりに買うのは?」


「無理だな。わしの財布も『高齢者みまもり』で、おまえの母さんにつながっとる。詐欺対策だそうだ」


 子どもの財布は親に、年寄りの財布は子に。この国の財布は、ぜんぶ誰かに見られている。


 おじいちゃんは縁側で、古い貯金箱をひっくり返してくれた。


 十円玉が、ざらざらと出てきた。茶色くて、ずっしり重かった。


「昔はな、これを握って駄菓子屋へ走ったもんだ」


「これ、今も使えるの?」


「使えん。博物館と、コレクターのもんだ」


 おじいちゃんは十円玉を一枚、僕の手に載せた。


「やる。金じゃなくなった金だ。お守りにはなる」


 お守りは、レジを通らない。つまり、誰にも通知が行かない。僕はその十円玉を、ポケットのいちばん奥にしまった。


 世界でいちばん自由なお金は、もう使えないお金だった。


◇◇◇


 母の日まで、あと二日。


 僕は商店街を、はしからはしまで歩いた。花屋、雑貨屋、コンビニ。花の自動販売機まであった。どの店のレジも、どの機械も、僕の名前を母さんに知らせたくて、うずうずしている。


 ここ数日、僕は買い物を一件もしていない。花屋の近くのコンビニで水を買うだけでも、『場所:駅前』の一行で作戦がバレるからだ。何かを買えば、動きが読まれる。スパイの気分だった。お小遣いは千円まるごと残っていたが、使い道が、ひとつもなかった。


 商店街のいちばん外れ、シャッターとシャッターのあいだに、その店はあった。


 間口はせまくて、軒下ののれんは色があせて、字が読めない。ガラスの引き戸の中に、あめ玉のびんと、ソースせんべいの箱と、名前を知らないお菓子が、ぎっしり並んでいた。


 レジが、どこにもなかった。


 引き戸を開けると、ちりんと鈴が鳴った。中は、うす暗くて、あまくて、ちょっとしょうゆくさい匂いがした。天井から、当たりくじの札がぶら下がっている。何の当たりなのかは、書いていない。


「いらっしゃい」


 店の奥から、小さいばあちゃんが出てきた。エプロンのポケットに、鉛筆が一本さしてあった。


 棚のとちゅうで、僕の足が止まった。


 ガラスびんの中に、きなこ棒があった。母さんが「違うのよねえ」と言い続けている、あのきなこ棒かどうかは、分からない。でも、びんの底に、きなこがちゃんと積もっていた。通販の写真では見たことのない、ほんものの積もり方だった。


