母の日のプレゼントが買えません。買った瞬間、母に通知が行くからです
去年の母の日、僕のサプライズは、渡す三十分前にバレていた。
花屋のレジにスマホをかざした瞬間、母さんのスマホが鳴ったからだ。
『ユウタさんがカーネーション(一本・四百九十八円)を購入しました。場所:駅前フラワーはなむら』
買った店も、時刻も、値段も、この一本でぜんぶ届く。僕が花を玄関のくつ箱のかげに隠すあいだ、母さんは台所で、気づかないふりをしていた。
夕方、僕が「じゃーん」と花を出すと、母さんは三十分前から用意していた顔で「わあ、うれしい」と言った。
うれしい、の前に、わざとらしい間があった。
サプライズっていうのは、たぶん、あの間のことじゃないと思う。
◇◇◇
現金が使えなくなったのは、僕が小学一年生のときだ。
泥棒が減るから。税金のごまかしが消えるから。落としても盗まれないから。大人たちの言う理由は、ぜんぶ本当らしい。学校でも習った。「決済の完全記録化で、社会は透明でクリーンになりました」
僕たち子どものお小遣いは、「みまもりペイ」というアプリで配られる。毎月一日に千円。使うと、品名と値段と場所が、その場で保護者に届く。店のレシートまで決済といっしょに送られるから、何を買ったかまで、母さんには分かるのだ。
お年玉も、今は送金だ。お正月、親戚のおじさんが『おとしだま(三千円)』を送ってくれると、僕より先に母さんのスマホが鳴る。僕がお礼の電話をかけるころには、金額も時刻も、ぜんぶ知られている。あれはもう、お礼というより、確認の連絡だと思う。
いつ、どこで、何を買ったか。ぜんぶ見える。だから、悪いことは何もできない。
でも、と僕は思う。
内緒の悪いことができない世界では、内緒のいいことも、できないのだ。
このことに気づいている大人を、僕はまだ見たことがない。
学校の合言葉は、「ログを残そう」だ。
ログというのは、記録のこと。宿題の提出も、体温も、登下校の時刻も、ぜんぶアプリが勝手にログにしてくれる。先生は言う。ログがあれば、証明できます。ログがないことは、なかったことと同じです。
なかったことと、同じ。
ログのないものは、この世にいない幽霊と、おんなじ扱いなのだ。
四年生のとき、「キャッシュレスとわたしたちのくらし」という作文の宿題が出た。僕は正直に「ぜんぶ見えると、プレゼントができません」と書いた。
先生は赤ペンで「テーマとずれています」と書いた。
ずれてるのは、どっちだろう。
ちなみに、大人も似たようなものだ。家族の「ほしいものリスト」は共有設定だから、母さんが何をほしいかは、僕にも父さんにも最初から見えている。母さんはときどき通販で昔のきなこ棒を取り寄せては、「違うのよねえ」と言う。履歴には「きなこ棒(違う)」がもう四件も並んでいる。
ほしいものが最初からぜんぶ見えていたら、驚かせる方法は、この世にない。
◇◇◇
今年の母の日は、五日後に迫っていた。
作戦その一は、代理購入だった。
「ケンタ、頼みがある。おれのレアカード、三枚やるから、代わりに花を買ってくれ」
教室のすみで、僕は声を落とした。ケンタは学級で二番目にカードを持っている男だ。ちなみに一番は僕である。
「買うのはいいけど」ケンタは首をかしげた。「おれがカーネーションを買ったら、母ちゃん、自分への花だと思うぞ。家に持って帰らなかったら、ぜったい聞かれる」
「適当にごまかせないの?」
「無理。先月、タカシが代理購入をやって、母ちゃん同士の電話会議になった。次は学校まで話が行くって」
親同士の情報網は、アプリより古くて、アプリより速い。
作戦その一は、開始三十秒で終わった。
作戦その二は、手作りだった。
画用紙を切って、「肩たたき券・十回分」と書いた。これなら買い物じゃない。お金を使わないから、通知も行かない。われながら、いい線だと思った。
学校で見せると、ケンタは券を裏返して、表に戻して、言った。
「これ、使ってもログが残らないじゃん。おまえが十回叩いたって、どう証明するんだよ」
