1-81 無謀な夢追い人
「いやー、死ぬかと思っタ。我ながらよく生きてたもんだネエ」
「まったく、笑い事じゃないって母ちゃん」
海でのほのぼのした戯れはすぐに終わってしまい、俺達は気球の墜落現場の荒れ地に直行、リンドウさんを救出した後アマビコが応急処置を行った。
「赤チンなんて初めて見たよ。昔の資料で見た事はあるけど」
「ええ、昔の文献を参考に見よう見まねでやっています」
アマビコは医学の知識があり手際よく手当てをする。だが今では絶滅してしまった赤チンをペシペシと塗っているので昭和のあたりから更新されていないらしい。
『赤チンって治療してる感はあるよねぇ。でも作る時に水銀を使うから今はもう作れないんだよ』
「え!? そうなんですか!?」
「お母さん死ぬノ!?」
『今のところ健康被害は聞いた事は無いから安心しな。もっと言えば外傷を消毒するってやり方も昔の発想で、今は軽く水で異物を取り除いてちゃんとした絆創膏で覆って自然治癒力に任せるのが主流さ。消毒液を使うと細胞が死んで傷の治りが遅くなるし』
「そ、そうだったんですか……なんかショックです」
二人はまれっちから昭和の非常識を正され軽くショックを受けた。ひょっとしたらこの話を聞いている怪我をしたらまず消毒派の昭和世代の人も絶望しているかもしれない。
「なあ、消毒をした時って傷口が染みて痛いよな。あれって意味がなかったのか?」
『ただ細胞が死んでただけだよぉ』
「なんて事だァーッ! 何故誰も教えてくれなかったんだァーッ! あの痛みは何だったんだァーッ!」
「ちなみに昔読んだマンガで男の子なんだから泣くんじゃない、って怪我を手当てしてくれた初恋のお姉さんが泣いている主人公を慰めるってシーンがあったでヤンスが?」
『ただ細胞を殺してただけだねぇ』
「なんて事でヤンスかァーッ! とんだ毒婦でヤンスーッ! 意味が分かると怖い話系の作品だったでヤンスかァーッ!」
一番ショックを受けていたのはリアンとサスケであり、二人は実にバラエティ向きなオーバーリアクションをしてくれた。
もしもこの手のテレビ番組のロケでインタビューを受けた市民ならば、確実に採用されるに違いない。
「私思いっきり自分の子供にやってましたポン……」
「気にするな、ああいうのは効果がなくてもロマンはある」
ザキラはモリンさんを肩にポン、と手を置いて励ました。
もちろん今の時代では不適切だとしてもだからという話である。フィクション内でのロマンの前には正しさとか無粋でしかないのだ。
「でもザキラさんは保健室の先生とかにそういう事をされて恋とかが始まりそうデス。『全く、無茶したら駄目だよ』『うるせー先公! あんな最低な連中殴って当然だ! イテテ……』『わかってる。君が誰かを殴る時はいつだって大切なものを護るためだ。誰かのために戦う事が出来る君のそういう所が僕は大好きさ』『ばっ、うるせー! でも……ありがと』みたいな感じデ!」
「こいつ何言ってるんだ?」
「心配するな、俺にもよくわからん。だが言わんとする事はわかる」
乙女なニイノはその辺りのロマンが大好きなのか、一昔前の読み切りラブコメでありがちな展開を妄想し勝手に歓喜した。
残念ながら昨今の潮流は恋愛ヒャッホーではなく戦争ヒャッホーであり、大体のヒロインは軍国主義にキチってる女子高生のため、こういう恋する乙女とイケメン王子様系の作品も見られなくなったのが残念だけどさ。
「ハッハッハ、気にしなくてもディーパの身体はそんなヤワじゃないヨ。傷なんてツバでもつけときゃ治シし」
「だめだよー。けがしたときはぽふぽふするの」
「アラ、ありがとネ」
消毒を終えた所にマタンゴさんがキノコ胞子を振りかけ痛み止めをする。
怪しすぎるこちらの治療法に関しては知識がないので何とも言えないが、この世界では普通の治療法という事は今までこれといった問題は起きていないのだろう。
「もっと言えば俺の回復弾もありますよ。一発撃っておきますね」
「ども。オウフッ、こいつは効くネェ!」
最後にリンドウさんにM9の回復弾を発射、彼女は痛いツボを押されたオジサンの様にうめき、異世界らしい治療法によって無事応急手当は完了する。