「ばあちゃん、これ、ください。五本」


「あいよ」


「あと——」


 店先に、鉢植えのカーネーションが咲いていた。売り物の札は、付いていなかった。


「あれは売り物じゃないよ」ばあちゃんは僕の目線の先を見て、それから僕の顔を見た。「母の日かい」


「……はい」


 ばあちゃんは奥からはさみを持ってきて——鉢の前で、手を止めた。


「切るのは、あしたにしよう。花は切りたてが、いちばん元気だからね」


「売り物じゃないのに、くれるの?」


「値段のないものは、どこにも通知されないだろ」


 僕は、どきっとした。この人は、僕の困りごとを最初から知っている顔をしていた。


 問題は、支払いだった。僕はスマホを出しかけて、やめて、ポケットの奥から十円玉を出した。カウンターに、そっと置いた。


「通知が行かないお金は、これしか持っていません」


 ばあちゃんは十円玉をつまんで、目を細めた。


「今どきの子が、十円の重さを知ってるとはね」


 それから、僕の手のひらに十円玉を返した。


「それはお守りだろう。お守りは取らない」


「でも、それじゃ、払えない」


「はらいは、そのうちでいいよ」


 ばあちゃんはエプロンから鉛筆を抜いて、カウンターの下から、古びた帳面を出した。表紙のすみが、まるくすり切れていた。


「そのうちって、なに?」


「あとで払うっていう約束だよ。昔は、ツケって言ったんだ」


「約束……記録、しないの?」


 ばあちゃんは、鉛筆で帳面をとんとんとやった。


「ここに書く。それから、ここにも」


 しわだらけの手が、自分の胸を、とんと叩いた。


「帳簿は、二冊あるんだ」


 帳面のあたらしいページに、ばあちゃんは書いた。


『ゆうた きなこぼう五本 はらい そのうち』


「そのうちって、いつ?」


「そのうちは、そのうちさね」


「……返せなかったら、どうなるの?」


「取り立てには行かないよ」ばあちゃんは笑った。「おまえさんが大人になって、困ってる子におんなじことをしてやれば、それでチャラだ」


 僕は、意味が半分しか分からないまま、うなずいた。分からなかった半分は、ポケットの十円玉と同じくらい、ずっしりしていた。


「でもさ、ばあちゃん。それで、お店やっていけるの?」


 よけいなお世話だとは思ったが、聞かずにいられなかった。ばあちゃんは、あめ玉みたいに丸い顔をしわくちゃにして笑った。


「やっていけるよ。世界中に、ツケがたまってるからね」


 どういう意味か聞く前に、ばあちゃんは言った。


「あした、夕方においで。菓子は作りたてを包んでやるから」


◇◇◇


 次の日の夕方、店に行くと、ばあちゃんは奥できなこ棒を練っていた。木のへらが、ねっとりした山をたたむたび、きなこの匂いが店中にふくらんだ。通販の箱を開けたときには、しなかった匂いだ。


「もうちょっとかかるよ。そのへんで待ってな」


 僕は待っているあいだ、店の前を掃いた。ほうきが軒下に立てかけてあって、ひまだったからだ。ほかに理由はない。


 掃きながら、考えた。この店のことを、なんで僕は今まで知らなかったんだろう。地図アプリで「駄菓子屋」と探しても、この店は出てこない。登録がないからだ。レジも、ログも、登録もない店は、地図の上では存在しない。歩いた人だけが、知っている。