「肩を叩けば、肩が覚えてるだろ」
「肩は履歴を見られないんだよ」
正しいような気がして、僕は券を机の奥にしまった。
記録のない約束を、僕まで少し、信用できなくなっていた。
作戦その三は、父さんだった。単身赴任先の父さんに電話して、代わりに買ってもらう。われながら天才かと思った。
「悪いな、ユウタ」父さんは電話の向こうで笑った。「うちは家計共有アカウントだ。父さんが買っても、母さんの画面に出る。父さんの買い物は、ぜんぶな」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶ」
父さんの声が、ちょっとだけ遠くなった気がした。大人には大人の事情があるらしい。
木曜日、学校の帰り、自転車でとなり町のおじいちゃんの家へ寄った。
「おじいちゃんが、代わりに買うのは?」
「無理だな。わしの財布も『高齢者みまもり』で、おまえの母さんにつながっとる。詐欺対策だそうだ」
子どもの財布は親に、年寄りの財布は子に。この国の財布は、ぜんぶ誰かに見られている。
おじいちゃんは縁側で、古い貯金箱をひっくり返してくれた。
十円玉が、ざらざらと出てきた。茶色くて、ずっしり重かった。
「昔はな、これを握って駄菓子屋へ走ったもんだ」
「これ、今も使えるの?」
「使えん。博物館と、コレクターのもんだ」
おじいちゃんは十円玉を一枚、僕の手に載せた。
「やる。金じゃなくなった金だ。お守りにはなる」
お守りは、レジを通らない。つまり、誰にも通知が行かない。僕はその十円玉を、ポケットのいちばん奥にしまった。
世界でいちばん自由なお金は、もう使えないお金だった。
◇◇◇
母の日まで、あと二日。
僕は商店街を、はしからはしまで歩いた。花屋、雑貨屋、コンビニ。花の自動販売機まであった。どの店のレジも、どの機械も、僕の名前を母さんに知らせたくて、うずうずしている。
ここ数日、僕は買い物を一件もしていない。花屋の近くのコンビニで水を買うだけでも、『場所:駅前』の一行で作戦がバレるからだ。何かを買えば、動きが読まれる。スパイの気分だった。お小遣いは千円まるごと残っていたが、使い道が、ひとつもなかった。
商店街のいちばん外れ、シャッターとシャッターのあいだに、その店はあった。
間口はせまくて、軒下ののれんは色があせて、字が読めない。ガラスの引き戸の中に、あめ玉のびんと、ソースせんべいの箱と、名前を知らないお菓子が、ぎっしり並んでいた。
レジが、どこにもなかった。
引き戸を開けると、ちりんと鈴が鳴った。中は、うす暗くて、あまくて、ちょっとしょうゆくさい匂いがした。天井から、当たりくじの札がぶら下がっている。何の当たりなのかは、書いていない。
「いらっしゃい」
店の奥から、小さいばあちゃんが出てきた。エプロンのポケットに、鉛筆が一本さしてあった。
棚のとちゅうで、僕の足が止まった。
ガラスびんの中に、きなこ棒があった。母さんが「違うのよねえ」と言い続けている、あのきなこ棒かどうかは、分からない。でも、びんの底に、きなこがちゃんと積もっていた。通販の写真では見たことのない、ほんものの積もり方だった。
「ばあちゃん、これ、ください。五本」
「あいよ」
「あと——」
店先に、鉢植えのカーネーションが咲いていた。売り物の札は、付いていなかった。
「あれは売り物じゃないよ」ばあちゃんは僕の目線の先を見て、それから僕の顔を見た。「母の日かい」
「……はい」
ばあちゃんは奥からはさみを持ってきて——鉢の前で、手を止めた。
「切るのは、あしたにしよう。花は切りたてが、いちばん元気だからね」
「売り物じゃないのに、くれるの?」
「値段のないものは、どこにも通知されないだろ」
僕は、どきっとした。この人は、僕の困りごとを最初から知っている顔をしていた。
問題は、支払いだった。僕はスマホを出しかけて、やめて、ポケットの奥から十円玉を出した。カウンターに、そっと置いた。
「通知が行かないお金は、これしか持っていません」
ばあちゃんは十円玉をつまんで、目を細めた。