「母ちゃん、確かにディーパは他の種族と比べると強靭な肉体を持っているけどそれでも限度はある。本当に死んだかと思って凄く心配したんだよ」
「ゴメンゴメン。けどお陰でデータは集まっタ。じゃもう一度改良して作り直すとするかネ」
「え? って何言ってるのさ!」
けれど手当てを終えた彼女は一切反省せずすぐに意気揚々と気球を作ろうとしたので、アマビコは慌ててリンドウさんを引き留める。
このすぐに行動に移せるバイタリティは見事というよりほかないが、助かったのはただ運が良かっただけであり次も助かる保証はどこにもない。
特に死というものを他の人間よりも恐れる俺にとって、その行為は全く理解出来ないただの蛮勇だったんだ。
「おーい! って生きてたのカ!?」
どうにかして彼女を思いとどまらせようと揉めていると、ディーパが仲間を引き連れ大慌てで駆けつけた。
彼はリンドウさんの情報を提供してくれたあの船頭ディーパだが、気球が墜落したのを目撃して助けに来てくれたのだろうか。
「アラ、ヒョウスベさんじゃないノ。この間お土産であげたアイゴの干物は美味しかったカシラ?」
「ああ、なかなか美味くて酒の肴に最高だった、じゃネーヨ! お触れが出てるのに気球を飛ばすなんて何考えてるんダ! 次はないからなって滅茶苦茶怒られたばかりダロ!」
「そうは言ってもネエ」
彼は友人のために激怒していたがリンドウさんは馬の耳に念仏、説教なんてどこ吹く風だった。
この手の人間には何を言っても無駄だし、たとえ子供や親しい間柄の人間だとしても聞く耳を持たないはずだ。
「いつもいつも迷惑かけてすまないネエ。けどお金も十分手に入ったシ、もうすぐ気球が完成するからちょっとだけ待っててくれるカシラ?」
「アン? マジであれだけの金を集めたのカ。ったく、その努力を別の方向で生かセヨ……」
以前資金集めについての話をしたのだろう、無理だと考えていたヒョウスベさんはかなり驚いていた。
彼女が成し遂げた事は現実世界でも異世界でも極めて困難な事であり、きっとこの場にいる誰もが実現出来るとは思いもよらなかったのだろう。
「だが待つつもりはナイ。金があるならなおの事だ。今まではアホな事をしてるなって適当にあしらっていたガ、このままじゃ本当に引き返せない所まで行っちマウ」
けれどそれによって彼らの意志もまた強固なものに変わってしまう。
今まではただの町の面白いおばさんだったが、金という全世界共通の夢を叶える手段を執念で手に入れた事でそれが現実の物になる可能性が高まってしまったからだ。
「そうだネ、きっと夢を叶えるかアタシが死ぬか、結末はそのどちらかなんだろうサ。だけどたとえ死んだとしても夢を見ながら死ねるならアタシは本望サ」
「あんたはそれでいいかもしれナイ。だが残された子供はどうナル。二人にはもう親はあんたしかいないんダ。魚は空を飛べないシ飛ぶ理由もナイ。馬鹿馬鹿しいにも程がアル。子持ちのオバサンが年甲斐もなく夢を語るもんじゃナイ」
「そんなの一番アタシが良くわかってるヨ。子供を顧みない馬鹿な親だってネ」
「お母さん……」
「……………」
ニイノとアマビコも常日頃から思う所があったのか母親を庇う事は無かった。
もしかしたらこれをきっかけに考えを改めてくれるのではないか――特にアマビコのほうはそう思っているのかもしれない。
「さて、話すのはこれくらいにしておこう。今回はちいとばかし騒ぎになっタシ、憲兵さんの耳に入る前に気球を完成させないといけないからネ」
「おい! ったく……」
だがリンドウさんは変わる事なく空中で四散したパーツを回収に向かった。
ヒョウスベさんはそれ以上何も言わず、最早何を言っても無駄だと諦め深いため息をついてしまった。
「いっちゃったー。しょぼん」
「あうあう、姐さん、どうするでヤンス?」
「どうするって言われてもなあ。取りあえずマタンゴさんと一緒にじめじめしておけば?」
「はい……じめじめー」
「じめじめー」
残された俺たちはどうする事も出来ず、姉貴分の指示通りサスケは寂しがるマタンゴさんと一緒にちょこんと体育座りをして落ち込む。
これで隅っこにでも置けば可愛いマスコットが完成しそうだ。