 学校の言い方だと、この店は幽霊なのだ。幽霊のくせに、きなこの匂いがした。


 掃き終わるころ、のれんのすきまから、ばあちゃんがこっちを見ている気がしたけど、ふり向いたら誰もいなかった。


 包みができると、ばあちゃんは店先に出て、鉢のいちばん大きい一輪を、ぱちんと切った。


「ほら。切りたてだよ」


 その夜、母さんが僕の部屋に来た。


「ユウタ。あんた最近……何も買ってないでしょう」


 みまもりペイには、「利用が少ない場合の見守り通知」まであるのだ。決済ゼロが四日続いた僕を、アプリは「動きのない子」と判定して、母さんに警告を出した。


『ユウタさんの利用が四日間ありません。お子さまの生活に変化がないか、ご家庭での見守りをおすすめします』


 何かを買えばバレる。何も買わなくても、バレる。お金を使わない四日間を過ごしただけで、僕は「変化のある子」になった。


「お小遣い、足りてる? 学校で、何かあった?」


 母さんの顔は、本気で心配していた。ごめん、と思いながら、僕は言った。


「……ひみつ」


「はあ?」


「いいひみつだから、心配しないで」


 母さんは、しばらく僕の顔を見ていた。それから、ふしぎそうな顔のまま「わかった」と言って、部屋を出ていった。


 ドアが閉まってから、気がついた。


 母さんに向かって、ひみつ、なんて言ったのは、生まれて初めてかもしれなかった。


◇◇◇


 母の日の朝。


 僕は母さんが起きる前に、テーブルに包みを置いた。


 きなこ棒が五本。カーネーションが一輪。画用紙のカード。「いつもありがとう」の字は、三回書き直したわりに、うまく書けなかった。


 それから、机の奥にしまいこんでいた、肩たたき券。


 僕が十回叩いたって、証明はできない。でも、母さんの肩が覚えてくれれば、それでいい。今なら、そう思える。


 紙は、いい。紙は、どこにも通知しない。


 起きてきた母さんは、テーブルの前で、ぴたりと止まった。


 スマホを見た。何も鳴っていない。もう一度、包みを見た。


「……え。なにこれ」


 今年も、「うれしい」の前に間があった。


 でも、わざとらしくない、ほんものの間だった。間の中で、母さんの目は、花と包みとカードと券のあいだを、三往復した。


「……うれしい。すごく。けど、どうやって用意したの?」


「ひみつ」


 今度は、胸を張って言えた。


 母さんはカーネーションを持ったまま、きなこ棒の包み紙を開けて、ひとくちかじって、固まった。


「これ……どこで」


「商店街のはじっこの、駄菓子屋」


「しのばあちゃんの店!? まだあるの!?」


 母さんの声が、ひとつ、子どもに戻った。


◇◇◇


 昼、母さんは僕を連れて、商店街のはしまで歩いた。歩きながら、何度も「うそでしょ」と言った。


「地図から消えてたから、とっくに閉まったんだと思ってた」


 地図にないものは、ないことになる。大人でも、そうなのだ。


 のれんをくぐると、ばあちゃんは僕を見て、それから母さんを見て、目を細めた。


「やっぱりねえ。どこかで見た顔だと思ったんだよ」


 ばあちゃんはカウンターの下から、古い帳面を出してきた。今のじゃない。もっと古い、表紙があめ色になったやつだ。


「花を見る顔が、おんなじだったからね」


 ひらかれたページの、うすくなった鉛筆の字を、母さんは指でなぞった。


『さくらちゃん かーねーしょん一本 はらい そのうち』


「これ……わたしが、ユウタくらいのときの」


 なぞった指が、止まった。


「わたし、返してない……」


「そのうち、って書いてあるだろ」


「払います。今すぐ。えっと、ペイは——」


「うちは扱ってないよ」


 ばあちゃんは笑って、それから、まじめな顔になった。


「それにね、さくらちゃん。そいつはもう、チャラなんだ」


「え?」


「おまえさんの子が、きのう、頼みもしないのに店の前を掃いていったからね」


 母さんが僕を見た。僕はよそを向いた。あれは、ひまだったからだ。ほかに理由はない。


「ツケの返し方は、金だけじゃないんだよ」


 ばあちゃんは古い帳面の、母さんの名前の横に、鉛筆で小さな丸をつけた。


 それから新しい帳面をひらいて、僕の「そのうち」の横には——何も、書かなかった。


◇◇◇


 帰り道、母さんはカーネーションを胸に抱えて、笑ったり、ちょっと泣いたりしていた。


「ねえ、ユウタ。今日のこと、アプリは何にも知らないんだね」


「うん。ぜんぶ、ひみつ」


「そっか。……お母さんも、ひみつにしとこう」


 月曜日、教室でケンタが聞いてきた。


「で、結局どこで手に入れたんだよ。花」


「地図にもログにも残ってない店」


「じゃあ、どうやって行くんだよ」


「歩いて探すんだよ」


 ケンタは、世界のおしまいみたいな顔をした。


 みまもりペイの履歴では、あの日の僕は、何もしなかった子どもだ。


 でも、ほんとうのことは、ちゃんと残っている。古い帳面の鉛筆の字と、ばあちゃんの胸の帳簿と、台所の花びんに挿した一輪のカーネーションに。


 僕の欄の「はらい」は、まだ「そのうち」のままだ。


 いそいで消したくないと思っていることは——ばあちゃんには、ひみつだ。


(了)

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


仕事柄、記録や証拠というものを毎日あつかっています。記録は人を守ってくれます。けれど、人の暮らしをいちばん深いところで支えているのは、帳簿に書くことはできても、数字だけでは清算できない貸し借りなのかもしれない、と思うことがあります。


記録を残すことの大事さをテーマにした作品も書いてきましたが、今回は、少し視点を変えて、記録が残りすぎることの問題を扱ってみました。


「はらいは、そのうち」を、まだ返せていない相手の顔を、書きながらずっと思い出していました。


評価やリアクション、感想をいただけたら、作者はとても喜びます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
すごく素敵なお話でした!ありがとうございます イメージがブワっと湧いて頭の中で動画が流れました 「ノート」でなく「帳面」なところが好きです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