「今どきの子が、十円の重さを知ってるとはね」
それから、僕の手のひらに十円玉を返した。
「それはお守りだろう。お守りは取らない」
「でも、それじゃ、払えない」
「はらいは、そのうちでいいよ」
ばあちゃんはエプロンから鉛筆を抜いて、カウンターの下から、古びた帳面を出した。表紙のすみが、まるくすり切れていた。
「そのうちって、なに?」
「あとで払うっていう約束だよ。昔は、ツケって言ったんだ」
「約束……記録、しないの?」
ばあちゃんは、鉛筆で帳面をとんとんとやった。
「ここに書く。それから、ここにも」
しわだらけの手が、自分の胸を、とんと叩いた。
「帳簿は、二冊あるんだ」
帳面のあたらしいページに、ばあちゃんは書いた。
『ゆうた きなこぼう五本 はらい そのうち』
「そのうちって、いつ?」
「そのうちは、そのうちさね」
「……返せなかったら、どうなるの?」
「取り立てには行かないよ」ばあちゃんは笑った。「おまえさんが大人になって、困ってる子におんなじことをしてやれば、それでチャラだ」
僕は、意味が半分しか分からないまま、うなずいた。分からなかった半分は、ポケットの十円玉と同じくらい、ずっしりしていた。
「でもさ、ばあちゃん。それで、お店やっていけるの?」
よけいなお世話だとは思ったが、聞かずにいられなかった。ばあちゃんは、あめ玉みたいに丸い顔をしわくちゃにして笑った。
「やっていけるよ。世界中に、ツケがたまってるからね」
どういう意味か聞く前に、ばあちゃんは言った。
「あした、夕方においで。菓子は作りたてを包んでやるから」
◇◇◇
次の日の夕方、店に行くと、ばあちゃんは奥できなこ棒を練っていた。木のへらが、ねっとりした山をたたむたび、きなこの匂いが店中にふくらんだ。通販の箱を開けたときには、しなかった匂いだ。
「もうちょっとかかるよ。そのへんで待ってな」
僕は待っているあいだ、店の前を掃いた。ほうきが軒下に立てかけてあって、ひまだったからだ。ほかに理由はない。
掃きながら、考えた。この店のことを、なんで僕は今まで知らなかったんだろう。地図アプリで「駄菓子屋」と探しても、この店は出てこない。登録がないからだ。レジも、ログも、登録もない店は、地図の上では存在しない。歩いた人だけが、知っている。
学校の言い方だと、この店は幽霊なのだ。幽霊のくせに、きなこの匂いがした。
掃き終わるころ、のれんのすきまから、ばあちゃんがこっちを見ている気がしたけど、ふり向いたら誰もいなかった。
包みができると、ばあちゃんは店先に出て、鉢のいちばん大きい一輪を、ぱちんと切った。
「ほら。切りたてだよ」
その夜、母さんが僕の部屋に来た。
「ユウタ。あんた最近……何も買ってないでしょう」
みまもりペイには、「利用が少ない場合の見守り通知」まであるのだ。決済ゼロが四日続いた僕を、アプリは「動きのない子」と判定して、母さんに警告を出した。
『ユウタさんの利用が四日間ありません。お子さまの生活に変化がないか、ご家庭での見守りをおすすめします』
何かを買えばバレる。何も買わなくても、バレる。お金を使わない四日間を過ごしただけで、僕は「変化のある子」になった。
「お小遣い、足りてる? 学校で、何かあった?」
母さんの顔は、本気で心配していた。ごめん、と思いながら、僕は言った。
「……ひみつ」
「はあ?」
「いいひみつだから、心配しないで」
母さんは、しばらく僕の顔を見ていた。それから、ふしぎそうな顔のまま「わかった」と言って、部屋を出ていった。
ドアが閉まってから、気がついた。
母さんに向かって、ひみつ、なんて言ったのは、生まれて初めてかもしれなかった。
◇◇◇
母の日の朝。
僕は母さんが起きる前に、テーブルに包みを置いた。
きなこ棒が五本。カーネーションが一輪。画用紙のカード。「いつもありがとう」の字は、三回書き直したわりに、うまく書けなかった。
それから、机の奥にしまいこんでいた、肩たたき券。
僕が十回叩いたって、証明はできない。でも、母さんの肩が覚えてくれれば、それでいい。今なら、そう思える。
