おばけ退治のおまじない
「おかあさぁああん!!」
「どうしたの?」
「おばけ!! またおばけが!」
「あらあら……今度は何をされたの?」
大粒の涙を目に溜めながら、息子が走って来た廊下の先を指さしながら震える声で叫ぶ。
「ひっく、ぼくの!! ぼくのクマさん! たべ、ら――うわぁあああん」
「こっちにおいで?」
感情を押さえきれず、酷く嗚咽しながら私の胸に顔を埋める息子の頭を優しく撫でる。しばらくそのまま落ち着くのを待ってから、息子を抱きかかえて子供部屋に向かった。
暗い廊下の先に見える扉が開け放たれたままの子供部屋の光を頼りに進み、扉まで辿り着くと部屋の中心に息子が大切にしているクマの人形が横たわっていた。
左腕がない。
まるで何かに嚙み千切られたような跡から、クリーム色の綿が溢れ出てきている。
「うぐ、ひっく」
「もう、クマさんは大切にしないと駄目って言ったでしょ?」
「ちがっ、あい、あいつが――」
「はいはい」
部屋の隅を見ながら怯える息子をあやしながらしゃがみ、息子を支えていない方の手で人形を拾う。
「派手にやっちゃったわね……腕はどこにあるの? お母さんが縫って直してあげるから」
「たべ、ひっく、たべられちゃ――もう! もうないもん!」
「困ったわね、腕が無いと直せないわ」
「うわぁあああん」
泣きじゃくる息子の姿に心が締め付けられる。
「おか、おかあさん! おばけをやっつけて……!」
「おばけなんていないから安心して? 一人だったから、怖くて見間違いをしちゃったのね?」
「ちがうもん! そこ、そこにいる! こっちみてる!」
必死に訴えかけてくる息子が凝視している部屋の隅を見ながら、震える息子の背中を摩る。
「ごめんね? お母さんには何も見えないの」
「う、うぅ……!」
「分かった、お化けを退治するおまじないを教えてあげる!」
「おまじ、ない?」
息子を抱えてキッチンに戻る。
クマの人形をカウンターに置き冷蔵庫を開け、ラベルの剥がされたペットボトルを取り出した。
棚から100均で買った小さなスプレーボトルを取り、片手で作業をするのに四苦八苦していると息子にシャツの襟を掴まれた。
「お、おかあさん、おばけ、みてる!」
「お化けさんに見られても大丈夫だから心配しないで」
なんとか片手でペットボトルを開けて、中身をスプレーボトルに入れ替え終わった。
「おみず?」
「そう、お母さんの魔法のお水! 今度お化けさんが悪さをしたら『悪いお化けはいなくなれ!』っていいながらしゅっしゅって魔法のお水を吹きかけたら退治できるから」
「れいぞうこにいれてたのに、まほうのおみず?」
「お母さんは嘘を付かないでしょ?」
「うん……!」
宝物のようにスプレーボトルを両手で握りしめた息子を降ろし、頭を撫でる。
「おまじないがあればもう怖くない?」
「うん!」
「じゃあ、お母さんはクマさんを直すから大人しく遊んでてね」
おまじないのおかげで勇気が出たのか、お化けなど構わず廊下を走って行った息子の後を、天井に頭をぶつけない様に身を屈めた異形が付いていく。
大丈夫、私にも視えてるのはバレてないはず……震える手を祈る様に重ねて、手に入れた聖水が本物であることを祈る。
本当は大事な息子を守るために自分でどうにかしてあげたかった。
息子には近寄る癖に私とは距離を取ってある程度近づくと消えてしまうため、泣く泣く息子に「おまじない」を教える事しかできなかった。
「情けないお母さんでごめんなさい……!」