紙は、いい。紙は、どこにも通知しない。
起きてきた母さんは、テーブルの前で、ぴたりと止まった。
スマホを見た。何も鳴っていない。もう一度、包みを見た。
「……え。なにこれ」
今年も、「うれしい」の前に間があった。
でも、わざとらしくない、ほんものの間だった。間の中で、母さんの目は、花と包みとカードと券のあいだを、三往復した。
「……うれしい。すごく。けど、どうやって用意したの?」
「ひみつ」
今度は、胸を張って言えた。
母さんはカーネーションを持ったまま、きなこ棒の包み紙を開けて、ひとくちかじって、固まった。
「これ……どこで」
「商店街のはじっこの、駄菓子屋」
「しのばあちゃんの店!? まだあるの!?」
母さんの声が、ひとつ、子どもに戻った。
◇◇◇
昼、母さんは僕を連れて、商店街のはしまで歩いた。歩きながら、何度も「うそでしょ」と言った。
「地図から消えてたから、とっくに閉まったんだと思ってた」
地図にないものは、ないことになる。大人でも、そうなのだ。
のれんをくぐると、ばあちゃんは僕を見て、それから母さんを見て、目を細めた。
「やっぱりねえ。どこかで見た顔だと思ったんだよ」
ばあちゃんはカウンターの下から、古い帳面を出してきた。今のじゃない。もっと古い、表紙があめ色になったやつだ。
「花を見る顔が、おんなじだったからね」
ひらかれたページの、うすくなった鉛筆の字を、母さんは指でなぞった。
『さくらちゃん かーねーしょん一本 はらい そのうち』
「これ……わたしが、ユウタくらいのときの」
なぞった指が、止まった。
「わたし、返してない……」
「そのうち、って書いてあるだろ」
「払います。今すぐ。えっと、ペイは——」
「うちは扱ってないよ」
ばあちゃんは笑って、それから、まじめな顔になった。
「それにね、さくらちゃん。そいつはもう、チャラなんだ」
「え?」
「おまえさんの子が、きのう、頼みもしないのに店の前を掃いていったからね」
母さんが僕を見た。僕はよそを向いた。あれは、ひまだったからだ。ほかに理由はない。
「ツケの返し方は、金だけじゃないんだよ」
ばあちゃんは古い帳面の、母さんの名前の横に、鉛筆で小さな丸をつけた。
それから新しい帳面をひらいて、僕の「そのうち」の横には——何も、書かなかった。
◇◇◇
帰り道、母さんはカーネーションを胸に抱えて、笑ったり、ちょっと泣いたりしていた。
「ねえ、ユウタ。今日のこと、アプリは何にも知らないんだね」
「うん。ぜんぶ、ひみつ」
「そっか。……お母さんも、ひみつにしとこう」
月曜日、教室でケンタが聞いてきた。
「で、結局どこで手に入れたんだよ。花」
「地図にもログにも残ってない店」
「じゃあ、どうやって行くんだよ」
「歩いて探すんだよ」
ケンタは、世界のおしまいみたいな顔をした。
みまもりペイの履歴では、あの日の僕は、何もしなかった子どもだ。
でも、ほんとうのことは、ちゃんと残っている。古い帳面の鉛筆の字と、ばあちゃんの胸の帳簿と、台所の花びんに挿した一輪のカーネーションに。
僕の欄の「はらい」は、まだ「そのうち」のままだ。
いそいで消したくないと思っていることは——ばあちゃんには、ひみつだ。
(了)
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
仕事柄、記録や証拠というものを毎日あつかっています。記録は人を守ってくれます。けれど、人の暮らしをいちばん深いところで支えているのは、帳簿に書くことはできても、数字だけでは清算できない貸し借りなのかもしれない、と思うことがあります。
記録を残すことの大事さをテーマにした作品も書いてきましたが、今回は、少し視点を変えて、記録が残りすぎることの問題を扱ってみました。
「はらいは、そのうち」を、まだ返せていない相手の顔を、書きながらずっと思い出していました。
評価やリアクション、感想をいただけたら、作者はとても喜びます。




